Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

1988年9月12日、Linda Pritchardは客席からジェレミーをみつめました。ジェレミーをテレビではなく実際にみるのはこれがはじめてでした。そしてジェレミーが亡くなったのがちょうど7年後の1995年9月12日。Lindaはジェレミーの最期の日々も含めて、かなりの年月にわたってジェレミーを支え続けました。

Lindaが共著者と共に書いた本、The Jeremy Brett-Linda Pritchard Storyから引用したい文章があって書き始めています。

「何故僕が?」と言い、こんな目にあうのは不公平だ、と不平を言うようなことは、ジェレミーの持っている性質からして考えられなかった。それとはまったく逆で、彼は人生が自分に投げかけたものをすべて受けとめ、自分の知る限りの最良のやりかたで取り組み、微笑みをうかべて、すべてはうまく行くだろうと信じた。ジェレミーが一番困難な時期をすごしていた頃も、愚痴に近いといえるかもしれない言葉は、実際には愚痴や泣き言ではまったくなかった。「今日の僕は、あんまりやる気がないヒーローなんだよ」と彼はリンダに言ったものだった。

It just wasn't in the man's nature to ask "Why me?" or complain that life was unfair. On the contrary, he took everything life threw at him, dealt with it the best he knew how, and came out with a smile on his face and an all-will-be-well attitude. When Jeremy felt his roughest, the only comment that even bordered on a complaint was not even really a complaint. "I'm a reluctant hero today," he would say to Linda. (p.105)


でもジェレミーは、自分の気持ちを人に隠して無理をしていた、というわけではありません。ジェレミーは悲しみの中にいる人が、無理をしないように、自分の気持ちに素直になれるように、と願っていました。

涙を流して、自分の気持ちを外に出すんだよ。勇敢すぎるのはだめだ。時によっては勇敢なのはいいことだけど、とても危険な時もある。気持ちをさとられないように頑張るのは、いつもいいことだとは限らないんだ。

Be prepared to cry and let it all out. Don't be too brave. Bravery is fine on some occasions, but sometimes it can be quite a dangerous thing. The stiff upper lip is not always best. (p.10)


「ノーウッドの建築業者」でやつれたホームズがワトスンに、「きょうは一緒に来てほしい。君の精神的な支えが必要になりそうだ(I feel as if I shall need your company and your moral support today.) 」というところがあります。考えてみたらホームズにしては珍しい、素直な言葉です。それだけ気持ちがよわっていたということでしょうか。ジェレミーが、ホームズはワトスンに「助けてほしい」と言うことができないんだ、と言っていた記憶がありますが、「助けてほしい」とは言えなくても、支えてほしい、とは言えたのですね。よかった。私も少し支えがほしい気持ちなので、しばらくはジェレミーの言葉を精神的な支えにしようと思っています。

RM
11月はじめに、ハリー・ポッターの映画でダンブルドア校長を演じたMichael Gambonの署名をみつけました。また、ジェレミーの二人のワトスン、David BurkeとEdward Hardwickeと共に、この署名活動を支援する俳優のリスト中に名前があげられています。

ジェレミーとマイケル・ガンボンの接点を調べたら、二人とも同時期にローレンス・オリビエひきいるThe National Theatre Companyにいたようです。マイケル・ガンボンは1940年生まれでジェレミーより7歳年下です。二人の出演した演目を調べても、残念ながら共演したという記録はみつかりませんでした。そこでかわりに、同じく同時期にThe National Theatre Companyにいたマギー・スミス(マクゴナガル先生)とジェレミーが舞台で共演した時の、美しい写真を紹介します。

まず、ジェレミーとマイケル・ガンボンの名前でウェブを検索したら、こんな記事をみつけました。Simon Callowというイギリスの俳優へのインタビュー記事です。彼は18歳の時にオリビエにファンレターを書き、The National Theatre Companyの当時の本拠地であるOld Vicのチケット販売所で働くようになります。

「私は毎日食堂の長いテーブルで、若い俳優達と共に昼食をとりました。彼らが後に名優になることは誰の目にも明らかでした。Derek Jacobi, Michael Gambon, Maggie Smith, Jeremy Brett, Jane Lapotaire, John Gielgud そしてOlivierが昼食の席にいました。」

この記事を読んで、若き俳優達が劇場の食堂で昼食をとっているところを、そしてジェレミーの姿を想像しました。ここに名前が出ているマギー・スミスもハリー・ポッターの映画でマクゴナガル先生を演じています。マギー・スミスはジェレミーの親友、Robert Stephensと一時結婚していましたし、ジェレミーとも舞台で何度か共演しています。

ジェレミーとマイケル・ガンボンの共演はなかったようなので、ジェレミーとマギー・スミスが共演した時の写真を紹介します。これはThe National Theatre Company(ジェレミーの在籍は1967-70)でのものではなく、カナダでおこなわれたThe Stratford Shakespeare FestivalでのThe Way of the World (1976)の公演時の写真です。

この時のジェレミーのコスチュームのスケッチを、以下のサイトでみることができます。
http://community.livejournal.com/jeremybrett/228792.html

また小さいですが2枚の舞台写真があります。
http://community.livejournal.com/jeremybrett/229209.html

そして下にあげたのがとても美しい二人の写真です。下の写真はクリックすると記事にとびます。
(アドレスはhttp://community.livejournal.com/jeremybrett/275361.html)。3回か4回クリックで最大にすると驚く程の大きさの写真になり(3.5 Mb)、ロードするのに時間がかかりますからご注意下さい。



こちらはも、同じく"For fans of Jeremy Brett"に投稿されたものです。
(アドレスはhttp://community.livejournal.com/jeremybrett/70956.html)。豪華な美しさの二人、という感想を持ちました。ジェレミーの手の表現にもひかれます。クリックすると記事に飛び、1回クリックで最大になります。



「ジェレミーにBAFTA賞を!」というこの活動のために署名してくださる方は、どうぞこのブログの一番最初の記事をご覧ください。署名方法を書いています。

RM
"I am not very good at losing people I love."

