Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

The British Libraryのウェブサイトのカタログで、ジェレミーが関係していて、今まで私が知らなかったLPがあるらしいことに気づきました。どうもイギリスの古楽(一般に中世、ルネサンス期、およびバロック期のヨーロッパの音楽を総称して古楽と呼びます)の作品集にジェレミーが詩を読む形で参加しているようです。調べるとこれは1969年にLPとして発売され、1998年にCDとして再販された「I Love, Alas - Elizabethan Life in Music, Song and Poetry(エリザベス王朝時代の音楽と詩)」という作品集で、ジェレミーはShakespeareより少し前のSir Philip Sidneyという人の詩を6編、読んでいることがわかりました。録音されたのは発売年からいって、多分The National Theatre時代(30代半ば)でしょう。このCDは私がよく参考にするウェブサイトである「The Jeremy Brett Archive」にものっていませんでしたので、参考までにご紹介します。

このCDは今は絶版ですが、私は古楽が好きで当地で行われる古楽祭の演奏会には毎年かかさず行っていることもあって、是非聴いてみたいと思いました。英米日いずれのアマゾンでもJeremy Brettで検索してもヒットしないのですが、イギリスのアマゾンを「I Love, Alas」で検索した結果のCDのうちで
I Love, Alas - Elizabethan Life  by Various Composers (Audio CD - 1998)
と書かれたものがそうらしいとわかりました。

購入したところ、確かにジェレミーが詩を朗読していました。イギリスのアマゾンに現在まだ中古のCDが2枚あります。
http://www.amazon.co.uk/I-Love-Alas-Elizabethan-Life/dp/B0000268LC
日本のアマゾンでも、現在中古2枚がマーケットプレイスにあります。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0000268LC
ドイツ、フランスのアマゾンにもありますが、アメリカのアマゾンでは、このCDは取り扱われていません。

ジェレミーの詩の朗読以外はポリフォニー(多声音楽)とリュートで、詩はそれぞれが1分に満たないくらいですが、ジェレミーの声は情感に満ちていてすごく素敵です。CDケースのおもてには朗読者のジェレミーの名前が書かれていないので、CDのカタログでJeremy Brettでは検索できないようになっていたのかもしれません。リュート奏者も有名な人のようですが、こちらも裏に小さく名前がありますが、おもてにはありません。

古い英語であることと詩であることが重なって、単語の意味はわかっても文章の構造もふくめて理解するのはむずかしいのですが、いつかわかるようになりたいと思っています。たとえば最初の詩の最初の部分は以下のとおりです。

Loved I am, and yet complain of love :
As loving not, accused, in love I die.
When pity most I crave, I cruel prove :
Still seeking love, love found, as much I fly.

詩の原文はウェブ上でみつけることができます。朗読に際して短くしたところ、少し変更したところもみつかります。耳できいて心地よいリズムになるようにしたところもあるようで、興味深いです。音はとてもよいです。40年前の声が今ここにいるようにきこえてきた時は、胸がいっぱいになりました。不在の悲しみ、という言葉が浮かびました。

絶版のCDですので、ほんの一部をここでおきかせてしても問題にはならないのではないかと思って、ご紹介します。下のリンクをクリックすると上であげた部分を朗読しているジェレミーの声が流れます。CDより音質は少し落ちています。

Loved I am, 17秒

このCDについて書かれたページです。
http://www.medieval.org/emfaq/cds/blt61699.htm
http://a-babe.plala.jp/~wilbye/ilovealasj.html
後者は日本人で古楽が好きで自分でも歌う人が、自分一人でポリフォニー(多声音楽)の歌を多重録音しています(CDに含まれる全部ではなく、元のLPのA面のみです)。ジェレミーが朗読した詩の部分も自分で読んでいます。私は古楽は好きですが聴くだけなので、こういう楽しみ方は素敵だなあと思います。短い説明の最後にジェレミーの名前もあげているところがうれしいです。

RM

追記: CDの情報がアマゾンにはちゃんと書かれていないので、届いてみたら、私が受け取ったものとは違うCDだった、ということがおこる可能性はゼロではないかもしれません。購入なさる場合はどうぞそれをご承知おきください。
今回は1994年3月19-25日号のRadio Timesという雑誌に載ったインタビューの中から、若い頃のジェレミー、そしてホームズ撮影中のジェレミーにとって、ミッドランドホテルがどういう場所だったかを語っている言葉を紹介します。最終話の「ボール箱」のイギリスでの放映の日にちは「Television Sherlock Holmes」には記載がありませんが、これを日本で翻訳した「NHKテレビ版シャーロック・ホームズの冒険」によればこの年の4月11日ですから、インタビューは最後の作品が放映される前ということになります。でももう撮影はすんでいたのではないでしょうか。(追記参照)ジェレミーは自分が演じるホームズは今放映中のシリーズで最後だと言っていて、実際にそうなってしまいました。ちなみに最後の放映日の前日の4月10日は、フランス・シャーロック・ホームズ協会のティエリ・サン・ジョアニ氏の記録が正しければ、ベーカー街のセットでパーティが行われ、ジェレミーがレジオン・ドヌール勲章を授与されることがわかった日で、この時の模様はテレビで放映されたそうです。この頃ジェレミーは入院していて、入院先を出てパーティに参加したそうです。

このインタビューでは以前の入院の後の退院時のことも話していて、これについてはこの記事の最後で少し触れました。とても心に残る部分です。それはあらためて紹介することにします。

