Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

このところ土曜日にここの記事を書くことが多いのですが、明日は外出するので、金曜日の夜に書きます。

前回の記事で、「面白いと思ったのは、絵を描く時のことを例えにあげていることです。ジェレミーのお兄様の一人は画家ですものね」と書きました。そこからの連想で、絵に関する以前の記事にふれたあと、1985年のインタビューから引用します。

まずはジェレミーのお兄様のMichael(マイケル)のこと、その絵がどんなだったかについては以前こちらに書きました。
ジェレミーの兄、Michael Hugginsの絵(1)

ジェレミーがお兄様の絵のモデルになったときのことをちょっとだけ話しているのがこちらです。
ジェレミーのギターと歌

それからジェレミーが学校で好きだった教科のお話。
Mr Binksのこと(2)、のはずが脱線していろいろ
このときは原文を書いていなかったので、あらためて引用しましょう。

"LUCKY PENNY TALKS TO JEREMY (D'ARTAGNAN) BRETT"
by Lucky Penny
from Diana - The Paper for Girls Who Love Good Stories
25 March 1967, #214
http://www.brettish.com/JB_Meets_Diana.htm

ウォリクシャーで生まれたのですね。学校ではどんな教科が好きでしたか。

歴史と美術です。風景画と魚を描くのが好きでした。魚はよくよくみると、とても美しい色をしているんですよ。

You were born in Warwickshire. What were some of your favourite subjects at school?

History and art. I loved painting landscapes and fish--they've marvelous colouring when you get to know them.

というわけで、ジェレミーも美術が得意だったのですね。


さてそれではもう一つ、「絵」ということで思い出したジェレミーの言葉、お母様のことを話している箇所の中です。1985年4月のインタビューで、掲載は雑誌の1985年秋号です。

"Interview With Jeremy Brett"
by Rosemary Herbert
The Armchair Detective, Vol.18, No.4, Fall 1985

母は単なる「僕の母」というだけではなかったのです。名前はElizabeth(エリザベス)というのですが、母は誰にでもこころの扉を開いて、そのこころの奥の窓を開け放つひとでした。そんなふうな表現しかできません。誰もが母のところに来ました。母はとてもあたたかい、ひかりのようなひとでした。

父が家にもどると、母をたずねて友人が来ているだけではなく、ジプシー(ロマ)の野営地のひとたち全部や放浪者たちが家にいる状態ということもよくありました。母が彼らを招きいれていたのです。兄のマイケルは画家になりましたが、兄は当時、放浪者の一人を絵に描いたことがありました。父の椅子にすわっている姿を描いたのです。おかげで父はノミに悩まされました。父はずいぶん我慢させられましたね!

She wasn't just "my mother"; her name was Elizabeth, and she had open doors and open windows in her soul—that's the only way I can put it. Everybody came to my mother. She was like a light of great warmth.

My father would come back and find not just friends but whole gypsy encampments or tramps that my mother had taken in. In fact, my painter brother Michael painted one of these tramps [posing in] my father's chair, and my father got fleas from him. He had a lot to put up with!


お母様のことを読むと、ジェレミーはお母様ゆずりのあたたかさだなあといつも思います。放浪者を絵に描くお兄様もまた、面白いですね。

それではジェレミーはお父様からは何もうけつがなかったかというと、もちろんそんなふうには思わなくて、ひとから慕われる天性のリーダーというところはお父様ゆずりだと思います。プロデューサーのMichael Coxがジェレミーのことを、"he was a natural company leader"(天性のリーダーの資質を持っている)と言っていました(「あたたかさと賢さ;The Ritual (1995) より」。

あ、でもお父様は家では我慢していたんですね。家でのリーダーはお母様ですね!お父様のこと、今までも何回かふれましたが、次の次くらいに(多分)また書きます。

というわけで、最後はちょっと脱線気味ですが、絵の話題でかろうじてまとまったでしょうか。

RM
6月の記事「舞台と映像作品をくらべて(2):1989年のインタビューより」の引用部分で、ジェレミーがこんなふうに言っていました。

翌日ラッシュ(訳注:編集前のフィルム)をみにいく。うまくいったかな?成功かな?

Next day we go to the rushes. Did it work, did it work?

"Partners in Crime: Jeremy Brett and Edward Hardwicke"
Pam Clarke and Yvonne Parkin
Stage Struck, Issue 1, 1990

これからの連想で、ラッシュをみることについて、思い出したことを二つ書きましょう。

まずはDavid Stuart Davies著、Bending the Willowから、Paul Annettの言葉です。彼はグラナダ・シリーズで最初に撮影されたThe Solitary Cyclist (「美しき自転車乗り」)をはじめとして、3作品を監督しています。彼の言葉です。

ジェレミーはラッシュのすべてを熱心にみた。ラッシュをみるときにいつもそこにいた俳優はジェレミー以外にはCharles Danceしか知らない。いつもその場にいて熱心に検討に加わった。撮影の技術的な側面に対して彼は鋭い感覚を持っていた。

Jeremy was extremely keen to see all the rushes. He was probably the only actor I know, other than Charles Dance, I think, who came to every session of the rushes. He was there every time—very much into what was going on. He had a very keen sense of the technical side of things.


Charles Dance(チャールズ・ダンス)は1946年生まれの俳優で、2004年には自分で脚本を書いて映画監督もしているようです。Paul Annettの経験では、ラッシュをすべてみたのは、その彼と、ジェレミーだけだったのですね。ジェレミーも長生きしていたら映画やテレビの監督をする機会もめぐってきたかもしれません。主に演じることだけに興味がある俳優もいるでしょうし、こうして作品全体が生まれる過程にも立ち会いたい俳優もいて、ジェレミーは後者だったのでしょう。

ところで、ラッシュをみることについて、Edward Hardwicke(エドワード・ハードウィック)がエドワードらしいことを言っていて、ジェレミーがまたジェレミーらしいことを言っているインタビューがあります。それが思い出した二つ目です。エドワードはラッシュはみたくないというタイプの俳優で、でもその理由は、「主に演じることだけに興味がある」というわけではないようなのです。

"Holmes' Encore"
The Armchair Detective, Vol.25, No.1, 1992

1992年の発行ですが、1991年の春に行われたインタビューです。この直前ではエドワードが、意図した演技ができなかった例をたずねられて、自分の写真をみせられて、なんてひどい!と思うように、演技においてもこんなはずじゃなかったのにということがよくある、でも「思ったほど悪くはない、期待とはちがったけど、これはこれでいい」と思える、と言います。これを受けた形で次の質問です。TADがインタビューアです。

TAD: 完成前の映像で自分をみるのは、お二人はイヤですか?