ジェレミーのこの言葉がここ数日私のこころの片隅にずっとあります。これをはじめて読んだのは、ジェレミーの言葉を引用したウェブのページ、多分フランスのジェレミーファンのページだったと思います。そこには引用元が書かれていなかったのですが、後日ここでその記事をみつけました。

http://community.livejournal.com/jeremybrett/24476.html

追記:この記事の、写真を含むjpgファイルの場所は
http://community.livejournal.com/jeremybrett/104833.htmlです。

引用されているのを読んでこころに残ったのは、あまりにもまっすぐで飾り気がなくて、気持ちのままの言葉に思えたからでしょう。英語を母語とする人にどうきこえるのか確かなところはわかりませんが、私にはそう思えて、何度も小さな声で読んでみました。"I am not very good at losing people I love."

「(二度目の奥様が亡くなったことは、あなたにとってとても悲しいことでしたね、ジェレミー。)悲しみを乗り越えられる時がくる、と人はよく言います。 乗り越えることは決してありません。ただ悲しみに慣れるだけなのです。

でも私は愛する人を失うことがあまり上手ではないのです。かつて母を失いました。母は交通事故で亡くなり、私はすっかり打ちのめされました。

(奥様が亡くなったときはどうだったのですか?)悲しみを乗り越えるためには、仕事にもどるのがよいと言われてそうしました。でもそれは間違っていたと思います。

私はすっかり疲れきって、でもいわばオーバードライブ、過熱状態になっていったのです。躁鬱ではなく、躁による興奮状態でした。

そして撮影が終わって、解放されて休めることを喜んでいたのに、眠ることができなかったのです。それからどんどん事態は悪くなっていきました。」


そしてジェレミーは入院することになるのですが。人を失う悲しみ。つい先日まで、あるいはついさっきまで、そばにいて手を握って抱きしめてその言葉をきいていた人が、今はこの世にいない悲しみ。

ジェレミーがインタビューアにまっすぐに答えていることに、いつもこころを打たれます。そしてこの率直であたたかくて、悲しみを知っているこころが、亡くなった後も多くの人のいのちに触れているのだと思います。

RM

出典:HELLO! number 104 - May 26 1990
りえさんが、ジェレミーがAnna Masseyに贈ったバスオイルのことを書いてくださったので、そのことが記されているアナの自伝を一部引用してご紹介します。またそれ以外にも、この自伝で書かれているジェレミーのことを少しご紹介します。ジェレミーのファンの中にはアナを、そしてアナの自伝をあまり好まない人もいますが、私はアナが感情的にならずに離婚のことにふれ、離婚後のジェレミーの自分への気遣いと息子のDavidへの愛情に対して感謝の言葉を書いているところに好感を持ちます。もちろんアナのジェレミーを見る目にはこの二人の性格の違いが反映されていて、この自伝に書かれているのは、かつて妻であったある女性の視点からみたジェレミーであるのはもちろんのことで、ここに書かれたジェレミーの姿の一部は、しっくりこないところもあります。それでも私は、この女性の自伝を興味深く、全体として好感を持って読みました。

そして実はこの前りえさんと奈良でお会いした時に、ジェレミーがアナに贈ったバスオイルを頂いたのです!そのことを最後に書きます。

アナの自伝、"Telling Some Tales"の231ページからの紹介です。

私がUriと再婚したとき、ジェレミーは心から喜んでくれて、Penhaligonのバス・エッセンスの美しいボトル数本を、お祝いとして贈ってくれた。そして彼がすばらしいシャーロック・ホームズを演じていたWyndham's Theatreに、私たちのためにボックスシートを準備してくれて、幕間にはシャンパンを手配してくれていた。これはまさにジェレミーをよくあらわしていて、あふれるほどに親切で、あたたかくて、強い印象を与えて、そして時にとてつもないのである。

次にアナの再婚の時からさかのぼって離婚後のことを紹介すると、ジェレミーとアナは離婚した後も連絡をとりあい、友人としてつきあい続けます。デイビッドのために必要だと考えたからです。アナは、「私たちが困っているときには、ジェレミーがいつでも助けてくれることを知っていた。彼はやさしくて思いやりのある人だった」と書いています(p.85)。

デイビッドが生まれた時から、アナの子供の頃からのナニー(子供の世話をする女性、乳母)が一緒に住んでいて(p.81)、アナの離婚後も二人の面倒をみてくれていたのですが、そのナニーが病気になり、アナは女優として働いていたこともあって、デイビッドは全寮制の学校に行くことになります。ナニーが亡くなったとき、アナは悲しみと先々への不安でしばらく寝付いてしまうほどでした。デイビッドの世話をしてくれるナニーがいなくなったあと、デイビッドが休暇から帰ってきているときはできるだけ仕事をいれないようにしていたけれども、ジェレミーもデイビッドを旅行に連れ出したりして、アナを助けてくれたそうです(p.102)。ラジオ番組で、「休暇にデイビッドとスイスに行ったときに」とジェレミーが話していたのを覚えています。

デイビッドとジェレミーの結びつきの強さは、デイビッドが大きくなって、ジェレミーのNotting Hillの家の上の、独立したフラットに住むようになった(p.149)という記述からもうかがえます。また後に引用するThe Guardianの記事中で、デイビッドは18歳の時にジェレミーと一緒にロサンジェルスに行ったときのことを記していますし、それ以外にも、ロサンジェルスのHollywood Hillsに家を買ったジェレミーと、何度も時をすごしたような記述があります。また子供の頃のこととして「父は毎週末、私を連れ出した。私と同年輩の子供のいる俳優仲間の家へよくでかけた」と書いています。ジェレミーにホームズ役の最初の提案があった時もデイビッドが一緒だったことは、ラジオインタビューなどで何度も言っています。そしてジェレミーが入院したときにデイビッドがジェレミーを病院へたずねたときのことは、以前に紹介しました。2001年にデイビッドは結婚しますが、このときデイビッドはジェレミーが遺したClaphamのフラットに住んでいて、結婚式もここで行われたそうです(p. 245)。この本にはその時の写真がついていて、写真の説明には書いてはありませんが、デイビッドと奥様がいる場所はClaphamの屋上でしょう。ジェレミーも喜んだだろうなあと思います。

アナの自伝からの紹介の最後に、先ほどの231ページの文章の続きを引用します。

ジェレミーが亡くなったとき、多くの人の人生から光が消えたように感じられたのを知っている。彼はまさに比類のない人だったから。デイビッドが悲しみから回復するのにはとても長い時間が必要だった。デイビッドの喪失感はとても深かった。

