Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

前回に続いて、Marcus Tylor氏がジェレミーを撮った36枚の写真からなる写真集についてです。前回の記事を書いた後、本の中身の改訂にともない、リンク先がかわりました。以前のサイトからは本屋のフロントページに導かれるはずですので、ブックマークをしていらした方は、今回下記に記すサイトに新たにブックマークをしなおしてください。また一時的に本の中身が一部しかみられなくなりましたが、今は最初と同様に全ページをみることができます。つくづくMarcus Tylor氏は気前がよいなあと思います。購入方法についてもお伝えします。りえさんもこの本についてお書きになるそうですから、そちらも楽しみにしていてください。

本屋さんのサイトの、新たなアドレスです。
http://www.blurb.com/bookstore/detail/1613794


操作方法は前回と同じです。再度書きます。
矢印をクリックしてください。画像の右の矢印でも、下にあるバーの上の矢印でもどちらでもいいです。そうするとページが開きます。そのまま本の右端をクリックするか、バーの矢印をクリックすると、次々とページが開きます。またバーの右から2番目にカーソルをあわせると、「View Fullscreen」と出ますから、これをクリックするとフルスクリーンでみることができ、同じ場所をクリックすれば(またはキーボードのescを押せば)もとにもどります。バーの下の「a roll with Jeremy Brett by Marcus Tylor」をクリックすると、本屋さんのサイトへ飛びます。

購入方法です。イギリスポンドとアメリカドルの切り替えは、値段が書いてあるところのすぐ上にあります。これ以外にカナダドル、豪ドル、ユーロでの支払いも可能になっています。(2012年4月現在、切り替えの場所はページの右下にあります。)

購入には登録が必要です。本をカートに入れて「Checkout」を押して、必要事項を記入します。英語での住所の書き方など、おわかりにならなかったら、たとえばここが参考になるでしょう。
http://bicycle.kaigai-tuhan.com/basic/address.php
http://greenglass.blog56.fc2.com/blog-entry-190.html

その後、郵送方法を選び、クレジットカード情報かPaypalの情報を記入して、注文終了です。

プリントは少し高いと考えていらした方には、おすすめです(もっともあの後、プロの写真家の写真の値段を知って、Marcus Tylor氏の写真は格段に安いことがわかりましたが)。本という形で持つことができるのを魅力に感じる方も多いでしょう。私もそうです。

わからないことがありましたら、できる範囲でお手伝いします。個人情報を含まない形でコメント欄に書き込んでいただいて、必要に応じてメールでやりとりするというのではどうでしょうか(bending_the_willow アットマーク yahoo.co.jp)。

RM
"For fans of Jeremy Brett"のアーカイブを久しぶりにみていたら、写真をもう少し紹介したくなりました。「Various rare photos」(珍しいいろいろな写真)というタイトルで、確かにそういうしかない写真です。今は他のところでも見ることができますが。少なくとも2007年7月には。

http://community.livejournal.com/jeremybrett/97580.html

一番上は、記事がたたまれていた時に、これのみが見えるようにしたものですので、後から出てくる写真と重複していますから、2番目から。

・以前ご紹介した「When I was a Child」の記事中の写真2枚。
・Claphamの家のデスクで。これもたしか、記事中の写真だったと思います。このデスクは「ジェレミーの写真(若い頃の写真と、Claphamの家での写真)」でご紹介した、一番下の写真のデスクですね!壁の絵と、椅子の背中が同じです。デスクの上の小さな仏像がみえるでしょうか。瞑想の時にいつも近くにおいていた仏像だと思います(Jeremy Brett-Linda Pritchard Storyより)。ジェレミーの表情がちょっと気になりますが、多分ホームズの髪型をしているので、ホームズの表情なのではないでしょうか。
・以前「日時や状況がわかる写真」でご紹介したウェブサイト、Getty Imagesにもあったホームズの写真。これも記事に使われました。
・Hamlet (1961)
・Design for Living (1973) から7枚。Joanがこれをみてジェレミーを好きになった舞台です。
・As You Like It (1967) から5枚。全員男性が演じた舞台でした。
・The Changeling (1961) から。以前「写真雑誌「Life」のウェブサイト」で紹介したこの写真と同じ時の写真です。

