Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

前回の引用部分のちょうどすぐ後からです。

The star who died of a broken heart
By Shaun Usher
Daily Mail, 14 September, 1995

「私が何か言いかけたら、妻は同じ気持ちですぐに後を続けるような、そんな私たちでした。誰かの目をみるとその心の中までわかるような、生まれたときからそのひとのことを知っているような、そんな経験をすることがあるでしょう。私たちはそんなだったのです。」

'This was the kind of relationship where I would start a sentence and she would finish it. Sometimes you can see behind somebody's eyes and feel as if you have known them all your life. That's how it was.'


この部分もジェレミーのファンサイトなどでよくみます。そういう奥様がこの世からいなくなってしまって、姿をみることも声をきくことも、その手に触れることも抱きしめることもできなくなってしまった。

記事ではこのあとJoan Sullivan(ジョーン・サリバン)の死に触れたあと、以下のようなジェレミーの言葉の引用が続きます。

「悲しむ時間を自分に与えませんでした。自分のことを二の次にしたくて、そして妻が亡くなったことで、自分を哀れんでとてつもない怒りを感じた、その感情を忘れたくて、ただただ働きました。」

'I gave myself no time to mourn,' he said, 'deliberately overworking in order to forget about myself and the sheer, self-pitying anger I felt at my wife's death.'


そして、精神の病で入院したことが書かれます。

「脳の働きがおかしくなりました」彼は淡々と答えた。「世界の色がかわって、すべてがピンクか白になりました。」

'My brain just went,' he confessed matter-of-factly. The world changed colour, everything pink or white.'


退院後の言葉です。

「精神の病から回復した自分のこと、そしてその間、辛いときをすごしながら私をつれもどしてくれた家族や親しいひとたちのことをとても誇りにおもいます」と当時ブレットは語った。

'I'm proud of myself for recovering and proud of those close to me, who went through hell to bring me back,' Brett said at the time.


このあと、記事ではジェレミーの経歴が書かれていて、子供のころの病気が原因で心臓が肥大したこと、Hugginsの名前が使えなかったこと、俳優としてのキャリアの途中での南アメリカ放浪の旅のことにまで触れています。こういうところや、ジェレミーの言葉の引用を読むと、タブロイド紙ではありますが丁寧に描かれた記事という印象を持ちます。

次回は多分、この記事の締めくくりのところを引用します。

RM
前回と同じ、Daily Mailからの引用です。前回もお断りしましたが、これはタブロイド紙の一つに書かれたものですが、扇情的で信用ならない追悼記事だとは思いません。私はこの記事はジェレミーを好きな人が書いたように思えます。

出典は書かれないまま(知らないまま)、ジェレミーのファンサイトなどで多く引用される部分を含んでいます。今日はその前半部分です。

The star who died of a broken heart
By Shaun Usher
Daily Mail, 14 September, 1995

最初、ジェレミー・ブレットとJoan Sullivan(ジョーン・サリバン)の二人は、ロサンゼルスのサンタモニカ丘陵にあるあのハリウッドサインの「Wの字のちょうど下に」住んでいた。ブレットは最高にすばらしい女性と出会ったことをよく知っていた。妻を短く描写するとき、「Wild and wonderful(並外れていて最高)」と好んで言っていた。「We had a once-in-a-lifetime love.(一生に一度だけの愛を私たちは得たのです。)信じられないほどすばらしい、妻として最高のひとでした。」

At first they lived in Hollywood, 'right under the W in that sign'. Brett knew he had found a woman in a million, 'Wild and wonderful,' was his fond summing-up. 'We had a once-in-a-lifetime love. She was an incredible person, the best wife a man could have.


和訳のなかに"Wild and wonderful", "We had a once-in-a-lifetime love."の言葉を残しましたが、特に後者はジェレミーのファンページなどでも目にしますので、ここであらためて引用してみました。

ジェレミーが二度目の奥様をどんなに愛していたかは、ジェレミーの言葉の端々に出てきますが、これらの言葉からもそれを感じます。

これに続く部分を次回ご紹介するつもりです。

RM
前回、死亡記事・追悼記事の一つから引用しました。

他にネットで読めるものを、覚書の意味でいくつかあげておきます。
The New York Times
http://www.nytimes.com/1995/09/14/obituaries/jeremy-brett-an-unnerving-holmes-is-dead-at-59.html
The Washington Post
https://www.washingtonpost.com/archive/local/1995/09/16/actor-jeremy-brett-dies-at-59/507789b9-56e1-4f82-8490-4f5e43e923ce
Los Angeles Times
http://articles.latimes.com/1995-09-14/local/me-45667_1_sherlock-holmes
The Telegraph
https://groups.google.com/forum/#!topic/alt.obituaries/wKV5AE_WGkA
The Daily Gazette (The Associated Press配信記事)
http://news.google.com/newspapers?id=J3xGAAAAIBAJ&pg=3268,3188265

