Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

少し前ですが、りえさんが「ジェレミー生誕祭 7」の記事で舞台The Secret of Sherlock Holmesの写真を紹介なさっていましたね。コメント欄では台本も話題になっていて、りえさんが私が最近出したメールを引用してくださっています。そこからの連想で思いついて、遅れましたが「勝手に連動企画」で、数ヶ月前にeBayに出品された珍しい招待状について書いてみます。The Secret of Sherlock Holmesの舞台への招待状です。

その前に、The Secret of Sherlock Holmesの戯曲を書いたJeremy Paul(ジェレミー・ポール)からの連想で、前回話題にしたThe Musgrave Ritual(マスグレーブ家の儀式書)関連のことを一つ。(私のブログは芋づる式連想で成り立っています!)「マスグレーブ家の儀式書」の脚本を書いたのもジェレミー・ポールで、この脚本でThe Mystery Writers of America(アメリカ探偵作家クラブ)からEdgar Allan Poe Award(エドガー・アラン・ポー賞)を 受けています。りえさんの記事「ジェレミー生誕祭5」の写真でジェレミーが左手に持っているのがエドガー・アラン・ポーのお人形です。これはアメリカ探偵作家クラブから賞状と一緒に送られてきたのでしょうか?賞状を持っているのがEdward Hardwicke(エドワード・ハードウィック)、そしてジェレミーが握手しているのがジェレミー・ポールですね。

さて、ジェレミー・ポールが書いた劇The Secret of Sherlock Holmesの公演はロングランとなりましたが、当初は親しい仲間・知人を集めた一夜限りのお楽しみの会での上演だったということをご存じのかたもいらっしゃるでしょう。David Stuart Davies著、Bending the Willowから引用します。

この作品は当初、日曜日の一夜の楽しみとしてロンドンのメイフェア劇場で上演するためのものだった。観客は友人や家族や業界・劇場関係者だった。

招待客の前で舞台は幕をあけた。観客の中にはデイム・ジーン・コナン・ドイル、グラナダ・チームのメンバーが含まれていて、演劇興行者も何人かいた。魅惑に満ちた夜だった。

The piece was intended merely as a Sunday night divertissement at the Mayfair Theatre in London. The audience was to be made up of friends, family, and contacts in the profession.

[...]

So the curtain eventually went up at the Mayfair Theatre to invited audience, including Dame Jean Conan Doyle, members of the Granada team, and a sprinkling of impresarios. It was a magical evening.


この時観客席にいた演劇興行者の一人が、この舞台の興行を提案することになりますが、それはまた後の話です。

エドワードはこのロンドンのメイフェア劇場での一夜には都合がつかなくて、ワトスンとしてこの舞台にたつことができず、かわりにSebastian Strideがワトスン役をつとめています。Sebastian Strideは後にThe Bruce-Partington(ブルース・パーティントン設計書)でCadogan West(カドガン・ウエスト)を演じた俳優です。

これが1987年、つまり「緋色の研究」が発表されてから100年のお祝いのための一夜だったということは知っていましたが、正確な日付を知りませんでしたし、この夜のための招待状も一度もみたことがありませんでした。

ところが数ヶ月前、eBayにこの夜への招待状が出品されました。10cm x 15cmの大きさの、青い色の招待状です。
http://www.ebay.com/itm/142122999525
(すでに落札されましたので、数ヶ月後には削除されると思います。)

左の青い招待状の写真をクリックすると大きくなりますし、保存もできます。招待状をはじめてみて、当時に思いを馳せています。招待状に書かれている文字を書き写します。

Jeremy Brett, Sebastian Stride & Jeremy Paul
in association with the Mayfair Hotel
invite you to a

Centenary Celebration
of
Sir Arthur Conan Doyle's
Sherlock Holmes
In
An evening with Sherlock Holmes & John Watson

on
Sunday 6th September 1987
Curtain up at 7.30 p.m.

The invitation is your ticket, so bring it with you.
Not transferrable. Invited guests ONLY


1987年9月6日だったのですね。ここにはThe Mayfair Hotelとあります。そういえば、Michael Cox著A Study in CelluloidでもThe Mayfair Hotelと書かれていました。Bending the Willowに書かれているThe Mayfair Theatreとどちらが正しいのだろうと思って調べてみたら、どうもホテルの中に劇場があるようですから、どちらも同じ場所のことのようです。
http://www.theatrecrafts.com/pages/home/venues/uk-london-may-fair-theatre/

The May Fair is unique among London’s West End theatres in that it is contained within the walls of an hotel.


