Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

ことりさんのTwitterで、La Société Sherlock Holmes de France(フランス・シャーロック・ホームズ協会)のThierry Saint-Joanis氏がことりさんのRetweetにReplyなさっていたのを拝見して、この記事を書こうと思いつきました。ことりさん、きっかけをつくってくださってどうもありがとうございます。またことりさんはRetweetなさっただけではなく、その元Tweetに対して質問を書き込んでいらして、それにもThierry Saint-Joanis氏がReplyなさっていました。(私、Twitterをしていないので、Twitter関連の言葉の使い方がおかしかったらごめんなさい。)


グラナダテレビのホームズ・シリーズの十周年を祝うパーティが、1994年4月にマンチェスターのベーカー街セットで行われたときのことを以前書きました。このときジェレミーはフランスからレジオン・ドヌール勲章を授与すると知らされ、喜んで承諾しました。この授与はフランス・シャーロック・ホームズ協会による2年間の努力の賜物だったそうです。(しかし勲章の記章の授与はジェレミーの死により間に合わなかったときいています。)
ジェレミーにBAFTA賞を!(6); レジオン・ドヌール勲章その2
ジェレミーにBAFTA賞を!(7); レジオン・ドヌール勲章その3
ジェレミーにBAFTA賞を!(8); レジオン・ドヌール勲章その4

フランス・シャーロック・ホームズ協会の創設者であり会長でもあるThierry Saint-Joanis氏とジェレミーが壇上にいる写真が"For Fans of Jeremy Brett"にあります。
https://jeremybrett.livejournal.com/136150.html
https://jeremybrett.livejournal.com/136510.html

フランス・シャーロック・ホームズ協会のウェブサイト(https://www.sshf.com)に登録すれば、この十周年パーティを報じたニュースクリップを観ることができると、フランスのジェレミー・ファンのサイト(http://www.jeremy-brett.fr)に付属する掲示板(http://jeremy-brett.forumdefan.com)に書かれていたので、協会のサイトへ行ってみたことがあります。サイトの掲示板(https://www.sshf.com/forums/viewtopic.php?t=5102)にも、このクリップが登録者への「ボーナス・ビデオ」であると書かれていました。

ウェブ翻訳の手を借りつつ協会のサイトに登録しました。ホームズ協会の登録者になってログインすると、ビデオのページにYouTubeへのリンクがあらわれ、その一つが1994年のニュースクリップでした。YouTubeでは"Unlisted"となっていて検索にはかからないようにしてアップロードされていて、URLを知っている場合やリンクをクリックした場合のみ視聴可能です。

しかし最近になってこの映像は他の人の手でYouTubeなど、ネットに再投稿されています。でも出典を記す主義、原典やもともとの投稿者を尊重する主義の私としては、転載とわかっているページのアドレスを書くのもためらわれるし、かといって協会の"Unlisted"ビデオのアドレスも書くべきではないし、というわけで記事にするのを見送っていました。

今回はThierry Saint-Joanis氏が直接ことりさんのTwitterに宛てて、協会がアップロードした映像へのリンクを示して下さいました。氏は日本のグラナダ・ファンの存在を身近に感じて喜んでいるでしょう。そして協会がアップロードした映像をグラナダ・ファンに観てほしいと思っているのでしょう。なお私は氏と直接言葉のやり取りをしたことはまだありませんので、ちょっと(いえ、かなり)うらやましかったです。

氏が映像へのリンクをことりさんに示したReplyのアドレスを、ことりさんの許可をいただいて、書きます。
https://twitter.com/s_s_h_f/status/926717851909677056

また、調べたら氏はFacebookでもこのあと少したって、この映像の場所を示していますから、すでにこの映像は「ボーナス・ビデオ」の役割を終えたのでしょう。以下にそのFacebookのページを示します。
https://www.facebook.com/thierry.saintjoanis/posts/10155792777951358

ことりさんのおかげで、Thierry Saint-Joanis氏が映像へのリンクを示しているページのURLを記すという形で、あの映像についてこうして記事にすることが可能になりました。TwitterかFacebookの投稿にあるYouTubeへのリンクをクリックすると、全部で2分6秒の映像をみることができます。