デイビッドは両親の性格の違いをこのように言っています。出典:The Guardian, 2001年
http://www.guardian.co.uk/books/2001/nov/14/shopping.familyandrelationships

両親はもともと正反対の性格だった。母は理性的で慎重で几帳面、父は直観的で自分の気持ちに従う。今でも私には、父が「危険をこわがらずに冒険しなさい」と言い、母が「よく考えてみたら」と言うのが頭の中できこえる。

私はもともとはアナのタイプに近いと思っているので、それでアナにも好感を持つのかもしれません。アナは結局、ジェレミーのある部分を理解できなかったのではないか、と思うのですが。そして私はジェレミーと出会って、少しだけジェレミーのタイプに近づきつつあると思っているのですが。

最後にりえさんから頂いたバスオイルのご紹介です。バスオイルは、包装紙とリボンに包まれた姿もとても美しくて、あけるのが惜しくてしばらくそのまま机の上に飾っていました。あけたら箱もボトルもとても優雅で、幸せな気持ちになりました。中身がなくなっても、ずっとそばにおいておきます。箱とボトルはりえさんの記事に写真がありますから、私がうれしかった気持ちがわかっていただけるでしょう。そして、りえさんが選んでくださった香りはやさしい香り、そう、香りもとても優雅なのです。りえさん、どうもありがとうございました。私は香りにはくわしくないのですが、バラが好きだったジェレミーを思って、バラのやさしい香りに包まれているような気持ちになります。

RM
大英博物館の収蔵物担当主任のJames Petersさんが、この活動に支援のメッセージを寄せてくださっています。原文は、BAFTA 4 JBのホームページのこちらです。http://www.bafta4jb.com/2010/10/boy-could-he-act/

ずっとジェレミーが出演した作品をみてきて、その作品とご自分の人生とが並んで思い起こされるような、そんな方だとお見受けしました。イギリスにはそういう方がたくさんいらっしゃるのでしょう。ホームズ以外の作品にも言及しながら、これからも多くの俳優達が役を演じるにあたって、まずジェレミーの演技を思い起こし、参照し、自分の演技と引き比べることになるだろう、と言っています。

このかたが名前をあげている作品「The Rivals(ライバル達)」が最近YouTubeにアップロードされましたので、最後にその画像2枚を、そして10月末にこの作品でのジェレミーの写真がファンのフォーラムに投稿されましたので、これも紹介します。

私はずっとジェレミー・ブレットが偉大な諮問探偵を演じるのをみてきました。そして多感な若きホームズファンが、彼のおかげで生涯にわたるシャーロッキアンになっていったのを知っています。私は彼の俳優としての演技力に感嘆し続けており、彼の演技はいつも喜びを与えてくれます。ジェレミー・ブレットはどの作品に出演していても、私たちに深い感銘を与えてくれます。それが「ドリアン・グレイの肖像」であっても、「The Rivals」であっても、そしてシャーロック・ホームズを見事に演じている時であっても。彼が演じた役はこれまでも、そしてこれからも、何度も何度も多くの名優によって演じられるでしょう。そして彼らはいつも、自分の演技をジェレミーの演技と比べることになるでしょう。ホームズは「オレンジの種五つ (The Five Orange Pips)」でかつてこのように述べました。

「だめ、だめ、」ホームズが叫んだ。「しっかりしなきゃ、ほんとにやられてしまいますよ。気力(エネルギー)をふりしぼらないと助かりませんよ。」("Tut! tut!" cried Sherlock Holmes. "You must act, man, or you are lost. Nothing but energy can save you. ")

ホームズが述べたように、ジェレミー・ブレットは、彼が演じた役にエネルギーをもたらしました。まさにジェレミーはしっかりと演じたのです! (Jeremy Brett certainly brought energy to a role and boy could he act!)


最後は 「行動を起こす」のactと、「演じる」のact をかけているようです。「オレンジの種五つ」から引用するあたり、このかたは明らかにシャーロッキアンですね、そして、今回は訳しませんでしたが、「ドリアン・グレイの肖像」と「The Rivals」は共演の役者の名前もあげていて、自分はずっとジェレミーの出演したドラマを見続けてきてよく覚えている、という感じもあらわれています。この文章を読んで、ジェレミーの演技がこれからもずっと私たちの、そして俳優達の記憶に残るだろうということをあらためて確信できて、読んでいて私の中にもエネルギーが満ちわたるような気持ちがしました。

「ドリアン・グレイの肖像」は、ジェレミーがBasilを演じた方 (1976) はDVDになっています。「The Rivals (1970)」はDVDになっていなくて、いわば幻の作品でしたが、この10月にYouTubeに9つに分割されてアップロードされました。これはpart 4へのリンクです。

「The Rivals」part 4から2枚画像を紹介します。クリックしても大きくなりません。この作品は、以前も紹介しましたがジェレミーとJoanの出会いに大きな役目をはたしました。
TheRivals1.jpg
TheRivals2.jpg

二週間ほど前に For fans of Jeremy Brettに投稿された写真です(http://community.livejournal.com/jeremybrett/283030.html)。写真をクリックするとリンク先の写真に飛び、1回クリックで最大になります。写真の下の「Jeremybrett: JB in 'The Rivals' (1970)」の文字をクリックすると投稿記事に飛び、写真は2回クリックで最大になります。



RM
前回は、ジェレミーを撮影したMarcus Tylor氏とりえさんと、奈良で1日を一緒に過ごすことになった経緯を書きました。今回は奈良に向かう前に起きたこと、そして奈良での印象深い出来事について書きます。

10月13日は朝の5時起きですから、もちろん前日から持っていくものを準備します。その中に、12日の夜届いた本を大切に入れました。マーカスが出した、ジェレミーの写真集です。13日が近づくにつれて、マーカスと会った時に、「本が届きましたよ」と言いたいけど、到着は間に合わないなあ、とぼんやりと思っていました。ところが12日に不在配達票がはいっていて、夜、本が届きました。ずっと持ち歩いていたいような、とても素敵な本でした。その本をみたとたん、これが今夜届いたのは何か意味があるのだ、奈良に持っていこう、サインをいただこう、とこころに決めて、荷物の中に入れたのです。