今日引用したいのは、ネットでは読めないのですが、Daily Mailの記事です。Daily Mailはイギリスのタブロイド紙の一つで、信用性や扇情的な書き方で問題になることもあるときいていますが、この追悼記事は私はよい記事だと思います。書いたひとがどういうひとかがわからないのですが(名前は後で記します)、ジェレミーの経歴、人生での出来事をいろいろと書いていて、他の追悼記事では見当たらないような内容もあります。

またジェレミーの言葉を多く載せています。ただ一部はかつてジェレミーが筆者(あるいはこの新聞)に語ったものだとしても、他の印刷物から引用しているものも多そうですが、引用元は明らかにしていません。もっともThe Television Sherlock HolmesやBending the Willowを読んでいても、出典が書かれていない引用に時々気がつきますから、タブロイドだからというわけではなさそうです。

今日の引用部分は「彼は二度目の妻を亡くした後、双極性障害に苦しんだ」とある、その後からです。

The star who died of a broken heart
By Shaun Usher
Daily Mail, 14 September, 1995

ホームズも敬服するような率直さで、ジェレミー・ブレットは、ホームズを演じ続けることだけが自分を生かしてくれていると言った。

その言葉をきいたなら反対したであろうひとも多くいたようだ。水曜日に心臓病のため59歳(原文ママ)で亡くなったとき、彼はホームズにあまりに没頭して力を吸い取られて、うつ状態になりやすくなってしまったのだ、と言う友人もいた。

ワトスンを演じたエドワード・ハードウィックは昨日こう語った。「最後のシリーズでは具合がとても悪くて、ジェレミーの強さが試されるような状況でした。でも最後まで戦い続けました。俳優としてはたらくことが何より大切で、撮影の現場にいるのが一番幸せ、というタイプの俳優だったのです。」

He said, with a clarity that Holmes would have admired, that only his acting kept him alive.

There are many who would have disagreed with him. When he died on Tuesday of a heart condition, at 59 [sic], some friends said his total absorption into the role of Holmes had drained him of energy and left him vulnerable to depression.

His co-star as Dr Watson, Edward Hardwicke, said yesterday: 'Jeremy was quite ill in the last series. It was a real test of strength for him, but he battled through. He was an actor who needed to work and was at his happiest on set.'


ジェレミーが率直に病気のことを語るのは、何度かここでもご紹介しています。「ホームズも敬服するような率直さ」という表現はなかなか興味深いです。

ジェレミーが双極性障害に苦しめられたのはホームズのせいだ、とか、あんなに健康状態が悪くなってまで、なぜ無理をしてホームズを演じたのか、演じさせたのか、という声をきくことがあります。

でもわたしは、演じることが、仲間とともに作品をつくることが何より好きで、ホームズをどう表現するかに没頭したジェレミーが、最後まで見事に戦って、からだもこころもホームズを演じることに捧げたことを称賛したいと思います。エドワードが言ってくれたように、ジェレミーは健康状態が悪くなってからでも、撮影現場にいるのが一番幸せだったのですね。

多分次回も、この記事から引用します。

RM
「次の週末はここをお休みするかもしれないし、ちょこっと書くかもしれない」と前回書きましたが、ちょこっと書きます。

ジェレミーが世を去ったとき、死亡記事・追悼の記事が新聞や雑誌に載りました。ネットで読むことができる記事も多くあります。

その中から一つご紹介します。イギリスの新聞The Independentに載った記事はここで読めます。

Obituary: Jeremy Brett
By Derek Granger
The Independent, 14 September, 1995
http://www.independent.co.uk/incoming/obituary-jeremy-brett-5649170.html

この中から私の好きな一文を引用します。この記事を書いた Derek Grangerはジェレミーが主演したHaunted: The Ferryman (1974) のプロデューサーだったようです。ジェレミーの仕事ぶりも、そこでの人への接し方も、よく知っているのでしょう。この一文を英語で声に出して読むと、そのリズムのなかにジェレミーのイメージがあらわれてくるようです。訳がむずかしいのですけれども。

ジェレミー・ブレットは感情が豊か、優しくあたたかで、友や仲間のことを深く気遣い、いつも自然に、そっくりそのままの感情を持っているように演技した。

Jeremy Brett, an emotional man of great warmth and generosity of spirit, cared deeply for his friends and colleagues and acted always spontaneously out of a seemingly full heart.