多分小さめの劇場だったのでしょうね。親しいひとたちを前に、ジェレミーにとって1985年のアメリカ以来となる舞台を楽しんだことでしょう。ジェレミーにとっても観客にとっても" It was a magical evening"(魅惑に満ちた夜だった)のですね。その時のことを想像して、ああよかった、と私も幸せな気持ちでにっこりとします。

今週後半はなかなか神経のすり減る日々で、来週からも少し大変なのですが、小さな幸せがあれば落ち着いてすごせます。

RM

12/4 追記:便宜上「The Secret of Sherlock Holmesの舞台」としましたが、この時点でのこの劇の題は違った可能性があります。劇場での興行としての上演がはじまった当初は"A Case of Sherlock Holmes"という題でした。
少し気分を変えて、ジェレミーのサインをいくつか並べてみます。数日前りえさんがTwitterでのretweetで、The Television Sherlock Holmes(日本語版の題は「NHKテレビ版 シャーロック・ホームズの冒険」)に載ったジェレミーのサインを紹介してくださっていました。それで今日は「勝手に連動企画」です。りえさんのTwitterのアドレスは、りえさんのブログをご覧ください。ブログの更新情報などもTwitterに載せてくださっています。Twitterに登録していなくても見ることができて、私も時々拝見しています。(追記:りえさん、アドレス書いてもいいですよね!こちらです。https://twitter.com/riekojeremy

本に載ったサインはもちろん100%本物ですが、今日ご紹介するのは最近eBayに出品されたものからで、本物という保証はないことをお断りしておきます。ただ私は、これらはジェレミーが書いたものだと感じているのです。なんといいますか、いかにもジェレミーっぽいんですもの(うふふ)。



サインの部分を切り取って並べてみました。一番上のみ無地のカードに書かれていて、いつのサインかわかりません。あとはホームズにまつわる切手が貼られ、発行当日の消印が押された封筒(first day cover)で、いずれも1993年10月12日の消印です。

こうして並べてみると共通するところとそれぞれ少し違うところがあって、面白いです。全体をみると、のびのびして味がありますね。

一番上は「のびのび」と「丁寧」の両方が感じられて、美しいですね。"J"の文字の横棒がほぼ水平でまっすぐ、ペンの入りの部分もきれいです。(ペン習字では、この部分の特別な言い方があるのかもしれません。)

二番目の"J"の横線はやわらかなカーブを描いていて、このカーブにもいくつも種類があります。

三番目と四番目は少し珍しくて、消印にかからないようにという配慮からでしょう、"J"の横棒が短いものと、丸のもの。でも配慮すべき消印はないけど丸の場合も、少ないですがみたことがあります。また丸もなくて、縦からはじまるというのもあります。丸を書く場合も、縦を書いた後でその上につけたのかもしれませんね。

Brettの"B"は、二つの弧のうちで下の方が上よりかなり大きい場合が多いです。Brettの最後の二つの"t"の横棒はまとめて、そして多分一番最後にひいていますね。(それがわかりにくい四番目も、大きな画像でみるとそうなっています。追記:三番目は二つの縦棒の方が最後の可能性もあります。)時に軽快に長く、時に簡潔に横線をひいて、最後に点。(点はない時もあります。)

Jeremyの"ere"の書き方、おわかりになりますか?私は並べてまじまじと見て、次のBrettの"re"もみて、わかりました。最初の"e"は大文字の"E"のような書き方、その"E"の横線が次の"r"の最初の下向きの線にそのままつながって、そこから"r"の上向きの線。そこから続く下向きの線は、次の'E"の縦棒なんですね。

ただし"e"がこの書き方ではなく、普通に筆記体の"e"を書く時の、上に一回円を描いて下にもどるものも、少ないですがみたことがあります。これに限らずここで挙げた特徴については、それを持たないサインもみたことがありますから、もしもジェレミーのサインを持っていらして、これらにあてはまらなくても、それが理由で心配なさらないでくださいね。たとえば今回の中でも、一番上のBrettの"e"は、また少し違います。

今日のサインを含む大きな写真は以下のアドレスでご覧になれます。小さな写真を一度クリックして、もう一度クリックしてください。(携帯電話やスマートフォンでもそうか、私にはわかりません。)すでに落札されたものですから、eBayは数ヶ月後には写真を削除するはずです。

http://www.ebay.com/itm/262584058113
http://www.ebay.com/itm/351779850810
http://www.ebay.com/itm/232083572497
http://www.ebay.com/itm/272358686684

ちょこっと気分をかえて、ジェレミーののびのびと美しいサインをご紹介しました。

RM

追記:ことりさんが、私の以前の記事にあるジェレミーの手紙を発掘してくださいました。コメント欄で、その署名での"J"と"e"の書き方について書いてくださっています。
少し間があいてしまいました。

David Huggins(デイビッド・ハギンズ)のオートバイについてAnna Massey(アナ・マッシー)の自伝から前回引用したのに続いて、デイビッド自身が語っている記事から引用しましょう。これは2001年のThe Guardianからですから、1959生まれのデイビッドは42歳になっています。

At Christmas I dreaded playing charades
The Guardian, 14 November 2001
http://www.theguardian.com/books/2001/nov/14/shopping.familyandrelationships