50秒のところで話しているのがThierry Saint-Joanis氏、その後カメラが切り替わり58秒から、ジェレミーを右横から写しています。ジェレミーは音楽を奏でている楽団の方に手を差し伸べて、楽団を紹介しつつ楽しんでいる感じです。そして(1分6秒)カメラの前でのインタビューの短い映像です。

次に(1分24秒)拍手のなか、Thierry Saint-Joanis氏のいる壇上にあがるジェレミー。挨拶の言葉は残念ながらきこえませんが、勲章を受けることへの感謝の言葉でしょう。最後に皆に軽くうなずくようにしたあと、おそらくThank youと言っているのでしょう、そして壇から降ります。1分52秒から、先ほどのインタビューの続きの映像。

インタビューの内容は映像右下の"cc"(あるいは設定によっては「字幕」となっているかもしれません)をクリックして、音声認識の技術で自動生成されたトランスクリプトを表示させて確認できます。またこちらにも載っています。
http://jeremybrett.livejournal.com/23349.html

まずは最初の部分です。途中ジェレミーがちょっと笑いながら言うところ("I'm here to tell the tale, which is more important I suppose, really")、ニュアンスが間違っていないとよいのですが。"tell the tale"には「信じられない話をする」という意味もあるそうなので、そちらにとりました。

ホームズは演じるにはとても複雑な男でしたが、それをやりとげたことを喜んでいます。これで終わりです。41作品をつくって全部で46時間になると思うので、これで十分です。みなさんには意外でしょうけど(笑い)今日はもっと別の重要な話をしたいんですよ。私には子供たちがいて、それが何より大切です。

He's been a complex person to play. But I'm thrilled that I've completed ... I've stopped now. I think we've done 41 films and ... 46 hours I think, and that's enough. And I'm here to tell the tale (chuckles), which is more important I suppose, really. I have children and that's vital."


そして二つ目。

天才を演じるのにとても苦労するのは、その天才的な頭の働きをどうやって観ているひとに伝えるかです。かなり頭の鈍い俳優が演じる場合にはね。

The struggle to play a genius is how to convey genius when you're fairly thick yourself.


この映像をみたときの感慨を思い出します。写真も、文字のインタビューも、声のインタビューも好きですが、映像はまた特別ですね。最後の1分58秒あたり、「かなり頭の鈍い俳優が演じる場合にはね」("when you're fairly thick yourself")と言いながら、自分の頭をひとさし指でつついてにっこり笑うジェレミーが、いかにもジェレミーらしいです。

RM

追記:以前の記事では氏の名前の日本語表記を「ティエリ・サン・ジョアニ」としていますが、発音がこれであっているか、100%の自信はありません。

追記2:ビデオのタイトルでは1994年5月となっていますが、4月ではないかと思います。こちらには4月10日となっています。
ジェレミーにBAFTA賞を!(6); レジオン・ドヌール勲章その2
またMichael Cox著 A Study in Celluloid にも4月と書かれていました。
明日から一泊で山歩きにでかけますので、今日のうちにちょっと短い記事を書きます。

Facebook上のファン・グループへの投稿写真を御紹介します。投稿者と握手をする素敵な笑顔のジェレミーがうつっています。1980年代半ば、PBSの宣伝ツアーでアメリカを訪れた時だそうです。よく知られているように、ジェレミーは1991年に宣伝ツアーでアメリカの各地をまわっていますし、1990年にはMystery!の10周年記念のパーティでやはりアメリカへ行っていますが、投稿者の記憶が正しくて80年代なのであれば、そのどちらでもないのでしょう。南カリフォルニアでのシャーロッキアンの集まりでの写真だそうです。同じ服を着て、同じと思われるポーチにすわっている写真を他でもみたことがあります。どこだろうと思っていたのですが、南カリフォルニアでの写真だったのですね。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10156695610254278&set=gm.1992657041004506