最後の"act"は「行動した」方かもしれません。「演技した」の方に訳したのですが「行動した」方でとるならば、「あふれんばかりの気持ちを持って行動した」という感じでしょうか。

*

生きていると、思いもかけないこと、こんなことにならなければよかったのにと言いたくなることが起こりますね。
後悔すべきことが別にないなら、残念だったねと自分に声をかけて、あとはひとにもものごとにも、まっすぐ静かに向き合いたいです。

ちょこっと思いがけないことがおきたけれども、予定どおり、ちょこっと短い旅に出ます。ではまた次の週末に。

RM
前回の続きです。

でもその前に、ジェレミーのお父様の写真をまだ見ていらっしゃらないかたはどうぞ。以前この記事にもアドレスを書きました。
アーチェリーに関する1989年の記事より(3)(でも脱線して、父との和解について)

For Fans of Jeremy Brettという今は投稿が止まってしまっているファン・フォーラムの、このページにあります。お父様の写真は4番目で、Berkswell Miscellany, Volume Vからです。
http://jeremybrett.livejournal.com/74806.html

以前は写真をクリックするとその写真の拡大版が自動的に開いたのですが、仕様の変更で、投稿者の写真アルバムが開くようになってしまいました。上から4番目の写真の拡大版はこちらです。顔がはっきりとは見えないのが残念ですが、隊員たちから尊敬された大佐の雰囲気は感じられますね。


さて、Berkswell Miscellany, Volume Vから、前回の続きの箇所の一部を引用します。

1989年6月4日、第120連隊英国砲兵隊で存命のメンバーのうちの多くや、隊員の妻や家族が、Berkswell(バークスウェル)のReading Roomをいっぱいにした。連隊発足50周年を記念しての再会である。バークスウェルが集合の場所に選ばれたのは、この村にハギンズ大佐と夫人が住んだからだ。再会の場には大佐の4人の息子のうちの3人と、大佐の孫のうちの二人も集まった。(中略) その集まりの中で、大佐の息子のJohn, Patrick, Jeremy (Brett) が、銀のトレイを連隊の隊員たちに返還した。大佐の引退の際に隊から大佐へ贈られたものだ。(中略)

その後教会の庭で大佐の墓に花輪が捧げられ、そこで隊員たちを村人が迎えた。ハギンズ家の友人や、昔ハギンズ家で働いていた人たちも集った。この日の最後に夕べの祈りがバークスウェル教会で捧げられ、気持ちをこめて賛美歌が歌われた。聖書が読まれたうちの一箇所はジェレミー・ブレットによるものだった。

On Sunday, 4th June 1989, many of the surviving members of the 120th R.A.T.A., their wives and families, packed into the Reading Room at Berkswell for the 50th anniversary reunion. Berkswell was chosen for the rendez-vous as Colonel and Mrs. Huggins had made their home in the village since their marriage. Also present at the reunion were three of the Colonel's four sons and two of his grandsons. [...] During the afternoon,  Colonel's sons, John, Patrick and Jeremy (Brett) handed back to the Old Comrades a silver tray which the regiment had presented to the Colonel on his retirement. [...]

Later there was a wreath-laying ceremony at the Colonel's grave in the churchyard when members of the regiment were joined by villagers and also by friends and former employees of the Huggins family. The day concluded with Evensong in Berkswell Church at which the hymns were sung with great exuberance and one of the lessons was read by Jeremy Brett.


中で「Berkswell(バークスウェル)の Reading Rom」と書きましたが、この大文字ではじまる Reading Room はこの本に何回も出てきます。「図書室」ではなくて、村の集会所としてよく使われる建物のようです。写真はこちらです。
http://www.geograph.org.uk/photo/2591265
こちらに説明があります。
http://berkswell.org/map/reading-room

この集会所に、50年前に発足した連隊で大佐の指揮の元にあった隊員たち、そして大佐の息子たちや孫たちが集まりました。これを機に、記念の銀のトレイを元隊員たちに返そうとハギンズ家の人たちで話し合ったのでしょう。

銀のトレイを息子たちが返還したときの写真が、以前こちらでご紹介したものでした。
1989年 Berkswell での写真、兄たち・甥たちと共に

写真のアドレスをもう一度記しましょう。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10208831147110470

上の2月の記事では、「銀のトレイがどんな由来のもので、なぜこの時に大佐の息子たちによって返還されたかについては、また別の機会に書きましょう」としましたが、今回書いたのがその銀のトレイの由来と、この集まりの様子です。

教会に場所をうつして、ハギンズ家の古い友人たちや働いてくれていた人たちとも再会して、ジェレミーたちは懐かしい気持ちで昔のこと、両親のことを思い出していたでしょう。そして教会ではジェレミーは聖書の一節を読んだのですね。この集まりでジェレミーはどんな気持ちだったか、思いをめぐらせてみます。



そして1995年の9月12日はジェレミーがこの世を去った日です。今日から数日後の9月12日も私にとって小さな不安や小さな喜びが数珠玉のように連なった、ごく普通の一日でしょう。でもその中で、この世を去る時にジェレミーのこころのなかを静かに流れていったものはなんだったろう、と思うひと時がきっとあるでしょう。

