Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

NPRのインタビューは、英語のトランスクリプトとその日本語訳がりえさんのブログにありますので、ご存知の方も多いでしょう。りえさんは当時はカセットテープをお買いになったように書いてありますが、今はNPRのウェブサイトで聴く事ができます。また、この音をウェブサイトから直接聴くことができない方、録音できない方のために、この音源を使ったYouTubeのビデオについてもお知らせします。

これは、こちらでもお話ししたPBSのためのプロモーション・ツアーでアメリカを訪れた時のラジオインタビューです。以前一度ふれたDesert Island Discsというタイトルのラジオ番組に出演したのも同じこのツアーの時です。この時におこなわれた新聞のインタビューもいくつか知っていますので、後日あらためてご紹介します。

このNPRによるインタビューの魅力的な点は、短い時間の中に整った形でいろいろな話をきける点です。逆にDesert Island Discsは、音楽もまじえてより長く話している分、司会者と親しくなって、次第に話がはずんでいく様子が魅力的です。どちらも特徴のあるよいインタビューだと思います。

りえさんのブログの、このインタビューを聞き取った英語と、その日本語訳が書かれている場所は以下のとおりです。5回にわかれています。りえさんの注釈や感想も読むことができます。

「The Best of NPR」インタビュー内容 1
「The Best of NPR」インタビュー内容 2
「The Best of NPR」インタビュー内容 3
「The Best of NPR」インタビュー内容 4
「The Best of NPR」インタビュー内容 最終回

私が英語を聴くときは、往々にしてキーワードを聞き取ってなんとなくわかったような気になってしまうのですが、こうして細部まで文字にしていらっしゃることに感嘆します。これに限らず、ジェレミーのおしゃべりやインタビューをこんなふうに聞き取れたらよいなあ、と思います。

実際のインタビューの音声がきけるのはNPRのこのページです。
http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=4197258

ジェレミーとDavid Burkeの写真の下の、Real Media、あるいはWindowsという文字をクリックしてください。それぞれ、Real Player、Window Media Playerで音声が流れます。ストリーミング再生されますので、ダウンロードすることはできません。ただ、ストリーミング再生されている音声を録音するフリーソフトはたくさんありますので、これを使えば録音可能です。それよりも原始的な手段は、ICレコーダーなどの録音機をパソコンの近くにセットして録音する方法でしょう。

また、この音声を聴くためにはReal PlayerまたはWindow Media Playerがインストールされている必要があります。このような壁にはばまれて、聴けない、あるいは録音できない方のために、YouTubeにある、この音声が使われているビデオをご紹介します。YouTubeならどなたでも聴けるでしょうし、ダウンロードの方法をご存知の方も多いでしょう。

Jeremy Brett NPR Interview: Part I/II
Jeremy Brett NPR Interview: Part II/II

音はもとのNPRのものよりもかなり劣化していますが、画像も一緒に楽しむことができるのがうれしい点でしょう。

RM
1965年(1964年としているサイトもあります)の作品 'Act of Reprisal'が今年の1月3日にYouTubeにアップロードされました。以前、BBCのラジオインタビューの場所をご紹介しない内に削除されてしまった経験がありますので、取り急ぎ第一報をお届けします。場所はここです。http://www.youtube.com/watch?v=Vm8_GjSCOyU

この作品は今までDVDとなったことはなく、私は内容についてほとんど知りませんでした。ジェレミーのファンの間でも観たことがある人は少ないと思います。粗筋については観る前に知りたくない方もいらっしゃるでしょうし、私もまだわかっていないところがありますので、あらためて別の日に書くことにして、今日は物語の概要についてご紹介するだけにします。最後に画像を何枚かおみせいたします。

舞台は1950年代、イギリスの直轄植民地だった頃のキプロス島です。多数を占めるギリシア系住民の間でギリシアと合併しようとする運動が高まり、反イギリス暴動とテロ活動へと先鋭化しました。さらにトルコ系住民の分割要求も高まって抗争が激化しています。

The Jeremy Brett Archiveによれば、1964年の11月から12月にかけて、ギリシャで撮影されたそうです。プロデューサーの言葉として紹介されているのは、以下のとおりです。「これは反戦映画と言えるでしょう。民族の違いや歴史の経緯によって憎み合っている人々が、困難な時を共有するうちに憎しみが消えて行くのに気がつくのです。」

この作品は反戦思想を背景にした悲劇的なラブストーリーで、ジェレミーは植民局の若い局長です。最初はヨットに、ドライブにと気楽に遊び回っている支配者側の、考えなしの男のようにもみえます。しかし過酷な体験の内に誠実で勇敢な男として成熟していきます。この役を通じて、ジェレミーのワイルドな面も、そして情熱的な面もみることができます。不器用に見よう見まねで民族の踊りを踊る、キュートなシーンもあります。ジェレミーは最初から最後まで、ほとんど出ずっぱりと言ってもよいほどで、失われた映画になってしまうのはとても惜しい作品だと思います。その多くが岩肌の露出したけわしい山岳地帯での映像で、その風景の中での物語の進行に息を飲みます。