Design for Livingに関する話題を記します。今現在(2010年9月)The Old Vic theatreで、David Burkeの息子、Tom Burkeがジェレミーと同じOttoを演じていて好評です。David Burkeがワトスン役をおりた理由の一つは、小さかったTomのそばにいてやりたかったということでした。ジェレミーがあるインタビューでそのいきさつを話しながら、「そのときTomは2歳でした、今はもっと大きくなっていますが」とTomの名前をあげながら微笑んでいたのを思い出します。ちなみに共演しているAndrew Scottは、現代に舞台をうつしたBBC制作のドラマ「Sherlock」でモリアーティを演じたそうです。それででしょう、舞台1日目の夜のパーティには、ホームズを演じたBenedict Cumberbatchも来ています(出典は1st Night Photos)。彼とTomのあいだで、ジェレミーの話題がでたかもしれないなあ、と想像しています。そしてジェレミーはこういうつながりをよろこんでいるのではないかなあ、と。

これがTomの名前をあげながら、にっこりするジェレミーです。クリックしても大きくなりません。このインタビューもいつかご紹介したいと思っています。http://www.youtube.com/watch?v=SigzLoepaJ0

Jeremy, Tom2

RM
ジェレミーの写真はウェブ上でたくさんみることができますが、個人のサイトの場合はアドレスを書くのがためらわれることもあって、公のサイトか、ファンのフォーラムに投稿されたものを紹介してきました。

今日の二つは、いつもご紹介するファンフォーラム"For fans of Jeremy Brett"の投稿記事です。ただそれぞれの写真はもともとは投稿者のサイトにあるので、投稿者がそちらを削除すると、投稿記事中の写真をダウンロードしたりみたりすることができなくなります。一つはClaphamの家でのジェレミー、もう一つは若い頃の写真が中心です。いずれも二回クリック(あるいは3回)で最も大きくなります。多くの個人サイトにもあるので、見た事があるというかたも多いでしょうが、備忘録もかねて紹介します。

http://community.livejournal.com/jeremybrett/76396.html
これはClaphamのフラットの中の写真3枚です。ソファがあるのは居間でしょうか、白い壁にたくさん絵がかかっているのが印象的です。ホームズをみても、額入りの絵が壁に多いなあと思っていましたが、壁が広いこともあって、それ以上です。額自体の色も含めて色使いの違う絵が多いようですが、気持ちよく部屋に調和しているように感じました。画家やイラストレーターだった、お兄様やDavidの作品もあるのでしょうか。ジェレミーの隣の観葉植物も、この部屋の古株のような懐かしい風情を感じます。

扉の入り口によりかかっている写真は、本棚がほどよくきれいで、ほどよく散らかっているのが、本好きの私にはうれしいです。ジェレミーの左上の額の中には、「Strand」、「Jeremy Brett」、「Hamlet」の文字がみえます。StrandはジェレミーがHamletを演じた劇場の名前です。手にもっているのは、水晶玉かガラス玉でしょうか。本棚にも似たものが置いてあります。この扉はずいぶん高さが低いのですね。頭がつきそうです。

コメント欄に書いてありましたが、写真を大きくして見ると、額にいれずに本棚にかざってある写真にはジェレミーとDavidがうつっていて、Davidはジェレミーの膝にすわっていて、二人で上の方をみあげています。

一番下の写真は書斎の一部でしょうか。壁の絵はこちらは同じ人の作品がシリーズで飾ってあるようです。

この家の調度を、Joanが亡くなった後に整えた時のジェレミーの気持ちを思ってみます(記事「息子の涙が彼を救った」参照)。

http://community.livejournal.com/jeremybrett/73288.html
こちらは若いときのものが多いです。私にわかる範囲で上から順に、写真の説明を書いています。括弧内の説明文はhttp://sassimaze.hn.vc/~smidden/picself.htmから。

・Anna Masseyの自伝にあった、Annaと結婚していた頃の写真、
・Robert StephensとTarn Bassetの結婚式の付添人をつとめた時の写真で、コメント欄によれば1956年4月、
・Annaとの結婚式(Wedding bells ring for Jeremy and Anna on 24 May 1958 at Highgate, London)、
・ジェレミーとAnnaとDavid2枚(Jeremy and Anna with 3-day-old David in 17 August 1959 at the Queen Charlottes hospital. Family fun, 2 years afterward, in their Chelsea home)、
・Mr. Binksと一緒が2枚、
・そして引っ越しでしょうか、写真の中にHamletの写真がみえます(Sorting through the fashionable, antique clutter of Jeremy's West London top-floor flat in 1962)。

