Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

Sherlock Holmes: The Detective Magazine(ここで何度かふれたThe Sherlock Holmes Gazetteから名前がかわった雑誌)の21号(1997年)に、ジェレミーの最後のホームズ撮影に立ち会ったLindaからの、編集部への手紙の内容が記されています。1997年というと、ジェレミーが亡くなってから2年後です。この、編集者の手によるコラム記事を紹介します。David Stuart Daviesが編集していましたので、署名はありませんが彼でしょう。

(追記:雑誌掲載分の白黒写真でなくカラーの写真がみつかりましたので、差し替えます。)

「今もジェレミーを偲んで」

Jeremy Brettが亡くなって2年がたつということは、今も信じられない。彼は1995年9月12日にこの世を去った。Linda Pritchardは、ジェレミーの最後の数年間に関わった女性だが、彼女から、最後のグラナダ・ホームズの作品、「ボール箱」の最後のシーンを彼女が撮った写真が送られてきた。

1994年のとても寒い1月、ManchesterのHeaton Parkで、ジェレミーがホームズとしての最後の言葉を発する時に撮られた写真だった。「これは何を意味するのだ、ワトスン?この苦難と暴力と恐怖の循環は何の役をはたすのだ? 何かの目的がなければならない。さもなければこの世は無意味だということになって、そんなことは考えられない。では何の目的があるというのか? これは人類にとって永遠の問題で、人知のおよぶところではない。」

ジェレミーは病院を出たばかりで、健康とはとても言えない状態だった。しかし彼はこの最後のシーン、彼のシャーロックとしての言わば最後の挨拶が、ほぼアーサー・コナン・ドイルの言葉のままであることをとても喜んでいた。健康状態が悪かったにもかかわらず、このシーンをできるだけ完璧に演じることができるように、数時間のリハーサルをおこなっていた、とLindaは手紙に書いてくれた。


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雑誌のページからのものなので画質は悪いのですが、これがそうです。(追記:カラーの写真がみつかりましたので、差し替えます。)この時のジェレミーの状態は、Lindaも書いていますが良いとは言えなかったようです。そしてこの撮影が終わってさほどたたない内に、双極性障害の悪化で入院したことがLindaの本に書いてあります。心臓の状態が悪くなって、双極性障害のための薬をかえたことが原因だったようでした。この写真の時、これが最後の作品の最後のシーンになるとおそらく知っていて(Lindaによれば、撮影に入る前に、これが最後の作品と決めていたようです)、いつものように演技に最善をつくすために何度もリハーサルを繰り返したジェレミーの気持ちを感じています。

この雑誌ではなく他のところで、同じ年、1994年の2月17日に撮られた、となっている写真2枚をご紹介します。この日付が正しければ、最後の撮影と入院の間ということでしょうか。以前ご紹介したマンチェスターのMidland Hotelでのインタビュー記事(1994年3月19-25日号のRadio Times)の写真と同じ帽子をかぶっています。同じ時の写真なのかもしれません。インタビューの時もそうでしたが、この写真でも健康状態はある程度維持されていたようにみえます。少なくともとても辛そうという感じではなく、軽く微笑んでいるので、ほっとします。画質がよくない小さな写真ですが、この写真をしばらくみて、この頃のジェレミーを感じています。

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RM

(原文)Still Remembering Jeremy
It is difficult to accept that it is two years now since Jeremy Brett passed beyond our ken. He died on 12 September 1995. Linda Pritchard, who was so much a part of his life in the final years, has send us a photograph taken by her of the final scene of the last Granada Holmes film, The Cardboard Box.

It was shot in Heaton Park, Manchester on a very cold January day in 1994, just as JB spoke his final lines as Holmes; "What is the meaning of it, Watson? What is the object of this circle of misery and violence and fear? It must have a purpose, for our universe has no meaning and that is unthinkable. But what purpose? That is humanity's great problem to which reason has no answer."