ジェレミーらしい笑顔ですね!そしてこの、しっかりと握っている手、これもまたジェレミーらしいです。

RM
前回、Robert Stephens (ロバート・スティーブンス)とジェレミーのことを書いたのですが、ちょうどロバートとジェレミーが若い頃に、マンチェスターで一緒の舞台にたっていたときのプログラムがeBayに出ていたので、ご紹介しましょう。演目はOthello(オセロ)です。

このプログラムの出品はわりと珍しくて、私がeBayをチェックしはじめてから3回目くらいだと思います。そしてこれが興味深いのは、ハドスン夫人役のRosalie Williams(ロザリー・ウィリアムズ)も同じ舞台にたっているということなのです。

以下がそのアドレスで、すでに落札されていますので、数ヶ月後には削除されるはずです。
https://www.ebay.com/itm/172941043307
こちらは覚書として、eBayの以前の出品記録です。、
https://www.worthpoint.com/worthopedia/jeremy-brett-robert-stephens-bernard-311096318

1955年11月の上演プログラムと書かれていますから、ジェレミーは22歳ですね。一つ目のリンク先についている2枚の画像のうちの2枚目をみるとキャストが書かれていて、Iago(イアーゴー)をロバート・スティーブンス、Desdemona(デズデモーナ)をロザリー・ウィリアムズ、そしてCassio (カシオ)をジェレミーが演じています。

ジェレミーと舞台で共演したということは、ロザリーも雑誌のこのインタビューで話していました。
An Interview with Rosalie Williams
By Richard Valley
Scarlet Street, no.8, 1992

自分がハドスン夫人の役を得たのは、マンチェスターで舞台にたっていたときから、プロデューサーのMichael Coxが自分のことを知っていたためで、それで面接に呼ばれたのだ、とても幸運だった、と話した後からの引用です。RWがロザリー、SSがインタビューアです。

RW: そしてジェレミーと以前に舞台で共演したことがあったというのも、とても幸運なことでした。
SS: 何で共演したのですか?
RW: マンチェスターでの「オセロ」の舞台です。私はデズデモーナで、ジェレミーは若く勇敢な伊達男、カシオを演じました。ずっと昔のことで、それ以来私たちは会う機会はなかったのですが、このドラマで一緒になったら、まるでそれまでずっと会っていたみたいでした。それまでずっと親しい友達だったみたいでした。だからとても気持ちよく一緒に仕事ができるのです。

RW: And I was also lucky in that I had worked with Jeremy before, in the theatre.

SS: What had you done together?
RW: We had played Manchester in OTHELLO. I was Desdemona and he played one of the young gallants, Casio I think he was. That was many years ago, and we hadn't crossed paths since, but when we got together it was just as if there had been no break in between. We'd been great friends, you know? That does make working together very easy.


("We had played Manchester"は"We had played in Manchester"の誤植ではないかと思いますが、このままにしています。)

このプログラムの画像をみると、若い22歳のジェレミー、二つ年上のロバート、それより十歳と少し年上のロザリーが同じ演目をつくりあげているところを想像します。こんなぺらぺらな紙をうつした画像ですけど、(買うところまでは行きませんけれども)こういうのも私は好きです。本や物語や言葉が好きなひとは、紙や活字も好きという場合が多いのかもしれませんね。私もそうです。紙に字が並んでいるものから、単なる紙と字をこえて何かを感じられる気がするのです。


さて、今日はジェレミーのお誕生日ですね。1933年11月3日生まれですから84歳。最近はあまりききませんけれども、以前は11月3日は晴れの特異日と言われていましたが、今日も当地は気持ちのよい晴れの日です。皆様のところはどうでしょう。ジェレミーが生まれた時はどんなお天気だったでしょう。

不思議なご縁で、いえ正確には私の側からの一方的な不思議なご縁で、特別な存在となったジェレミー、お誕生日おめでとうございます。多分もう少しこうやって、このブログを書き続けるのではないかと思います。ジェレミー、そして読んでくださる方、のんびりとしたぶらぶら歩きにおつきあいくださいませ。

RM
この数回で、The IndependentとDaily Mailというイギリスの二つの新聞に載った追悼記事を引用しました。前者は高級紙、後者はタブロイドと呼ばれる新聞ですが、どちらも私はよい記事だったと思います。