奈良へ向かう途中の新幹線で、写真集を開きました。昨夜ざっと読んでいた序文を再度読み始めました。これがとても興味深くて、目にみえるようなのです。そのころのマーカスの生活のこと、撮っていた写真のこと、ジェレミーに写真をとらせてくれないか、とどんなふうに頼み、ジェレミーからどんなふうに返事が来て、実際の撮影はどんなで、後日プリントを持っていったときにどんなことがおきたか。もう一度読み返したとき、撮影した日付が入った1行が目に入りました。 

'Wyndhams Thursday 13th October. 6.45pm. Dressing Room One'

10月13日とは、まさに今日ではありませんか!22年前にWyndhams Theatreでジェレミーを撮った写真家と、そしてりえさんと、ちょうど22年後の今日、奈良ではじめて会うのです。静かな幸せが胸にあふれてきました。ジェレミーが微笑んでいるのがみえるようでした。

りえさんとマーカスと、奈良の待ち合わせ場所で会いました。マーカスはりえさんが書いていらしたとおり、きさくで、楽しくて、自由で、勘がよくて、一緒にいてとても楽しいかたでした。りえさんは笑顔がかわいくて、きれいでやさしい声をしていて、誰とでも自然に話ができて、きくばりができる女性で、マーカスがロンドンでりえさんとのおしゃべりを楽しんだことも、なるほどとわかるようなかたでした。マーカスがのどがかわいたというので、まずはお茶をすることにしました。

おみやげをお互いに渡したり、どこへ行くか考えたりした後、私が本を取り出して、昨夜届きました、読んでびっくりしたのですが、今日はあの日とちょうど同じ日なのですよ、と言ったら、お二人とも驚いて、喜んでくださいました。そしてマーカスに序文に書いていたことを質問したら、マーカスがあらためてその日のこと、プリントをジェレミーの楽屋に持っていった日のことを説明してくれました。私がサインをお願いしたら、マーカスは本に、日付とサインと私への一言を書いてくださいました。マーカスが席をはずした時に、私はりえさんに、同じ日なんて365分の1の確率ですよね、これはきっとジェレミーが・・・と言ったら、りえさんも微笑んでくださいました。それ以上言わなくても、私たちにはわかっていたのです。

でも多分その時にはマーカスにはそうは言わなかったはずです。マーカスはもちろんジェレミーがすばらしい俳優でありすばらしい人間だから、ぜひとも写真を撮りたいと思ったはずですが、それは写真家としてであり、ファンとはまた違うと思っています。いわばプロとして魅了されたのが出発点でしょう。それとやはりこういう感覚は、東洋人の方がより敏感に感じるのではないかと思っていたのです。

私たちは興福寺へ向かい、五重の塔の後、南円堂の前に来ました。マーカスが突然「ジェレミーの魂もここにいて、楽しんでいるだろうね」と言ったのです。私のこころは、また幸せに包まれました。マーカスもそう感じてくれたのですね。私たち3人ここにいて、ジェレミーの魂も共にいると感じられるなんて、なんと不思議で素敵なことなのでしょう。帰りの電車の中で、今日のことをブログに書いてもいい?と尋ねたら、いいよ、ジェレミーの魂のこともね、と言ってくれました。

お茶をしていた時のことにもどります。本の表紙をみながら、この写真集のタイトル「a roll with Jeremy Brett」の意味はわかる?とマーカスに尋ねられました。実はわからないのです、と答えたら、これはpunだ、と説明してくれました。日本語ではだじゃれ、時口と訳されるようですが、sophisticated、intelligentな(洗練された、ちょっとしゃれた、気のきいた)言葉のお遊び、といった表現で説明してくれたように記憶しています。同じ言葉や同じ発音の言葉が、違う意味を持っていて、両方を連想して楽しむような。rollは英語を母語とする人がきくと、発音が同じroleを思い出す、つまり芝居における「役」のこと。ジェレミーが演じたホームズという「役」。そして実際のつづりであるrollの方の意味は一つは、フィルムの「1巻」。マーカスはジェレミーをフィルム1巻、36枚で撮りました。

もう一つは「回転」の意味。子供が床の上でごろごろまわって遊ぶような。英語を母語とする人は、このタイトルをきいて、なんとなくジェレミーとマーカスが、床の上を一緒にごろごろところがっているのを連想するそうなのです。そして表紙ではBrettだけが色がうすくて、「a roll with Jeremy」がまず目にはいるようになっているのは、「a roll with Jeremy Brett」というタイトルで転がっている方を連想すると、さらにcheekyに感じる、と。このcheekyがわからなかったのですが、マーカスは表情で実演してくれました。私の感じでは、何てこと言うんだ、とおどろいて、眉をひそめて、でも密かにちょっとおもしろがっているような、そんな表情でした。ここからは私の想像で、英語に堪能なかたに教えていただきたいところですが、「Jeremy Brett」とフルネームで言及する相手とごろごろ転がることの非常識さ、といったところでしょうか。それに対して「a roll with Jeremy」だと、くすくす笑える、という感じでしょうか。もちろん実際にはごろごろ回ったりしていませんけど。でもこんな三重の意味を連想させる、しゃれたタイトルだったのですね。マーカスがこの写真集を大切に思っていることがうかがえます。

マーカスは日記を読み直して、その日のことを思い出して写真集の序文を書いたそうです。日記に飲み物をこぼしてしまったことがあって、かなりの部分が読めなくなっていたけれども、その日のことはちゃんと読めたそうです。よかった!と思いました。それから日記を読み返して、自分を撮影したある写真が、ジェレミーを撮った日の少し前のものであることに気づいて、これは今回の写真集にふさわしいと思って、入れたそうです。本を買われた方はおわかりになるでしょう、いかにも若いマーカスの写真がついています。

写真集の最初の頁の謝辞に書かれている二人の人がいますが、その内の一人は、マーカスがどこかでたまたま会ったときに、私はWyndham's theatreであなたが写真を撮っていた時に、一緒にあの部屋にいたのですよ、と話しかけてくれた女性で、マーカスは申し訳ないけれども覚えていなかったそうです。それだけ写真を撮ることだけに集中していたのでしょう。たしか、カンパニーマネジャーのアシスタントの女性と言っていたような記憶があります。そして彼女に、その時のジェレミーが赤い靴下をはいていたことを教えてもらったそうです。赤い靴下はジェレミーのあの頃の普段着の定番ですね。マーカスは白黒写真を撮っていたので、自分の目も世界を白黒でとらえていたので覚えていなかった、それで彼女に教えてもらってはじめてわかった、と言っていました。赤い靴下のことも、マーカスの序文に書いてあります。