ブレット: 自分をみるんじゃないんですよ。みるのはそれ以外です。たとえば話がどう運ばれているかをね。画家が絵を細かく検討するときのように、親指で自分をかくして、まわりで何がおきているかをみるんです。

ハードウィック: 以前はよくジェレミーと議論したんですけど、ワトスンを演じるようになってすぐの頃、ジェレミーがラッシュをみるのにすごく熱心なので、こう言ったんです。「僕はみていられない。すごくイヤなんだ。」完成してからみるのはいいんですよ。でもいま撮影しているという時にラッシュで自分をみると、がっかりしてダメなんです。ジェレミーは「うん、でも自分をみているだけじゃないよね。他の人、照明や音響や、みんなの仕事をみている。みんなほめられて励まされたいんだ。ラッシュで彼らの仕事をみて、翌日『すばらしかったよ!』って言ってあげられるよ。」ジェレミーの言うとおりです。でも自分が思っているようには演じることができていないから、やはりみるとがっかりします。

TAD: Does it bother either of you to watch yourself in previews?

Brett: Well, you don't look at yourself. You look at other things. The storytelling, for instance. You put a thumb over yourself, like a painter examining his work, and watch what goes on around you.

Hardwicke: I used to get into an argument with Jeremy about this. When I took over the part of Watson, he was very keen about going to rushes. I said, "I can't. I just cannot face it. I really hate it." I don't mind seeing a completed film. But when I'm in the process of working, I find it personally very destructive to see rushes. Jeremy would say, "Yeah, but you're not just looking at you. All the other people—the lighting man, the sound man—they all want a pat on the back. And if you watch it, you can go up the next day and say, "Terrific!" And he's quite right. But you never end up doing what you think you're doing, and I find it discouraging.


"You put a thumb over yourself, like a painter examining his work"とジェレミーが言っているところ、「画家が絵を細かく検討するときのように、親指で自分をかくす」と訳しましたが、絵を描く方、これであっているでしょうか。手のひらや指で絵のある部分をかくして、その部分に惑わされないようにして、それ以外をみるようなことを画家がやっているのをみたことがあるような気がしてこう訳しました。直訳すると「親指を自分の上に(覆うように)置く」、でしょうけど。訳自体には100%の自信はないのですが、ここで面白いと思ったのは、絵を描く時のことを例えにあげていることです。ジェレミーのお兄様の一人は画家ですものね。

ジェレミーはラッシュをみるのに熱心な理由の一つ目として、作品の出来具合を俯瞰してながめたり、自分以外の動きを確かめたりしたかったのですね。

それに対してエドワードは、ラッシュをみると自分にがっかりするタイプなのですね。でもその前の部分で言っているように、「思ったほど悪くはない、期待とはちがったけど、これはこれでいい」とも思えるのです。繊細だけど冷静で理性的という感じがします。

そしてエドワードがジェレミーの言葉を紹介してくれています。ここもまたスタッフを大切にするジェレミーらしいです。これが、ジェレミーがラッシュを熱心にみる、二つ目の理由なのですね。ジェレミーと撮影クルーとの関係について6月の記事「舞台と映像作品をくらべて(2):1989年のインタビューより」でも触れました。

ラッシュをみることについて、思い出した部分を二つ引用しました。

RM
夏というとThe Naval Treaty(海軍条約事件)のあの白い麻のスーツが思い出されます。それにちょっと触れているジェレミーの言葉を引用しましょう。

載っているのは1987年出版の、グラナダ・シリーズに関する薄い本です。
"Granada Companion, Number One: A Sherlock Holmes Album—A Centenary Celebration of Sherlock Holmes"
Edited by Michael Cox and Andrew Robinson
Published by Karizzma, 1987

その中の"Playing Sherlock Holmes: A Profile of Jeremy Brett"という題の1ページからです。

「ホームズはとても複雑な男です。音楽が好きでバイオリンの名手、冗談が好きで自信満々、少しうぬぼれているところもあるかもしれない。ほめられるのが好きで、自分以外の名探偵に関しては口が悪いのです。

ちょっと芝居がかったこともします。自慢しますし、ひとに注目されるのが好きだったりします。特に事件の謎がやっと解けた時にはね。

難しい事件ではこころの中まで張りつめた状態にあります。事件が解決したときには、ちょっと芝居がかったとも言えるかたちで、その張りつめたものが爆発するのです。

そういったところをいくらかでも、自分が演じるホームズの中にあらわそうとしています。

だから『海軍条約事件』がグラナダで今まで演じた中で一番好きな作品なのです。この作品ではじめて、ホームズだけでなく自分自身もちょっとだけ出せていると感じられました。ベージュのスーツを着て、わらで編んだ帽子パナマ帽をかぶって、笑って、最後の場面では事件を解決したホームズに、ちょっとうきうきした、優雅なことをさせました。見ているひとで、やりすぎだと思ったひともいたかもしれませんが、でも私にとってはそれまでの殻を破った大切な一瞬でした。」

’He is complex. He loves music — he plays the violin very well — he enjoys a joke, he is vain, maybe a little conceited. He likes to be praised. He can be bitchy when he assesses other great detectives.

'He can be a bit of a drama queen; he shows off sometimes, he's something of an exhibitionist, especially when he has pulled off a coup.

’On a difficult case he may build up considerable tension within himself, which explodes in a genial bit of theatricality when the problem is solved.

’I've tried to get some of that into my Holmes.

’That's why of all the stories I've done for Granada my favourite is The Naval Treaty: it was the first in which I felt I could be a bit of me as well as Holmes. I wore a beige suite and a straw hat. I was allowed to laugh, and at the end, when Holmes knew he'd cracked the problem, I made him do a little skip and dance. Some viewers may not have approved, but for me it was a breakthrough.'