前回の引用部分で、多くのひとがいまだにstigma(社会から恥ずかしく不名誉だと烙印を押される事柄)ととらえている精神疾患のことを、ジェレミーは公の場で語った、と書かれていましたが、性的少数者であることも当時は、そして残念ながら今でも社会のいろいろな場面で、stigmaの一つとなっていると言えるでしょう。

ジェレミーがもう少し長く生きていたら、性的少数者であることも公の場所で語ってくれたのではないかと私は思っています。残念ながらその時間がジェレミーには残されていませんでした。ですから本人が語っていないことを「事実」として書くことは第三者にはできません。でも私はいくつかの記事で書いたように、ジェレミーは性的少数者だったと思っています。
この世を去る時まで続いたGary Bondとの友情
Anna Masseyに感謝したいこと
入院

今の私にとってはジェレミーはバイセクシュアルだったのだろうと考えていることはなにか特別なことではなく、ただ、それに触れている、新聞に掲載されたジェレミーの追悼記事をもう一つご紹介しようとしているだけです。

私が知っている限りひとつだけ、ジェレミーがバイセクシュアルだったと追悼記事で書いている新聞があって、このことはなぜか英語圏のジェレミーのファンの間でも、1995年当時から今までほとんど見落とされてきました。1997年にあの、信用ならない記述を多く含むTerry Mannersの本が出て、そこにジェレミーがバイセクシュアルだと書かれていたとき、多くのファンはこれも信用ならない記述のうちの一つだと思いましたが、実はその前にいわゆる「高級紙」であるThe Guardianに、ジェレミーはバイセクシュアルであると書かれていたのです。

この追悼記事の筆者(後で述べますが、演劇評論家)にとってもこの「高級紙」にとっても、誰かが性的少数者であることは、書くのをためらうべきゴシップではなかったのですね。これはうれしいことです。そして演劇関係者でジェレミーと親しいひとにとっては、このことは別に秘密ではなかったのだと私は推測しています。普通にさらっと書かれています。

現在では性的少数者であることをごく普通にとらえることができるひとが増えてきたのは、偏見の中にいたひとたち、社会的に成功したひとたち、影響力のあるひとたちが声をあげてくれたおかげでしょう。ジェレミーももう少し長く生きていたら、その一人となってくれたのではないかと想像しています。


以下が追悼記事からの引用です。引用に先立つ部分でジェレミーの親友、俳優Robert Stephens(ロバート・スティーブンス)の言葉が紹介されたあと、ここでは演劇評論家Michael Coveneyの言葉が書かれています。"Michael Coveney writes: " とありますので、これはこの新聞の求めに応じて文章を送った、その内容ということだと思います。Michael Coveneyはロバート・スティーブンスが自伝(Knight Errant: Memoirs of a Vagabond Actor, 1995年出版)をまとめるのを手伝っていて、ここで書かれているのもロバートの自伝のためにジェレミーと会ったときのことでしょう。

OBIOTUARY: JEREMY BRETT; Dark Sherlock
By John Ezard, Robert Stephens, Michael Coveney, Michael Cox
The Guardian, 14 September, 1995

Michael Coveneyはこう書く:(略)ある点では奇妙な二人組だった。スティーブンスはとりとめなく話す、女好きの、単純でわかりやすい、ブリストル出身の田舎もの、ブレットはバイセクシュアル、上流中産階級出身で軍人の息子だった。二人は劇場に逃げ場所を求めていた。二人がいるところはどこでも、最高の笑いとわくわくした気持ちがあふれていた。

スティーブンスが1970年代に感情面でのトラブルに見舞われたとき、ブレットは必ずいつも彼を助けて支えた。今年のはじめにブレットから話をきいたとき、スティーブンスのことを話す彼の目には、スティーブンスへのやさしい気持ちで涙が光った。彼は私の言葉をこう訂正した。やさしい気持ちなんてものじゃない、愛だよ、と。

Michael Coveney writes: [...] In some ways they were an odd couple: Stephens the rambling, womanising, uncomplicated country boy from Bristol; Brett the bisexual scion of an upper class military background. Both sought escape in the theatre, both filled any room they entered with laughter and high spirits.