ジェレミーがミッドランドホテルのレストランに入ってくるところから、記事ははじまります。インタビューアとの少しのやりとりの後の部分から、抜粋して紹介します。

「ああ、my angel」ジェレミーはウェイトレスに話しかけた。「darling、僕が欲しいのはね、チーズを少しのせたジャガイモだよ。そして一番搾りのオリーブオイルもね。」ジェレミーは今はホリデイ・インに姿をかえた、かつての高級ホテルを見渡して、ため息をつきながら言った。「親友のロバート・スティーブンスと私は、俳優になってすぐの頃、その窓に鼻をおしつけて、いつかここに泊まるような俳優になろう、と言い合ったものです。だから私はいま夢の中で生きているようなものなのです。この地は、多くの人と出会って人生について論じ合い、才能を高め合った、俳優のゆりかごのようなところでした。すばらしいゆりかご、でもいつでも活発で、ほこりが舞い上がっているような。やあ、my darling、元気だった?」もう1人のウェイトレスに話しかけながら、持ってきたパンを断った。「私は大好きな人たちに囲まれて、だんだん元気になっていますよ。北の方の人たちは、一度その人のことをみとめれば、南の方の人たちよりもずっと心を開いてくれると言ってもよいのです。私たちはちょっと気取った話し方をするでしょう。最初は私のことを、仕事を横取りするいやなやつと思ったかもしれないけれども、いったん受け入れてくれると、みんな本当にあたたかいのです。あまりにはやくここに戻ってこなければならなかった時も、彼らと共にいることで精神的に救われました。ここにいると家に帰ってきたような気がします。」

この頃、このホテルは経営母体が代わり、一時はthe Holiday Inn Crowne Plaza Midland Hotelと名前をかえていたようです。このインタビューで「ホリデイ・インに姿をかえた」と言っているのはそのためだと思います。

ジェレミーはウェイトレスとも仲良しだったのですね。「my angel」とか「my darling」とか呼びかけられたら素敵ですね。ジェレミーにとって、撮影時にこのホテルに缶詰になって、結果的にJoanの最期の日々となってしまった時間を一緒にすごせなかったのは、大きな悔いとなりました。でも一方で、ジェレミーにとってこのホテルは、若い頃もホームズの頃も、特別な意味を持つ場所、我が家のような場所であったことを知って、うれしく思いました。

今回の記事のファイルは、「For fans of Jeremy Brett」のこのページにあります。記事のタイトルは" I need to look in the mirror to see what I'm actually like." (自分がどんな人間か、鏡を眺めてみなければ)。

今日ははじめて、kwoutという「Webページの一部を画像化して切り取り、引用できる」ツールを使ってみます。画像をクリックすると上でリンク先を紹介した記事のページにとびます。この画像もリンク先にあり、おそらく同じ記事に使われたものだと思います。


RM

追記:Bending the Willowによれば、最後の作品の読み合わせが暮れに、撮影は1月におこなわれたようです。ですからこれは最後の撮影の時のインタビューなのだと思います。
(署名場所の変更にともない、リンク等を修正しました。2010年11月7日)
「ジェレミーにBAFTA賞を!」という活動がはじまって、約半年がたちました。現在3000名を越える署名が集まっています。最近ではジェレミーを愛する日本の方の署名もみることができて、とてもうれしいです。ここにおいでの方も署名をしてくださっているかもしれません。国をこえたゆるやかなつながりの中にいられることを、うれしく感じています。

今日は、署名をお願いする文書の日本語訳をご紹介します。なお、署名してくださるかたは、こちらに署名方法を書いていますので、どうぞご覧ください。英語が得意でなくても大丈夫だと思います。署名簿をご覧になれば、世界中のさまざま国の人がジェレミーを愛していることを実感できると思います。最近50名の署名者の国名をあげると、アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ウクライナ、ロシア、ポーランド、インド、セルビア、ドイツ、アイルランド、日本、アイスランド、スペインと、14カ国にものぼります。

ジェレミーはたくさんの人々のこころの中で生き続けています。皆がそれぞれにジェレミーを愛しているというのも、とてもすてきなことですけれども、こうして「ジェレミーにBAFTA賞を!」という活動を通じて、ゆるやかなつながりの中にいるのもまた、すてきなことだと思うのです。そして、まだジェレミーを知らない人も、この活動の成功によってジェレミー・ブレットという俳優に注目するようになってくれたら、こんなにうれしいことはありません。

今署名簿を見たら、ジェレミーの俳優仲間が署名をしていて、素敵なメッセージも書かれていました。後日ご紹介しようと思います。

以下が署名をお願いする文書の和訳です。

 「BAFTA 4 JB」は国境を越えたメンバーが協力して活動しているグループです。私たちは、人々に深く愛されたイギリスの俳優で1995年9月にこの世を去ったジェレミー・ブレットが、彼の41年におよぶ舞台・テレビ・映画での演技によって当然与えられるべき栄誉を今こそ手にすることができるようにと願って活動しています。私たちはジェレミー・ブレットにBAFTA(英国映画テレビ芸術アカデミー)賞を追贈(故人に授与)してほしい、とBAFTAに請願するための署名を集めています。この活動をはじめてから3週間の内に、500以上の署名が世界中から集まりました。このことは、ジェレミー・ブレットが俳優として生前なしとげたことがいかに人々から愛され、敬われているかを示すあかしです。特に注目すべきことは、この活動を多くの個人や団体が支援しているということです。その中には社会的に影響力のある個人や団体が含まれます。その一部を紹介します。俳優のスティーヴン・フライ、エドワード・ハードウィック、デーヴィッド・バーク、ティモシー・ウェスト、作家のポール・D・ギルバート、そしてシャーロック・ホームズ愛好団体のいくつか。これにはロンドン・シャーロック・ホームズ協会、ベーカー街不正規連隊、フランス・シャーロック・ホームズ協会とその会長であるティエリ・サン・ジョアニ氏が含まれます。サン・ジョアニ氏は1993年から1994年にかけて、ジェレミーにフランスのレジオン・ドヌール勲章が授与されるようにと活動し、成功しました。