RM

追記:お父様の軍隊での階級Colonelを「大佐」と訳していますが、ColonelはLieutenant-Colonel(中佐)の意味でも使われるそうです。この本ではざっとみたところ、終始Colonel Henry William Huggins, Colonel Huggins, the Colonelという書き方をしているので「大佐」と訳しましたが、たとえばイギリスの新聞The Independentの追悼記事では、Lt-Col H.W. Huggins(中佐)としていて、こちらが正しいのかもしれません。
http://www.independent.co.uk/incoming/obituary-jeremy-brett-5649170.html
前回の記事の引用元としてあげたBerkswell Miscellany, Volume V から、今度はお父様のことをお話しましょう。何回かこのブログで、お父様のことをジェレミーが話しているのを引用しました。たとえばこちらです。
父のこと; 1973年のTV Timesのインタビューより
父と子
アーチェリーに関する1989年の記事より(3)(でも脱線して、父との和解について)

ジェレミーが両親のことをきかれて、まず必ずと言ってよいほど最初に口にするのが、「父は有名な軍人、母はアイルランド人のクエーカー教徒」ということでした。軍人としてどんなかただったか、Berkswell Miscellany, Volume Vに書かれています。まずはこの本の導入部の一節からです。

ハギンズ大佐は第一次世界大戦で名誉ある勲章を受けた軍人で、1939年に再び召集されて、新しく兵士を募って訓練をして、連隊を組織するように命ぜられた。第120連隊英国砲兵隊を3年間指揮したが、陸軍省の命により連隊の指揮から引退して訓練役のポストについた。

He was a much-decorated soldier in the First World War and was called on again in 1939 to recruit and train a regiment. He commanded the 120th Field Regiment, Royal Artillery, for three years until he reached the age when the War Office decreed that he could no longer command an active regiment and he was posted to a training position.


イギリスの軍隊組織のなりたち、その訳語がこれで正しいかなどよくわからないのですが、ここを読んではじめてわかったのは、二度の大戦に違った形で関わったということです。ジェレミーがよく、いくつものメダルをもらった有名な軍人だったが、友人を皆戦争で失った孤独なひとだった、と言っていたのは、おもに第一次世界大戦の時のことですね。そして第二次世界大戦がはじまった1939年には、若い志願兵を集めて連隊の指揮をとったのですね。

この本の本文にも、もうすこし詳しい記述があります。

1939年4月、ハギンズ大佐(その頃は少佐)は陸軍省から、連隊を組織するように命ぜられた。彼はこの地の地方新聞に知らせを載せ、Birmingham近くにある役所に情報窓口を設けて、人を配置した。二日間で、志願した600人が採用された。ほとんどがBirminghamとSolihull地域からだった。(中略)

連隊は1939年6月に正式に発足し、第120連隊英国砲兵隊となった。

In April 1939, Colonel (then Major) Huggins was asked by the War Office to raise a regiment. This he did—he placed advertisements in local newspapers and an information kiosk was manned near the Town Hall in Birmingham. In two days, 600 volunteers had been recruited, mostly from the Birmingham and Solihull area. [...]

The regiment was officially formed in June 1939 and became the 120th Field Regiment, Royal Artillery.


1939年6月ということは、ジェレミーは5歳ですね。

もう少し先も引用します。

大佐は隊員たちからとても好かれていた。そして自分ならやらない、自分にはできないようなことを隊員たちにやらせるようなことは決してない上司として尊敬を集めていた。ある時など、どんな地形か予想がつかない山腹をオートバイで駆け上った。その後で「言っただろう、私ができることなら、君たちだってできる」と言った。

The Colonel was very well-liked by his men and was respected as a man who never asked anyone to do anything he wouldn't do himself, on at least one occasion charging up the treacherous terrain of a mountainside on a motorcycle, afterwards saying—there you are, if I can do it, you can.


こういうリーダーとして尊敬を集めるようなところ、ジェレミーは誇りに思っていたのではないかと思います。そしてジェレミーもまた「天性のリーダー」だと、プロデューサーのMichael Coxから言われていました。("[H]e was a natural company leader" 「あたたかさと賢さ;The Ritual (1995) より」)


今日のところは訳すのが大変でした。特に軍隊組織に関する言葉の訳がまちがっていないとよいのですが。(多分)次回はこの連隊が発足して50年を記念して、ジェレミーを含むハギンズ家のひとたちと連隊のかつての隊員が集まった時のことに触れます。

RM

追記:お父様の軍隊での階級Colonelを「大佐」と訳していますが、ColonelはLieutenant-Colonel(中佐)の意味でも使われるそうです。この本ではざっとみたところ、終始Colonel Henry William Huggins, Colonel Huggins, the Colonelという書き方をしているので「大佐」と訳しましたが、たとえばイギリスの新聞The Independentの追悼記事では、Lt-Col H.W. Huggins(中佐)としていて、こちらが正しいのかもしれません。
http://www.independent.co.uk/incoming/obituary-jeremy-brett-5649170.html
前回、絵の話題からのつながりで、ジェレミーが小さい頃の家の様子を少しご紹介しました。