Jeremy had only just been released from hospital and was far from well. But he was so glad that this final scene, his last Sherlockian bow as it were, should contain words penned by Sir Arthur Conan Doyle. Linda says that despite his ill health he had rehearsed for hours to make sure the scene was performed as near to perfection as possible.
Jeremyが亡くなる前の週に、お互いに深い友情を感じ、お互いに大切に思っていた、Gary Bondという俳優を病院にたずねたことを最近知り、その時のジェレミーに想いを馳せています。Gary Bondは1940年生まれで、ジェレミーが亡くなったちょうどひと月後に、AIDSによる合併症のために亡くなっています。私は、亡くなる前に二人が会っていてほしい、と願っていましたので、このことをきいたとき、静かな安堵の気持ちを感じました。

Jeremyの生涯の中で、結婚という形で人生を共にしたのは、AnnaとJoanでした。そしてもう1人、ジェレミーの生涯の内の7年間にわたって、人生のパートナーとして大切な存在だったのがGary Bondでした。GaryのことはTerry MannersのThe Man Who Became Sherlock Holmesという本ではじめてその名を知りました。この本は引用元や発言者の名前をまったくひかずに書かれており、もっと悪いことに内容に多くの脚色がされていることは、多くの人が指摘しています。私もそのような部分をいくつかみつけました。たとえばあるインタビューに書かれていた内容が、違う時期、違う状況の記述にはめこまれ、勝手な脚色がほどこされている例はいくつもあります。しかも多くは、悪い方へ、扇情的な内容の方へ、気持ちが暗くなる方へ書き換えられています。そのような本のなかでふれられているGary Bondという俳優とのパートナー関係は、どこまで信用してよいのかわかりませんでした。

今年の春になって、Garyの友人だった女性が、ジェレミーを愛する人たちにGaryとJeremyのことについて話してくれるようになりました。彼女は長年のジェレミーのファンでもありましたが、最近までジェレミーのファンのつながりには参加していませんでした。そしてGary Bondとのことがジェレミーのファンの中で無視されている、あるいは話題にすることを避けられていることを知り、ショックを受けたそうです。ジェレミーのことを語る時、ジェレミーが大切に思った人、ジェレミーが結婚した人のことが語られるのは自然なこと、でもパートナーの中で1人だけが捨て去られているのはおかしい、と言っています。

私もまた、Garyのことは考えないようにしていました。理由はいくつかあって、先ほど書いたように本当のことかがわからなかったこと、本当かどうかも、ジェレミーとGaryの気持ちも、すでに知りようがないと思っていたこと、そして同性同士のパートナー関係ということを今まで考えたり感じたりしたことがなくて、当惑の気持ちがあったこと、などです。

でも今回Garyの友人だった女性が語ってくれたことは、Terry Mannersの本とは違って、私は完全に信じています。二人の結びつきは話をきいて当惑したり、かくしたりするような暗い関わり方でなく、とても美しい、生きる喜びと笑いを共有する関係だったことがわかりました。そしてGaryはとても才能あふれた俳優で、ジェレミーと似たところをたくさん持っている、魅力的な人だったことも知りました。

ジェレミーは伴侶となった2人の女性のこととは違って、Garyのことは何も語っていません。このことについては、一つは時代背景を考える必要があるようです。イギリスでは1967年まで同性同士の愛情関係は法律違反でした。二人が出会ったのは1969年だと彼女はGaryからきいたそうです。またジェレミーがGaryのことを語っていないのは、この関係を後悔して忘れたいと思っていたということではまったくない、と彼女は言い、私もそのように感じます。彼女が教えてくれた二人のこと、死ぬまで続いた友情、ジェレミーが二人がうつっている美しい写真を最後まで持っていたことがそれを示しています。また近くに住んでいた友人のJohn Schlesingerの自伝で二人のことが触れられているように、知人の間では秘密ではなかったようです。

彼女が、「JeremyとGaryの関係について語ることは許されないのか?」とファン・フォーラムで問題提起した投稿はこちらで読めます。多くのファンが彼女を支持していますが、異なる意見の人もいて、いろいろな人の考え方を知ることができました。
http://community.livejournal.com/jeremybrett/285844.html

また彼女は今年の秋に、Gary Bondについての情報や写真を集めたウェブサイト"The Wonderful World of Gary Bond"をつくりました。
http://www.thewonderfulworldofgarybond.com/
その中の"Gary Bond's significant others ... a celebration" (Gary Bondにとって大切な人たち...彼らをたたえるために)というページに、JeremyとGaryの美しい写真も含めて、二人の関わり合いが記されています。抜粋してご紹介します。
出典:http://www.thewonderfulworldofgarybond.com/significant-others.html