Whenever Stephens was in emotional trouble in the seventies, Brett never failed him. Talking about Stephens earlier this year, his eyes filled with tears of affection. Not affection, he corrected me as we spoke; love.


ロバート・スティーブンスとジェレミーについて、そしてジェレミーがロバートを支えた時のことは、以下の記事でも書きました。
Robert Stephens のベストマンをつとめた時の写真
ジェレミーのギターと歌

ジェレミーがロバートのことを筆者と話したときには、すでにロバートは病気で、彼が亡くなったのはジェレミーが亡くなったちょうど2ヶ月後でした。

RM
前回から続きます。この追悼記事の最後の3段落です。

The star who died of a broken heart
By Shaun Usher
Daily Mail, 14 September, 1995

数日前には、いまだに多くのひとが恥ずかしい不名誉なことだととらえる、あることに関して、ブレットはラジオで語った。"The Week's Good Cause"(今週のチャリティ)の番組で、躁鬱病(双極性障害)のひとを支援する会、躁鬱病患者友の会のための寄付を呼びかけたのだ。

ブレットは、自分はこの病気に打ち勝ったという言い方はせず、援助と治療によりこの病気をコントロールできると信じていると語った。

その通りだったかもしれないが、実際には精神の病より以前からあった心臓の障害に、再びみまわれてしまったのだ。

Just a few days ago, 'going public' on something people still perceive as a stigma, he made The Week's Good Cause radio appeal on behalf of the Manic Depression Fellowship, a group of providing support to sufferers and their friends.

Brett did not claim to have beaten manic depression; simply hopeful that with help and treatment he could control it.

He may have made it, but for the re-emergence of the heart trouble which had been with him for longer than the depression.


"The Week's Good Cause"でのジェレミーの言葉については、以前こちらに書きました。
The Week's Good Cause (1995) その1
The Week's Good Cause (1995) その2
The Week's Good Cause (1995) その3

上の記事でジェレミーが語ったこととしてあげられている内容は、ジェレミーのこの言葉に対応するのだと思います。「The Week's Good Cause (1995) その3」でご紹介しています。

俳優として成功をおさめたことで、自分がこの病気にかかっていることを公に認める勇気を持つことができました。この病気のために仕事をやめなければならないようなことにはならず、満ち足りた成功した人生をおくっていると伝えて、同じ病気の人を力づけるために。この病気は治療し、対処することができるものなのです。この病気は来ては去って行くものであり、症状が一時的にあらわれる期間以外は健康にすごせるのです。

And it is my success which gave me the courage to admit publicly that I had this illness as an encouragement to others that It had not stopped me from being employed and leading a fulfilled and successful life. It is an illness which can be treated and managed. It comes and goes and in between the bouts of illness people are well.


精神の病にかかっていることは、ひとにはいえない恥ずかしいことだ。当時は今よりさらに、そういう偏見があったことでしょう。そのような中でジェレミーは自分が双極性障害にかかっていることを、それまでも話していましたが、こうしてラジオで当事者の一人として語って、患者を勇気づけ、治療をうけることをすすめて、ラジオを聴いているひとからの寄付も募ったのがなくなる直前だったこと、そのことにもこの追悼記事が触れていることをうれしく思います。


今回この記事を書くために、上で三つあげた、2011年に自分が書いた文章を読んで、その頃にあったこと、その頃の気持ちを思い出しました。またその数年前に、秋から冬にかけて毎週月曜日の朝早く、ある建物の5階にいて、空を見ながらジェレミーの"The Week's Good Cause"での言葉をイヤホンからきいていたときのことも思い出しました。自分の私的なことはほとんど書いていないつもりのこのブログが、思い出を呼び起こしてくれます。

RM

追記:2011年の記事で、この放送の録音がきけるサイトとして、今はなくなってしまったJeremy Brett Informationのアドレスを書きましたが、以前お知らせしたとおりこのサイトの内容はInternet Archiveに残っています。
こちらからどうぞ。
https://web.archive.org/web/20160316141800/http://jeremybrett.info/media.html
音声ファイルのダウンロードの方法と注意は、2011年の記事に書いたのとかわりません。
前回の引用部分のちょうどすぐ後からです。