最初の部分は以前も引用したことがあります。
「勝手に連動企画」で、"ドラマ・クイーンはどっち?"
この部分ではジェレミーはホームズのいろいろな面を言葉にしています。これがそのまま演技にあらわれていることに、いつも感嘆します。

この部分を受けて後半で、「だから『海軍条約事件』が一番好きだ」と言っています。この「だから」という言葉でのつながりは感覚としてはわかるのですが、論理としては、なぜ「だから」なのでしょう。この作品で「自分自身もちょっとだけ出せていると感じられ」ることと、その前の部分はどうつながるのでしょう。

自分とホームズは正反対だといつも言っているジェレミー、今回の引用部分に先立つところでもそう言っています。でも、実はそのホームズは自分とまったくかけ離れた存在というわけでもなく、自分と共通な部分もあるということを、口にはしていないですが言外に含んでいるのでしょう。音楽が好き、冗談が好き、ちょっと芝居がかっている。だから自分をすべて隠して演じたのではなく、自分をはじめて少しだけ出せた「海軍条約事件」が好きだ。そういうことだと想像します。

ここでベージュのスーツが出てきます。あれは麻のスーツでしょう。この撮影のときは特に暑かったと、たとえばMichael Cox著 A Study in Celluloidに書かれています (We filmed the story in high summer)。具体的には1983年8月8日(月)から8月26日(金)の撮影だったとKeith Frankel著 Granada's Greatest Detectiveに書かれています。8月8日と言えば数日後ですね!

そしてstraw hatをかぶっています。「麦わら帽子」と訳すと私はつばの広い帽子を思い浮かべるので、「わらで編んだ帽子」としました。(追記参照、後で「パナマ帽」に変えました)

最後のシーンでは"I made him do a little skip and dance"と言っています。最初にこれを読んだとき、あれ、飛び跳ねたのはホームズではなくてフェルプスだったのに、と思いました。でもこれは多分、文字どおり「飛び跳ねて、踊りあるいた」と言っているわけではなく、ホームズが自分の気持ちを軽快に優雅にあらわしたと言っているのだろうと思います。

それでは具体的にはどこでしょう。見た人はやりすぎだと思ったかもしれないけど、と言っているところから、当然原作にはないところ、そしてジェレミーがつくったシーンでしょう。それならばあの、ハドスン夫人に花を渡す、優雅でかわいらしい場面ですね!
ホームズがハドスン夫人に花をささげる場面;Rosalie Williamsのインタビュー(1996)より
ハドスン夫人とワトスンとホームズ;Rosalie Williamsの1992年のインタビューから(4)

後者でのRosalie Williamsの言葉を再度引用します。

ハドスン夫人とホームズの関係を描くのに、私たちがやり過ぎてはいないことを願っています。時には監督が「いや、それはちょっと」と言うかもしれません。ある場面で、ジェレミーが私に花を捧げたいと提案したことがありました。マリーゴールドの小さな花を渡して、ホームズの気持ちをあらわしたのです。とても素敵なシーンでした。コナン・ドイルが書いたものではなくて、私たちが演じている時に生まれたものでした。でも私にとってはそのおかげで、役にいのちが吹き込まれたのです。

I hope we haven't overstepped the mark in the relationship. Sometimes the director will say, "Oh, no." In one, Jeremy wanted to give me a flower. He gave me a little marigold, just as a little gesture. It was very sweet. It wasn't Conan Doyle; it was just something that happened when we were playing. But it rounds off the character for me.


多分ここのことですね!ハドスン夫人を演じたRosalie Williamsも、そしてこれを提案したジェレミーにとっても、自分の役を生き生きとしたものにするために、このシーンはとても重要だったことを知りました。



明日でここをはじめて7年、昨年のこの記事の最後でも書きましたが、吹き抜けの広場に置かれたテーブルでコーヒーを飲んでいた時に、これをはじめようと思い立ったのでした。
ホームズへの手がかりと、ホームズが持つ静けさ:1991年の新聞記事より

歩いて30分ほどのところにあるあのコーヒーショップに、この日が近づくとよく行くのですが、今年は忙しさと、最高気温36度、37度にためらって、まだ行っていません。台風が去って、日常も少し落ち着いたお盆の頃には行きたいと思います。近づいている台風が心配なかたもいらっしゃるでしょう。被害がでませんように。

RM

追記:そういえばパナマ帽という言葉がありましたね。straw hatのうちでtoquilla strawで編んだものをPanama hatと呼ぶそうです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Straw_hat

ジェレミーはstraw hatと言っていて、これの材質が何かはわからないのですが、「麦わら帽子」でも「わらで編んだ帽子」でも違うものを想像しがちなので、引用した部分の和訳ではパナマ帽としておきます。
前回Edward Hardwicke(エドワード・ハードウィック)のインタビューでの言葉をひいて、

ジェレミーのホームズは忘れ去られることはなく、人々はずっと覚えているだろうとエドワードが語ったこのインタビューから15年ほどたった今、このことを疑う余地はまったくありません。

と書きました。これを読んで、ジェレミーのホームズへの評価は変わることなく高かったのだから、それほどおおげさに言わなくても、とお思いになったかたもいらっしゃるかもしれません。映像化の決定版の一つという地位はこれまでも、これからもずっと変わらないのは当然だ、と。でも少なくともイギリスではそういうわけでもなかったようだ、と驚きを持って読んだ文章があります。

David Stuart Davies著 Bending the Willowの出版は、初版がジェレミーが亡くなった次の年の1996年、第2版が2002年、第3版が2010年です。第2版の後書きによれば、ホームズ役者としてのジェレミーの評価は2002年当時、かつてより落ちていたそうなのです。David Stuart Daviesはご存知のように、ジェレミーに何度も会ったことがあるシャーロッキアンで、ホームズを愛し、ジェレミーのホームズを高く評価している人です。

その彼が第2版の後書きに以下のように書いていて、これは第3版にも掲載されています。これに先立つ部分では、グラナダの最後のシリーズはジェレミーの健康状態の悪化、映像化に適した原作は使いはたしてしまったことなどから、質が落ちたと書かれています。日本ではグラナダ・ホームズは全体として「シャーロック・ホームズの冒険」という題でまとめられていますが、イギリスでは6つのシリーズにわかれていて、同じシリーズの作品は毎週続けて同じ時間に放映されました。

最終シリーズのThe Memoirs of Sherlock Holmesでの印象のために、グラナダのホームズ作品全体の評価にも、偉大なホームズとしてのブレットの名声にも傷がついてしまった。グラナダ・ホームズのどのシリーズも、これまでイギリスの地上波のテレビで再放送されていない。そのため新しくホームズに魅せられたファンはブレットのホームズがどれほど卓越していたかを見るためには、ビデオかDVDをさがさねばならない。彼が世を去って8年たったいま、すばらしいホームズ役者の一人としてのジェレミー・ブレットの地位は次第に低下しているように思う。Rathbone(ラスボーン)はその地位を保っているようで、これは映画のもつ力にテレビが負けていることを示しているのかもしれない。テレビは黎明期から時間がたって洗練されてはきたが、いまだにその場限りのメディアだとみられているのだろう。だがひょっとするとグラナダ・シリーズへの評価がかつての高さを失っているのは特別なことではなく、ものごとはそういうもので、そうであるなら、ホームズが「恐怖の谷」で「ものごとは変化しているようにみえて、再び元の場所にもどってきます。歴史は繰り返して再び同じことがおきます」と言ったとおりになるに違いない。我々はジェレミー・ブレットの初期のホームズが再び評価され、シャーロッキアンの新世代がその豊かな宝に気づくことを共に願おうではないか。何年か絶版になっていたこの本が再び世に出ることが、わずかなりともこの復興の一助となることを私は祈っている。