その他、序文に書いてあったジェレミーの様子、特にプリントを楽屋へ持っていった時の様子を話してくれました。私はもう全身を耳にして聴いていました。そして、ジェレミーはホームズを演じているときよりも、ずっとエネルギッシュでずっとハイだった、ジェレミーはホームズを演じるために、ずいぶん自分の情熱的な側面を抑えていたのだろう、と言っていました。'tame' (野生の動物を飼いならす、抑える)という単語が出てきたのが印象的でした。

もう一つ、マーカスがジェレミーのことを話したことで私の記憶に残っていることがあります。興福寺の五重塔の前での会話でした。マーカスが「オペラ座の怪人」の舞台裏を撮ったある写真で、かつらの線がみえてしまった、とマーカスがジェレミーに言った時のことを話してくれたのです。かつらの線、というのが、はずした後の線なのか、いかにもかつらだとわかる線なのか、私にはわからなかったのですが、それに対してジェレミーが "It's all part of the mystique." と言ったのがマーカスは忘れられない、というのです。mystiqueという語はmysteryという言葉を出して説明してくれました。

でも私にはジェレミーの言葉の意図がわからなくて、舞台の神秘的な雰囲気を守るために、それが薄れるようなそんな写真は撮るべきではないということかしら、でもそう言われたことをマーカスがこんなに大切に覚えているというのは、どういうことかしら、と思って質問しました。ジェレミーはmystiqueが表に出ることを望んでいなかったということ?それに対してマーカスは、カーテンをそっと少しあけて、その隙間から中をのぞき見る仕草をしてくれました。ほんの少しのぞき見るのがいいと思っていたんだと思うよ。ああ、舞台裏をですね。それ以上私の英語では話せませんでしたが、こころの内で言いました。あなたが「オペラ座の怪人」の舞台裏を大切にして、何もかもを明るい光にさらして味気なくしてしまうのではなく、薄暗い光の中で舞台写真よりもさらに雰囲気のある写真を撮ったことを、ジェレミーは認めて評価してくれたのですね。それでジェレミーはあなたに「The Secret of Sherlock Holems」の楽屋での自分を撮らせたのですね。たった15分、撮影用ライトをつけない部屋で、ジェレミーの顔にうかぶさまざまな表情を36枚の写真にうつしとらせたのですね。(マーカスが「オペラ座の怪人」の舞台裏を撮った写真の一部はこちらでみることができます。http://books.google.com/books?id=XxHcwnwsCDgC&printsec=frontcover#v=onepage&q&f=true)

それから私たちはお昼ご飯を頂いて、そこでゆっくりといろいろなことをおしゃべりをしてたくさん笑った後、東大寺大仏殿、二月堂、春日大社をまわりました。春日大社はもう閉門間近、静かな雰囲気を楽しみました。私はその頃はすっかり英語を聴くのも話すのも疲れていて、春日大社へ向かう途中、マーカスから「元気?」と日本語できかれました!もちろん日本語で「元気!」と答えました。りえさんは終始自然でやわらかい雰囲気、よく笑って、マーカスの話にもすぐに応じて返事を返すのです。私は一時は会話はりえさんにおまかせ、という感じで、ときどきわかる範囲で口をはさんでいました。でもお二人とは一緒にいるだけで楽しいのです。マーカスはとにかく話がおもしろくて、そして勘がよくて、私が言いたいこともわかってくれます。

帰りはりえさんは私たちのために、お家へ帰るには遠回りなのに、一緒に近鉄線、地下鉄御堂筋線に乗ってくださいました。マーカスをホテルまでおくるために、二人は途中でおります。地下鉄の電車が走り出すまで、二人はホームで並んで手をふっています。私も電車の中で手をふりました。新大阪へと走る電車の中で、私は幸せな気持ちでいました。なんて不思議な1日だったのでしょう。私たち3人が奈良で会うなんて、なんて不思議な巡り合わせなのでしょう。そしてそれが、マーカスがジェレミーを撮ってからちょうど22年目の日、3人ともにジェレミーの魂が共にいることを感じられたなんて、なんて幸せなことなのでしょう。

RM
りえさんが写真集のこと、奈良でのことを書いてくださいました(ジェレミー写真集「a roll with Jeremy」)。いつもながら、読むとりえさんとお話ししているような気持ちになります。これはりえさんととうとう直接お会いしたから、ではなくて、その前からの気持ちでした。でも、ついにひと月前にりえさんとお会いできました!これから2回、その時のこと、それまでのことを書きます。

10月13日は忘れられない1日となりました。ジェレミーを撮影したMarcus Tylor氏とりえさんと、奈良ではじめて会って、1日を一緒に過ごしたのです(写真集については上で紹介したりえさんの記事、そして購入方法については私のこちらの記事もご覧ください)。ジェレミーに関することなら、どんな驚くようなことが起きても、「これはジェレミーのことだから」と、どこか安心して身を投じるようになりました。もちろん驚いたり少したじろいだりはするのです。でも以前のように目の前のことから逃げだしたり、考えこんだりしません。新しい経験を楽しむ自分がいるのです。でも、今回のことはあまりにも格別な冒険でした。

Wyndham's Theatreで撮ったジェレミーの写真の本が出るというお知らせをマーカス・タイラー氏からいただいて、久しぶりのメールに喜んでいる、ということは以前に書きました。私は結果的にはマーカスとりえさんのお互いをお互いに紹介する役をはたしたわけですが(りえさんが「ジェレミーを撮った写真家 Marcus Tylor」に書いてくださっています)、お二人に会ったことはありませんでした。日本に帰っていらしたりえさんとはもちろんお会いする時が来るのを楽しみにしていましたが、マーカスとはジェレミーの写真のプリントを買ってからは特にメールのやりとりをすることはなく、マーカスと会う日が来るとは想像してもいませんでした。