 私たちの活動ははじめから順調であったために、その初期の段階でBAFTAの注意をひきました。BAFTAは、亡くなってから一定期間たった場合はBAFTA賞を追贈しない、と返答してきたのです。BAFTAが最近亡くなった人にのみ賞を授与して、以前亡くなった人の場合はその栄誉をたたえない、というのは、間違ったことだと私たちは考えます。演劇・映画・テレビ・ラジオなどにかかわるすべての人をおとしめるものであり、平等の考えに背くものです。特に注目すべきなのは、アカデミー賞やフランスのセザール賞など、イギリス以外の国の賞では、故人への授与の前例がすでにあることです。セザール賞の1987年の受賞式では、傑出した俳優ジャン・ギャバンに賞が与えられていますが、彼は1976年にすでにこの世を去っていました。

 ジェレミー・ブレットが生前なんの賞も授与されなかったことについて、世界中の多くの人が、多くの思いを抱いていることを私たちは知っています。そしてファンだけではなく、俳優達も同様に思っていることを強調したいと思います。エドワード・ハードウィック氏はグラナダ・テレビの世評の高いシャーロック・ホームズシリーズで、ジェレミーとともに主要な役を演じました。ハードウィック氏は、ジェレミーの長年にわたるすばらしい演技に、BAFTAが何の賞も授与しなかったことへの失望と驚きをたびたび口にしています。私たちは皆さんに、ジェレミー・ブレットが舞台・映画・テレビに貢献したことを認めるようにBAFTAにはたらきかけるのを助けてほしいのです。人々に深く愛されたイギリスの俳優がこの世に遺したものを、今こそほめたたえるべき時だと思います。


RM

追記:原文はこちらです。
http://www.bafta4jb.com/the-petition/petition-letter/
http://www.ipetitions.com/petition/jbbafta/
シェークスピアの「トロイラスとクレシダ」のオーディオブックから、ジェレミーが出演する部分のハイライトをいくつかあげる3回目です。Internet Archiveからダウンロードできる音声ファイルから、一部を切り出してご紹介しています。1回目はこちら、2回目はこちらにあります。

1956年に舞台で上演された当初は、ジェレミーはギリシャ側の戦士、Patroclus(パトロクラス)を演じていました。その時の写真がThe Jeremy Brett Archiveのこのページの下にあります。左がジェレミー、右はグラナダでホームズの兄、マイクロフトを演じたCharles Grayだそうです(ギリシャの将軍、アキリーズ役)。ジェレミーは長いキャリアの中で、後年グラナダ・スタジオで会う人たちと多く共演していたことをあらためて思います。ジェレミーはいろいろな人との再会を喜んだことでしょう。

今日ご紹介するのは、トロイ側の人々が議論している場面。トロイラスは兄達を論破しようとしています。下のリンクをクリックすると別ウィンドウが開いて、声が流れます。

mp3, 36秒

If you'll avouch 'twas wisdom Paris went-
As you must needs, for you all cried 'Go, go'-
If you'll confess he brought home noble prize-
As you must needs, for you all clapp'd your hands,
And cried 'Inestimable!' -why do you now
The issue of your proper wisdoms rate,
And do a deed that fortune never did-
Beggar the estimation which you priz'd
Richer than sea and land? O theft most base,
That we have stol'n what we do fear to keep!
But thieves unworthy of a thing so stol'n
That in their country did them that disgrace
We fear to warrant in our native place!

最初の9行は、

もしパリスが旅立ったことが賢明だったと言うなら、
そう言うはずだ、皆で「行け」と叫んだのだから。
またもしも彼の持ち帰ったものがこのうえない宝だと言うなら、
そう言うはずだ、皆で拍手喝采して
「すばらしい」と叫んだのだから。なぜ今となって
皆の賢明さが獲得したものをそしり、
皆が海と陸の富以上と評価した宝を
乞食扱いするのです?
(小田島雄志訳、一部改変)

ギリシャ側は、トロイラスの兄パリスが略奪したヘレンをギリシャに引き渡せば無条件で終戦とする、と提案したのに対して、トロイラスはトロイの名誉のためにこそヘレンをトロイにとどめておくべきだと主張します。若者らしいまっすぐさと、それと裏表の独善性を感じる場面です。耳できいても意味はほとんどわからないのですが、まだ国と国の駆け引きに思いが至らない若き王子、しかも恋の真っ最中で気持ちが高揚している一人の若者、という感じと、台詞のリズムを楽しんでいます。

RM
ミッドランドホテルにまつわるお話の2回目です。以前も紹介しましたが、Google Booksを検索すると、時としておもしろい本を読むことができます。今回の本は「Granada Television: the first generation」という本で、編集がJohn Finch, Michael Cox, Marjorie Gilesです。Michael Coxはもちろん、グラナダシリーズのプロデューサーでした。本の中身をみることができるのはこのサイトで、64ページからJeremy Paulの文がのっています。Jeremy Paulはジェレミーの友人の脚本家で、芝居「The Secret of Sherlock Holmes」の脚本も書きました。

私がグラナダテレビのために脚本を書くようになってからのこと、脚本家は最高のものを仕上げることを要求されたが、グラナダの経費でリラックスした楽しい雰囲気の内にミッドランドホテルに泊まり、打ち合わせや撮影が進むのを見守るのは、脚本家にとって喜びの一つだった。ミッドランドホテルで思い出すのは2つのことだ。

という前置きの後、2つの話が語られますが、その2つ目がジェレミーの話です。

私はグラナダがもっと太っ腹だろうと勘違いして、痛い目にあったことがある。私はその時、自分が脚本を書いた「シャーロック・ホームズ」の撮影に立ち会おうとしていたのだが、ジェレミー・ブレットにミッドランドホテルのフレンチレストランでおごらせてくれ、と頼んだ。ジェレミーに何かをおごるのは不可能に近いのだが、この時ばかりは私は強く出た。「グラナダが払ってくれるよ。」ジェレミーは承知した。彼はそのときレタスと人参しか食べなかった。彼の食事があまりにつましいので、私はワインを選ぶように強くすすめた。翌朝、ちゃんと見ないで請求書を机の上においた。6日後、グラナダの経理部門から断固とした調子の手紙をもらった。シャトーワインの代金70ポンドを小切手で払ってください。これはあの日のフレンチレストランでの代金なのだろうか?それ以降グラナダで働くことはなかった。