その後は作品で、
・映画 The Very Edge (1962),
・舞台 Hamlet (1961),
・舞台 The Kitchen (1961),
・映画 War and Peace (1956),
・映画 My Fair Lady (1964)3枚,
・途中に新聞記事でみたことがあるスナップ写真1枚 (Jeremy in the 1970s),
・また作品にもどってテレビ番組 The Rivals (1970),
・テレビ番組 Supernatural (Mr. Nightingale) (1977),
・舞台 Rosmersholm (1973),
・その舞台裏で(Behind the scenes with the Greenwich Theatre cast in 13 December 1972 -- Joan Plowright (left), Robin Phillips, and Mia Farrow),
・テレビ番組 Sherlock Holmes (1984-1994)7枚,
・舞台 The Secret of Sherlock Holmes (1988-1989) 2枚,
・Linda PritchardとWyndham's Theatreの楽屋で,
・リハーサル風景,
・映画 Shameless (1995),
・スナップ写真。

下は「The Rivals (1970)」から。この作品がアメリカの「Classic Theatre」で1975年に放映された際の番組紹介の時に、ジェレミーはこの番組のプロデューサーのJoanとはじめて会った、とラジオ番組Desert Island Discs (1991) で話しています。その前の舞台 Design for Living (1973) で、Joanはジェレミーをみていますが、ジェレミーはそれを知りませんでした。写真はクリックしても大きくなりません。
The Rivals2

RM
今回は「Son's Tears Save Sherlock from Hell」(直訳すると「息子の涙がシャーロックを地獄から救った」)という記事から抜粋して引用します。以前も紹介したこのページにあります。上から14番目、クリックで大きくなります。出典はわかりませんが内容からして、1988年か1989年の記事でしょう。ジェレミーがまっすぐな気持ちで自分の病気について話しているのにこころ打たれます。

彼は精神科病棟で、すべての希望を失ってベッドにふせっていた。彼の息子、Davidが病室に入ってきて、彼をみて涙を流した。

ジェレミーは言った。「Davidの目が涙で一杯なのをみて、この病気をなおすために勇気をふりしぼることを心に決めたのです。自分がこんなにも愛している人を悲しませているのを見ることなどできませんでした。そして病気に打ち勝ったのです。」

彼は精神病院で2ヶ月をすごした。「患者が大声で叫び、自分自身を傷つけるようなことをしているのがきこえるのは、とても辛いことでした。息子が病室に会いに来てくれたのが、私にとっての転換点でした。Davidと会ったそのときに、何としてでもこの病気に勝つことを決心したのです。」

Davidは28歳、ジェレミーの最初の結婚で生まれた息子で、この結婚は1962年に離婚によって終わった。ジェレミーの二度目の妻、Joanはガンのために1985年に亡くなった。彼女の死と、シャーロックを演じる重圧から、ジェレミーは精神的な危機状態におちいった。

彼は言った「レストランでよく、知らない人も含めてすべてのテーブルにシャンパンを贈ったものです。だからある意味では私はその時、知り合いになりたい人の一人だったでしょうね!でも多くの時間、一人でお酒を飲んでいました。その時は何がおこっているか、自分ではわからなかったのですが、まわりの人にはわかっていました。その時の私の行動は普通ではなかったのです。その時私は、一人でいたかったのでした。」

今、精神の病にかかっている人の希望の象徴に自分がなっていることが、ジェレミーの支えになっている。ウエストエンドでロングランを続けている芝居に、多くの人がホームズに会うためにやってくる。「私をたずねて楽屋まで来てくれます。私が精神の病を経験していることを知っているからなのです。そのことについて話すことはせず、ただお互いを抱きしめるだけですが、この病を経験している私たちにとって、そうやって抱きしめあうことはすばらしい薬だと感じられるのです。」

「精神の病にかかっていることは、正気を失っている、ということではありません。病気の一つにすぎないのです。」

ジェレミーは毎夜、ステージでたくさんの花束を捧げられる。「歩く花売り屋台のような姿でステージを去ることがありますよ。」彼は笑った。「でも愛されているというのは、素晴らしいことです!」「私のことをシャーロックだと知っている人が通りで示してくれる愛情に助けられています。通りを歩いている人が呼び止めてくれて、ちょっと笑いあったりするんですよ。それはとても素晴らしいことなのです。」