The star who died of a broken heart
By Shaun Usher
Daily Mail, 14 September, 1995

「私が何か言いかけたら、妻は同じ気持ちですぐに後を続けるような、そんな私たちでした。誰かの目をみるとその心の中までわかるような、生まれたときからそのひとのことを知っているような、そんな経験をすることがあるでしょう。私たちはそんなだったのです。」

'This was the kind of relationship where I would start a sentence and she would finish it. Sometimes you can see behind somebody's eyes and feel as if you have known them all your life. That's how it was.'


この部分もジェレミーのファンサイトなどでよくみます。そういう奥様がこの世からいなくなってしまって、姿をみることも声をきくことも、その手に触れることも抱きしめることもできなくなってしまった。

記事ではこのあとJoan Sullivan(ジョーン・サリバン)の死に触れたあと、以下のようなジェレミーの言葉の引用が続きます。

「悲しむ時間を自分に与えませんでした。自分のことを二の次にしたくて、そして妻が亡くなったことで、自分を哀れんでとてつもない怒りを感じた、その感情を忘れたくて、ただただ働きました。」

'I gave myself no time to mourn,' he said, 'deliberately overworking in order to forget about myself and the sheer, self-pitying anger I felt at my wife's death.'


そして、精神の病で入院したことが書かれます。

「脳の働きがおかしくなりました」彼は淡々と答えた。「世界の色がかわって、すべてがピンクか白になりました。」

'My brain just went,' he confessed matter-of-factly. The world changed colour, everything pink or white.'


退院後の言葉です。

「精神の病から回復した自分のこと、そしてその間、辛いときをすごしながら私をつれもどしてくれた家族や親しいひとたちのことをとても誇りにおもいます」と当時ブレットは語った。

'I'm proud of myself for recovering and proud of those close to me, who went through hell to bring me back,' Brett said at the time.


このあと、記事ではジェレミーの経歴が書かれていて、子供のころの病気が原因で心臓が肥大したこと、Hugginsの名前が使えなかったこと、俳優としてのキャリアの途中での南アメリカ放浪の旅のことにまで触れています。こういうところや、ジェレミーの言葉の引用を読むと、タブロイド紙ではありますが丁寧に描かれた記事という印象を持ちます。

次回は多分、この記事の締めくくりのところを引用します。

RM
前回と同じ、Daily Mailからの引用です。前回もお断りしましたが、これはタブロイド紙の一つに書かれたものですが、扇情的で信用ならない追悼記事だとは思いません。私はこの記事はジェレミーを好きな人が書いたように思えます。

出典は書かれないまま(知らないまま)、ジェレミーのファンサイトなどで多く引用される部分を含んでいます。今日はその前半部分です。

The star who died of a broken heart
By Shaun Usher
Daily Mail, 14 September, 1995

最初、ジェレミー・ブレットとJoan Sullivan(ジョーン・サリバン)の二人は、ロサンゼルスのサンタモニカ丘陵にあるあのハリウッドサインの「Wの字のちょうど下に」住んでいた。ブレットは最高にすばらしい女性と出会ったことをよく知っていた。妻を短く描写するとき、「Wild and wonderful(並外れていて最高)」と好んで言っていた。「We had a once-in-a-lifetime love.(一生に一度だけの愛を私たちは得たのです。)信じられないほどすばらしい、妻として最高のひとでした。」

At first they lived in Hollywood, 'right under the W in that sign'. Brett knew he had found a woman in a million, 'Wild and wonderful,' was his fond summing-up. 'We had a once-in-a-lifetime love. She was an incredible person, the best wife a man could have.