このウェブサイトを作ることを計画するにあたって、Gary Bondの生涯において重要だった人たちを賞賛し感謝する場所をもうけるべきかどうか、ずっと考えてきました。私はそうすべきだと思いました。ある人にとってとても大切な存在というのは、この世界でその人が生きた生き方、なしとげたことに深い影響を与えてくれた存在だからです。ほめたたえ、ことほぐべき人たちなのです。そう考えて、私は愛情と尊敬の気持ちとともに、Garyととても親しかった二人の人のことを紹介します。

Jeremy Brettは1969年頃から1976年頃までのGary Bondのパートナーでした。ジェレミーは舞台、映画、そしてテレビで俳優として活躍しました。グラナダテレビのシリーズでホームズを演じたことが、おそらく現在では最も有名でしょう。ジェレミーはGaryと同様、軍人を父に持ち、同じようにCentral School of Speech and Dramaを卒業しました。Garyとジェレミーは1969年12月に行われたNoel Cowardの誕生日コンサートではじめて言葉をかわし、その後二人はパートナー関係を結び、West LondonのNotting Hillで数年間をともに暮らしました。二人のこの関係はジェレミーがJoan Wilsonと結婚する少し前に終わりましたが、二人は生涯にわたって親しい友人であり続け、お互いのことを思いやる気持ちを持ち続けました。

その他に彼女が教えてくれたことは、彼女のウェブサイトにも書かれていますが、Garyはミュージカルにも多く出演して音楽を愛していたのと同時に、シェークスピアやオスカー・ワイルドなどの対話劇にも多く出演し、コメディも得意だったこと、ジェレミーと共演することは残念ながらなかったけれども、同じ役はいくつか演じていること。ジェレミーと同じように明るくて茶目っ気があって、友人が多く、亡くなるまで美しい容姿を持っていた俳優だったこと。ジェレミーと別れたことはとても辛いことだったけれども、ジェレミーへの友情をもちつづけ、ジェレミーがどういう人かをこころのこもった言葉で彼女に伝えたこと。そして"Gary Bond's significant others"でジェレミーの次に書かれている才能ある人形作家と共に暮らし、彼がGaryを看取ったこと。

私はGaryが好きになりました。それまで名前だけで真偽のほどもわからない男性のパートナーのことは、考えずに放っておいていましたが、今はジェレミーの人生における大切な人として、私のこころの中にも刻まれています。そして、人生のパートナーとしては自ら離れていったけれども、死ぬまで続く美しい関係を築いたジェレミーのこともますます好きになりました。彼女はこう書いています。情熱とロマンスは失われても、二人の友情は死ぬまで続き、お互いのことを深く気にかけていた、と。

そしてつい最近、ジェレミーはGaryを数回病院に見舞ったことを教えてもらいました。最後はジェレミーが亡くなる前の週で、その時すでにGaryの病はとても重かったそうです。二人はこの世での時がもう長くないことをお互いに知っていて、静かな時をすごしたのだろう、と書いてくれました。ジェレミーがこの世を去るとき、ジェレミーが愛し、大切に思った人たちの1人として、Garyのことが静かにこころの中を流れていったのだろうと思います。二人がこの世での最後の時に会ったことを知って、私は静かなよろこびに満たされました。

Gary Bondの写真です。クリックで少し大きくなります。1番目と2番目はジェレミーとパートナー関係にあった時です。1番目はとても成功したミュージカルをフィルムにおさめたもの、2番目はAffairs of the Heartというシリーズの中の一本で、ジェレミーもこのシリーズの"Grace"という作品に主演しています。
Courtesy of The Wonderful World of Gary Bond

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Joseph and the Amazing Technicolor Dreamcoat (1972)

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Affairs of the Heart: Milly (1975)

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After The War: Partners (1989)

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(1990s)

RM
3日前の9月12日に、イギリスのジェレミーファンがYouTubeに投稿した映像をご紹介します。
Diana Rigg Presents PBS Jeremy Brett Tribute Special
これはアメリカの公共放送サービス・PBSが放送した、ジェレミーの追悼番組です。

シャーロック・ホームズはアメリカではPBS制作の「Mystery!」という番組の中で放送されました。Diana Riggは1989年から2003年まで「Mystery!」の中で番組を紹介する役をつとめたイギリスの女優で、この追悼番組ではロンドンのOld Vic劇場で話しています。この番組にはホームズ以外にもジェレミーの写真や映像がつぎつぎと出てきます。