両親は職業とユーモアのセンス以外には共通するところがほとんどなくて、私が3歳の時に離婚したのだが、そのあと子供時代の私の目から、二人は驚くほど仲のよい関係にみえた。(中略)

父が私の18歳の誕生日にオートバイをプレゼントしてくれた時、両親はテレビドラマRebeccaの撮影で一緒だった。母は父にとても腹をたてたので、二人は撮影のあいだずっと互いを無視していた。その時は私は父の側についていたが、今は母の気持ちの方がよくわかる。両親ははじめてまわりにもみえるかたちで喧嘩をしたのだが、この諍いは二人の性格がもともと正反対だということをよく示していた。母は理性的で慎重で几帳面、父は直観的で自分の気持ちに従う。私が子供の頃二人がなんの苦もなく気持ちを通い合わせているようにみえていたのは、それが子供を育てるために必要な態度であるのに加えて、彼らがプロの俳優だったからかもしれないとも思う。今でも私の頭の中では、父が「危険をこわがらずに冒険しなさい」、母が「よく考えるんですよ」、と正反対のことを言いあうのがきこえる。

With little in common besides their careers and a sense of humour, my mother and father divorced when I was three, but for the remainder of my childhood, they appeared to get along surprisingly well [...].

When my father presented me with a motorbike for my 18th birthday, my parents happened to be working together on a television adaptation of Rebecca. My mother was so angry with him that they ignored each other for the entire filming. At the time, I took my father's side, but now my sympathies lie more with my mother. It was the first time they'd fallen out openly, and the row pinpointed the fact that they were, by nature, opposites. My mother is cerebral, cautious and organised, while my father was intuitive and impulsive. I suspect that the easy rapport they seemed to share when I was a child might be due to the fact that they were professional actors as well as caring parents. I can still hear them battling out their differences in my head: my father urging me to take risks; my mother advising me to think things through.


デイビッドは、バイクで怪我したことも、そのバイクに乗らなくなったことも特に書いていません。いろいろな解釈があって、一つは自分が怪我した話は照れくさかったかもしれませんし、あるいは彼にとってバイクに乗ったことこそが大切で、事故のことはもう忘れていたかもしれません。

それに対してアナの自伝を読むと、母親のアナにとっては事故こそが忘れられない一大事だったのですね。そしてその事故のおかげで、オートバイはやはり危険なもので贈るべきでなかったとジェレミーもわかっただろう、と書いていました。

デイビッドは当時はジェレミーの味方だったとありますから、父が母の反対を押し切ってバイクを買ってくれてよかったと思っていたのでしょう。そしてデイビッドに「危険をこわがらずに冒険しなさい」と言っていた父は、もちろんオートバイを贈ったことを後悔なんてしていなかったでしょう。

でもデイビッドは、今は母の気持ちの方がわかると言っています。理由は何も書いていませんが、この記事が書かれた2001年は彼が結婚した年ですから、それもなにか関係していたかもしれません。

離婚した両親のそれぞれの性格と、その性格の違いにもかかわらず、二人が子供の自分のためにみせた姿の描写も、興味深いものでした。両親が離婚した人がフォーラムで、私の両親も私の前では子供のためを思ってこんなふうだったらよかったのに、と言っていたことを思い出します。



ところで、ジェレミーとアナが共演しているRebeccaにはデイビッドも「出演」しているということをご存知でしょうか。「出演」といっても通行人の役で、出演者として名前も出ていませんけど。でも親子3人が出ているというのもちょっとおもしろいです。

そのことをデイビッドが話していたのは、イギリスの新聞 The Independentの記事中でした。以前はネット上にあったのですが、今はThe Independentのウェブサイトから削除されてしまいました。以前のページのアドレスです。
http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/features/david-huggins-public-faces-in-private-places-747515.html

過去のページを収集して公開しているウェブアーカイブサイトに残っていますので、そちらのアドレスを書きます。

David Huggins: Public faces in private places
The Independent, 3 November 2001
http://web.archive.org/web/20100530062834/http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/features/david-huggins-public-faces-in-private-places-747515.html

たった一度だけ演じたのは、Rebeccaのテレビドラマ版でした。母はダンバース夫人、父はマキシム役、私は(おどされて)ちょい役で出ました。女優のVivienne Picklesが運転する車にあやうくひかれそうになる役です。

The only time I acted was in a TV adaptation of Rebecca. My mother played Mrs Danvers and my father played Maxim de Winter. I played an extra (under some duress) who was almost run over by the actress Vivienne Pickles.