2002年4月

The images of The Memoirs did much to denigrate the series of Granada shows as a whole and Brett's own standing as a great Sherlock Holmes. None of the series has been repeated on terrestrial television in Britain, and so the newer Holmes fans have to seek for videos and DVDs to glimpse his greatness. In this eighth year since his death, I suspect that Jeremy Brett's position as one of the finest portrayers of Sherlock Holmes is slipping. Rathbone's seems to remain constant, and perhaps that is an indication of the power of film over television, which despite its age and sophistication is still seen as a transitory medium. Perhaps this falling away is a natural phenomenon and it must be that, as Holmes observes in The Valley of Fear, 'Everything comes in circles . . . The old wheel turns and the same spoke comes up.' Let us hope that there is a reassessment of the early days of Jeremy Brett's Holmes and that the new generation of Sherlockian fans is made aware of the riches available to it. I hope that the re-emergence of this book after being out of print for some years will help in some small measure with this renaissance.

April 2002


最初にこれを読んで驚いたのは、"None of the series has been repeated on terrestrial television in Britain."(どのシリーズも、これまでイギリスの地上波のテレビで再放送されていない)というところです。6つのシリーズのどれも、ということでしょう。これはシリーズの中のそれぞれのお話が単発でも放映されなかったということでしょうか、それとも毎週のレギュラー番組としての再放送はなかったということでしょうか。そのあとで、ジェレミーのホームズがどれほど偉大であったかを見るためには「ビデオかDVDをさがさねばならない」とあるところからは、素直に読めば単発の放映もなかったようにとれます。ただ、地上波で再放送がなくても、ケーブルテレビなどではあったのかもしれませんが。

今でこそDVDは比較的安価ですし、専用の機器がなくてもコンピュータの画面上で手軽に再生できます。ストリーミング配信のサイトもたくさんあるようですし、過去のテレビ作品を観たいと思ったら、ハードルは当時と比べものにならないほど低くなりました。でも2002年当時はおそらく地上波での再放送があるかないかで、大きな違いがあったことでしょう。そしてその再放送が、2002年まで(少なくともシリーズとしての形では)一度もなかったということを知りました。

著者であるDavid Stuart Daviesは、グラナダ・シリーズ、その中でのジェレミーに対する評価が落ちつつあると書いています。その理由として、最終シリーズでの変化、再放送されないこと、グラナダ版が映画ではなくテレビ作品であることをあげています。評判が下がって再放送されず、再放送されないから新しいファンを獲得できなくて、さらに評価がおちるとも言えるでしょう。これが2002年当時です。

でも自然もものごともすべてが移り変わる、そして移り変わる中で本質的なもの、重要なことは再び巡ってくる。そうであればジェレミーのホームズ再評価の時が来るだろうと書いています。

これが書かれたのが2002年、そして前回ご紹介したエドワードのインタビュー番組のエンドクレジットには2003年とあることから、エドワードが話したのは2002年か2003年でしょう。当時のこのような状況を知ると、エドワードがあの静かな声で、"And it will be remembered, I'm sure, because I think he was an extraordinary Holmes."(でもジェレミーのホームズはこの先も忘れ去られず残ると確信しています。彼は素晴らしいホームズだったのですから)と言っていることに、また違った感情をいだきます。

RM
二人のワトスンそれぞれと共に演じた中でどの話が一番好きか、とジェレミーがインタビューで尋ねられて答えているところを引用します。インタビューアはDavid Stuart Daviesです。ジェレミーは一番好きな話は選べないと言って、好きなシーンをあげています。

この内容は二つに分けてDavid Stuart Daviesの著作にも書かれていますから、これを読むのははじめではありません。でも本では一部でしたし、亡くなる年の2月かそれ以降にジェレミーが語った言葉だということを、このインタビュー記事を読んではじめて知りました。1995年のはじめにジェレミーのフラットで最後に会った時のインタビューに、ジェレミーが掲載雑誌Scarlet Streetの出版人であるJessie Lilleyにそのあと電話で話した内容も加えたインタビュー記事だと書かれています。ジェレミーとDavid Stuart Daviesが最後に会ったのは1995年2月のはずですから、この時かそれ以降です。

SSはインタビューアです。中でジェレミーがTedと言っているのは、Edward Hardwickeのことです。

Dancing in the Moonlight: Jeremy Brett, A Last Talk with David Stuart Davies and Jessie Lilley
Scarlet Street, No. 20, Fall, 1995

SS: 二人の違うワトスン、David Burke (デイビッド・バーク)とEdward Hardwicke(エドワード・ハードウィック)とで、どの話が一番好きですか。
JB: 選ぶことはどうしてもできません。二人はそれぞれ独自の素晴らしさを持ったワトスンでした。とても好きなシーンはいくつもあります。「踊る人形」で土地の警察が私が何者かを知らなかった時に、デイビッドが私のために口を開いた、あの時の様子がとても好きでした。前に出て「こちらはシャーロック・ホームズ氏です」と告げた、あの時です。「最後の事件」での演技にも感動しました。Ted(テッド)が「空き家の怪事件」で帰ってきた友を前に気を失って、その後の安堵がはっきりとみてとれたことにもこころうたれました。気持ちが繊細でもろいワトスンをみせてくれました。「マスグレーブ家の儀式書」でも見事な演技でした。あれは私たちの作品の中で最高のものの一つだと思います。

SS: Tell us, which were your favorite episodes with your different Dr. Watsons, David Burke and Edward Hardwicke?
JB: I cannot possibly choose. They were both splendid Watsons in their own individual way. There are moments I'm fond of. I loved the way David stood up for me in THE DANCING MEN, when the local police didn't know who I was. He stepped forward: "This is Sherlock Holmes." I was very touched by his performance in THE FINAL PROBLEM. Ted's faint and obvious relief at his friend's return in THE EMPTY HOUSE was also very touching. He showed such vulnerability. He was so very good in THE MUSGRAVE RITUAL, which is one of the best we ever did.