最後に何枚か、画面からの画像をご紹介します。クリックで少し大きくなります。最後の写真の、愛する女性をしっかりと抱いているジェレミーをみると、ああジェレミーらしいなあと思ってうれしくなります。ジェレミーを思うときの私の中の印象の一つは、この、しっかりと抱くあたたかさですから。また3枚目の腕組みをしている写真は、こちらで紹介した写真のジェレミーを思い出します。ジェレミーは紳士であるとともに、野性的な魂も持っている人だと思います。ジェレミーが演じるFreemanという役柄も、あの若さで責任者ですから育ちのよいエリートだと思いますが、次第に情熱的で野性的で勇敢な男としての姿をあらわしていきます。この作品はジェレミー自身がもつそのような面をみせてくれるという点でも、とても魅力的です。

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RM
ジェレミーが役に「なる」人であることについてお話している3回目です。今回はジェレミー自身の言葉と、ホームズの映像作品について書いたThe Television Sherlock Holmesの著者であるPeter Hainingの言葉を紹介します。

最初はジェレミーの言葉から。1991年2月の記事です。これもFor fans of Jeremy Brettでみることができます。http://community.livejournal.com/jeremybrett/117315.html

「奇妙なことに、ホームズを演じる時には体つきがかわったのです。背が高く細くなって、頭蓋骨が小さくなったようなのです。カメラの前では体型がかわる、とマリリン・モンローがいつも言っていましたが、私もそのようでした。」出典: TV Times, 16-22 Feb 1991

"It's strange, but when I played Holmes my whole body changed shape. I became long and lean. My skull seemed to shrink. Marilyn Monroe always said she changed shape in front of the camera. I think I did, too."


過去形で話しているのは、もうホームズは演じないと言っていた時だからです。33の作品を演じた、と言っていますから、CasebookとThe Master Blackmailerを撮り終わったところなのでしょう。(追記:1991年2月ならThe Master Blackmailerの撮影はまだですね。訂正します。)休暇を楽しみにしている、と言っている最後のところも紹介します。

「自由な時間をどう使うかをもう一度学びたいのです。学校を終えた時のような気持ちです。それか釣り上げられて、あえぎながら空気を吸っている魚みたいなものかもしれませんね!

ホームズを演じることで時間をとられて、1人でいることが多く友人とも離れてしまっていましたが、電話をかけて、ブリッジをしない?と誘える素晴らしい時がついにやってきたのです。

足を折ることを心配しないでスキーにも行ける。首の骨を折ることを心配しないで乗馬ができる。朝起きてスコットランドにドライブに行きたいと思ったら行ける。料理もできるんです。ストックを作っても、フリーザーに残ったままになることはもうなくて、すぐに使えるとわかっているのです。


秋にはアメリカに行っていて、アメリカでのインタビューではホームズを演じ続けると言っていますので、この休暇中に気持ちがかわったということでしょうか。今までインタビュー記事を読む時に、この休暇がどんなだったかを意識して読んだことがなかったので、今度は気にかけておこうと思います。楽しみにしていたとおりの楽しい休暇をおくることができたことをいのりたい気持ちです。

次にご紹介するPeter Hainingは、グラナダシリーズを中心にホームズの映像作品について書いたThe Television Sherlock Holmesの著者であり、The Final Adventures of Sherlock Holmesの編者でもあります。The Television Sherlock Holmesではジェレミーにインタビューを行っています。以下はPeter Hainingへのインタビューがウェブ上に掲載されている中から、ジェレミーのことを語った部分を抜粋したものです。インタビューが読めるのはこのページです。http://www.crimetime.co.uk/interviews/peterhaining.php

(ジェレミー・ブレットに会った感想を教えてください。)
あのグラナダシリーズは文字通り彼の肩にかかっていて、彼が演技しているのを見るのはすばらしい経験でした。でも確かに大変な代償をはらったといえるでしょう、あの作品が彼の命を縮めた、というのは言い過ぎかもしれませんが。彼は疑いようもなく最高のホームズです。そして彼以上のことをするのは、誰にとってもとてもむずかしいでしょう。グラナダシリーズは原典に忠実であろうとしていて、彼のホームズの演技は本を読んで感じるニュアンスそのままです。