ジェレミーにおごるのは不可能に近かったのですね!でも、ワインをどうしても選ぶように言われて選んだのが、よりによって、グラナダの経理が支払いを拒否するようなワインだった、というのがおかしいですね。ジェレミーはいつも上等なワインをみんなにおごっていたのでしょう。だから何も考えずにいつもと同じようにそれを頼んだのではないでしょうか。ジェレミー・ポールはジェレミーの親しい友人ですから、それを知って読むと、この結果的にはちぐはぐだったやりとりにも、くすくすと笑ってしまいます。

この本にはもう一つ、ジェレミーにまつわるエピソードが書かれている文章があります。これは、グラナダ制作の多くのドラマでプロデューサー/ディレクターをつとめた人の筆によるようです。ドラマの制作経費にかかわるあれやこれやを書いた後で、106ページで、制作スタッフが経費を意識して仕事をしているのに、俳優がそれを台無しにした例があげられています。かっとなって殺人を犯す役を演じたある俳優が、ランプとビリヤードテーブルの布張りの部分と、ビリヤードのキューをこわしてしまい、ドラマとしては成功したが経費がかかってしまった、という例。その後が我らがジェレミーの関わるエピソードです。

それに対して、俳優が制作スタッフを救ってくれる場合もある。撮影において時間はいつも貴重であり、Country Mattersというシリーズの中のAspidistra in Babylon (1972) の撮影は、すんでのところで大変な経費がかかってしまうところだった。Doverの近くの海岸でのシーンがあって、主役の女優は1920年代の水着を着て演技することになっていたが、彼女はロケ現場のキャラバンから頑として出てこなかった。というのは彼女は自分の見た目を恥ずかしがったのだ(でもそれは彼女の思い込みだった)。主役を演じたジェレミー・ブレットは、自分が話してみよう、と提案してくれた。彼がキャラバンに入って5分間たつと、女優は微笑みながら外に出て来て、とても素直に指示に従った。私はジェレミーは何をしたのだろう、といつも思ったものだ。

ジェレミーはやさしく、そしてとても情熱的に、水着姿の彼女をほめたのではないでしょうか。ジェレミーが人をほめる時の口調、大好きなのです。Desert Island Discs (1991) というラジオ番組をきいたのが、ジェレミーのラジオインタビューを聴く最初だったのですが、その時にジェレミーの何とも素敵なほめ方を聴いて、それまで以上にジェレミーを好きになりました。この音声が、今は再開準備中のThe Jeremy Brett Archiveで聴けるようになったら、またご紹介しようと思います。

次回はグラナダシリーズの終了がすでに決まっていた1994年春に、ミッドランドホテルでおこなわれたインタビューから、抜粋してご紹介します。

RM
りえさんがミッドランドホテルにいらした時のことを書いてくださったので、私もミッドランドホテルのことを書きたくなりました。eBayに出品されたジェレミーの宿泊カードの画像、レストランのウェイターが語るジェレミー、友人で脚本家のジェレミー・ポールが語る、ホテルのレストランでのできごと、そして最後にホテルでおこなわれたジェレミーのインタビューを紹介する予定です。2回か3回にわけます。

RegistrationMidlandHotel.jpg
これがeBayに出品された宿泊カードです。クリックで大きくなります。説明文はこのようになっていました。「マンチェスターのミッドランドホテルの宿泊カードで、裏には1983年12月9日のスタンプが押してあります。」

これはジェレミーの字ですね。1行目にBRETT、2行目に54 Green St.、3行目にGRANADAと書いてあります。1983年というとまだホームズのテレビ放送が始まる前、でも撮影は1983年開始とA Study in Celluloidに書いてありますし、確かジェレミーもそう言っていたはずですから、12月は打ち合わせではなく、すでに撮影に入っていたのではないでしょうか。

2行目のPRIVATE ADDRESSが54 Green St.というのは、その頃住んでいた場所なのでしょうか。54 Green Streetというのはマンチェスターにもあって、11 kmほどグラナダスタジオから離れているようです。一方、ロンドンにも54 Green Streetがあります。撮影の間、Joanがフィリップ・キングスリーのメイフェアの家の最上階を借りていた、という記述をTerry Mannersの本からりえさんが紹介してくださっていました。そして54 Green StreetはロンドンのMayfairにあるようですから、Joanが借りていてイギリスに来たときに住んでいた家は、54 Green Street の家だという可能性が高いように思います(最初はグラナダテレビの社屋がマンチェスターのGreen Streetにあって、その住所を連絡先として書いているのかしら、と思ったのですが、少なくとも現在のグラナダはここにはないようですし、private addressに書くにはそぐわないと思います)。Terry Mannersの本は信用できない記述も多い一方で、具体的な地名についてはインタビュー記事や資料にもとづいていて(ところが出典を何一つ書いていないのですが)、かなり正しいという印象を持っています。

Claphamの家はJoanと住むために買ったけれども、結局Joanは住むことはなかった、とジェレミーがインタビューで言っていますから(「息子の涙が彼を救った」参照)、この頃はまだClaphamの家は買っていなくて、元々の自分の家はあっても、Joanの家がジェレミーにとっても自分の家と感じられたのかもしれません。撮影の間Joanに会えないことは、ジェレミーにとって悲しいことだったのでしょう、でも一方で二人はそれぞれ自分の仕事を愛していたから、大西洋をはさんでお互いに行き来する生活を送っていたわけですが。

次に抜粋して紹介するのは、あるフォーラムに投稿された、ミッドランドホテルの元ウェイターの言葉です。1990年から1991年にかけて、ミッドランドホテルに勤めていたそうです。