「踊る人形」でのシーンを見直しました。二人は屋敷に歩いて入ってきて、先にホームズが口を開き歩みをとめる。ワトスンはさらに歩いてホームズより前に出てとまる。ワトスンはホームズのために先に出たのですね。この後のジェレミーの演技も見事でした。"Mr Hilton Cubitt ... " と言いかけて "... was my client."と過去形で言う時の表情に、ホームズの感情があらわれていました。

「空き家の怪事件」でのワトスンが失神するシーンは、目に焼き付いています。この時のことをエドワードが話しているインタビューがあるとよいのですが。気をつけておきましょう。(どうしてもエドワード単独へのインタビューの内容が、記憶からすりぬけてしまいます。)「マスグレーブ家の儀式書」については具体的なシーンは言及していませんが、どこのことでしょうね。名シーンがたくさん思い浮かびます。

そして、このように二人のワトスンの演技を思い出して讃えている言葉が、亡くなる年、すでにホームズを演じ終わり、心臓の状態がとても悪いことがわかって間もない頃のジェレミーの口から出ていたことを知って、ジェレミーはどんな気持ちでどんな口調で語っただろうかと思っています。

RM
前回と同じこの1990年発行の小冊子からですが、記事のタイトルで「1989年のインタビューより」としたのは、インタビュー自体は1989年のはじめの頃に行われたものだからです。
"Partners in Crime: Jeremy Brett and Edward Hardwicke"
Pam Clarke and Yvonne Parkin
Stage Struck, Issue 1, 1990

前回、ジェレミーが映像作品で演じる方が好きな理由としてあげたのは、元来舞台役者である自分にとって新しい挑戦であること、そして具体的には映像作品の撮影は、モザイク画を作り上げるようであることと、カメラが近くにいるので目の表情など、細かい表現ができることをあげています。

これをうけてEdward Hardwicke(エドワード・ハードウィック)が

でもすべては監督の手のなか、ということも受け入れないといけないよね。映像作品は監督の作品ともいえるものだから。

[B]ut you have to accept that you are in the hands of the director. It's a director's medium.


と言います。ことりさんが前回の記事のコメント欄でも触れてくださっていますが、このインタビューでは場面場面で、互いが互いの発言を引き出すように言葉をはさむのを読むことができます。エドワードもジェレミーと同じように今は映像作品のほうが好きだと言っているのですから、ジェレミーに反論するというのではないのですが、ここで「でも」と言います。これを受けて、ジェレミーはその前の発言の中でくわしく話さなかった、「モザイク画を作り上げる」の中身につながることを、具体例をあげて話してくれるのです。ジェレミーの答えです。原文は段落を分けていないのですが、訳文では読みやすいように三つに分けています。

でも監督と信頼関係を築くことができれば、一緒に作品を作るのって、わくわくするよね。たとえばこんなのを思い出したんだけど --- これはデイビッドがワトスンだった時のだけど --- 時間にすると一瞬の、「青い紅玉」のシーンなんだ。ほんの一瞬のために8人くらいが協調して動くと、どんな素晴らしいことがおこるかという例だよ。

こんなふうに石を指で持っている(ジェレミーは親指と人差し指で持つ真似をする)。カメラはこのあたりに近づいていて、二人がカメラを持って動かしている --- カメラを動かしているのはPaulとMikeだ --- 石にフォーカスが合いはじめる。フォーカスを合わせているのはSteve Oxleyだ。石を持つ手がぐるっと動く。ワトスンが話す。それからホームズが映る。ワトスンからホームズへ。ホームズが手にする石はまたぐるっと動きホームズのセリフが続いて、そこで終わる。そのあいだずっと録音担当が後ろで録音している。部屋の角では照明担当が長い棒で何か操作していて、照明効果は完璧だ。それからピンポイントの照明を担当するのはRay Goodeかもしれない、彼が石を照らしている。シーンの最後でまた石にフォーカスが合う。終わるとみんなこんなだ(興奮した様子をしてみせる)。

翌日ラッシュ(訳注:編集用フィルム)をみにいく。うまくいったかな?成功かな?まるで魔法のように、この青い石、この「青い紅玉」がどんな石かがこの時にわかる。みな歓声をあげる。映像の魔法を作り上げたんだ!ガラスのかけらを青く塗ったもので、青い最高の宝物を作ったんだ。まったくわくわくするよね。これが、映像ならではの魔術だ。

You make your rapport with your director, and working together can be thrilling. There's one example I've got—actually it's one I did with David—but it's just a moment in time, and it was in The Blue Carbuncle. And it was just a moment, just an example of how it's wonderful when you get about eight people working in harmony. The stone is being held like that. (held out between thumb and forefinger) The camera is here on a track and you've got two people pushing there—that's Paul and Mike pushing there—and it starts on the stone, in focus. Here's Steve Oxley on focus, keeping the stone in focus, and it turns round and Watson speaks, Holmes drops in, on to Watson, on to Holmes. The track goes round, the speech continues, you get to the end. You've got the sound man behind. You've got the man in the corner doing a thing with a boom and the lighting's perfect, and there's a pinpoint of light going round, being held by, possibly, Ray Goode, on the stone. End of scene. Back on focus on the stone. We all go (looks agog) ... Next day we go to the rushes. Did it work, did it work? It's like magic, and suddenly you understand what this blue stone, this Blue Carbuncle, [sic] and then you all just whoop with joy, because you've created magic on film! You've managed to make a piece of glass, painted blue, into a blue, zonking great crystal! And that's absolutely breathtaking. That's what the magic of film can do.


ジェレミーが何のことを話しているか、おわかりになりますよね!青い紅玉を手にピータースンが221Bに駆け込んでくる、あのシーンです。ホームズがあの石を手にしてから、石にフォーカスがあたってこのシーンが終わるまで、見直したら20秒、ジェレミーが話すとおりのカメラの動き、ホームズとワトスンの動きでした。(ホームズが石を「親指と人差し指で持つ」というところだけが厳密には違うのですが、これはインタビューをまとめた人が「親指と人差し指で持つ真似をする」と表現したためで、ジェレミーがそう言ったわけではありません。)

こうやってたくさんの人が一緒に働いて、カメラが動き、ホームズの手が動き、カメラのフォーカスが合う対象が替わり、ホームズとワトスンがセリフを発し、カメラのフレームが切り替わり、照明がピンポイントであたり、そうやって撮影されたフィルムの、いわば切れ端が、さらにつなぎ合わされて一つの作品ができる。これをジェレミーはモザイク画にたとえたのだと思います。