Hamlet (1961), War and Peace (1956), My Fair Lady (1964)など、映画や舞台の写真。そして一度目の結婚式の写真, 最愛の二度目の奥様Joanを右腕で、いかにもジェレミーらしくしっかりと抱きしめた写真など。スナップ写真は"For fans of Jeremy Brett"というフォーラムの中の、そのうちの写真1枚を先日も紹介した、Rare photos of JB from PBS tributeでもみることができます。映像もRebecca (1979), On Approval (1982), The Good Soldier (1981) など。RebeccaとOn ApprovalはYouTubeに全編あり、The Good SoldierはDVDになっています。On Approvalは大好きな喜劇なので、いつかご紹介したいと思っています。下はYouTubeの映像から、On Approvalで魅力的でかつ身勝手な(しかもそのことに自分では気づいていない)イギリス紳士を演じているジェレミーです。クリックしても大きくなりません。

On ApprovalOn Approval2

そしてもちろん、ホームズの映像もたくさんあります。

生年と没年を示す1935-1995というテロップが出ますが、ご存知の方も多いでしょうが、ジェレミーは本当は1933年生まれでした。追悼記事は見る限りすべて、1935生まれになっています。でも先日紹介した「When I Was a Child」ではジェレミーはちゃんと1933年生まれと言っています。ですから自分で1935年生まれだと言っていたわけではなく、プレス向けの書類でのみ1935年生まれとなっていたのでしょうか。

最後にDiana Riggが、ホームズのこの言葉は彼の墓碑銘にふさわしいと言った人がいる、でもホームズはジェレミーのためにもこの言葉を言ったのでしょう、と述べた後、「最後の事件」からホームズがワトスンに言った言葉を引用します。

"I think that I may go so far as to say that I have not lived wholly in vain. If my record were closed to-night I could still survey it with equanimity. The air of London is the sweeter for my presence."
(僕の生涯は必ずしも無益ではなかったと言ってもよいだろう。もしも僕の記録が今夜閉じられるとしても、僕は静かにそれを受け入れられる。僕がここで生きたことによってロンドンの空気は前よりも美しくなったと思うから。)


そして、Diana Riggは言います。悲しみの中で微笑んで。
"London, yes, and far beyond.” (ロンドン、そうです。そしてそのはるか向こうでも。)

そう、アメリカ、日本、たくさんの他の国でも。

RM
15年前の9月12日の朝、ジェレミーは眠りの内に静かにこの世を去りました。まず最初に、昨日英語圏のジェレミーファンのフォーラムに書き込まれた文章の一部を、次に15年前の新聞記事を紹介します。最後にEdward Hardwickeがジェレミーのことを語った言葉を記します。

ジェレミーはなんと多くの傷ついた人々を助け、慰め、励ましていることでしょう。この世を去ってからも。それはジェレミーがとても思いやりのある感受性のゆたかな人だからです。私たちはジェレミーの瞳をみつめるとき、輝くような笑みをみるとき、あの魅力的な声をきくとき、ジェレミーの内面を感じるのです。

私たちはみな、いわば機械なのだと言う人がいます。そして私たちは無から生まれ無に帰っていくと。でもジェレミーをみるとき、そんな説明はばかげていると思わずにはいられません。ジェレミーの愛情深い、輝く瞳の中にジェレミーの魂をみることができます。そして魂は決して失われることはないのです。」


このような文章を読むと、国の違いをこえて、なんと共通の想いをいだいているのだろう、と思います。ジェレミーを知って私が得たことの一つは、国や言葉をこえて、個人をこえて、ひとは想いを共有することができる、想いを伝えることができることを知ったということです。

次に紹介する1995年9月16日付けのカナダの新聞の記事は、ジェレミーが亡くなったことではじまり、途中でシャーロック・ホームズの魅力の解釈へとながれ、最後にジェレミーがホームズをどのようにとらえていたかを述べて終わりますが、最初だけ抜粋します。ジェレミーが亡くなった時のことを知らない私は、この日にどのようなことが起きたか、その一端を知って胸を打たれました。