でもすばらしいことには、夜、仕事が終わってリラックスすると、彼は本当に社交的で一緒にいるのが楽しい人なのです。私は2時間半のインタビューをマンチェスターのホテルで行いましたが、本当に陽気で愉快で、ウェイターとおしゃべりしてものすごく楽しそうでした。彼は人と話すのが本当に好きなのですが、いったんセットにはいって仕事がはじまると、集中力がものすごいのです。役に入り込むとまったく人が変わってしまいます。あれほどの変わり様をみせる人には、それまでまったく会ったことがありませんでした。


この部分の後で、いろいろな俳優にインタビューしたということを話していますので、ジェレミーが役に「なる」こと、まったく人が変わってしまうことは、他の俳優と比べて本当に驚くべきことだったのでしょう。

「あの作品が彼の命を縮めた」という言葉を読んで、まだグラナダ・シリーズがはじまってさほどたっていない頃のインタビューでの、ホームズは自分の命を縮めるか長くしてくれるかどちらかだろう、というジェレミーの言葉に胸をつかれて急いで読むのをやめたことがあるのを思い出しました。どのインタビューだったかを今は思い出すことができませんし、さっと読んだだけだったので、ジェレミーがどんな文脈の中でそう言ったかも、はっきりとはわかりません。多分俳優生命という意味で言ったのでしょう。でも読んだ時にはこの世での命を思って、胸をつかれました。

でも今思うのはこういうことです。ホームズを演じたことは確かにジェレミーの身体と精神に大きな負担をかけた、命を縮めたとも言えるだろう、でもホームズを演じたことで、ジェレミーは世代を越えて私たちのこころに長く長く生き続けるだろう。そしてジェレミーはそのことを喜んでいるだろう。

そのインタビューがみつかったらご紹介したいと思います。また、becomerであることについてのお話は、ひとまずこの3回でいったんお休みにしようと思います。

RM

追記:ジェレミーのホームズが、ジェレミーの演技が、今もなお私たちのこころに生き続けていることの証として、そしてジェレミーを愛するファンどうし、またジェレミーの仕事仲間や友人知人とのゆるやかなつながりの証として、「ジェレミーにBAFTA賞を!」の活動がなくならずに続く事をこころから願っています。署名がまだのかたで賛同してくださるかたは、どうぞこちらをご覧ください。署名方法その他を記しています。英語が得意でなくても大丈夫ですし、ネット上には名前が表示されない形での署名も可能です。
ジェレミーが役になりきるbecomerであることについて、それに関連する記事を紹介している2回目です。今回はジェレミーの言葉ではなく、それをみていた人の言葉で、出典はGoogle Booksを検索していてみつけたThe Baker Street Journalです。これは1934年に創設されたシャーロッキアンの団体であるBaker Street irregularsの機関誌ですが、その内容がネット上で部分的にとはいえ読めるとは思いませんでした。今日ご紹介するのは1995年のVolumes 45-46からで、同じ号にジェレミーの追悼式 (1995年11月29日、St. Martin in the Fields Church )のことが書かれていますので、1995年末か1996年に刊行されたのでしょう。

本を部分的に読める場所はここです。
http://books.google.com/books?id=KHsrAQAAIAAJ

グラナダ版シャーロック・ホームズをアメリカで放映していた、アメリカの公共放送サービス(PBS)のために、ジェレミーは1991年にアメリカの各都市をまわりました。その時のことを書いた記事です。検索語を入れながら、少しずつ読める範囲をずらしていくと、かなりの部分を読むことができます。ただし誰が書いたかがわかるところまでは、たどりつきませんでした。Baker Street irregularsの会員の1人であることは間違いないでしょう。一番最後には読めた部分の原文をあげます。(最近原文も記載しているのは、著作権にふれない引用の形にとどめた上で、資料の整理をしておきたいからです。)この文章の部分的翻訳はmixiに投稿しましたが、再度記載したいと思います。引用部分の最後のところを読んでにっこりとしました。

私は幸運にも、1991年10月にミズーリ州セントルイスにいました。ジェレミー・ブレットはPBSのためのプロモーションツアーで、セントルイスの市街地をおとずれていました。 集まった聴衆の1人から、なぜ鹿撃ち帽とインバネスを身につけていないのか、と尋ねられた時の彼の答えは『私がジェレミー・ブレットだからです。私がホームズだったら良いのにと思っていらっしゃるかもしれませんが、私はそうじゃないんですよ』というものでした。でもその後、イリノイ州チェスターの少年、マイケル・マクルアが、シャーロック・ホームズに会えると思って来たのになあ、とブレット氏に残念そうに言いました。そのものおじしない天真爛漫さに、ブレット氏の決意は簡単にくじけ去って、説明をはじめました。『ホームズにみえるようにするのは難しくはないんだよ。でも、ずっとホームズでいるのは、とても難しいんだ。』そう言いながらブレット氏は、椅子にすわった背中をまっすぐにし、髪を手で後ろにおさえ、そしてシャーロック・ホームズとなりました