カメラ担当と照明担当の人、ジェレミーは名前もあげています。こういうのもジェレミーらしいですね。ちょうど前々回の記事で、ジェレミーがインタビューでプロデューサー、それぞれの作品の監督や脚本家の名前をよくあげる、撮影班の人たちの名前も、と書いたところでした。彼らは単なる「スタッフの一人」ではなく仲間だったのですね。ジェレミーと撮影クルーとの関係については、何度かご紹介しました。たとえばこちらです。
話をきくこと

この記事で引用した部分、再度引用します。プロデューサーのMichael Cox著、A Study in Celluloidからです。

しかし撮影班はジェレミーのためなら、何でもしただろう。理由は二つある。ジェレミーは仕事を何よりも大切にして全力をつくしていたから。そして彼は全員と、仕事をこえた関係を築いていたから。撮影の初日に全員の名前を覚えただけではなく、誰の車が車上荒らしにあったか、誰の赤ちゃんが具合が悪いかも知っていた。ひとの気をひくためにお座なりにたずねたのでなく、本当に心から知りたいと思っていたのだ。

But a film crew would do anything for Jeremy and there were two reasons for this. First, because he was absolutely professional in his work and second, because he knew them all personally. Not only had he memorised everyone's name by the end of the first day's shooting but he also knew whose car had been broken into or whose baby was ill. And this was not a trick to curry favour; he genuinely wanted to know.


撮影現場でのジェレミーをよく知る人が書いた、私がとても好きなジェレミーの描写です。


さて、舞台と映像作品とどちらが好きかという問いに答えた部分を、2回にわけてご紹介しました。ジェレミーたちがどんなふうに撮影していたかが想像できて、今回の箇所も興味深いものでした。ここでジェレミーが名前をあげた撮影クルーは、エドワードもよく知っている、その頃も撮影に参加していた人たちかもしれませんね。エドワードもその名前に微笑みながら、うなずきながら聞いていたかもしれません。

なお、エドワードの発言に答える形でジェレミーが話しているこの部分、ジェレミーはエドワードにだけではなく、インタビューアの方も向いて話しているのだと思いますが、訳すときはエドワードに話している感じの口調で訳しました。

RM
ことりさんと「Colin Jeavonsについてきかれて:1992年の雑誌インタビューより」のコメント欄でお話したインタビューがみつかったので、忘れないうちに引用してみます。

ことりさんが「台詞以外のちょっとした目線の移動や仕草、一瞬の表情などが重要なことを表しているように感じることが多々あります」とおっしゃったのに対して、「 そういえばジェレミーが映画やテレビと、舞台の違いをきかれて、そういうことを言っていたインタビューがありました。目の動きのことを言っていたのだったかしら。あとは、カメラワークやカット割りのことも言っていました」とお返事しました。

私が思い出していたインタビューはこちらに載っていたものでした。
"Partners in Crime: Jeremy Brett and Edward Hardwicke"
Pam Clarke and Yvonne Parkin
Stage Struck, Issue 1, 1990

これは全部で22ページの小冊子です。
https://www.amazon.co.uk/dp/B0000EEUON

第1号となっていますが、第2号以下も出版されたのかはよくわかりません。第2号はDerek Jacobiのインタビューだという予告が書いてあるのですが。

以前こちらでもこのインタビューから引用しました。
短所・長所;1989年のインタビューより

小冊子の発行年は1990年、"The Secret of Sherlock Holmes"の公演が行われていた時の、ジェレミーとEdward Hardwicke(エドワード・ハードウィック)へのインタビューを記したものです。インタビュー自体が行われたのは1989年のはじめの頃とのことですので、このブログの記事の題では前回も今回も「1989年のインタビューより」としています。

PCはインタビューア、JBはジェレミー、EHはエドワードです。

PC: お二人とも舞台で活躍してきた俳優ですね。舞台のほうが好きですか?
JB: いや、映像作品で演じる方が好きです。
EH: 私もです。今は映像の方が好きです。でもこんなふうに言う時がくるなんて、思ってもいませんでした。
JB: 映画やテレビの方が好きです。大好きなんです。つまり、舞台で長いあいだ演じてきたのに対して、映像作品は新しい挑戦ですから。そしてすごく魅力的です。新しいメディアで、幻灯機みたいです。舞台ももちろんとても面白いのですけど、私はこれまで相当長くそこで演じてきました。映像作品で演じるのにはまだ慣れていなくて、今は何よりも楽しんでいます。心底大好きです。大きなモザイク画をつくりあげるように感じられますし、映像作品ではカメラは人にぐっと近づけますから、俳優は細かい表現をいろいろとできます。そして一言も発せず目の表情だけで、相手にどういう感情をいだいているかを示せて、これは本当にわくわくすることです。

PC: You both seem very much theatre actors. Are you happier in the theatre?
JB: No, I prefer film.
EH: No. I can honestly say now that I prefer film. I didn't think I would ever say that.
JB: I prefer film. I love it. Film is my passion. I mean I've been an actor on the stage for yonks, and film is new. And I find it fascinating, and because of its newness, and the magic lantern. Theatre, of course, is exciting too, but I've done that a bit longer. Film is new to me and I, now, enjoy it more than anything. Absolutely love it. I think that it's just the fact that it's like building an enormous mosaic, and when you're in film, because the medium is so close, you can do so many subtleties and we can build up a relationship with looks, without any words at all, and it can be terribly exciting.


このインタビューが、"The Secret of Sherlock Holmes"の公演時のものだということを考えると、二人ともが映像の方が好きだと言っているのは面白いですね。久しぶりに舞台にもどって、表現の面で戸惑いもあったからということでしょうか。でも舞台の楽しさ、特にこの"The Secret of Sherlock Holmes"でホームズを演じる充実感を語るインタビューももちろんたくさんありますし、基本は舞台も映像作品も同じだと言っているものもありました。

ジェレミーは映像作品で演じる方が好きな理由として、自分にとって新しいということ以外にまず、モザイク画を作り上げるようだと言っています。これは小さい断片を貼り合わせて特定のイメージを描くように、小さなカットを積み重ねてシーンを作っていくことを言っているのでしょう。今日の引用部分のすぐ後でカメラワークやカット割りのことをとても具体的に話しています。シーンを実際に見直さないと間違って訳してしまうかもしれないので、次回、あるいはそれ以降にまわします。