「1891年にシャーロック・ホームズがスイスのライヘンバッハの滝に落ちて死んだと考えられた時、そのニュースは4日間たってロンドンの新聞の記事となった。そのホームズを演じた、もっとも記憶に残る俳優であるジェレミー・ブレットが今週ロンドンで亡くなった時、その知らせがここ、カナダの新聞の記事となるまでに3日間かかった。ブレットが亡くなった事は、The New York Timesでも私たちのこの新聞でも、木曜日まで印刷されることはなかったが、この知らせは火曜日(注、亡くなったのは9/12火曜日の朝。)の午後3時28分に、インターネットを通じて世界中をかけめぐった。そして最初のメッセージを受け取った人達、The Hounds of the Internetという名前のグループの人達は、1世紀前にロンドンっ子がしたと同じことをした。彼らは黒い喪章を腕につけて、悲しみをあらわしたのだ。

その後の3日間、電子メッセージが絶え間なく流れた。その中で、ブレットは来る新年にナイトの爵位を与えられる候補者の名簿に載っていたことが明らかにされた。また、彼の舞台での演技を観た人が、思い出を語った。英国の報道による死亡追悼記事をタイプして、インターネット上で伝えるものも多くいた。」

The Hounds of the Internetというのはシャーロッキアンのメーリング・リストで、当時と同様の形態かどうかは知りませんが、今もあるようです(http://www.sherlockian.net/hounds/)。今よりも国境をこえて情報が伝わるのが遅かった15年前、まず個人のレベルで、ジェレミーが亡くなったことが悲しみとともに伝わったのですね。そういう形で、ジェレミーは国をこえた人々をつなげたのですね。

でもジェレミーをしのぶ会で微笑みと感謝とが皆をつなげたことも、ここで思い出したいと思います。それで最後にEdwardがジェレミーのことを話している言葉も紹介します。先日紹介した「Mystery!: A Celebration」から、Edwardの言葉です。Edwardはジェレミーと一緒で楽しかったということを、ジェレミーをしのぶ会の時もふくめて、いつも話してくれます。

「ジェレミーを思い出す時はいつも、ジェレミーが笑っているのを思い出すでしょう。撮影現場はいつも愉快なことで一杯でした。ジェレミーが笑うとまわりにうつって、みんな一緒に笑いはじめるのです。ホームズとワトスンが一緒にやっていける一番の理由は、二人の間にユーモラスなことがたくさんあるということだ、と私たちは理解していました。」

RM
今から15年前の今日、ジェレミーはこの世を去りました。日本とイギリスの時差はありますが、今日の朝起きた時、少しいつもと違う気持ちでした。David Stuart Daviesの"Bending the Willow"の次の一節を読むといつも涙が出そうになって、でもこころの奥底がしーんと静かになります。そして眼を閉じて、静けさの中にとどまります。

The dancing finally stopped on Tuesday 12 September 1995, when Jeremy Brett died peacefully in his sleep. The moonlight will never be quite the same again.
(1995年9月12日の火曜日、ついにダンスのステップはとまった。ジェレミー・ブレットは眠りの内に静かにこの世を去った。月の光はもう決して同じではないだろう。)

ジェレミーが著者に語った、「ドイルのお嬢さんに『この十年間あなたのお父さんと共に、私は月の光のもとで踊っていたのです』と言ったことがあります。太陽のもとで、ではなく月の光をあびて。ホームズは暗い面をもった人間ですから。」という言葉によっています。

ジェレミーを愛する人たちがつどう英語圏のフォーラムでも、数日前に今日の日のことが話され、

A time to celebrate the man and his work, not to be sad.
(ジェレミーと、ジェレミーがなしとげたことを、ことほぐ日にしましょう、悲しむ日ではなく。)
という書き込みがありました。

私もそう思いました。悲しむ日ではなく、よろこぶ日にしたいと思います。

あなたと同じこの世に生まれて、生きることができて、よかった。
あなたと同じこの船に乗りあわせて、よかった。

RM
My Fair Lady (1964) のロンドン・プレミア(お披露目の試写会)の映像をYouTubeでみつけたのは、去年の9月でした。若い頃のジェレミーの写真はそれまでもみたことがありましたし、演技している映像作品もみることができましたが、演技をしていない、という意味で素顔のジェレミーの映像をみて、ああ、そこにいたのですね、と声をかけたくなったのを覚えています。(映像の現在の場所に関しては、いちばん下の「2014年9月追記」をお読みください)

My Fair Lady comes to town

YouTube映像から画像を3つ(クリックすると少し大きくなります)
My Fair Lady comes to town122My Fair Lady comes to town222My Fair Lady comes to town3