ところが写真集に関して、あることで数回メールのやりとりをするようになりました。私はそのことを単純に楽しんでいたのですが、9月26日に突然「Good news !」というタイトルのメールが飛び込んで来たのです。1つは写真集の件、そしてもう一つは、10月に日本に行くけど、奈良で13日に会わない?と。後でわかりましたが、りえさんとマーカスのロンドンでのおしゃべりのなかで、マーカスが奈良に行ったことがないのなら、奈良は良いですよ、という話題がでたそうです。そのメールを読んで、突然の奈良、それも平日、そしてマーカスと過ごす1日、と私の心臓は数回打つのを忘れたようでした。でもスケジュール帳を見て日帰りなら行けることを確認して、「もちろん、奈良に行きます!」と返事を打ったのです。家から奈良までは4時間半かかるのですが。

これは自分でもびっくりするようなことでした。今までのようにくよくよ考えたりせずに、こんな冒険が私にできるなんて!本棚においたフレームの中の写真のジェレミーがほほえんでいます。ジェレミーと出会って、私は自分でも考えられないくらい直観的に、衝動的に、おしゃべりに、そして人との出会いを、人生をこわがらずに楽しむようになりました。

もちろんマーカスはりえさんにも連絡をとっていて、私からもりえさんにメールを出して、3人でのやりとりがはじまりました。私はりえさんにも会ったことがないと書いたら、マーカスは「僕が二人をお互いに紹介してあげるよ」と冗談を書いてくれました。なんて不思議な日本での出会いなのでしょう。

10月1日にイギリスをたつので、それ以降はネットカフェに行かないとメールは通じないということでした(あちらの携帯はテキストメッセージを送るには日本のような携帯メールではなく、SMSというサービスで対応するのが主流だそうです)。会う日の前日の宿泊は大阪ということだったので、場所にもよるけれども待ち合わせ場所はできればホテルに、そしてその時間だけでも先に決めたくて、大阪でのホテルが決まったら教えてくださいね、と書いたけれども、結局わかったのは会う二日前の夕方6時過ぎでした。ですから私とりえさんはマーカスからメールが来るまでは、マーカスと本当に会えるのかしら?などと言い合ったりしていました。ホテルがわかってから急いでりえさんと打ち合わせをしました。13日にはりえさんだけがホテルへ行ってくださって、私は奈良に直行した方が、私がホテルにつくのを待っていただくよりも時間の節約になると考えて、私はお二人と近鉄奈良駅で待ち合わせることにしました。

私は英語は読むことはできても、しゃべる経験はほとんどないと言ってよいのです。海外へ行ったことも成人前の1回のみ、その後はしゃべることに関しては挨拶と自己紹介の域を出ず、私の中には英語、特に話すことに対する強いコンプレックスがありました。どうやったら英語を話すことができるのかわからない、一生話せないのかなあ、と思っていました。ところがジェレミーが昨年の夏に私の人生の中にはいってきて、ジェレミーのことがもっと知りたい、ジェレミーがどう生きたのか、何を感じて生きたのか、それを私も感じたいと思ってからは、私は大量の英語を読み、聴くようになりました。そして次第に英語を書くことも増えてきました。本屋さんに、レコード屋さんに、ジェレミーファンに英語のメールを書き、そして今年の4月、マーカスに写真の問い合わせの手紙とメールを出したのも、今までの私にしたら考えられないことでした。でも話すことは別です。私の中で英語が動き始めた予感はしていましたが、話す機会はあいかわらずありませんでした。

それが、今回りえさんとマーカスと奈良で一日をすごすことになったのです。以前の私なら怖じ気づいて、逃げだしていたでしょう。用事をやりくりして、片道4時間半もかかる場所で、メールでのやりとりしかしていないイギリスの方と会うのです!でも私はたしかに、ジェレミーと出会ってかわったのです。人生の冒険を楽しむようになっていました。

こんな書き方をすると、妙だと思われるかもしれません。でもジェレミーと出会った方はわかってくださるでしょう。そして海外のジェレミーファンのフォーラムでも、このような人がどれだけいることでしょう。ジェレミーは私の人生に触れてくれた、ジェレミーと出会ってかわった、辛い時期をのりこえることができた、以前よりもずっと幸せになった、人生が輝いてみえるようになった・・・。何人の人が「奇妙にきこえるかもしれないけど」という前置きを書きながら、すでにこの世にいないジェレミーが自分を助けてくれたことへの感謝と、ジェレミーへの愛情をつづっていることでしょう。

次回は奈良へ向かう前のこと、奈良でのことを書きます。

RM
ここでもよく引用する「For fans of Jeremy Brett」というファン・フォーラムに、一ヶ月前にとても素敵なジェレミーの写真が載りました。全部で3枚で、今日画像で紹介する1枚については何の作品か直接にはわからないのですが、他の2枚は「孤独な自転車乗り(美しき自転車乗り)」のロケ現場の写真ですから、おそらくこれもそうでしょう。「孤独な自転車乗り」は、シリーズ中で放映は最初ではありませんが、収録は一番最初に行われた作品です。ジェレミーの表情をみていると、この最初の作品の収録真っ最中に、どんな気持ちだったかしら、次のシーンのことを考えているのだろうなあと思って、吸い込まれていくような気がしました。

下の写真をクリックすると、「For fans of Jeremy Brett」の記事に飛びます。アドレスはこちらです。
http://community.livejournal.com/jeremybrett/282614.html


RM
以前、iTunesからダウンロードできる、ミュージカル「Marigold」(1959)のアルバムを紹介しました。今日(2010年11月9日)、日本のアマゾンでmp3ファイルのダウンロード販売がはじまり、このアルバムもその中に含まれていましたので、取り急ぎご紹介します。ジェレミーのアルバムは以下のサイトです。

http://www.amazon.co.jp/Marigold-Original-London-Cast/dp/B0042HG8WG

アルバム全体で900円、1曲100円で、アルバムの値段はiTunes Storeと同じですが、1曲の値段はiTunes Storeの150円よりも安いです。さらにアマゾンでの販売はmp3形式ですから、PCやMacintoshはもちろん、一般のmp3プレーヤーで再生可能です。iPodを使っているかた以外は、こちらの方が楽だと思います。私はすでにiTunes Storeで買いましたので、今回は自分で買ってみてお知らせするわけではありませんが、ご参考になればと思いまして。ジェレミーの歌声を聴くことができるトラックについて、またこのミュージカルのあらすじについては、ミュージカル「Marigold」(1959)のアルバムの記事をご覧ください。