精神的な危機におちいって以降はじめてClaphamの家にもどることは、彼にとって治療の一つだった。「妻のJoanのためにその家を買ったのですが、妻は住むことなく亡くなってしまいました」と彼は言った。「まだ家具もととのえていなかったのです。そして多くの人から、あの家にもどるべきではない、と言われました。でももどらねばならないことを自分で知っていました。そして目をそらさず、思い出を少しずつみることができるようにしなければならないことを。私のかかえている問題と恐れに向き合う自分なりの方法だったのです。」

ジェレミーはかつてJoanがいた場所を、もう誰も占めることはないだろうと言う。そのかわりに彼は次のチャレンジを楽しみにしている。シャーロック・ホームズの上演でイギリス中をまわり、そのあと日本と中国に行くことを。それからテレビで放送されるシャーロック・ホームズの6つの作品にとりかかることになる。「でも一番のチャレンジは、その日その日をきちんと終えることだと思いますよ。」彼はにっこり笑った。「一緒にすごすには、このシャーロックはなかなか大変な人物ですからね。」


いつも驚くのは、ジェレミーの率直さと、まわりの人の悲しみも愛情も、つよく感じる感受性のするどさ、ゆたかさです。そしてインタビュー中でユーモアを忘れないところも。また、楽屋で、おそらくはこころに傷を負った人と、ただ抱き合う(hug)、ということは別のインタビューでも話していました。それとまた別のインタビューだったと思いますが、ジェレミーが病のために入院した後の退院時に、グラナダスタジオの女性のスタッフが電話をかけてくれて、何かできることはないか、と尋ねた。ここに来てほしいと頼み、しばらくただ抱き合っていた、と言っています。ジェレミーを思う時、その愛情の深さの象徴のように私がイメージするのは、この強い抱擁です。そしてジェレミーが精神的に危機的な状況にある時、抱きしめあうことがジェレミーをなぐさめてくれたことを思うと、この形ある世界をこえたものを信じていても、Joanを失ったあとの、愛する人にふれて、話して、抱きしめることができない悲しさは、ジェレミーにとってあまりに大きかったのだろうと思います。

インタビュー中で、日本と中国へ、と言ってくれているだけでもうれしいです。

Davidの涙をみたときに、なんとかしなければ、と思って力をふりしぼって病とたたかった、という話はこれより少し後におこなわれたと思われるBBCのラジオ番組でもしていて、ジェレミーの声の調子には、きくたびに胸がしめつけられます。いつかご紹介します。

下はこの記事についていた写真です。クリックしても大きくなりません。

Sons Tears,jpg

RM
写真家のMarcus Tylor氏から、写真集出版のお知らせをいただきました。りえさんのところにももちろん届いたそうです。りえさんのブログでもご紹介があると思いますが、りえさんはまだお忙しくていらっしゃるので、こちらでもご紹介します。

Marcus Tylor氏が Wyndham's Theatreの楽屋でジェレミーを撮った36枚の写真については、ここに来てくださる皆様はりえさんのブログですでにご存知だと思います。下がりえさんの記事へのリンクです。

ジェレミーを撮った写真家 Marcus Tylor
Marcus Tylor氏の写真セット
写真家マーカスとのおしゃべり

20余年を経て、この写真がはじめて写真集として出版されました。



追記:アドレスがかわりました。新しい方へのリンクを貼りました。画面の操作方法はかわりません(2010年9月27日)。

矢印をクリックしてください。画像の右の矢印でも、下にあるバーの上の矢印でもどちらでもいいです。そうするとページが開きます。そのまま本の右端をクリックするか、バーの矢印をクリックすると、次々とページが開きます。またバーの右から2番目にカーソルをあわせると、「View Fullscreen」と出ますから、これをクリックするとフルスクリーンでみることができ、同じ場所をクリックすれば(またはキーボードのescを押せば)もとにもどります。バーの下の「a roll with Jeremy Brett by Marcus Tylor」をクリックすると、本屋さんのサイトへ飛びます。