私はミッドランドホテルのフレンチレストランの元ウェイターです。ジェレミーは私が知っていた時は、ほとんどの場合は1人で夕食をとっていましたが、Tom Bakerと一緒だったときや、Robert Hardyと一緒だったこともあります。そして1人の時はいつもウェイター全員とおしゃべりしていました。その中でも私とワイン係によく話しかけてくれました。ジェレミーはよくアスパラガスと、皮をとった鶏肉を頼んでいました。グラナダテレビは、あと数パウンド体重を減らしてほしがっているんだ、と言っていました。ジェレミーは私に、人が自分を「ジェレミー」ではなく「シャーロック」と呼ぶのになかなか慣れなかった、そう呼ばれるとぎょっとして、自分を落ち着かせなければならなかった、と言っていました。そして明日の夜は Julie Goodyear とすごすんだ、と教えてくれました。

これを読んだイギリス人は特にTom Bakerとジェレミーの組み合わせにびっくりしたようです。この組み合わせはとても考えられない、Tom Bakerはアリスの「気違い帽子屋」のような人だ、この二人が一緒に笑うとどんなだっただろう、と。この人は肩書きは俳優、コメディアンとなっていて、Doctor Whoというとても有名なSF長寿番組の何代目かのドクター役だそうで、エキセントリックな人のようです。Robert Hardyは、ハリー・ポッターで魔法大臣コーネリウス・ファッジを演じていました。(追記:「犯人は二人」に出ていたのを忘れていました。)Julie Goodyear はホームズと同じグラナダ制作のCoronation Streetにも出演した女優のようです。

ジェレミーにはたくさんの俳優仲間がいて、でも1人で夕食をとることも多くて、そういう時はウェイターと楽しくおしゃべりしていたのですね。このウェイターのかたが言うには、Edward Hardwickeはこの時はBritannia Hotelに泊まっていたようだ、ということでした。"The Television Sherlock Holmes"でのインタビューの時は、ジェレミーはエドワードとBritannia Hotelで夕食をとっていました。いくら親しくても朝から晩までいつも一緒でいるよりは、夜は違うホテルで時々行き来する方がよいだろうという、グラナダスタジオの配慮だったのかもしれません。

「シャーロック」と呼ばれることにはじめは慣れなかった、ということは、他のインタビューでも読んだことがあります。一方で、皆が自分がホームズを演じていることを知っていて、話しかけてくれるのがうれしい、とも言っています。このあたりは、ジェレミーの気持ちがよくわかるような気がします。ホームズを演じていることへの誇りと、自分自身がホームズそのものと思われることへの困惑と。

この元ウェイターは他にも、「ジェレミーは自分のことも話したし、私個人の生活についてもいろいろときいてくれた」と書いています。ジェレミーは楽しい話し手であるとともに、よい聞き手でもあったのだと思います。

ミッドランドホテルに関する記事は、次回に続きます。

RM
「My Fair Lady」(1964)の中でジェレミーが演じるフレディの歌声が吹き替えられていたことを残念だと思うかたに是非聴いていただきたいのが、ミュージカル「Marigold」(1959)のアルバムです。これについてはりえさんのブログのコメント欄で書かせていただきましたが、とても素敵なアルバムなので、再度ご紹介します。このアルバムは今までに2回発売されていて、2回目は1981年、ここまではLPでした。今回、2010年6月のダウンロード専用アルバムの発売が3回目となります。iTunes storeからダウンロードできて、一曲150円、アルバム全体でも900円です。iTunes storeから音楽を買ったことがないかた(実は私もそうでした)、iPodではなくCDプレーヤーや他の会社のmp3プレーヤーで聴きたい方への情報もお伝えします。

http://itunes.apple.com/jp/album/marigold-original-london-cast/id378939718のアルバムの絵の下の、「ITunesで見る」をクリックしてください。コンピュータにiTunesが入っていれば自動的にiTunesが開いて、ウェブサイトと同様の曲リストがあらわれるはずです。(もしもコンピュータにiTunesが入っていない場合はダウンロードして下さい。とりあえずサンプルだけ聴いてみたいかたは、上記ウェブサイトでもサンプルを聴くことができます。)トラックNo. 5, 7, 8のサンプルでジェレミーの歌声がきこえます。曲リストの一番左の番号をクリックしてみてください。トラック5は実際には、愛に関するアドバイスをMiss Marigoldにたずねられて、ロマンチックで楽しげな声で答えた後にはじまります。トラック7もサンプルとは異なり、実際にはジェレミーのソロからはじまります。トラック8は情感のこもった、美しい歌で大好きです。この他にトラック13のFinaleでも声がきこえますが、このトラックは歌がない短いトラックですから、トラック別に買うのならば、これは買う必要はないでしょう。

「アルバムを購入」またはトラックごとのリストの一番右の「購入」をクリックして、すでにアップルアカウントをお持ちの方(iTunes storeやApple storeで買い物をしたことがある方など)は、IDとパスワードを入れます。アカウントを持っていらっしゃらない方は「新規アカウントの作成」をクリックします。あとは指示に従って、購入、ダウンロードまで済むはずです。

iPodを使っていらっしゃる方は、CDから読み込んだ曲と同様、iPodにうつして聴くことができます(私は持っていませんが、iPhone, iTouchでも同じだとおもいます)。iPodではなくCDプレーヤーや他の会社のmp3プレーヤーで聴きたい方は、ひと手間かけて音楽CDを自分でつくる必要があり、アップルのサイトにやり方が記載されています。http://support.apple.com/kb/TS1476?viewlocale=ja_JP

上記サイトで、「iTunes Store から購入した音楽から MP3 形式の CD を作成できない」という質問に対して
「AAC 保護の曲をデータ CD または DVD、オーディオ CD (オーディオ CD は CD プレイヤーで再生可能) にバックアップすることはできます 。
<オーディオ CD を作成する場合>iTunes Store から購入した曲、または、これらの曲とオーディオ CD からエンコードした曲の両方を含むオーディオ CD を作成する方法については、『iTunes を使ってオーディオ CD を作成する』を参照してください。」とあります。