それと重なる内容が書かれているところを、Berkswell Miscellany, Volume V から引用しましょう。これは 'The Offshoot Group' of Berkswell Local History Research Group が著者となってます。在野の歴史研究家、あるいはアマチュアの郷土史研究家のグループなのだと思います。この号の特集ページが"The Huggins Family of Berkswell" (バークスウェルのハギンズ家)というタイトルで、ハギンズはご存知のようにジェレミーの苗字(本名)です。The Secret of Sherlock Holmesの楽屋でジェレミーの話をきいたという記述がありますから、この特集のかなりの部分は、ジェレミー自身が語ったことをもとにしているはずです。

この本については、りえさんがイギリスに住んでいらしたときに紹介してくださいましたね。りえさんがジェレミーの生家に向かう途中で会った方から、これを譲り受けたということでした。それに比べたら全然劇的ではないのですが、私もこの本を持っていて、私にとっては小さな奇跡です。

ここでMrs. Huggins(ハギンズ夫人)と書かれているのはジェレミーのお母様のことです。

放浪者とジプシー(ロマ)はハギンズ夫人を友達だと思っていた。放浪者は、ハギンズ家のお屋敷は親切にしてくれる、と仲間たちに知らせる秘密の暗号を残した。ハギンズ夫人は彼らをやさしく迎えて、食事と風呂を与え、服を洗って乾かしたし、新しい服を用意したりもした。ジェレミーの兄のマイケルはその頃から絵を描くのが好きで、放浪者たちの絵を描くこともあった。

Tramps and gypsies knew Mrs. Huggins as a friend. Tramps left their secret signs to tell colleagues that The Grange was a 'friendly' home. Mrs. Huggins would welcome them, feed them, let them bath and wash and dry their clothes, or provide new clothes. Jeremy's brother Michael, even then an artist, would paint them.


前回の引用部分と同じく、お母様が放浪者とジプシー(ロマ)に親切だったことがわかりますが、興味深いのは彼らがお互いの間で、ハギンズ家に行けば親切にしてもらえるということを暗号で知らせたというところです。グラナダ版の「ノーウッドの建築業者」では、原作にはない形で放浪者が重要な役回りを演じますが、ホームズがそのことに気づくきっかけの一つが、石と木の枝で示された彼らの暗号でした。この放浪者同士の合図、というのがジェレミーの発案という可能性もあるのかしら、と思ったのですが、プロデューサーの書いた A Study in Celluloidにも、David Stuart Daviesの Bending the Willowにもそのような記述はありませんでした。でも可能性は捨てきれませんし、そうでないとしても、暗号をみつけるシーンがあるのをジェレミーは面白く思ったのではないかと思います。

そしてやはり、お兄様が放浪者の絵を描いたことがここにも書かれていました。

RM
このところ土曜日にここの記事を書くことが多いのですが、明日は外出するので、金曜日の夜に書きます。

前回の記事で、「面白いと思ったのは、絵を描く時のことを例えにあげていることです。ジェレミーのお兄様の一人は画家ですものね」と書きました。そこからの連想で、絵に関する以前の記事にふれたあと、1985年のインタビューから引用します。

まずはジェレミーのお兄様のMichael(マイケル)のこと、その絵がどんなだったかについては以前こちらに書きました。
ジェレミーの兄、Michael Hugginsの絵(1)

ジェレミーがお兄様の絵のモデルになったときのことをちょっとだけ話しているのがこちらです。
ジェレミーのギターと歌

それからジェレミーが学校で好きだった教科のお話。
Mr Binksのこと(2)、のはずが脱線していろいろ
このときは原文を書いていなかったので、あらためて引用しましょう。

"LUCKY PENNY TALKS TO JEREMY (D'ARTAGNAN) BRETT"
by Lucky Penny
from Diana - The Paper for Girls Who Love Good Stories
25 March 1967, #214
http://www.brettish.com/JB_Meets_Diana.htm

ウォリクシャーで生まれたのですね。学校ではどんな教科が好きでしたか。

歴史と美術です。風景画と魚を描くのが好きでした。魚はよくよくみると、とても美しい色をしているんですよ。

You were born in Warwickshire. What were some of your favourite subjects at school?

History and art. I loved painting landscapes and fish--they've marvelous colouring when you get to know them.

というわけで、ジェレミーも美術が得意だったのですね。


さてそれではもう一つ、「絵」ということで思い出したジェレミーの言葉、お母様のことを話している箇所の中です。1985年4月のインタビューで、掲載は雑誌の1985年秋号です。

"Interview With Jeremy Brett"
by Rosemary Herbert
The Armchair Detective, Vol.18, No.4, Fall 1985

母は単なる「僕の母」というだけではなかったのです。名前はElizabeth(エリザベス)というのですが、母は誰にでもこころの扉を開いて、そのこころの奥の窓を開け放つひとでした。そんなふうな表現しかできません。誰もが母のところに来ました。母はとてもあたたかい、ひかりのようなひとでした。

父が家にもどると、母をたずねて友人が来ているだけではなく、ジプシー(ロマ)の野営地のひとたち全部や放浪者たちが家にいる状態ということもよくありました。母が彼らを招きいれていたのです。兄のマイケルは画家になりましたが、兄は当時、放浪者の一人を絵に描いたことがありました。父の椅子にすわっている姿を描いたのです。おかげで父はノミに悩まされました。父はずいぶん我慢させられましたね!