40秒くらいから、ジェレミーが女性をエスコートして会場へ入っていきます。この映像ではここでしかジェレミーをみることはできませんが、以下の2つはまとめる前の素材の映像らしく、ナレーションがはいっていませんが、もう少しジェレミーの姿をみることができます。

raw footage of My Fair Lady premiere, part 1
raw footage of My Fair Lady premiere, part 2

part 1の1分5秒 会場の入り口で。小さいですが。
part 1の2分30秒 並んで招待客を迎える途中の雑談でしょうか。
part 1の3分20秒 オードリー・ヘップバーンの右後ろに。
part 1の3分58秒 並んだ俳優達、画面の左端に小さく。
part 1の6分39秒 アップで。その少し後6分47秒から、および6分51秒からも横顔がみえます。
part 2の38秒 会場の入り口で。上記最終映像と同じ画面のカラーの映像です。

ジェレミーがエスコートしている女性の名前を、ナレーターが「Mrs. Tarn Stephens」と言っています。TarnとRobert Stephensはジェレミーのごく若い頃、マンチェスターの頃からの、そして終生の友人でした。ジェレミーはRobertとTarnの結婚式で、新郎の付添人をつとめています(写真、The Jeremy Brett Archiveより)。この映像をみながら、お金はないけれども夢は一杯だった時代を共にすごしたTarnを、ロンドン・プレミアに招待したジェレミーの気持ちを想像しました。

Robertはジェレミーが亡くなったちょうどふた月後(1995年11月12日)にこの世を去りました。Tarnはジェレミーの追悼式 (11月29日、St. Martin in the Fields Church)で、美しい詩を読んでいます。Robertとははやくに離婚していますが、この詩を読むとき、TarnはRobertとジェレミーのことを思っていたのでしょう。

Poem by Canon Henry Scott Holland

Death is nothing at all
I have only slipped into the next room
I am I and you are you
Whatever we were to each other we are still.
Wear no forced air of solemnity or sorrow
Laugh as we have always laughed
At the little jokes that we enjoyed together
Play, smile, think of me, pray for me
Let my name be ever the household word that it always was.
I am waiting for you, just around the corner.
All is well.

死は特別なことではありません。
私は静かに隣の部屋へ入っただけです。
私は私のまま、そしてあなたもあなたのまま。
私たちがお互いのことを感じていた、そのままなのです。
無理して厳粛にふるまったり、悲嘆に暮れたりしないでください。
ちょっとした冗談で、私たちがいつも楽しく笑ったように
どうぞ笑っていてください。
楽しんで、微笑んで、私のことを思って、私のために祈ってください。
いつもそうだったように、皆で私のことを話してください。
いつも待っています。私はすぐそこ、かどをまがったところにいます。
ああ、すべてはすばらしい。

この詩にあるように私たちは、そして世界中のジェレミーを愛する人は、ジェレミーが亡くなって15年がたとうとする今も、ジェレミーのことを話して、思っています。そして、こころのなかでジェレミーに話しかけています。

RM

出典(追悼式について):http://www.brettish.com/tbev2-01.html

2014年9月追記:
ここにアドレスを書いた3本のクリップは2007年からYouTubeにありましたが、ごく最近まではそこ以外ではみたことがありませんでした。

現在ではこの映像を持っている会社のウェブサイトで観ることができます。2007年のものよりきれいですし、こちらが公式の映像ということになります。
http://www.britishpathe.com/video/my-fair-lady-comes-to-town
http://www.britishpathe.com/video/selected-originals-my-fair-lady-comes-to-town
http://www.britishpathe.com/video/selected-originals-my-fair-lady-comes-to-town-1

またこの会社は自身のウェブサイトの広告のためにYouTubeにチャンネルを作っていますが、ここに今年の春にこの映像3本をアップロードしています。こちらも2007年のものよりきれいです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZimaKCuS7xg
https://www.youtube.com/watch?v=jC3wzEd2mI4
https://www.youtube.com/watch?v=RVUpHIo8sgg