もう一つ映像作品の特徴として、細かい表現ができることをあげています。その具体的な説明として"we can build up a relationship with looks, without any words at all"(一言も発せず目の表情だけで、相手にどういう感情をいだいているかを示せる)と言っていて、私がことりさんとの会話の中でぼんやりと思い出していたのはここでした。あらためてこの文脈に該当しそうな"look"という名詞の意味を調べると、たとえばランダムハウス英和大辞典では、「外観,様子,表情」と「(ある表情を持った)目つき」とあります。私は後者に近く訳しましたが、前者でもいいですね。ジェレミーは本当に細かい動き全てでホームズを表現しますから。でも私はやはり、ここは目による表現のことを主に言っていると解釈したいです。"build up a relationship"も意訳してみましたが、意味をかえていないことを願っています。





********

嘘をつく、誠実に対応しない、ひとを脅す、言葉が歪められる。政治の中枢でそれが行われるとき、人権の著しい制限と戦争が明日すぐにやってくるわけではないとしても、この社会が崩れていく音が、小さくても確実にきこえるようです。

そんな時にどう生きていこうか。まず、いま目の前にいるひとにまっすぐ向き合うこと。二度と会わないかもしれない、今日街で会ったひととでも。

私が好きなひとたちは皆、そうしてきました。

そしてやはり選挙は大切です。選挙まで忘れないこと。

RM
最初は前回の記事と同じ、1992年の雑誌インタビューからです。

Baker Street Regular: Jeremy Brett and Edward Hardwicke
Interviews by Jim Knüsch
Scarlet Street, No.5, 1992

この雑誌記事にはジェレミーへのインタビューとエドワードへのインタビューと、両方が含まれているのですが、これはジェレミーが二人のワトスンについて話している部分です。SSはインタビューアです。

SS: 二人のワトスン、David Burke(デイビッド・バーク)とEdward Hardwicke(エドワード・ハードウィック)を比べてどう思いますか。
JB: 二人のワトスンは、互いに見事に調和したかたちになりました。驚いたことに日本からのファンレターのなかで、そして最近ではロシアからも、「最後の事件」と「空き家の怪事件」の間にワトスンが年齢を重ねたさまがあらわれているのがとても素晴らしいです、と書かれていました。ですから、二人がこころを配って演じてくれたおかげで、そしてデイビッドの後のワトスン役にエドワードはどうかと言ってくれたデイビッド・バークの夫人のおかげで、私は大きな幸運に恵まれてホームズを演じてきました。それから忘れてはならないのは、このプロジェクトのすべてはMichael Cox(マイケル・コックス)がつくりあげたということです。ワトスンがどういう人間かをきちんと後世にまで示したのです。デイビッド・バークとエドワード・ハードウィックという優れた二人の俳優によって、それが可能になりました。
SS: ワトスンが変わったことで、あなたのホームズの演技は変わりましたか?
JB: はい、とても。

SS: How would you compare David Burke and Edward Hardwicke as your two Watsons?
JB: Well, they've very beautifully dovetailed each other. Quite remarkably, some people in Japan and now Russia have written saying how brilliant it was, the aging of Watson between THE FINAL PROBLEM and THE EMPTY HOUSE. So, fortunately, thanks to the enormous tact of both of them—and David Burke's wife, who suggested Edward to take over—I've been very, very fortunate. You must remember the whole project was created by Michael Cox at Granada, to put posterity straight in regard to Watson. Thanks to those two marvelous actors, David Burke and Edward Hardwicke, It's been done.
SS: Did your playing of Sherlock Holmes alter with the change in Watsons?
JB: Oh yes, very much.


二人のワトスンが「見事に調和した」と訳してみましたが、ジェレミーは"beautifully dovetailed"と言っています。"dovetail joint"をWikipediaでみると、なるほど、こういう木の継ぎ方のことなのですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Dovetail_joint

そのあと、「日本」とあるのがうれしいですね!この方、自分の手紙のことをジェレミーがわざわざインタビューで触れてたことをご存知だといいですね。そして当時日本からお手紙を書いていろいろな感想を伝えた方が、この方以外にもたくさんいらしたのでしょう。

デイビッドとエドワード、それぞれのワトスン、私はまったく違和感ありませんでした。不思議です、俳優がかわると、少しすれば慣れるとしても、はじめは以前の印象が残っていて少し居心地悪い気持ちになるのが私は普通なのですが。そして多分多くの方が私と同じように、「最後の事件」と「空き家の怪事件」の間のワトスンの違いを、3年間という時間とその間の生活、そして感情の跡をあらわすものとして、自然にみたのでしょう。

ジェレミーはそれから、マイケル・コックスの功績に触れています。こうしてきちんとプロデューサーの名前を挙げるところ、ジェレミーはいつもそうです。どうしても俳優の名前の方が一般にはよく知られているので、映像作品が話題になっても、俳優以外の名前には触れられないことも多いでしょうが、ジェレミーの口からはメイキャップ係、デザイン担当者、照明や音響担当者などの名前が出てくるのを何度かききました。そしてプロデューサー、それぞれの作品の監督や脚本家の名前はしょっちゅうです。

最後のところ、「演技が変わった」というその内容をききたい気がしますが、このインタビューでは次の話題にうつっています。もしかしたらインタビューアは尋ねたけれども、それは言葉で説明するのは難しいことだったのかもしれません。ジェレミーが別のインタビューで、ホームズが変わったとアメリカPBSのプロデューサーに言われたけれども、自分ではどう変わったかはっきりとは言えない、と話していたことも思い出します。結果として変わったということかもしれません。(あ、でも別のインタビューではどう変わったか話していたのを思い出しました。みつけたらまた書きましょう。)


さて最後に、関連する部分をマイケル・コックスの言葉からご紹介しましょう。彼の著書の A Study in Celluloid (1999) からです。

デイビッドの演技を引き継ぐのは難しいことがエドワードにはわかっていたので、賢明にもエドワードはデイビッドのワトスンを真似ようとはしなかった。そのかわりに自分自身のワトスンをつくりあげた。少し年をとり、さらに思慮深くなり、ライヘンバッハでの悲劇と、それに続く灰色の3年間を悲しみの中にすごしたワトスン。デイビッド・バークのワトスンが3年後にこうなったことを、十分に信じることができるようなワトスンだった。

He knew that David was a difficult act to follow, and very sensibly Edward made no attempt to imitate him. Instead he gave us his own Watson: an older, more serious man, saddened by the tragedy at the Reichenbach Falls and the three drab years which followed. It was entirely believable that this was the character which David Burke's Watson might have become.