Marcusの当時の想い出を記した文章もはいっていて、日記をみながら思い出して書いたそうです。購入方法についてはまたあらためて記します。

Marcusからご連絡をいただくのは、あのプリントを買ったとき以来だったので、うれしくなりました。そしてプリントはとても素敵なのですが持ち歩けないので、本の形で手元に置けるのはまたうれしい、と思いました(私は特に「本」という形が大好きなのです)。そして、Marcusの想い出を読むのがとても楽しみです。

RM
シェークスピアの「トロイラスとクレシダ」のオーディオブックから、ジェレミーが出演する部分のハイライトをいくつかあげるうちの2回目です。1回目はこちらにあります。全体をダウンロードできる「Internet Archive」のサイトについても、1回目をごらんください。

悲劇にも喜劇にも分類され、問題劇という新しい分類法で区分けされることもある、という複雑な内容を持つこの劇は、現代的なテーマを多く持つことからさまざまな解釈と演出をさそうようで、ジェレミーが1956-57 年に劇場で演じたときの演出は、舞台装置や雰囲気を本来の古代ギリシャから、第一次世界大戦前のヨーロッパ、1912年頃にうつしたものだったそうです。The Jeremy Brett Archiveにあるジェレミーの写真の衣装をご覧ください。

この時の演出家は、これより以前に、舌癒着による発音障害があったジェレミーにThe Central School of Speech and Dramaに行くようにすすめたTyrone Guthrieです。(出典:The Armchair Detective, vol.18, No.4)

「僕は自分を大きくみせようとして兄のコートをきて、有名な舞台演出家のTyrone Guthrieに会いに行き、『R』の音が出ないままで、『僕は俳優になりたいんです(I want to be an actor vewy vewy much) 』と言ったのです。彼はこの馬鹿な若者に困惑して、せりふのない役につくか、そうでなかったらCentral Schoolへ行って『R』の発音をどうにかしなさい、と言いました。それで僕はSchoolへ行き、10年ほど後ブロードウェイで彼の演出の元にトロイラスを演じました。トロイラス!(訳注:トロイラスには『R』の発音が含まれる)」

Tyrone Guthrieに会いに行ったのはCentral School入学前、舌の手術前ですから17歳より以前です。また、この芝居がジェレミーのブロードウェイデビューになったのですが、そのことについてはまたあらためて紹介します。

今回の箇所は前回の独白部よりも少し前、パンダラスの台詞からはじまり、それをさえぎってトロイラスがパンダラスに向かって言う箇所で、取り持ち役のパンダラスに対するいらだちと、クレシダへの恋心がからみあっています。下のリンクをクリックすると別ウィンドウが開いて、声が流れます。

mp3, 38秒

PANDARUS. I will not dispraise your sister Cassandra's wit; but-
TROILUS. O Pandarus! I tell thee, Pandarus-
When I do tell thee there my hopes lie drown'd,
Reply not in how many fathoms deep
They lie indrench'd. I tell thee I am mad
In Cressid's love. Thou answer'st 'She is fair'-
Pourest in the open ulcer of my heart-
Her eyes, her hair, her cheek, her gait, her voice,
Handlest in thy discourse. O, that her hand,
In whose comparison all whites are ink
Writing their own reproach; to whose soft seizure
The cygnet's down is harsh, and spirit of sense
Hard as the palm of ploughman!

耳に残る7,8行目は、
「おまえは私のこころの傷口に、あの人の目や髪や頬や歩きぶりや声を注ぎ込もうとする」。
テンポよくたたみかける台詞に、若さが持つ一途さと、他がみえなくなる危うさがよくあらわれていると思います。そして前回もそうでしたが、若々しくてニュアンスに富んでいて、情熱的で音楽的なところに魅了されます。二十代後半のジェレミーです。

小田島雄志訳を少し書きかえて、トロイラスの台詞を下に訳します。

ああ、パンダラス!話をきけと言っているのだ、パンダラス、
私の望みが溺れ死にしそうだと言っているのに、
「海底深く沈んでいますな」などと答えるな。
私はクレシダに恋こがれていると言っているのだ。
それなのにおまえは、「彼女はきれいでしょう」などと
よけいなおしゃべりで私のこころの傷口に、
あの人の目や髪や頬や歩きぶりや声を注ぎ込もうとする。
ああ、あの手、あの手にくられべれば
どんな白いものも墨だ。
おのれの黒さを書き記すしかない。そっと握られれば
白鳥の雛の柔毛さえざらざらと感じ、鋭敏な触覚さえ
農夫の手のひらのようにごつごつしたものに思われる、