3人が同じ作品に出る最初で最後のチャンスかもしれないから、と言われたのでしょうか。「おどされて」って、両親に?どちらか一方に?あるいは照れてそう言っているだけで、一回だけなら案外面白がって出てみたなんてこともあるかもしれません。

そしてこの通行人役のデイビッドが出るシーンは、おそらくこちらです。RebeccaはいままでビデオにもDVDにもなっていませんので、Youtubeのアドレスを書いてもよいでしょう。このアドレスをクリックして、数秒後です。(記事では車を運転している女優の名がVivienne Picklesとなっていますが、正しくはVivian Picklesのようです。)
http://www.youtube.com/watch?v=iJWEYaN08ws&t=4m51s

いかがですか?家庭用ビデオデッキで録音されたぼんやりした画面で、顔は全然わかりませんけど、足が長いのはわかりました(うふふ)。ジェレミーはこのシーンをみて、にっこり笑ったでしょうか。

RM
16歳で大病をした後の出来事として、ジェレミーのオートバイの話がありました。
8ヶ月ベッドで過ごした後:1994年のインタビューより

それで思い出したのは、David Huggins(デイビッド・ハギンズ)のオートバイのことです。デイビッド・ハギンズはジェレミーとAnna Massey(アナ・マッシー)の息子です。ジェレミーとアナは離婚してからもデイビッドの両親として、互いを尊重し合っていました。たとえば以下の記事で触れました。
Anna Masseyの自伝と、Penhaligonのバスオイル
"Women in My Life"の記事からもう少し

ジェレミーとアナはRebecca (1979)で共演していて、その頃のことをアナが自伝に書いています。ここにオートバイの話が出てきます。

Rebeccaのリハーサルの時だが、知らない間にジェレミーはデイビッドにオートバイを与えていた。それまでいつも私は反対していたのだ。激怒したが、ジェレミーとその時大げんかをするわけにはいかなかった。皆を動揺させて、不必要な緊張を現場に持ちこむわけにはいかないからだ。それでジェレミーを無視して話しかけないことにした。形式的な挨拶以外は、そしてもちろん二人が出るシーンのリハーサルの時以外は。奇妙な日々だった。でもバイクを手に入れて数週間後にデイビッドが事故で足を怪我したことで、私の主張が正しいことは裏付けられた。それほどひどい事故ではなかったが、オートバイを贈ったのは愚かなことだったとジェレミーが気づくには十分だった。このことについて撮影中もその後も私達は話すことはなかったが、数ヶ月後バイクは捨てられて、ひどい喧嘩にならずに二人の間に平和がもどった。そしてテレビでドラマの放映がはじまった時、ジェレミーが私に手紙をくれた。そのなかで私の演技をとても褒めてくれていて、私は胸を打たれた。

During rehearsals, unbeknown to me, he had given David a motorbike, something that I had always been against. I was utterly furious. We could not have a vehement row, as it would have upset everyone and created tension where it was not needed. So I decided to ignore Jeremy and not speak to him, except in the most formal way, and of course when we had to rehearse our scene together in the play. It was an odd experience, but my side of the argument was reinforced when, a few weeks after getting the bike, David had an accident and injured his leg, not badly, but enough to make Jeremy understand that his gift had been a foolish one. We never spoke of this episode during the production or afterwards, but a few months later the bike was abandoned, and peace was restored without a bloody war having taken place. In fact when the show was first shown on television, Jeremy wrote me a most complimentary letter about my performance, which I found very touching.

Telling Some Tales
by Anna Massey

16歳でオートバイを両親から贈られたジェレミーは、今度はデイビッドにオートバイを贈ったのですね。次回ご紹介するつもりですが、デイビッドによるとこれは彼が18歳の時の誕生日プレゼントだったようです。アナに反対されてもデイビッドにバイクを経験させたかったのは、デイビッドが欲しがったからかもしれませんし、風を切って走る感覚をジェレミーが覚えていたからかもしれませんね。

そしてアナの自伝には「オートバイを贈ったのは愚かなことだったとジェレミーが気づくには十分だった」とありますが、ジェレミーはそんなふうに思ったでしょうか。アナの気持ちもよくわかりますが、でもジェレミーの性質を思えば、そうは思わなかった気がします。怪我をしても、その後乗らなくなってしまっても、デイビッドがそういう経験もできてよかったと思ったのではないでしょうか。

この文章でもう一つ触れるとすれば、もちろん最後の部分です。ジェレミーはいつもひとをこころから褒めますね。自分のあたたかい気持ちをまっすぐにひとに伝えます。それが感じられてうれしくなりました。


さて、ジェレミーがデイビッドにオートバイを買ったことについて、デイビッドが語っている新聞記事があります。母親のアナとは言っていることがちょっと違うところ、そして彼の両親をみる目が興味深いので、多分次回それに触れます。

RM
今日は前の記事からの続きを書くつもりでしたが、ちょっとお休みします。かわりに、映画"Mr Holmes" (2015) でホームズを演じている Ian McKellen(イアン・マッケラン)のインタビューに、ジェレミーの演技にふれている箇所があったのでご紹介したくなりました。

ちなみに以前もサー・イアンのジェレミーに関する言葉を何回か記事にしました。
Sir Ian McKellen、ハムレット、そしてホームズ
Sir Ian McKellenのホームページより(1)
Sir Ian McKellenのホームページより(2)
Sir Ian McKellenのインタビュー(2015)より