そうですそうです、と深くうなずきます。

RM
前回に続いて、Edward Hardwicke(エドワード・ハードウィック)のインタビューから引用します。その後でジェレミーの言葉にも少し触れます。出典はどちらも、この1992年の雑誌記事です。

Baker Street Regular: Jeremy Brett and Edward Hardwicke
Interviews by Jim Knüsch
Scarlet Street, No.5, 1992

前回「いつもながらエドワードの冷静さを感じます」と書きました。このインタビューの言葉にはエドワードの理知的なところを感じさせる部分が多くありますので、もう一つ選びました。前回と同じくSSがインタビューア、EHがエドワードです。

SS: このシリーズでこころあたたまることの一つは、ワトスンがレストレードとつよい信頼関係にあるところです。特に「空き家の怪事件」と「六つのナポレオン」でそれがみてとれますね。二人のこの関係はColin Jeavons(コリン・ジェボンズ)と一緒に考え出したのですか、それとも台本にそうあったのですか。
EH: そうとらえてくださって、とてもありがたいです。そんなこと思いもしませんでした。もしも視聴者にそう見えるなら、もともと台本にあった人間関係を私たちがみつけて、それが演技にあらわれたということです。多分そういうことだと思います。「空き家の怪事件」では二人が一緒の場面がかなりありました。結局のところ、一緒に出るシーンがあるかどうかで決まります。そうするとシーンの中で二人の人間関係が出来上がっていくのです。

SS: One of the nice things about the series is the rapport that Watson has with Inspector Lestrade, particularly in THE EMPTY HOUSE and THE SIX NAPOLEONS. Did you work this out with Colin Jeavons or was it part of the script?
EH: Well it's very nice that you should have picked that up. It never occurred to me. I think that, if it's there, it was in the script, and we must have just found that and that's what happened. I think that probably is the case; certainly, in THE EMPTY HOUSE, I remember we had quite a few scenes. In the end it's a question of whether you have scenes together; a relationship will develop of some sort.


レストレードとワトスンの間にお互いへの信頼と好意をみてとれるのであれば、まずそれは、そういうシーン、そういうセリフがあるからで、それを元に俳優は画面上でその人間関係をみせるように努め、さらに深めていくのだ、という答えです。脚本をまず大切にする、脚本にあるセリフを尊重した上で、俳優としてそれを形にするという姿勢が感じられます。

とても冷静で理知的な答えで、俳優の仕事をインタビューアに説明しようという気持ちと、脚本家への尊敬がありますね。


こちらは同じ時のインタビュー、「犯人は二人」の話をする中でコリンのことなどをきかれた時のジェレミーの答えです。もちろん質問が違いますから答えが違うのは当然ですが、ジェレミーはあの情熱的な口調もまじえて答えたのではないかと思えて、エドワードとの対比が面白いです。どうにも訳すのが難しいところ、無理して直訳してカッコ内にもとの英語を入れています。

SS: 他の共演者については、何かありますか?ロザリー・ウィリアムズや、作品によってはコリン・ジェボンズが一緒ですね。
JB: 私のレストレード (my Lestrade)、つまり大切なコリン(my darling Colin)は「犯人は二人」に出てくれますし、最愛のロザリー(my darling Rosalie)も一緒です。つまり、言いたいのは私たちはこの長年の間に家族になったということです。ロザリーやコリンが撮影に参加してくれると、いつも大喜びです。

SS: Any remarks about your other co-stars? Rosalie Williams and, on occasion, Colin Jeavons?
JB: Well, my Lestrade, my darling Colin who's with me in this, and my darling Rosalie who's with me in THE MASTER BLACKMAILER—I mean we've become a family over the years. Every time Rosalie or Colin are in it I rejoice.


このジェレミーの情熱的な答えとエドワードの理知的な答えと、ずいぶん違っていて、でもどちらもあたたかいですね!

RM
前々回の記事「過去の映像作品の中で、ジェレミーが一番好きなワトスン」でご紹介したジェレミーのインタビューと同じ時におこなわれた、Edward Hardwicke(エドワード・ハードウィック)へのインタビューから引用しましょう。

Baker Street Regular: Jeremy Brett and Edward Hardwicke
Interviews by Jim Knüsch
Scarlet Street, No.5, 1992

SSはインタビューア、EHはエドワードです。

SS: あなたのワトスンは、それ以前にいろいろな俳優が演じたワトスンとは違うと感じていますか。
EH: そうですね、当然、私のは今までのワトスンと違っています。違う俳優が演じているのですから。映像作品ではそれぞれの俳優が自分に近い形で役を演じるものだと思います。私がワトスンと似ていると言っているんじゃないんですよ。医者になって自分のいのちを救うなんて、私にはできませんから。(笑い)
SS: ワトスンを医学の専門家としてみるひとは、そうはいないと思いますが。
EH: 私がそうみていますよ。医者であることは私にとって、ワトスンが持つとても重要な部分なのです。探偵であることは医者であることと、とても似ています。患者が痛みを訴えて「どこが悪いのでしょう」と尋ねたとき、医者は説明しなければなりません。とても探偵と似ていると思います。そしてホームズの捜査のなかに医者と共通の分析的な手法があることが、ワトスンの興味をひいたのだと思います。

SS: Do you see your Watson as being different from those of your predecessors?
EH: Well, inevitably it's different, because you're dealing with different actors. I think when you're dealing in film, you have to play very close to yourself. I don't mean to say that I'm remotely like Watson; I couldn't be a doctor to save my life. (laughs) That's a funny way of putting it.
SS: Not many people think of Dr. Watson as a professional man.
EH: Well, I do; that's a very important part of him. Being a detective is very much like being a doctor. Somebody comes to you in pain and says, "What's wrong with me?" and you have to tell them. I think there's a huge similarity, and this analytical side of Holmes' detection appeals to Watson.


最初のところ、「当然違っている」という答えの部分は、いつもながらエドワードの冷静さを感じます。エドワードは冷静だけど決して冷たくない、皆が言うように、あたたかくてユーモアがあって思いやりのある紳士です。

そしてエドワードは自分の役のことをこんなふうに考えているのですね。これを読んだとき、エドワードのワトスンの持つある一面がわかったような気がしました。冷静に一歩ひいて、観察し分析し、わかりやすく伝え、助けの手を差し伸べる。

David Burke(デイビッド・バーク)のワトスンとエドワードのワトスンを比べるとき、デイビッドの中に元軍人の面をより感じ、エドワードの中に医者の面をより感じるひともいるかもしれません。私もその一人です。もちろん二人とも、両方の面を持っているのですが。

エドワードが、ワトスンの特徴として特に医者であることを大切に思っている、ということをこのインタビューで知って、面白く感じました。

RM

 RM

Author: RM
コメントは承認後に公開されます。古い記事へのコメントも大歓迎です。2010年8月7日に始めました。
私の記事へのリンクはどうぞご自由になさって下さい。
和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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