RM
「BAFTA 4 JB」というのは、ジェレミーにBAFTA賞を、という活動をしているグループの名称です。「4」は「for」ですね。このグループのウェブサイトにはジェレミーのフォトギャラリーがあって、あるかたにそれをご紹介したら喜んでくださったので(ありがとうございます!)、こちらでも紹介します。ギャラリーの場所はここです

スライドショーになっていて、次々と写真がかわりますが、止めたい場合は右下の「SL」を押します。その場合、次の写真をみるためには、写真にカーソルをあわせてください。矢印が出ますので、これをクリックすると次の写真にかわります。右下の「SL」を再度クリックすると、スライドショーが再開されます。

また右下の「FS」をクリックすると、フルスクリーンでみることができます。キーボードのescを押すと、フルスクリーンモードは解除されます。右上の「i」を押すと、それぞれの写真の情報もみることができます。

年代順に並んでいること、何年の何という番組(舞台)で、どのテレビ局(劇場)の作品か、という情報がきちんと書いてあること、ホームズ以外の写真が充実していること、が特筆すべきことです。残念なのは画像を自分のコンピュータにダウンロードできないことです。ダウンロードできるサイトは、特に個人のサイトでは他にたくさんありますから、差し障りがない範囲で、おいおいご紹介しましょう。

このグループのFacebookにもアルバムがあり、少ないですが舞台での写真をみることができます。クリックで大きくなり、画像を自分のコンピュータにもらってくることもできます。ただしロゴが入っています。

署名がまだのかたで、「ジェレミーにBAFTA賞を!」という活動に賛同してくださるかたは、「BAFTA賞追贈のための請願(署名方法)」もどうぞお読みください。

RM
3日前の9月12日に、イギリスのジェレミーファンがYouTubeに投稿した映像をご紹介します。
Diana Rigg Presents PBS Jeremy Brett Tribute Special
これはアメリカの公共放送サービス・PBSが放送した、ジェレミーの追悼番組です。

シャーロック・ホームズはアメリカではPBS制作の「Mystery!」という番組の中で放送されました。Diana Riggは1989年から2003年まで「Mystery!」の中で番組を紹介する役をつとめたイギリスの女優で、この追悼番組ではロンドンのOld Vic劇場で話しています。この番組にはホームズ以外にもジェレミーの写真や映像がつぎつぎと出てきます。

Hamlet (1961), War and Peace (1956), My Fair Lady (1964)など、映画や舞台の写真。そして一度目の結婚式の写真, 最愛の二度目の奥様Joanを右腕で、いかにもジェレミーらしくしっかりと抱きしめた写真など。スナップ写真は"For fans of Jeremy Brett"というフォーラムの中の、そのうちの写真1枚を先日も紹介した、Rare photos of JB from PBS tributeでもみることができます。映像もRebecca (1979), On Approval (1982), The Good Soldier (1981) など。RebeccaとOn ApprovalはYouTubeに全編あり、The Good SoldierはDVDになっています。On Approvalは大好きな喜劇なので、いつかご紹介したいと思っています。下はYouTubeの映像から、On Approvalで魅力的でかつ身勝手な(しかもそのことに自分では気づいていない)イギリス紳士を演じているジェレミーです。クリックしても大きくなりません。

On ApprovalOn Approval2

そしてもちろん、ホームズの映像もたくさんあります。

生年と没年を示す1935-1995というテロップが出ますが、ご存知の方も多いでしょうが、ジェレミーは本当は1933年生まれでした。追悼記事は見る限りすべて、1935生まれになっています。でも先日紹介した「When I Was a Child」ではジェレミーはちゃんと1933年生まれと言っています。ですから自分で1935年生まれだと言っていたわけではなく、プレス向けの書類でのみ1935年生まれとなっていたのでしょうか。

最後にDiana Riggが、ホームズのこの言葉は彼の墓碑銘にふさわしいと言った人がいる、でもホームズはジェレミーのためにもこの言葉を言ったのでしょう、と述べた後、「最後の事件」からホームズがワトスンに言った言葉を引用します。