"Mr Holmes"が日本で現在公開中ということで、日本のウェブサイトにこんなインタビューが載っていました。

『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』イアン・マッケラン インタビュー
MOVIE Collection, 2016/03/17
http://www.moviecollection.jp/interview_new/detail.html?id=561

そのうちシャーロック・ホームズのテレビシリーズが始まり、毎週のように見ていました。俳優としての自分に多大な影響を与えたのが、ジェレミー・ブレットがホームズを演じたシリーズです。60年代か70年代だと思いますが、ジェレミー・ブレットは非常にロマンティックで、外見が良く鉤鼻の俳優でしたね。彼はシャーロック・ホームズの別の一面、不穏な一面を表現しました。ホームズの暗い一面を。薬物を摂取し、女性との交流を避け、異常なほど精神的に乱れたホームズです。
 そのことは、常にシャーロック・ホームズに当てはまると思います。彼はどちらかというと落ち着きのない人物で、自分の持つエネルギー全てを、レーザー光線を当てるように、あるいは小型の望遠鏡で覗くように、問題に集中させるような男です。

ジェレミーはホームズの暗い一面を表現したというところ、そして引用箇所の最後にあるホームズの描写を、いろいろな場面を思い出しながら読みました。もちろんこれだけではなく、ジェレミーのホームズにはかっこよさもユーモアもあるのですが、ハムレットよりも複雑だとジェレミーが言ったホームズの性格や個性はおもに、サー・イアンがふれたところにあらわれているのでしょう。

なお、「60年代か70年代だと思いますが」とありますが、実際にはご存知のようにグラナダ版の放映は80年代から90年代にかけてです。(訂正:読み返したらこれは多分私が意味を取り違えていて、ジェレミーがロマンチックな役をしていたのは60年代か70年代、と言っているのでしょう。)

このインタビューは他にも興味深いことがいろいろと語られています。残りはリンク先のページへどうぞ。


他にもサー・イアンのインタビューで、ジェレミーのことにふれているものがネット上にありますので、今日はあと三つご紹介しましょう。

Sir Ian McKellen: Closer to Holmes
by Stephen Jewell
NZ Herald, Jul 19, 2015
http://www.nzherald.co.nz/entertainment/news/article.cfm?c_id=1501119&objectid=11483525

"A great Sherlock for me was Jeremy Brett," he continues, referring to the late British actor, who took on the lead in the 1980s in Granada's acclaimed Sherlock Holmes TV series. "With that, you've got a very troubled man but then he's living in a world of troubled people, trying to help them."

これは、以下の記事の追記部分で引用したインタビューと共通する言い回しが多く、同じものを元にしているようです。
Sir Ian McKellen、ハムレット、そしてホームズ

再掲します。
『ホビット 決戦のゆくえ』ロングインタビュー
第1回:イアン・マッケラン(ガンダルフ役)
http://www.cinematoday.jp/page/A0004356

「わたしが素晴らしいと思ったシャーロック・ホームズは、ジェレミー・ブレットがイギリスのテレビシリーズで演じたものだ。苦悩する男だ。彼は問題を抱えた人ばかりの世界にいて、何とか助けようとする。」

並べて読むと、ちょうど上の部分を訳したものになっているようです。


二つ目はこちらです。
MR. HOLMES: Ian McKellen On Playing Sherlock, Middle-Earth Nostalgia, and More
by Brian Formo
COLLIDER, July 16, 2015
http://collider.com/ian-mckellen-sherlock-holmes-movie-lord-rings-trilogy-hobbit/

Do you have a favorite?

McKELLEN: No! They're all Sherlock Holmes aren't they? Well, yes I suppose I do: Jeremy Brett; he was an English actor who was on television quite a long time ago, these were straightforward, (Sir Anthony) Conan Doyle stories, but he discovered the dark side of the character. He wasn't just a suave know-all, he was a deeply troubled man, and he caught on to the fact that Sherlock was too much brain, too little heart. I feel some sympathy in that.

映像化ホームズ作品のリストをみているサー・イアンにインタビューアが、「特に好きなホームズはいますか」と問うのにたいして、「全部好きですよ!みんなシャーロック・ホームズですからね。ああ、一番好きなホームズ、いますね。ジェレミー・ブレットです」と答えています。「『特に好きなホームズ』というのはなくて全部好きです」と言っている時にはもう、次にジェレミーのことを話そうと思っている感じが私にはします。


そして最後にこちらを。
Ian McKellen Talks About Sherlock Holmes and the Dilemma of Age
By EW STAFF
Entertainment Weekly, July 16 2015
http://www.ew.com/article/2015/07/16/ian-mckellen-sherlock-holmes

Jeremy Brett, who played it on British TV for 10 years, said that Sherlock Holmes was like the dark side of the moon.