こちらも参考になります。http://support.apple.com/kb/TA47704?viewlocale=ja_JP&locale=ja_JP

指示にしたがってオーディオCDができたら、後は通常通りmp3に変換することもできますし、CDプレーヤで聴くこともできます。

「Marigold」は上演回数は77回だそうです。残念ながら興行的には大成功というわけではなかったようですが、1957年の「West Side Story」に代表される「現代的なミュージカル」に対抗するような、楽しくてロマンチックで、古き良き時代のミュージカルを思い出させるような作品だったようです。「ジェレミー・ブレットほどハンサムで、魅力的な声で堂々とすばらしく歌う俳優が、他にいるはずがない。」と、以下のウェブサイトでは評しています。http://www.musical-theatre.net/html/recordcabinet/flops1950s.html#marigol
ジェレミーは20代半ばで本当に若々しい声で、でも確かにジェレミーの声です。私は3曲とも大好きで、明るく楽しい気分になりたい朝の通勤時間に、よく聴いています。

この作品のあらすじです(mixiでも紹介しました)。舞台は1842年のスコットランド、ヴィクトリア女王がエジンバラ城においでになるのではないか、とスコットランドがそわそわしている頃、マリゴールドは「若い女性のための教本」に従って、ある男の求婚を受け入れました。彼女の父親は大佐、その部下の士官がアーチー(ジェレミー)で、アーチーはマリゴールドを愛している様子(「愛に関して人のアドバイスをきいてはだめですよ、自分の心にきかなければ」、とマリゴールドに歌います)。第二場では城の兵舎のアーチーの宿舎で、士官が集まって女王のために乾杯しながら大騒ぎして歌っているところにマリゴールドがやってきて、(ここからがよくわからないのですが多分)婚約を履行させようとする父からかくれるために、アーチーの部屋にかくれて泊まろうとしています。大佐と一悶着あったあと、二人は結ばれる、と思ったらアーチーの伯母さんは反対、それまで長いこと会っていなかったマリゴールドのお母さん(フランスの女優)が助け舟を出す、となんだかよくわからないけど、ハッピーエンドを予感させながら終わる...。

先日の記事で紹介したBAFTA 4 JBのPhoto galleryの7枚目がMarigoldです。

RM

追記:日本のアマゾンでも今日、mp3ファイルのダウンロード販売がはじまりました。こちらでこのアルバムも販売しています。ミュージカル「Marigold」(1959)のアルバム(続き)をご覧ください。(2010年11月9日)
ハムレットを演じたことは、ジェレミーにとっても大きなことだったのでしょう。いくつかのインタビューにおけるジェレミーの発言から、抜粋して引用します。ハムレットを演じた時のことを話している、亡くなる前の最後のインタビューの一つも、YouTubeから紹介します。

HELLO! Magazine, 1990年
(ホームズを演じる前に、一番好きだった役柄は何ですか?)
そうですね、27歳の時にFrank Hauserから、ハムレットをやらないかと言われました。私がハムレットを演じているポスターはなかなかよいポスターで、芝居の記念になるものとして自分の家に持っている唯一のものなんですよ。ガラスの向こう側でみえる状態にしていますから、少しベージュに色があせていますけれども。


以前紹介したGetty Imagesにあるこの写真にみえるポスターでしょうか。この写真は1965年11月17日に撮られたもので、ハムレットを演じている自分の写真と共に、と書いてあります。ハムレットを実際に演じてから4年後です。同じGetty Imagesにはハムレットを演じる写真が1枚あって、これは日付は1961年6月19日、The Strand Theatreでのリハーサルの時だそうです。

Desert Island Discs(ラジオ番組), 1991年
アメリカで収録されて放送されたラジオ番組です。The Jeremy Brett Archiveに音声ファイルがあります。ただし現在このサイトは再構築中で、ファイルもみつかりません。
私がハムレットをロンドンのThe Strand Theatreで演じた時---1961年、息子のデイビッドが2歳でした---この時に父はジェレミー・ブレットがハムレットを演じるという告知をみて、「そろそろ名前を元に戻す時だね」と言ったのです。私は、「ああ(ため息)、お父さん、もうそれには遅すぎるよ」と言いました。「遅すぎるって、どういうことだい」。父はハムレットを観に来て言いました。「ハムレットときたら、なんて煮え切らない人物なんだ!」私は「僕もまったくそう思うよ」と答えました。父は言いました。「もしもハムレットがもっとはやく決心していたら、我々ももっとはやくディナーにありつけたのにね。」(笑い)

次の2つのインタビューもThe Jeremy Brett Archiveに原文があります。一部抜粋して引用します。

Homes and Gardens magazine, July 1967
僕にあったのは若さだけだったけど、かなりうまく演じることができたと思います。僕はハムレットと強い一体感を持っていました。でも亡霊がでてくる場面のようなところは十分には理解できていませんでした。だからハムレットをもう一度演じたいと強く思うのです。

Playing the Dane(テレビドキュメンタリー), 30 October 1994, BBC2
ハムレットを演じることについて、多くの俳優がインタビューを受けたドキュメンタリーのようです。
私は劇の中で、ハムレットの母に対してとても冷酷でした。その時、怒りを感じていたのです。母は1959年に自動車事故でむごい死をむかえ、そのことに対して私はとても怒っていました。息子はその時まだ3ヶ月でしたから。裏切られた気持ちでした。つまり、母は裏切られた、と私は感じていたのです。自分のなかに激しい怒りがあって、その怒りが演技のなかに出たのだと思います。

YouTubeの映像をみると、ジェレミーはお母様が亡くなった時を思い出してか、少し辛そうにみえます(汗は薬の副作用の影響でしょう)が、とても真摯にインタビューに答えているのが伝わってきます。これ以外のインタビューで、お母様のことを話しているのをきいたことがありません(雑誌のインタビューでは読んだことがあります)。Desert Island Discsで、フォーレのレクイエムを交通事故で亡くなった母とJoanに捧げる、と長い沈黙の後に言ったのをきいた以外には、ごく短く「クエーカーでした」と紹介するのみです。それに対して、ジェレミーはお父様のことはインタビューでよく話していて、いつも笑いながら話しています。たとえば1989年のラジオ番組では「父がこう言ったのです。ハムレットなんてつまらない役ではなく、なぜ亡霊くらい演じないのか?せめて兵士の役とか(笑い)。」お父様はジェレミーの仕事の良き理解者ではなかったようですが、インタビューではいつもお父様へのおだやかな愛情を感じます。晩年世話をして見送ったこともあって、気持ちの整理がついていたということかもしれません。ジェレミーの中にお父様に理解されなかったうらみのようなものを、私はまったく感じません。