"I think that I may go so far as to say that I have not lived wholly in vain. If my record were closed to-night I could still survey it with equanimity. The air of London is the sweeter for my presence."
(僕の生涯は必ずしも無益ではなかったと言ってもよいだろう。もしも僕の記録が今夜閉じられるとしても、僕は静かにそれを受け入れられる。僕がここで生きたことによってロンドンの空気は前よりも美しくなったと思うから。)


そして、Diana Riggは言います。悲しみの中で微笑んで。
"London, yes, and far beyond.” (ロンドン、そうです。そしてそのはるか向こうでも。)

そう、アメリカ、日本、たくさんの他の国でも。

RM
15年前の9月12日の朝、ジェレミーは眠りの内に静かにこの世を去りました。まず最初に、昨日英語圏のジェレミーファンのフォーラムに書き込まれた文章の一部を、次に15年前の新聞記事を紹介します。最後にEdward Hardwickeがジェレミーのことを語った言葉を記します。

ジェレミーはなんと多くの傷ついた人々を助け、慰め、励ましていることでしょう。この世を去ってからも。それはジェレミーがとても思いやりのある感受性のゆたかな人だからです。私たちはジェレミーの瞳をみつめるとき、輝くような笑みをみるとき、あの魅力的な声をきくとき、ジェレミーの内面を感じるのです。

私たちはみな、いわば機械なのだと言う人がいます。そして私たちは無から生まれ無に帰っていくと。でもジェレミーをみるとき、そんな説明はばかげていると思わずにはいられません。ジェレミーの愛情深い、輝く瞳の中にジェレミーの魂をみることができます。そして魂は決して失われることはないのです。」


このような文章を読むと、国の違いをこえて、なんと共通の想いをいだいているのだろう、と思います。ジェレミーを知って私が得たことの一つは、国や言葉をこえて、個人をこえて、ひとは想いを共有することができる、想いを伝えることができることを知ったということです。

次に紹介する1995年9月16日付けのカナダの新聞の記事は、ジェレミーが亡くなったことではじまり、途中でシャーロック・ホームズの魅力の解釈へとながれ、最後にジェレミーがホームズをどのようにとらえていたかを述べて終わりますが、最初だけ抜粋します。ジェレミーが亡くなった時のことを知らない私は、この日にどのようなことが起きたか、その一端を知って胸を打たれました。

「1891年にシャーロック・ホームズがスイスのライヘンバッハの滝に落ちて死んだと考えられた時、そのニュースは4日間たってロンドンの新聞の記事となった。そのホームズを演じた、もっとも記憶に残る俳優であるジェレミー・ブレットが今週ロンドンで亡くなった時、その知らせがここ、カナダの新聞の記事となるまでに3日間かかった。ブレットが亡くなった事は、The New York Timesでも私たちのこの新聞でも、木曜日まで印刷されることはなかったが、この知らせは火曜日(注、亡くなったのは9/12火曜日の朝。)の午後3時28分に、インターネットを通じて世界中をかけめぐった。そして最初のメッセージを受け取った人達、The Hounds of the Internetという名前のグループの人達は、1世紀前にロンドンっ子がしたと同じことをした。彼らは黒い喪章を腕につけて、悲しみをあらわしたのだ。

その後の3日間、電子メッセージが絶え間なく流れた。その中で、ブレットは来る新年にナイトの爵位を与えられる候補者の名簿に載っていたことが明らかにされた。また、彼の舞台での演技を観た人が、思い出を語った。英国の報道による死亡追悼記事をタイプして、インターネット上で伝えるものも多くいた。」

The Hounds of the Internetというのはシャーロッキアンのメーリング・リストで、当時と同様の形態かどうかは知りませんが、今もあるようです(http://www.sherlockian.net/hounds/)。今よりも国境をこえて情報が伝わるのが遅かった15年前、まず個人のレベルで、ジェレミーが亡くなったことが悲しみとともに伝わったのですね。そういう形で、ジェレミーは国をこえた人々をつなげたのですね。

でもジェレミーをしのぶ会で微笑みと感謝とが皆をつなげたことも、ここで思い出したいと思います。それで最後にEdwardがジェレミーのことを話している言葉も紹介します。先日紹介した「Mystery!: A Celebration」から、Edwardの言葉です。Edwardはジェレミーと一緒で楽しかったということを、ジェレミーをしのぶ会の時もふくめて、いつも話してくれます。