RM
オペレッタThe Merry Widowを紹介する二回目です。全体のあらすじは前回簡単に書きましたが、これからはジェレミーの歌をたどりながらお話の内容を紹介します。配役やCDについても、少しお話しします。

お話の筋、ジェレミーの台詞、歌の歌詞を知りたくてウェブを検索する途中で、Google Booksでこの本をみつけました。Google Booksについては今まで2回ご紹介しましたが、時々このようにうれしい情報源となってくれます。(追記:本の中身を以前は読めたのが、残念ながら今は読めなくなってしまいました。2011年11月記)この本はドイツ語から英語へChristopher Hassallという人が翻訳したもので、今回のものは歌詞も台詞もかなりこれに忠実なことがわかりました。後で気がつきましたが、番組の最後に画面上に名前が出てきます。このかたは1963年に亡くなっていて、BBCでの放映は1968年ですから、この放映のために作られたのではなく、もともとあった翻訳だということになりますが、英語で上演されるときに一般によく使われている版なのかどうかはわかりません。

それではBBCで放映された番組での、主な登場人物と配役からご紹介します。

アナ (大富豪の未亡人)Mary Costa
ダニロ伯爵(ツェータ男爵の部下で、公使館の書記官)Jeremy Brett
ツェータ男爵(架空の小国ポンテヴェドロの在フランス公使)Derek Hammond-Stroud
ヴァランシエンヌ (ツェータ男爵の妻)Joyce Blackham
カミーユ(パリの伊達男) Ryland Davies

ジェレミーをのぞく4人は、ウェブでオペラ歌手としての経歴やディスコグラフィをすぐに調べることができるような、有名な歌手です。4人の中で少し異色なのはアナ役のMary Costaで、オペラで44の役を演じた名ソプラノ歌手であるとともに、ディズニーの「眠れる森の美女」のオーロラ姫の声優をつとめたそうです。このようなプロの歌手にまじって堂々と存在感と魅力を発揮したジェレミーに、あらためて驚嘆します。ドイツでダニロを30年以上演じた俳優がいたそうですが、この人はもうあたり役で、誰も文句はいわなかったでしょう。ジェレミーにとってこれは映像としてはただ一度の機会、大きな挑戦だったことでしょう(この他に後で述べるように、LPのために録音をしています)。

また、歌を歌わない「マイナーな役」は役者がつとめたと、当時の番組紹介記事にありました。たとえばダニロ登場シーン後、少し酔っているダニロを休める場所までつれていく公使館職員は重要な脇役の一人ですが、歌わないこともあって俳優が演じることも多いようです。今回はReginald Barrattが演じていて、この人は後年、Picture of Dorian Grayでもジェレミーと共演していますが、Dorian Grayではジェレミーと共に出るシーンはなかったようでした。

The Merry WidowはCDが今でも入手できることをご存知の方も多いでしょう。以前りえさんがこちらで紹介して下さいました。このCDは録音が1968年の6月28日と7月8日におこなわれ、録音スタジオはロンドンのAbbey road スタジオのStudio Oneとなっています(ちなみにビートルズがアルバムAbbey RoadをAbbey road スタジオで録音したのは、1969年4月からだそうです)。BBCでの放映は1968年のクリスマスですから、当然この録音はテレビ放送と同じキャストだと思っていたのですが、ジェレミー以外の主要キャストは全員がBBC版と違うことに気づいて驚きました。たとえばアナ役はJune Bronhill、やはり有名なソプラノ歌手です。ジェレミーは他の人ではかえられないと高く評価されていたことをうれしく思うのと同時に、録音と録画の両方の機会でたくさんの一流オペラ歌手と共演できて、ジェレミーは幸せに思っただろうなあ、と想像しました。

それではジェレミーの歌と、お話の内容を紹介します。前回書いたように、ジェレミーの初登場シーンはPart 2の5分20秒くらいです。ダニロは少し酔って、パーティ真っ最中の公使館に到着です。ダニロは夜はパリの高級クラブのマキシムに入りびたってシャンパンを飲み、フレンチカンカンを踊る踊り子達と楽しくすごしているのですが、上司のツェータ男爵に呼ばれたのです。ダニロはハンサムでチャーミング、人生の一瞬一瞬を楽しむタイプのようです。ただマキシムにこれほど夢中なのは、アナとの恋が結ばれなかった悲しみから逃れる気持ちがあるのかもしれません。また、第二幕でのダニロの表情をみていると、単に陽気なハンサム、というだけでない、感受性の豊かさと性格の深みを感じます。でもここでは美しくて魅力的なダニロをただただ感嘆してながめるのみです。くるっとまわりながら部屋を横切り、シャンペンを手にして香りを楽しむ、あの素敵なシーンでは

At Maxime's once again
I swim in pink champagne,
When people ask what bliss is
I simply answer, "This is!"
(マキシムではピンクのシャンペンの中でおよぐよ。
幸せとは何かときかれたら、
これこそが最高の幸せだと答えるのさ!)

と歌い、その後マキシムの踊り子の名前をたくさんあげます。
それから酔いをさましに、部屋を出て行きます。

ジェレミーファンが耳できいて書き取った歌詞はこちらのサイトに載っていますが、一部不明としている歌もあって、そんな時はGoogle Booksでみつけた歌詞の出番です。

下はこの歌のシーンでのジェレミーです。クリックすると少し大きくなります。このシーンの魅力は静止画では伝わりません。どうぞ映像でごらんください。ご覧になったかたは、前回お話したように私が呆然としたのがわかっていただけると思います。そしてもう、ただただ幸せになります。
TheMerryWidow14-1.jpgTheMerryWidow15-1.jpgTheMerryWidow16-1.jpg

こんなペースではいつご紹介が全部終わるかわかりませんが、ゆっくり楽しみながら書いていきます。

RM
今日11月3日はジェレミーのお誕生日、そしてジェレミーが深く愛したJoanのお誕生日でもあります。1968年のクリスマスにBBCで放映されたオペレッタ、The Merry Widowの映像を今日のこの日にここで紹介できるとは、数日前まで思ってもいませんでした。