追記2:ジェレミーがロバートとターンの結婚式でベストマンをつとめた時の写真を上で紹介しましたが、今ではもう少し画質のよいものが、上にあげたThe Jeremy Brett Archiveを受けついだサイトであるJeremy Brett Informationにあります。「Robert Stephens のベストマンをつとめた時の写真」参照。
ジェレミーが亡くなる前どんなだったかは、晩年を支えたLindaの本、電話でよく話していたEdwardの言葉、David Stuart Daviesによる雑誌のインタビュー記事や本などで知ることができます。今日ご紹介するのはそれ以外です。The Sherlock Holmes Gazette(以下SH Gazette、シャーロッキアンのための雑誌)の12号(1995年)にはジェレミーへのインタビューをまじえたDavid Stuart Daviesによる記事が載りましたが、13号はジェレミーの追悼特集号となってしまいました。その13号の、読者からの手紙の欄に載ったのがこの文章です。抜粋して引用します。

「Davidは記事の最後で、ジェレミーが不死鳥のようであることにふれ、彼がホームズを演じる以外の何か別のやりかたで私たちをもう一度感嘆させてくれるのではないか、と書いていましたね。その記事が活字になって数週間しかたたずにジェレミーは悲しいことに亡くなってしまって、多くの人がつよい衝撃を受けていることでしょう。それで私はSH Gazetteの編集者の皆さんが読者に、ジェレミーが勇気と気高いこころを持って、死と正面から向き合ったことを伝えたいと思っているのではないかと考えて、これを書きます。

ジェレミーは私に死の直前まで連絡をとってくれて、最後の手紙では大冒険(grand adventure)をはじめることについて書いていました。それはある意味では彼の最後の劇的な役であり、かつて彼の演技に感嘆させられた私は、今回も同じように圧倒されました。ジェレミーがみせた勇気とユーモアに、私は深い畏敬の念をおぼえました。

嘆き悲しむジェレミーのファンから手紙を何通かもらいました。私は彼の誕生日に、彼の思い出のためにイギリス心臓財団に寄付してはどうか、と伝えました。彼も喜ぶでしょう。どんなに体調が悪化しても、彼はいつも他のひとを助けるために手をさしのべていました。」


最初にこれを読んだ時、「grand adventure」という言葉は死を意味しているようにとれるけれども、私が読み間違えているのだろうか、と不安でした。あるいはジェレミーは死を予感していた、または死を望んでいた、とこの人は言っているのだろうか、と。それともあの体調でも新しい仕事ができるという希望をもっていて、それが大冒険なのだろうか、とも。

でも今ならわかる気がします。ジェレミーにとって、生きることはすばらしい冒険だった。特に最後の十年間は苦しいことも多かったけれども、人生の冒険を彼らしく生きた。でも、死からも逃げずに、勇気と真摯な心を持って向き合った。形ある世界から去ることは、ジェレミーにとってすべての終わりではなかった。最後まで勇敢に生きて、最後にすべてを手放して、静かにこの世界から去って行った。grand adventureをはじめるために…。

RM

追記:英語の原文をご覧になりたいかたは、以下のサイトで読むことができます
http://community.livejournal.com/jeremybrett/213436.html
ジェレミーの私信を2つ紹介します。一つは数ヶ月前にeBayに出品された手紙で、本当にジェレミーが書いたものだという証拠はありません。でものびやかなペンの運びと楽しげな文章をみると、ジェレミーが書いたように思えてきます。もう一つはThe Jeremy Brett - Linda Pritchard Storyに写真が載っていたもので、Lindaへの誕生日カードに添えられた文章です。

eBayに出品された手紙の訳です。
「フレイザー、今日という日も素晴らしくはじまったね。僕はコーヒーを2杯飲んで、月曜日が連れて来るものを、よろこんで待ち受ける準備ができているよ!君たちみんなのショーが成功するように祈っている。ジェレミー・ブレット」(「ショー」と訳したところは「番組」かもしれません。)私も少し元気のない月曜日の朝には、「I'm ready for what Monday will bring!」と自分に言ってみます。

手紙抜粋3

The Jeremy Brett - Linda Pritchard Storyで紹介されたLindaへの誕生日カードは、
「May wings of paradise touch you this day. Fly on....」(至福の翼が今日というこの日に君に触れますように。さあ、飛び続けて…。)日付は1995年7月4日。「1995」の最後の「5」が読みにくいのですが、私にはそう読めます。これが正しければジェレミーが亡くなる約2ヶ月前、ジェレミーの最愛のJoanが亡くなった1985年7月4日からちょうど10年目です。

wings of paradiseが触れる、という表現は詩的で美しいなあと思っていましたが、自分のなかでこの言葉のイメージを結べていませんでした。でも先日紹介した、ハワイでのジェレミーについて書いたアメリカのライターの文章を読んで、私の中にイメージが生まれました。「太陽に向かい両手を上にさしのべて、目を閉じて、目に見えるものをこえたすべてのものを抱きしめて、すべてとつながろうとしている」とライターが書いたジェレミー。そのときジェレミーの魂は形あるこの世界をこえて、wings of paradiseに触れていたのでしょう。そして亡くなる前、この世を去る時にも。