Yes, have you ever seen his Holmes? Just wonderful. He's dead now, unfortunately. I think that of all of them, his was the most satisfactory. And at the time his was quite revolutionary. His wasn't just a suave know-it-all. His Holmes was more troubled. But I guess it all depends on the scripts too. The material is excellent.

インタビューアがジェレミーの言葉を引用するのに対して、サー・イアンは「彼のホームズをみましたか?まったく素晴らしかった。残念なことにもう亡くなってしまったけれども。今までのホームズ映像化作品のうちで、彼の演じたホームズが一番よいと私は思います。あの頃、あのホームズは革新的なものでした」と言っています。


今回の4つのインタビューは、その全体も充実したよいものでした。でもジェレミーのファンとしては、ジェレミーの後輩にあたる名優が、こうしてジェレミーのホームズのことを高く評価して何度も口にしてくださっていることが、何よりもうれしいことでした。

RM
前回の続きはちょっと時間がなくて先延ばしで、別のことを書きます。

俳優Tim McInnernyはBBCのSherlockのクリスマス特別版でSir Edwinという役を演じるそうです。彼はグラナダ版のThe Red Headed League(赤髪連盟)では質屋の店員、その正体は犯罪者、というJohn Clayを演じました。以下の記事にそのことと、ジェレミーのことがちょっとですが触れられていました。

'People want something physical': Tim McInnerny on Beloved Clara at the Yeovil Literary Festival
The Western Gazette, October 26, 2015
http://www.westerngazette.co.uk/People-want-physical-Tim-McInnnerny-Beloved-Clara/story-28054747-detail/story.html

でもSherlockクリスマス特別版が、彼がホームズものに出演する最初というわけではない。ジェレミー・ブレットがホームズを演じた「赤髪連盟」では、二役を演じた。

「ジェレミーは最高のホームズでした」と彼は言う。「ジェレミーは素晴らしかった。我々がホームズをどんな人間としてみるか。彼がそれを変えたのです。」

But this is not his first brush with Holmes, having played two roles in the Jeremy Brett version of The Red-Headed League.

"Jeremy was the best ever Holmes," he remembers. "He was extraordinary, and he changed the way that people perceived the character.


本題からはそれますが、おもしろいなあと思うのは、彼が演じたのがtwo rolesとしているところです。質屋の店員のVincent Spauldingと、高貴な血をひくと自分のことを言う、犯罪者John Clayですね。John ClayがVincent Spauldingとして質屋に入り込んだわけですが、こういう場合でも英語では普通にtwo rolesって言うのでしょうか。

それはともかく「ジェレミーは素晴らしかった」なんて、言ってもらわなくてもわかっていますけど(うふふ)、でもこうして当時共演した俳優が30年たってもそう言ってくれるというのは、うれしいです。1956年生まれだそうですから、この撮影当時は20代の終わりです。堂々とジェレミーのホームズとわたりあっていますね。その青年の目にうつったジェレミー。今でも何か具体的に覚えているでしょうか。きいてみたいです。

BBCのSherlockではどんな人物を演じるのでしょう。私はSherlockに関してはものすごく遅れているのですが、検索して知ったところによると、彼が演じるSir Edwinと同じ名前の人物は以前のエピソードに出てきていて、この時は違う俳優が演じたそうですね。たまたま名前が同じ違う人物ではなく、何か関連があると考えるほうが良さそうということでした。

Sherlock Christmas special: Mark Gatiss and Steven Moffat reveal new details
Den of Geek, 27 October 2015
http://www.denofgeek.com/tv/sherlock/33528/sherlock-christmas-special-mark-gatiss-and-steven-moffat-reveal-new-details

Lately, we've learnt that Blackadder alumnus Tim McInnerny (he most famously played Lord Percy Percy and Captain Darling in the BBC comedy) will be appearing as Sir Edwin, a name shared with Simon Kunz' character from His Last Vow. Is that just a coincidence? It would seem unlikely.


彼の演じるSir Edwinに、John Clayとの何かの関連もちらっとあったりすると、おもしろいのですが。

RM
しばらくここを離れていました。このお休みの間に戻ってこようと思っていたのに、あっと言う間に休日ももう終わりです。少し離れてみると、どうやって書いていたのかしらという不思議な感じがします。


下のリンク先は、9月12日のロンドンでの集まりで企画の中心となったかたの一人がFacebookに投稿していた記事です。Ronald Pickupがこの集まりに寄せて送った文章を紹介しています。
https://www.facebook.com/groups/609650632418766/permalink/987866421263850/

Ronald Pickup(ロナルド・ピカップ)は「バスカヴィル家の犬」でBarrymoreを演じましたね。それ以前、National Theatreによる、すべての役を男性が演じた"As You Like It" (1967-9)では、ジェレミー演じるOrlandoが恋するRosalindを演じました。(「ジェレミーの80回目のお誕生日、そしてNational Theatreの50年」の記事で少しこの演目についてふれています。)