和訳のなかに"Wild and wonderful", "We had a once-in-a-lifetime love."の言葉を残しましたが、特に後者はジェレミーのファンページなどでも目にしますので、ここであらためて引用してみました。

ジェレミーが二度目の奥様をどんなに愛していたかは、ジェレミーの言葉の端々に出てきますが、これらの言葉からもそれを感じます。

これに続く部分を次回ご紹介するつもりです。

RM
前回、死亡記事・追悼記事の一つから引用しました。

他にネットで読めるものを、覚書の意味でいくつかあげておきます。
The New York Times
http://www.nytimes.com/1995/09/14/obituaries/jeremy-brett-an-unnerving-holmes-is-dead-at-59.html
The Washington Post
https://www.washingtonpost.com/archive/local/1995/09/16/actor-jeremy-brett-dies-at-59/507789b9-56e1-4f82-8490-4f5e43e923ce
Los Angeles Times
http://articles.latimes.com/1995-09-14/local/me-45667_1_sherlock-holmes
The Telegraph
https://groups.google.com/forum/#!topic/alt.obituaries/wKV5AE_WGkA
The Daily Gazette (The Associated Press配信記事)
http://news.google.com/newspapers?id=J3xGAAAAIBAJ&pg=3268,3188265

今日引用したいのは、ネットでは読めないのですが、Daily Mailの記事です。Daily Mailはイギリスのタブロイド紙の一つで、信用性や扇情的な書き方で問題になることもあるときいていますが、この追悼記事は私はよい記事だと思います。書いたひとがどういうひとかがわからないのですが(名前は後で記します)、ジェレミーの経歴、人生での出来事をいろいろと書いていて、他の追悼記事では見当たらないような内容もあります。

またジェレミーの言葉を多く載せています。ただ一部はかつてジェレミーが筆者(あるいはこの新聞)に語ったものだとしても、他の印刷物から引用しているものも多そうですが、引用元は明らかにしていません。もっともThe Television Sherlock HolmesやBending the Willowを読んでいても、出典が書かれていない引用に時々気がつきますから、タブロイドだからというわけではなさそうです。

今日の引用部分は「彼は二度目の妻を亡くした後、双極性障害に苦しんだ」とある、その後からです。

The star who died of a broken heart
By Shaun Usher
Daily Mail, 14 September, 1995

ホームズも敬服するような率直さで、ジェレミー・ブレットは、ホームズを演じ続けることだけが自分を生かしてくれていると言った。

その言葉をきいたなら反対したであろうひとも多くいたようだ。水曜日に心臓病のため59歳(原文ママ)で亡くなったとき、彼はホームズにあまりに没頭して力を吸い取られて、うつ状態になりやすくなってしまったのだ、と言う友人もいた。

ワトスンを演じたエドワード・ハードウィックは昨日こう語った。「最後のシリーズでは具合がとても悪くて、ジェレミーの強さが試されるような状況でした。でも最後まで戦い続けました。俳優としてはたらくことが何より大切で、撮影の現場にいるのが一番幸せ、というタイプの俳優だったのです。」

He said, with a clarity that Holmes would have admired, that only his acting kept him alive.

There are many who would have disagreed with him. When he died on Tuesday of a heart condition, at 59 [sic], some friends said his total absorption into the role of Holmes had drained him of energy and left him vulnerable to depression.

His co-star as Dr Watson, Edward Hardwicke, said yesterday: 'Jeremy was quite ill in the last series. It was a real test of strength for him, but he battled through. He was an actor who needed to work and was at his happiest on set.'


ジェレミーが率直に病気のことを語るのは、何度かここでもご紹介しています。「ホームズも敬服するような率直さ」という表現はなかなか興味深いです。

ジェレミーが双極性障害に苦しめられたのはホームズのせいだ、とか、あんなに健康状態が悪くなってまで、なぜ無理をしてホームズを演じたのか、演じさせたのか、という声をきくことがあります。

でもわたしは、演じることが、仲間とともに作品をつくることが何より好きで、ホームズをどう表現するかに没頭したジェレミーが、最後まで見事に戦って、からだもこころもホームズを演じることに捧げたことを称賛したいと思います。エドワードが言ってくれたように、ジェレミーは健康状態が悪くなってからでも、撮影現場にいるのが一番幸せだったのですね。