それに対して、お母様を突然の交通事故でなくしたこころの傷は、長く癒えなかったのではないかと思います。I felt my mother was cheated.というのはどういうことでしょうか。愛する母、誰に対しても親切で愛情あふれていて、誰よりも幸せにとしを重ねていくはずだった母が、突然の事故で亡くなった。この世界の理不尽さに、運命の残酷さに裏切られた、そいう思いでしょうか。この言葉にもジェレミーの感受性の鋭さ、感じやすいこころ、ある意味での傷つきやすさ、を感じます。強くてあたたかくて、でも感じやすさ、傷つきやすさを人一倍もっている、それも含めてジェレミーが好きなのだと思います。

ジェレミーが、最後の十年におきたJoanの死、自分の病気のことも含めて、この世界と運命の理不尽さをどう感じるようになっていたか、またゆっくりと感じて、書いてみたいと思っています。

Playing the Dane - Jeremy Brett4Playing the Dane - Jeremy Brett5


上はYouTubeの映像からもらった画像で、クリックしても大きくなりません。このYouTubeの映像にはハムレットの写真もいくつかみえます。またこれは亡くなる前の最後のインタビューの一つだ、とThe Jeremy Brett Archiveに書かれていました。むくんで辛そうだった頃にくらべてすっきりとした顔の線がもどっていて、そのことをジェレミーのためによろこびたい気持ちです。

前回紹介したページからもらったハムレットの写真の1枚を少し小さくして紹介します。こちらもクリックしても大きくなりません。これは、若い頃の写真の中で、私が好きなものの一つです。この写真と、上にあげた亡くなるおよそ1年前の1994年の写真をみて、ジェレミーの人生のことを思ったりします。亡くなるとき、ジェレミーのこころの中には、小さな頃のこと、舞台、テレビ、たくさんの出会いの思い出が静かにながれていったでしょうか。



RM
Theatre Archive Projectというウェブサイトには、劇場関係者や、芝居好きの一般の人へのインタビューが多くおさめられています。ジェレミーが演じたハムレットのことに触れている2人の人の言葉をまず紹介します。その後、ハムレットの写真を多くみることができるウェブページと、かつて商用写真サイトで公開されていたwatermark(透かし)入り画像をご紹介します。

その1
私はハムレットをみるためなら、どこへだって行きます。プログラムを持っている数は16ですが、もっと観たはずですよ。最高のハムレットは、John Neville と ジェレミー・ブレットでした。

その2
素晴らしいハムレット、私たちが ジェレミー・ブレットを観たとき・・・普通の人は特に彼をシェークスピア俳優だとは思っていないでしょう。でも私たちが観たハムレットのうちで、ジェレミー・ブレットは最高のハムレットを演じた一人だったと、確信を持って言えますよ。

こういう言葉を読むと、ジェレミーのハムレットをみてみたかったと心から思います。でも想像は翼を持っていて、どこまでも行けることも知っています。

ハムレットの写真はここに多くあり、ホームズも何枚かあります。
http://community.livejournal.com/jeremybrett/106370.html

りえさんの記事にあった、「チェ・ゲバラ」を演じたものも下から6番目にあります。クリックで大きくなります。ジェレミーの右は、ジェレミーと何度も共演しているRonald Pickupで、グラナダシリーズでは「バスカヴィルの犬」でBarrymoreを、また舞台「お気に召すまま」ではジェレミー演じるOrlandoが一目惚れするRosalind(女性です!)を演じています。

前回も書きましたが、今はハムレットの写真へのリンクが切れてしまっている "The Jeremy Brett Archive" にはもっと多くの写真があったかもしれません。今は再開準備中ですので、再開されたらまた見てみます。

最後に、これも今再開準備中の商用写真データベース、ArenaPalから、かつてwatermark入りではあっても、見ることができたHamletの写真です。気がついたときにはごく小さな画像しか見ることができなくなり、次に気がついたときにはサイトが閉まっていました。再開後はどうなるか、また見に行こうと思います。クリックで大きくなります。
(用心のために写真を削除しました。2012年1月)

同じくArenaPalからHamletの少し前の時期の写真です。説明には、「1960年4月12日、Johnny The PriestでRichard Highfieldを演じたジェレミーと、Mary Highfieldを演じたStephanie Voss」とあります。Johnny The Priestはジェレミーが出演したミュージカルで、聖職者の役ですから、これは演じている時の写真ではなく、舞台裏の写真ですね。いかにも若くて、青春!という感じがしますね。こちらもクリックで大きくなります。
(用心のために写真を削除しました。2012年1月)

RM
私がシェークスピア俳優としてのジェレミーにはじめて魅了されたのは、シェークスピアの「トロイラスとクレシダ」(劇場出演は1956年、オーディオ録音は1961年)でトロイラスを演じるジェレミーの若々しい、ニュアンスにとんだ声を聴いたときでした(この録音についてはこちらで紹介しています)。「ハムレット」(1961年)のジェレミーはみることもきくこともかないませんが、「ハムレット」に関してウェブ上で見ることのできる記事から抜粋して紹介します。最初の2つの記事はウェブサイトBrettish Empireでも引用されていて読んだことがありましたが、ウェブ上で書き起こされた活字としてではなく、当時の紙面の形のままで見ることができるのは、また特別な喜びでした。(Google News Archiveより。二番目のリンク先では記事の下の方にジェレミーに関することが書いてありますので、下の黄色い印のところまでスクロールしてください。)