RM
ジェレミーは最後の夏をどのようにすごしただろうか、何を感じていたのかしら。日本の暑い夏の日に、ときどき思います。Jeremy Paulは、ロンドンの暑さでジェレミーはさらに呼吸がむずかしくなった、と雑誌Scarlet Streetの追悼号に書いていますから、暑い夏だったのでしょう。Linda Pritchardも本の中で、最期の日々、ジェレミーは朝起きると息を大きく吸って酸素をとりこまねばならなかった、と書いています。その中でThe Manic Depression Fellowship(躁鬱病協会)への寄付をつのり、躁鬱病(双極性障害)と気づいていない人も含めて、人々の躁鬱病に対する理解をうながすための番組の録音をしたのが、このウェブサイトのデータが正しければ、1995年8月23日です。そして録音した番組の放送が9月3日だったことは他でも読みましたが、この日は日曜日、先のウェブサイトによれば時間は朝の8:50-8:55だったそうです。

この録音をジェレミーファンがウェブ上できけるようになったのが2008年、Lindaが提供したものでした。1995年9月3日の朝、ジェレミーはこの番組を聴いたのでしょうか。Edward Hardwickeもフランスで偶然聴いていたと、シャーロッキアンの団体の小冊子The Ritualで書いています。この音源から、ジェレミーが電話番号を読み上げるところを除いて写真をそえたのがYouTubeにあるのはご存知でしょう。右耳は雑音のみですから、左耳だけできくことをおすすめします。

Edwardはジェレミーが亡くなる一週間前に電話で話した、息は辛そうだったけれども、気持ちは明るくて元気そうだったと言っています。Jeremy Paulも一週間前に話したそうです。ジェレミーのThe National Theatre時代からの仲間で友人Charles Kay(グラナダ・ホームズにも出ましたし、The Prodigal Daughter (1975 )でもジェレミーと共演しています)は、ジェレミーが亡くなる一日か二日前にジェレミーを家にたずねたそうだ、とA Study in CelluloidでMichael Coxは書いています。ほかにもたくさんの友人や家族がジェレミーと連絡をたもっていたのでしょう。ジェレミーは自分が愛したたくさんの人が、近くから遠くから自分のことを思っていることを感じながら、最後の夏をすごしたのでしょう。

ジェレミーは自分が長く生きられないことを知っていたようだ、とジェレミーが亡くなるまで親交があったシャーロッキアン、Jean UptonがThe Sherlock Holmes Gazetteの13号に書いています。そして、「With serenely casual humour, he stated, "I've had a good run, so I might as well go out with a bang."(おだやかで打ち解けたいつものユーモアで、『僕の連続公演はなかなかうまくいっているから、威勢良く舞台を去っていくのもいいと思うよ。』と言った)」とあります。そう言ったときのジェレミーの表情、声、姿と、ジェレミーの気持ちを想像しています。でもジェレミーは最期の日々、少なくとも直前まで、生きることをあきらめていたわけではないと思います。同じThe Sherlock Holmes Gazetteで、David Stuart Daviesがジェレミーの亡くなった1週間後のLindaの言葉として伝えています。最期の数週間、ジェレミーの呼吸の状態はとても悪かった。でもジェレミーはいつも困難に立ち向かう人だったから、あんなにはやく去ってしまうとは思わなかった、と。Lindaももう少しジェレミーの生が続くと思っていたのでしょう。そしてジェレミーも生きるつもりだったのでしょう、最期に静かにすべてを手放して、この世を去るまでは。

RM

追記:ジェレミーの言葉、"I've had a good run, so I might as well go out with a bang."をはじめは意訳のつもりで「僕はすばらしい人生をおくってきたんだから、見事に去っていくのもいいと思うよ。」としていましたが、「僕の連続公演はなかなかうまくいっているから、威勢良く舞台を去っていくのもいいと思うよ。」と変えました。元のニュアンスがちゃんと出ているといいのですが。

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