She wasn't just "my mother"; her name was Elizabeth, and she had open doors and open windows in her soul—that's the only way I can put it. Everybody came to my mother. She was like a light of great warmth.

My father would come back and find not just friends but whole gypsy encampments or tramps that my mother had taken in. In fact, my painter brother Michael painted one of these tramps [posing in] my father's chair, and my father got fleas from him. He had a lot to put up with!


お母様のことを読むと、ジェレミーはお母様ゆずりのあたたかさだなあといつも思います。放浪者を絵に描くお兄様もまた、面白いですね。

それではジェレミーはお父様からは何もうけつがなかったかというと、もちろんそんなふうには思わなくて、ひとから慕われる天性のリーダーというところはお父様ゆずりだと思います。プロデューサーのMichael Coxがジェレミーのことを、"he was a natural company leader"(天性のリーダーの資質を持っている)と言っていました(「あたたかさと賢さ;The Ritual (1995) より」。

あ、でもお父様は家では我慢していたんですね。家でのリーダーはお母様ですね!お父様のこと、今までも何回かふれましたが、次の次くらいに(多分)また書きます。

というわけで、最後はちょっと脱線気味ですが、絵の話題でかろうじてまとまったでしょうか。

RM
6月の記事「舞台と映像作品をくらべて(2):1989年のインタビューより」の引用部分で、ジェレミーがこんなふうに言っていました。

翌日ラッシュ(訳注:編集前のフィルム)をみにいく。うまくいったかな?成功かな?

Next day we go to the rushes. Did it work, did it work?

"Partners in Crime: Jeremy Brett and Edward Hardwicke"
Pam Clarke and Yvonne Parkin
Stage Struck, Issue 1, 1990

これからの連想で、ラッシュをみることについて、思い出したことを二つ書きましょう。

まずはDavid Stuart Davies著、Bending the Willowから、Paul Annettの言葉です。彼はグラナダ・シリーズで最初に撮影されたThe Solitary Cyclist (「美しき自転車乗り」)をはじめとして、3作品を監督しています。彼の言葉です。

ジェレミーはラッシュのすべてを熱心にみた。ラッシュをみるときにいつもそこにいた俳優はジェレミー以外にはCharles Danceしか知らない。いつもその場にいて熱心に検討に加わった。撮影の技術的な側面に対して彼は鋭い感覚を持っていた。

Jeremy was extremely keen to see all the rushes. He was probably the only actor I know, other than Charles Dance, I think, who came to every session of the rushes. He was there every time—very much into what was going on. He had a very keen sense of the technical side of things.


Charles Dance(チャールズ・ダンス)は1946年生まれの俳優で、2004年には自分で脚本を書いて映画監督もしているようです。Paul Annettの経験では、ラッシュをすべてみたのは、その彼と、ジェレミーだけだったのですね。ジェレミーも長生きしていたら映画やテレビの監督をする機会もめぐってきたかもしれません。主に演じることだけに興味がある俳優もいるでしょうし、こうして作品全体が生まれる過程にも立ち会いたい俳優もいて、ジェレミーは後者だったのでしょう。

ところで、ラッシュをみることについて、Edward Hardwicke(エドワード・ハードウィック)がエドワードらしいことを言っていて、ジェレミーがまたジェレミーらしいことを言っているインタビューがあります。それが思い出した二つ目です。エドワードはラッシュはみたくないというタイプの俳優で、でもその理由は、「主に演じることだけに興味がある」というわけではないようなのです。

"Holmes' Encore"
The Armchair Detective, Vol.25, No.1, 1992

1992年の発行ですが、1991年の春に行われたインタビューです。この直前ではエドワードが、意図した演技ができなかった例をたずねられて、自分の写真をみせられて、なんてひどい!と思うように、演技においてもこんなはずじゃなかったのにということがよくある、でも「思ったほど悪くはない、期待とはちがったけど、これはこれでいい」と思える、と言います。これを受けた形で次の質問です。TADがインタビューアです。

TAD: 完成前の映像で自分をみるのは、お二人はイヤですか?

ブレット: 自分をみるんじゃないんですよ。みるのはそれ以外です。たとえば話がどう運ばれているかをね。画家が絵を細かく検討するときのように、親指で自分をかくして、まわりで何がおきているかをみるんです。

ハードウィック: 以前はよくジェレミーと議論したんですけど、ワトスンを演じるようになってすぐの頃、ジェレミーがラッシュをみるのにすごく熱心なので、こう言ったんです。「僕はみていられない。すごくイヤなんだ。」完成してからみるのはいいんですよ。でもいま撮影しているという時にラッシュで自分をみると、がっかりしてダメなんです。ジェレミーは「うん、でも自分をみているだけじゃないよね。他の人、照明や音響や、みんなの仕事をみている。みんなほめられて励まされたいんだ。ラッシュで彼らの仕事をみて、翌日『すばらしかったよ!』って言ってあげられるよ。」ジェレミーの言うとおりです。でも自分が思っているようには演じることができていないから、やはりみるとがっかりします。

TAD: Does it bother either of you to watch yourself in previews?