ロナルドによると、Rosalind役が決まってしばらくしてもOrlando役は決まらず、誰が演じるか知りませんでしたが、ある午後、地下鉄の駅で下りの混んだエスカレーターで降りていたロナルドの前方には、のぼりのエスカレーターで上がってくるジェレミーがいました。ジェレミーは突然ロナルドに “Oh, my beautiful Rosalind!”(「僕の美しいロザリンド!」)と叫びました。ジェレミーはOrlando役に決まったばかりだったのです。これが二人の初対面でした。

これもいかにもジェレミーですね。俳優としてお互いに存在は知っていたでしょうが、はじめて会う、しかも動いていくエスカレーターで偶然すれ違った人に向かって、あの情熱的な口調で叫ぶのですもの。

その後、ロナルドはこう書いています。ジェレミーにとってThe Nationalでの日々は“Festival”(祝祭)であり、これはジェレミーが好きな言葉で、そしてこの言葉「祝祭」はジェレミーが私達の人生にもたらしたものをあらわしている。

生きているというのは祝うものであるということ、いろいろなことがあるけれども、でも生きることの本質は祝祭であること、それがジェレミーと共にいて感じられたということだと思います。

そして「祝祭」「祝う」と言えば、「英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝ぐ」ということ、これがこのブログの副題であり一番書きたいことでした。



ここからはメッセージです。
少し前に鍵付きのメッセージを下さったかた、やさしいお心遣いをありがとうございます。お返事をさしあげるべき場所への入りかたをすでに忘れてしまったので、ここに書くことをお許しください。グループのサイトにアップロードされていたのが、おそらくそれのPDFファイルだと思いますので、送りましょうかというお気持ちだけいただきます。ご親切にどうもありがとうございました。素晴らしい時間をお過ごしになったことと想像いたします。

RM
前回、上から二番目の兄で画家のMichael Huggins(マイケル・ハギンズ)についてご紹介しました。前回アドレスを書いた赤いペチュニアの絵をはじめとして、彼は少なくともある時期は静物画をおもに描いたようで、たとえばアマゾンにも絵が出品されていますが、現在リストにあがっている6点はすべて静物画です。
http://www.amazon.com/s/ref=art_artist_search?node=6685269011&field-keywords=Michael%20Huggins

ところが最近、Facebookにいくつもあるジェレミーのファングループの一つにメンバーの一人が、マイケルによる興味深い人物画を撮影した写真を投稿していました。このファングループは公開グループですから、メンバーにならなくても見ることができます。(ちなみに私はFacebookのグループにはどれにも参加していません。)

マイケルによる人物画をみることができるのはこのグループ内にあるアルバムで、そこには"The Berkswell Museum Exhibition"というタイトルがついています。Berkswellはご存知のようにジェレミーが生まれ育ったところで、そこにある博物館でそのメンバーが撮ったのがこのアルバムの写真なのです。
https://www.facebook.com/media/set/?set=oa.963851870331972&type=1

アルバムの説明の文章には、The Berkswell MuseumのFacebookのページのアドレスが添えられています。
https://www.facebook.com/berkswellmuseum?fref=ts

アルバムの6枚目と7枚目の写真をご覧ください。7枚目をクリックすると大きくなって、投稿者の説明を読むことができます。「ジェレミーの絵。兄のマイケルによって1957年に描かれたもの」("Jeremy, painted by his brother Michael 1957") 6枚目ではこの絵が博物館内でどんなふうに飾られているかわかりますね。
 
1957年というと、ジェレミーは23歳か24歳、マイケルはその6歳年長です。マイケルはその頃は人物画もよく描いていたのでしょうか、それともこの絵は特別なんでしょうか。

この絵、ジェレミーと言われると、たしかに面影があるように感じられます。頭の形、口元、あ、耳も。首から肩の線も。War and Peace(1956年公開) の後、Anna Masseyとの結婚(1958年)より少し前のジェレミーです。兄が描いた若きジェレミー。二人の間にどんなふうな会話があったでしょうね。

なお、もしもこの写真をどこかで紹介なさりたい場合は、この絵の写真を撮った人と、この絵がある場所についての情報も一緒に紹介してくださいますようお願いいたします。

RM
前回の記事の中で、ジェレミーの長兄のことに少しふれました。ジェレミーは男ばかり4人兄弟の末っ子です。

以前このように書きました。

1973年のインタビューでは「一番上のジョンは教師、マイケルは絵描きになって今はマジョルカ島に住んでいて、パトリックは建築家です」と言っています(「父のこと; 1973年のTV Timesのインタビューより」)。その後だと思いますが、長兄のジョンはキリスト教、おそらくイギリス国教会の司祭になっていて、ジェレミーの追悼式では司式をなさっています(「追悼式での John Huggins師の言葉;1995年のThe Baker Street Journal より」)。

アーチェリーに関する1989年の記事より(1)