「ジェレミーを思い出す時はいつも、ジェレミーが笑っているのを思い出すでしょう。撮影現場はいつも愉快なことで一杯でした。ジェレミーが笑うとまわりにうつって、みんな一緒に笑いはじめるのです。ホームズとワトスンが一緒にやっていける一番の理由は、二人の間にユーモラスなことがたくさんあるということだ、と私たちは理解していました。」

RM
今から15年前の今日、ジェレミーはこの世を去りました。日本とイギリスの時差はありますが、今日の朝起きた時、少しいつもと違う気持ちでした。David Stuart Daviesの"Bending the Willow"の次の一節を読むといつも涙が出そうになって、でもこころの奥底がしーんと静かになります。そして眼を閉じて、静けさの中にとどまります。

The dancing finally stopped on Tuesday 12 September 1995, when Jeremy Brett died peacefully in his sleep. The moonlight will never be quite the same again.
(1995年9月12日の火曜日、ついにダンスのステップはとまった。ジェレミー・ブレットは眠りの内に静かにこの世を去った。月の光はもう決して同じではないだろう。)

ジェレミーが著者に語った、「ドイルのお嬢さんに『この十年間あなたのお父さんと共に、私は月の光のもとで踊っていたのです』と言ったことがあります。太陽のもとで、ではなく月の光をあびて。ホームズは暗い面をもった人間ですから。」という言葉によっています。

ジェレミーを愛する人たちがつどう英語圏のフォーラムでも、数日前に今日の日のことが話され、

A time to celebrate the man and his work, not to be sad.
(ジェレミーと、ジェレミーがなしとげたことを、ことほぐ日にしましょう、悲しむ日ではなく。)
という書き込みがありました。

私もそう思いました。悲しむ日ではなく、よろこぶ日にしたいと思います。

あなたと同じこの世に生まれて、生きることができて、よかった。
あなたと同じこの船に乗りあわせて、よかった。

RM
ジェレミーがレジオン・ドヌール勲章を受けることについてマンチェスターで打診され、喜んで承諾した、ということを私がはじめて知ったのは、ここで先日もご紹介したジェレミー・ファンのフォーラムの、2008年3月の投稿記事からでした(「Photo from 1994」と「More photos」)。ここにも、ジェレミーがレジオン・ドヌール勲章を受けることを承諾した時の写真が何枚かあります。

前者の投稿につけられた説明は「これは1994年、マンチェスターでの写真だそうです。」これに対して右の男性は誰かとの質問が出て、再度投稿された後者につけられた説明は「この写真はティエリ・サン・ジョアニが私に送ってくれたものです。もっともすばらしいホームズを演じた俳優として、レジオン・ドヌール勲章を授与されることを承諾するか、ここイギリスでジェレミーに尋ねているところです。ジェレミーは承諾しました。でも彼は亡くなってしまったので、記章を受けとることができなかったのです...。」この投稿には、出典は書いてありませんが、新聞か雑誌の記事もついています。

このフォーラムの参加者もはじめて知ったようでしたし、もちろん私もそうでした。そして、この時マンチェスターに来て、「レジオン・ドヌール勲章を受けることを承諾してくださいますか」とジェレミーに尋ねたティエリ・サン・ジョアニが、ジェレミーにBAFTA賞をという運動に今回支持を申し出た、というわけです。

支持の手紙には、レジオン・ドヌール勲章の記章の授与が間に合わなかったということは書いてありませんが、別のウェブサイトにも、ジェレミーの死によって実現しなかった、という記事があるのをみつけました。確認したところ、残念ながらメダルの授与は間に合わなかったそうです。でも実際の授勲は間に合わなかったとしても、マンチェスターで、ジェレミーが愛したグラナダスタジオの人達もおそらく多くいた席で、勲章を受けることを承諾するか打診を受け、ジェレミーが喜んで承諾したことはとてもうれしいことだと思いました。ジェレミーは勲章そのものよりも、皆の気持ちがうれしかったはずです。それで、ジェレミーを愛するかたにこのことをぜひおしらせしたいと思っていました。

次回は上記フォーラムに投稿された、当時の記事の内容を紹介します。

RM

 RM

Author: RM
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