Brett: Well, you don't look at yourself. You look at other things. The storytelling, for instance. You put a thumb over yourself, like a painter examining his work, and watch what goes on around you.

Hardwicke: I used to get into an argument with Jeremy about this. When I took over the part of Watson, he was very keen about going to rushes. I said, "I can't. I just cannot face it. I really hate it." I don't mind seeing a completed film. But when I'm in the process of working, I find it personally very destructive to see rushes. Jeremy would say, "Yeah, but you're not just looking at you. All the other people—the lighting man, the sound man—they all want a pat on the back. And if you watch it, you can go up the next day and say, "Terrific!" And he's quite right. But you never end up doing what you think you're doing, and I find it discouraging.


"You put a thumb over yourself, like a painter examining his work"とジェレミーが言っているところ、「画家が絵を細かく検討するときのように、親指で自分をかくす」と訳しましたが、絵を描く方、これであっているでしょうか。手のひらや指で絵のある部分をかくして、その部分に惑わされないようにして、それ以外をみるようなことを画家がやっているのをみたことがあるような気がしてこう訳しました。直訳すると「親指を自分の上に(覆うように)置く」、でしょうけど。訳自体には100%の自信はないのですが、ここで面白いと思ったのは、絵を描く時のことを例えにあげていることです。ジェレミーのお兄様の一人は画家ですものね。

ジェレミーはラッシュをみるのに熱心な理由の一つ目として、作品の出来具合を俯瞰してながめたり、自分以外の動きを確かめたりしたかったのですね。

それに対してエドワードは、ラッシュをみると自分にがっかりするタイプなのですね。でもその前の部分で言っているように、「思ったほど悪くはない、期待とはちがったけど、これはこれでいい」とも思えるのです。繊細だけど冷静で理性的という感じがします。

そしてエドワードがジェレミーの言葉を紹介してくれています。ここもまたスタッフを大切にするジェレミーらしいです。これが、ジェレミーがラッシュを熱心にみる、二つ目の理由なのですね。ジェレミーと撮影クルーとの関係について6月の記事「舞台と映像作品をくらべて(2):1989年のインタビューより」でも触れました。

ラッシュをみることについて、思い出した部分を二つ引用しました。

RM
夏というとThe Naval Treaty(海軍条約事件)のあの白い麻のスーツが思い出されます。それにちょっと触れているジェレミーの言葉を引用しましょう。

載っているのは1987年出版の、グラナダ・シリーズに関する薄い本です。
"Granada Companion, Number One: A Sherlock Holmes Album—A Centenary Celebration of Sherlock Holmes"
Edited by Michael Cox and Andrew Robinson
Published by Karizzma, 1987

その中の"Playing Sherlock Holmes: A Profile of Jeremy Brett"という題の1ページからです。

「ホームズはとても複雑な男です。音楽が好きでバイオリンの名手、冗談が好きで自信満々、少しうぬぼれているところもあるかもしれない。ほめられるのが好きで、自分以外の名探偵に関しては口が悪いのです。

ちょっと芝居がかったこともします。自慢しますし、ひとに注目されるのが好きだったりします。特に事件の謎がやっと解けた時にはね。

難しい事件ではこころの中まで張りつめた状態にあります。事件が解決したときには、ちょっと芝居がかったとも言えるかたちで、その張りつめたものが爆発するのです。

そういったところをいくらかでも、自分が演じるホームズの中にあらわそうとしています。

だから『海軍条約事件』がグラナダで今まで演じた中で一番好きな作品なのです。この作品ではじめて、ホームズだけでなく自分自身もちょっとだけ出せていると感じられました。ベージュのスーツを着て、わらで編んだ帽子パナマ帽をかぶって、笑って、最後の場面では事件を解決したホームズに、ちょっとうきうきした、優雅なことをさせました。見ているひとで、やりすぎだと思ったひともいたかもしれませんが、でも私にとってはそれまでの殻を破った大切な一瞬でした。」

'He is complex. He loves music — he plays the violin very well — he enjoys a joke, he is vain, maybe a little conceited. He likes to be praised. He can be bitchy when he assesses other great detectives.

'He can be a bit of a drama queen; he shows off sometimes, he's something of an exhibitionist, especially when he has pulled off a coup.

'On a difficult case he may build up considerable tension within himself, which explodes in a genial bit of theatricality when the problem is solved.

'I've tried to get some of that into my Holmes.