今日は、このマジョルカ島に住んでいた兄のMichael Huggins(マイケル・ハギンズ)の絵をご紹介しましょう。何枚か見たことがありますが、私が好きな一枚はこちらです。このページは2009年のeBayの記録です。金色の背景の中の赤いペチュニアで、ちょっと日本画を思わせる様式のようにも思うのですが、いかがですか?絵は油絵です。
http://www.worthpoint.com/worthopedia/michael-huggins-red-petunias-original-97197177

下の方に説明があります。

マイケル・ハギンズ
現代英国の画家
1927年に英国のKenilworthの近く、Holly Lodgeで生まれた。Eton校とSandhurst陸軍大学で学び、グレナディア近衛歩兵連隊に所属した。チューリッヒ、パリ、そしてカリフォルニア州ラ・ホヤで画家として活動した。ハギンズはその後英国にもどり、それからスペインのマジョルカ島に移り住んだ。

Michael Huggins
Contemporary English painter
Born in 1927 at Holly Lodge, near Kenilworth, England. Studied at Eton and Sandhurst Military College, and later served with the Grenadier Guards. Painted and studied in Zurich, Paris, and La Jolla, California. Huggins returned to England before relocating to Majorca, Spain.


Holly Lodgeというのは、ジェレミー以外の3人の兄が生まれたところとして、Berkswell Miscellany, Volume Vに書かれていますし、ジェレミーがインタビューで言っていたのと同じマジョルカ島に住んだということからも、ジェレミーのお兄様で間違いないでしょう。

Berkswell Miscellanyにはこう書かれていました。

3人の兄のジョン、マイケル、パトリックはHolly Lodgeで生まれたが、ジェレミーはTruggist Laneのthe Grangeで生まれた。(中略)ハギンズ家は1929年にDuggins LaneのHolly Lodgeからthe Grangeに移ったのだ。

Unlike his brothers John, Michael and Patrick, who were born at Holly Lodge, Jeremy was born at the Grange in Truggist Lane. [...] The Huggins family moved to the Grange in 1929 from Holly Lodge, Duggins Lane.


1927年生まれのマイケルが2歳の1929年に引っ越したということです。その後の1933年にジェレミーは生まれたのですから、マイケルにとって6歳年下の弟ですね。

この絵をみて面白がっていましたら、最近、また興味深いマイケルの絵をジェレミーのファンが紹介しているのを読みました。多分次回、これをご紹介しましょう。

RM

追記:これではじめて知ったのですが、結局別の道に進んだにしても、軍人である父のあとを継ごうと最初は考えていたのは、4人の兄弟の中でジェレミーだけではなかったのですね。
昨日、舞台公演のプログラムのページをご紹介したので、今日も別のプログラムを。

ひょんなことからBirmingham Repertory Theatreのウェブサイトに、ジェレミーも出演したA Measure of Cruelty (1965) のプログラムがアップロードされていることに気がつきました。この劇場の100周年を記念してつくられた、The REP 100という名前のアーカイブ・サイトの中です。

The REP 100のメインページはこちらで、ここに検索窓があります。
http://www.birmingham-rep.co.uk/rep100

ここに"Jeremy Brett"と入れると、A Measure of Crueltyのブログラムが、表紙も含めて8枚の画像としてみつかります。その4枚目がこちら。
http://www.birmingham-rep.co.uk/rep100/3400

上のページの画像を(私の環境では)三度クリックするととても大きな画像になります。ここに使われているジェレミーの写真は、ここのところ何かと名前を出す、Ingrid Bergmanと共演した舞台A Month in the Country (1965) のプログラムでも使われていました。反抗的な、あるいは屈折した感情をもてあました若者といった感じにみえて、特に目が印象的ですね。

備忘として、日付のことをまとめておきます。上のページの説明では、A Measure of Crueltyは1965年2月9日から3月6日までの公演と書かれていて、ジェレミーのお父様が亡くなったのは、Berkswell Miscellany, Volume Vによれば1965年4月22日でした。A Month in the Countryは正確な日付はわからないのですが新聞の劇評が1965年の9月末にいくつも出ていることからすると、9月半ば頃にはじまったようです。そして8週間の予定が4週間伸びて12月11日に終わる予定と書かれた新聞記事があります。

以前ご紹介したことがありますが、ジェレミーの長兄のJohn Hugginsによると、ジェレミーがおもに病気の父親の世話をしたということでした。
追悼式での John Huggins師の言葉;1995年のThe Baker Street Journal より

父が長わずらいの末に死をむかえるまでの間、ジェレミーが父の闘病生活に責任を持った。

[Jeremy] had taken on the responsibility of nursing their father during his long final illness.

The Baker Street Journal: an irregular quarterly of Sherlockiana, Volumes 45-46, 1995

1965年は、ジェレミーは31歳から32歳。この年はこれらの舞台と、父の死という、そういう年だったのですね。

RM

 RM

Author: RM
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和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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