はじめてこの映像を見た時のことをはっきりと覚えています。ジェレミーが画面にあらわれて歌いだし、踊りだしたときの私の気持ちは、呆然とした、という言葉が一番適当かもしれません。もちろんそれまでも、ジェレミーが輝くばかりに美しいことも、見ている人をひきつける絶対的な魅力と演技力を持っていることも、バレーダンサーの優雅さとすばらしい声を持っていることも知っていました。それでも、このジェレミーをみて、ただただ呆然としてひきつけられたのです。画像も音質も上等とはとても言えないのですが、できることならジェレミーを愛するすべてのかたに手渡したい、とさえ思いました。

その映像が、10月31日にYouTubeにアップロードされました。この作品をみた人で、たまたま私が文字でお話をしていた人が、それぞれ同じ言葉を書いていたのが印象的でした。"I'm in shock at this moment," そして "I am too excited & too much in shock." まさに私が呆然としたのと同じ感情をいだいたのでしょう。私のつたない英語でも、ジェレミーのおかげで、この1年で私の世界は信じられないほど広がり、何カ国ものジェレミーを愛する人たちの書いた言葉を読んだり、文字でお話するようになりました。日本でもりえさんのブログやこのブログやmixiを通じて、たくさんの方と知り合うことができました。そしていつも思うのは、私たちは何と共通の想いをいだいているのだろう、ということです。

今日はこの映像をご紹介します。このオペレッタの内容や出演者について、そしてこの作品に関する記事の紹介は次回以降にするつもりです。

最初の写真2枚は第一幕の舞踏会シーンから、次の4枚は第二幕からで、これは士官の服装です。ジェレミーが演じるDaniloは一等書記官で、退役した騎兵士官です。これらの画像だけでも、この作品中のジェレミーがどんなに魅力的かおわかりになるでしょう。画質はこのあたりが一番よいので静止画として取り出しましたが、画質が良くない部分もジェレミーのすべての表情、すべての動きに目をうばわれます。写真はクリックで少し大きくなります。

TheMerryWidow4.jpgTheMerryWidow5.jpg
TheMerryWidow6.jpgTheMerryWidow7.jpg
MerryWidow3.jpgMerryWidow2.jpg

粗筋を簡単にお話します。次回もう少しくわしくご紹介するつもりです。

ヨーロッパのある小国のお話です。ジェレミー演じるダニロとアナはかつて恋人どうしでしたが、まわりの事情により恋は結ばれず、アナはお金持ちの元に嫁ぎました。しかし間もなく夫はなくなり、大金持ちの未亡人となります。ダニロは書記官として駐仏公使館につとめていて、パリの公使館でのパーティにやってきたアナと再会します。アナの財産が国から外へ流れないようにしろ、との公使の厳命をうけ、パリの男にアナをとられないようにしなければなりません。ここからダニロとアナの意地の張り合い、可愛い恋の駆け引き、恋が成就する幸せな予感や、愛する人が去って行くのを見る絶望感、などが織りなされ、最後はハッピーエンドで終わります。

以下がYouTubeへのリンクです。ジェレミーの初登場シーンはPart 2の5分20秒くらいです。

Part 1, Part 2, Part 3, Part 4, Part 5, Part 6, Part 7, Part 8, Part 9, Part 10, Part 11, Part 12

この作品を見て呆然としたのは...。なんという魅力と才能を天から与えられた人なのだろう、そしてそれを輝かせるために、どれだけの努力をしたことだろう。そしてこの後、なんと見事に年齢を重ねたのだろう。このすばらしいダニロを演じたジェレミーが、年齢を重ねてあのすばらしいホームズを演じた!

今までジェレミーのいろいろな作品をみてきて、好きなものはたくさんありますが、やはり40代後半以降のジェレミーが好きでした。特にホームズの頃のあの、みる人を完全にひきつけてしまう魅力とカリスマ性。でも今回この作品で若い頃の信じられないような輝く魅力と才能を知ることができました。共通するものはもちろんあるのですが、私が心を動かされたのは、50代のころとまったく別のすばらしさも、30代のジェレミーは持っていたということです。30代と50代のそれぞれの輝き。ジェレミーは1回の人生で、なんと深い生を生きたのでしょう。そして若い頃のあの輝きにおぼれることなく、演技への情熱と、こころの美しさをたもって、ジェレミーはジェレミーとしてずーっと生きてきて深みをまして、50代では50代の素晴らしさを開花させたのですね。

ジェレミー演じるダニロ以外の主要な役は、すべてオペラ歌手が演じています。ジェレミーはプロに囲まれて最初は緊張もし、大変な努力もしたはずです。なにせまわりは、歌うことだけのために毎日をすごしているようなプロですから。そしてジェレミーはどれほどの情熱をかたむけて、ダニロを演じたことでしょう。一瞬一瞬を楽しんでいることが伝わってきて、私たちを幸せにしてくれます。

そしてもう一つ幸せな気持ちにさせてくれるのは、誰かに恋したときの気持ちを、ジェレミーが本当に魅力的に演じているのをみることができる点です。ジェレミーと一緒に、私も誰かを好きになったときのあの幸せと不安を思い出していました。誰かを、何かを好きになること、愛することは不安や悲しみ、時には辛さもともないます。でも、それでも、誰かを、何かを愛さない人生を送るよりも、愛することはなんとすばらしいことでしょう。この作品をみることで、私はそれをこころから感じることができました。そしてジェレミーこそが、愛情にあふれた人生を生きた人でした。

最初にこの作品をみてからしばらくは、寝てもさめてもこの作品のジェレミーが私の中のどこかで歌い、踊っていたように思います。今でも、他の大好きな作品中のジェレミーと一緒に、静かに私の中に生きています。それくらい好きな作品を、今日ご紹介できて幸せです。

次回ももう少しこの映像にまつわることをお話したいと思います。

ジェレミー、お誕生日おめでとうございます。あなたの魂が私たちのまわりで生き生きと生きていることを知っています。世界中のたくさんの人を今も幸せにしているあなたを、こころから愛しています。

RM

 RM

Author: RM
コメントは承認後に公開されます。古い記事へのコメントも大歓迎です。2010年8月7日に始めました。
私の記事へのリンクはどうぞご自由になさって下さい。
和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

全ての記事を表示する

09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08 

QR