'That's why of all the stories I've done for Granada my favourite is The Naval Treaty: it was the first in which I felt I could be a bit of me as well as Holmes. I wore a beige suite and a straw hat. I was allowed to laugh, and at the end, when Holmes knew he'd cracked the problem, I made him do a little skip and dance. Some viewers may not have approved, but for me it was a breakthrough.'


最初の部分は以前も引用したことがあります。
「勝手に連動企画」で、"ドラマ・クイーンはどっち?"
この部分ではジェレミーはホームズのいろいろな面を言葉にしています。これがそのまま演技にあらわれていることに、いつも感嘆します。

この部分を受けて後半で、「だから『海軍条約事件』が一番好きだ」と言っています。この「だから」という言葉でのつながりは感覚としてはわかるのですが、論理としては、なぜ「だから」なのでしょう。この作品で「自分自身もちょっとだけ出せていると感じられ」ることと、その前の部分はどうつながるのでしょう。

自分とホームズは正反対だといつも言っているジェレミー、今回の引用部分に先立つところでもそう言っています。でも、実はそのホームズは自分とまったくかけ離れた存在というわけでもなく、自分と共通な部分もあるということを、口にはしていないですが言外に含んでいるのでしょう。音楽が好き、冗談が好き、ちょっと芝居がかっている。だから自分をすべて隠して演じたのではなく、自分をはじめて少しだけ出せた「海軍条約事件」が好きだ。そういうことだと想像します。

ここでベージュのスーツが出てきます。あれは麻のスーツでしょう。この撮影のときは特に暑かったと、たとえばMichael Cox著 A Study in Celluloidに書かれています (We filmed the story in high summer)。具体的には1983年8月8日(月)から8月26日(金)の撮影だったとKeith Frankel著 Granada's Greatest Detectiveに書かれています。8月8日と言えば数日後ですね!

そしてstraw hatをかぶっています。「麦わら帽子」と訳すと私はつばの広い帽子を思い浮かべるので、「わらで編んだ帽子」としました。(追記参照、後で「パナマ帽」に変えました)

最後のシーンでは"I made him do a little skip and dance"と言っています。最初にこれを読んだとき、あれ、飛び跳ねたのはホームズではなくてフェルプスだったのに、と思いました。でもこれは多分、文字どおり「飛び跳ねて、踊りあるいた」と言っているわけではなく、ホームズが自分の気持ちを軽快に優雅にあらわしたと言っているのだろうと思います。

それでは具体的にはどこでしょう。見た人はやりすぎだと思ったかもしれないけど、と言っているところから、当然原作にはないところ、そしてジェレミーがつくったシーンでしょう。それならばあの、ハドスン夫人に花を渡す、優雅でかわいらしい場面ですね!
ホームズがハドスン夫人に花をささげる場面;Rosalie Williamsのインタビュー(1996)より
ハドスン夫人とワトスンとホームズ;Rosalie Williamsの1992年のインタビューから(4)

後者でのRosalie Williamsの言葉を再度引用します。

ハドスン夫人とホームズの関係を描くのに、私たちがやり過ぎてはいないことを願っています。時には監督が「いや、それはちょっと」と言うかもしれません。ある場面で、ジェレミーが私に花を捧げたいと提案したことがありました。マリーゴールドの小さな花を渡して、ホームズの気持ちをあらわしたのです。とても素敵なシーンでした。コナン・ドイルが書いたものではなくて、私たちが演じている時に生まれたものでした。でも私にとってはそのおかげで、役にいのちが吹き込まれたのです。

I hope we haven't overstepped the mark in the relationship. Sometimes the director will say, "Oh, no." In one, Jeremy wanted to give me a flower. He gave me a little marigold, just as a little gesture. It was very sweet. It wasn't Conan Doyle; it was just something that happened when we were playing. But it rounds off the character for me.


多分ここのことですね!ハドスン夫人を演じたRosalie Williamsも、そしてこれを提案したジェレミーにとっても、自分の役を生き生きとしたものにするために、このシーンはとても重要だったことを知りました。



明日でここをはじめて7年、昨年のこの記事の最後でも書きましたが、吹き抜けの広場に置かれたテーブルでコーヒーを飲んでいた時に、これをはじめようと思い立ったのでした。
ホームズへの手がかりと、ホームズが持つ静けさ:1991年の新聞記事より

歩いて30分ほどのところにあるあのコーヒーショップに、この日が近づくとよく行くのですが、今年は忙しさと、最高気温36度、37度にためらって、まだ行っていません。台風が去って、日常も少し落ち着いたお盆の頃には行きたいと思います。近づいている台風が心配なかたもいらっしゃるでしょう。被害がでませんように。

RM

追記:そういえばパナマ帽という言葉がありましたね。straw hatのうちでtoquilla strawで編んだものをPanama hatと呼ぶそうです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Straw_hat

ジェレミーはstraw hatと言っていて、これの材質が何かはわからないのですが、「麦わら帽子」でも「わらで編んだ帽子」でも違うものを想像しがちなので、引用した部分の和訳ではパナマ帽としておきます。

 RM

Author: RM
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和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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