出典:Sunday Independent, July 4, 1961 (AP News)
「台本にはない危機」
ハムレットとレアティーズが月曜日の夜にStrand Theatreで闘っていたとき、ハムレットの剣が空を切り、最前席に座っていた若い女性の膝の上に落ちた。ハムレットとレアティーズは決闘の最中に凍り付いた。女性は立ち上がり、優雅な仕草でハムレットに剣を手渡し、決闘は続けられた。「あの女性のおかげで危機を免れました。カーテンコールの時に、彼女に投げキスをおくったんですよ。」ハムレットを演じたジェレミー・ブレットは語った。


出典:The Glasgow Herald, June 24, 1961
ジェレミー・ブレットは狂気を装うハムレットを、よく考えられた見事さで演じており、最近では忘れられてしまった伝統をうけつぐ、驚くほど美しい容姿のハムレットだ。彼はバレーダンサーのからだをもっている。

一つ目の記事に関連したジェレミーのインタビューが、ウェブサイト「The Jeremy Brett Archive」にのっていました。1967年7月の「Homes and Gardens magazine」でのインタビューから。

僕はレアティーズの手から剣を跳ね飛ばすことになっていました。これはいつもはうまくいっていたのですが、ある夜最前列の若い女性のひざの上に、剣がきちんとのっかってしまったのです。僕はひざをついて、足もとのライトの向こう側をのぞきこみました。彼女は剣を僕に渡してくれました。僕はレアティーズを刺すためにその剣が必要だったのです。観客は大笑いに笑っただろうと思うかもしれませんが、観客は全然笑わなかったどころか、劇が成功のうちに終わるのに必要な場の雰囲気は、まったく失われなかったのです。

"The Jeremy Brett Archive" にはジェレミーがハムレットを演じた時の写真が多くありましたが、今は工事中でリンクが切れています。もう少ししたら見られるようになるかもしれませんが、次回はハムレットの写真について、別の場所をご紹介するつもりです。

RM

追記:リンクを記したGoogle News Archiveで見る事ができる最初の記事はこんなです。クリックすると大きくなります。
JB, Hamlet, Article
ジェレミーがレジオン・ドヌール勲章を受けることについてマンチェスターで打診され、喜んで承諾した時のことを記した、当時の新聞(あるいは雑誌)の記事から抜粋して紹介します。先日も紹介したこちらのページにあります。

「驚いたよ、ワトスン、ホームズを演じたジェレミー・ブレットが、フランス政府が贈る最高の賞、レジオン・ドヌール勲章をミッテラン大統領から授与されることになったんだよ。」

ジェレミー・ブレットは、精神の病からくる衰弱の治療を今も受けているのだが、昨夜は病院を出て、番組の十周年を祝うグラナダテレビの大々的なパーティに主賓として出席した。そしてテレビの画面上ですばらしい探偵に生命を与えたことにより、パリでレジオン・ドヌール勲章を授与されることが決まっていることを知らされた。

フランス・シャーロック・ホームズ協会のティエリ・サン・ジョアニ氏がパリから訪れて、ジェレミーにこのうれしい知らせを伝えた。少しやつれてみえるが、しかしうれしそうに、ナポレオンによってはじめられた勲章を授けられるというこの栄誉に驚き圧倒されている、とジェレミーは述べた。「ここにいるグラナダ・チームの皆さんに、心からお礼を言います。皆さんたちのおかげで、俳優としての長い経験のなかでも、この番組は特別すばらしいものになりました。今夜ここで、皆さんたちのあたたかい気持ちを感じています。今日が私の生涯のなかで一番すばらしい日です。」

ジェレミーに喜びと励ましの声を送った人々の中にはRichard Madeley, Judy Finneganがいて、彼らはシリーズのハイライトを写し出す時のホスト役をつとめた。また、Edward Hardwike(ワトスン)とRosalie Williams(ハドスン夫人)も共にいた。ベーカー街のセットには400人ほどのゲストが集まった。


下の写真(クリックしても同じ大きさです)はこの記事からです。ジェレミーはやはり少しやつれてみえます。でもむくみはとれていて、最初に紹介したサイトを含めて、多分これと同じ時のものだろうと思う写真を何枚かみますが、どれもすごくハンサムで、いつもの笑顔です。この写真でジェレミーがキスをしているのがJudy Finnegan、その横がRichard Madeleyで、有名な司会者コンビだそうです。二人がホスト役をつとめたこの特別番組の中で、ジェレミーはレジオン・ドヌール勲章が授与されることをはじめて知ったようです。そしてグラナダテレビのスタッフやEdward、Rosalieの前で喜びの言葉を述べました。

それから16年、ぜひイギリスのBAFTAもジェレミーに栄誉を与えてほしいと思います。この活動がはじまって半年、3000名の署名が世界中から集まり、ジェレミーを直接知る人も、映像をとおしてジェレミーに魅せられた人も、たくさんの人がゆるやかなつながりの中にいます。最近、イランからの署名もはじまりました。他にもたくさんの国からの署名をみることができます。ギリシャ、インド、ウクライナ、アルゼンチン、パキスタン、ブラジル、ハンガリー、数えきれません。オンラインだけではなく、先日は作家Paul D. Gilbertのサイン会で約50名の署名が集まりました(署名簿の最近の数十名がイギリス人ばかりなのは、そのためです)。ジェレミーは賞そのものはもちろん、でももしかしたらそれよりも、ジェレミーを想う世界中の人のそういうつながりを喜んでくれるのではないかと思います。

この活動に賛同していただけるようでしたら、そして署名がまだでしたら、どうぞ署名をお願いいたします。英語が得意でなくても大丈夫だと思います。どうぞ署名方法のところをご覧ください。

Legion d'Honneur

RM

追記:署名場所の変更にともない、署名場所へのリンク等を修正しました。2010年11月7日

 RM

Author: RM
コメントは承認後に公開されます。古い記事へのコメントも大歓迎です。2010年8月7日に始めました。
私の記事へのリンクはどうぞご自由になさって下さい。
和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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