多分次回も、この記事から引用します。

RM
「次の週末はここをお休みするかもしれないし、ちょこっと書くかもしれない」と前回書きましたが、ちょこっと書きます。

ジェレミーが世を去ったとき、死亡記事・追悼の記事が新聞や雑誌に載りました。ネットで読むことができる記事も多くあります。

その中から一つご紹介します。イギリスの新聞The Independentに載った記事はここで読めます。

Obituary: Jeremy Brett
By Derek Granger
The Independent, 14 September, 1995
http://www.independent.co.uk/incoming/obituary-jeremy-brett-5649170.html

この中から私の好きな一文を引用します。この記事を書いた Derek Grangerはジェレミーが主演したHaunted: The Ferryman (1974) のプロデューサーだったようです。ジェレミーの仕事ぶりも、そこでの人への接し方も、よく知っているのでしょう。この一文を英語で声に出して読むと、そのリズムのなかにジェレミーのイメージがあらわれてくるようです。訳がむずかしいのですけれども。

ジェレミー・ブレットは感情が豊か、優しくあたたかで、友や仲間のことを深く気遣い、いつも自然に、そっくりそのままの感情を持っているように演技した。

Jeremy Brett, an emotional man of great warmth and generosity of spirit, cared deeply for his friends and colleagues and acted always spontaneously out of a seemingly full heart.


最後の"act"は「行動した」方かもしれません。「演技した」の方に訳したのですが「行動した」方でとるならば、「あふれんばかりの気持ちを持って行動した」という感じでしょうか。

*

生きていると、思いもかけないこと、こんなことにならなければよかったのにと言いたくなることが起こりますね。
後悔すべきことが別にないなら、残念だったねと自分に声をかけて、あとはひとにもものごとにも、まっすぐ静かに向き合いたいです。

ちょこっと思いがけないことがおきたけれども、予定どおり、ちょこっと短い旅に出ます。ではまた次の週末に。

RM
最近のeBayへの出品で、興味深かったものの一つです。
http://www.ebay.com/itm/263159873968

雑誌の切り抜きの画像にある二枚の写真のうちで、右をご覧ください。(クリックすると大きくなるはずです。)3人うつっていますが、一番左がジェレミー、一人おいて一番右がCharles Gray(チャールズ・グレイ)です。

これはTroilus and Cressida(トロイラスとクレシダ)の写真で、最初はジェレミーはPatroclusを、のちにTroilusを演じています。この公演の資料として二つのページをあげます。
http://web.archive.org/web/20160830102931/http://jeremybrett.info:80/st_troilus.html
https://books.google.co.jp/books?id=OZuqm6xOK6gC&pg=PA256&lpg=PA256

今回の写真はPatroclus役です。1956年4月3日にロンドンのThe Old Vicではじまりましたから、この頃はジェレミーは22歳ですね。

この写真は今はなくなってしまったJeremy Brett Informationのウェブサイト(上にアドレスを書いたページはそのArchive)にも小さいものがありましたから、はじめてはないのですが、今回のeBayのものは、本物という保証はありませんがジェレミーとチャールズ・グレイの二人のサインが入っていること、雑誌からの切り抜きでキャプションが読めるのが私はうれしくて、画像を資料として自分のコンピュータに保存しました。

キャプションの最後にはこうあります。

ジェレミー・ブレット演じるPatroclusは友のことが心配で、その感情を隠せない。

Patroclus (Jeremy Brett) cannot conceal his anxiety for his friend.


ジェレミー演じるPatroclusが心配している友というのが、チャールズ・グレイ演じるAchillesで、ギリシャ軍のなかで最も傲慢な戦士とキャプションに書かれています。強気で傲慢な友の身を案じるこの表情、少年の面影も残すようで、以前見た時から印象的でした。

そしてお気づきでしょうか、右にうつっているチャールズ・グレイは、グラナダ・シリーズのマイクロフトです。こんな若い頃からの仲間と、今度は兄弟の役で再会したのですね。

*

この週末、台風で被害が出ませんように。

そして次の週末は、私は都合によりここをお休みするかもしれませんし、ちょこっと書くかもしれません。

RM

 RM

Author: RM
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和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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