最後のところを読むと、ジェレミーの姿が目に浮かぶようです。ジェレミーはホームズになる時、本当に顔がかわりますね。ホームズだけでなく、演じる役によってびっくりするほどかわります。顔も身体つきも動作も。これこそ、becomerであるからだと思います。

そしてジェレミーは、ホームズになるのは演じる時だけ、と決めていたのですね。でもジェレミーはいつも子供にやさしいのです! 子供がホームズを好きなことを、いつもとても喜んでいます。その少年は一瞬のうちにホームズになったジェレミーをみて、どんなに喜んだことでしょう。

ちなみにこの少年の名前は、The Baker Street Journalの前の号にも出てきて、Baker Street irregularsの会員の息子さんだそうです。そして彼の誕生日にジェレミーが電話をかけてくれたことが書かれています。(今日紹介した部分は1995年に書かれた文章ですが、1991年のできごとです。彼の誕生日にジェレミーが電話をかけたのは、1991年のアメリカツアーの後です。)ジェレミーはひとのために何かをしてあげることがごく自然にできて、そして自分自身もそれを楽しんでいたのだといつも思います。David Burkeの誕生日にホテルのレストランで、Davidのためにセレナーデを歌ってあげ(て、Davidは恥ずかしがっ)たというエピソードがあります。誕生日を祝ってあげたいという気持ちは、おそらく一度会っただけのアメリカに住む少年に対しても、かわらなかったのでしょう。そういうところがとても好きです。

RM

The Baker Street Journal: an irregular quarterly of Sherlockiana, Volumes 45-46, 1995
"World Where It Shall Remain 1895"
Page 198

... Sometimes, Sherlockians forget that there is a world outside our particular niche in the universe as a whole. This was the case of Clapton, a musician, and Brett, an actor. They were so focused on their areas of expertise that they had forgotten that to the world in general, their sphere of influence is like a drop of water to an ocean. Brett did not realize, when he accepted the role of Sherlock Holmes, that he would be expected by the faithful to become the celebrated detective. When someone in the audience asked why he did not attend in a deerstalker and cape, his answer was, "I am Jeremy Brett. As much as you might wish I were Holmes, I am not." This answer puzzled some in attendance.

Later, young Michael McClure of Chester, Illinois expressed his chagrin at expecting to see Sherlock Holmes, and meeting the actor. Mr. Brett's resolve melted when faced with such unabashed innocence, and he offered an explanation. "It is not difficult to appear as Holmes," he said, "but it is very difficult to sustain the character for long periods." With this, Brett sat straight up in his chair, pulled back his hair, and became Sherlock Holmes.



The Baker Street Journal: an irregular quarterly of Sherlockiana, Volumes 43-44, 1993
Page 189

... Michael McClure reports that Jeremy Brett reported (in a telephone call to wish his son, also named Michael, a happy birthday) that Granada is now in rehearsal for a one-hour version of The Red Circle, and that their plans call for a total of six new shows (the other five not selected at the time of the call). ...
ジェレミーは自分はbecomerだといつもいっています。演じる時、自分はその人に「なる」のだ、と。ジェレミーがホームズという人間を自分の中に生きた形でつくりあげて、見事なまでになりきっていることが、私たちがジェレミーが演じるホームズに魅了される原因の一つでしょう。そしてそれと同時に、ホームズの中にはジェレミーの魅力があらわれているということは、ジェレミーのファンは誰でもが感じるところだと思います。

becomerであることについてジェレミーが話している言葉、他の人の言葉をいくつか、このブログ以外の場所で書かせていただいたことがあります。何回かにわけて、書誌情報その他を補った形で再度書きたいと思います。

はじめはたちたちさんのブログのコメント欄で書かせていただいたものです。ブログを再開されたら、承諾いただければたちたちさんのブログへのリンクを記載したいと思います。

これはGoogle Newsでみつけました。
http://news.google.com/newspapers?id=UZokAAAAIBAJ&sjid=J6MFAAAAIBAJ&pg=5074,4327197&
Reading EagleというアメリカはPennsylvaniaの新聞の1990年7月10日号で、最後にあげる原文はその後半からです。翻訳はそのまた一部です。ジェレミーがここまで具体的に「なりきること」へのプロセスを話しているのをはじめて読みました。

ついに彼はホームズを演じることに挑戦しようと決心して、24パウンドを主に水泳によって落とし、役作りに没頭した。「俳優として演じる時、私の場合はスポンジになるのです。」彼は言った。「まずスポンジを絞り出してから、学んで吸収します。ヴィクトリア時代についての本を読むのです。読んで、読んで、読みます。誰が政府のメンバーだったのか。 この国の社会情勢はどうだったのか。ホームズはなぜ因襲にとらわれない自由人だったのか。それからドイルを読んで、ドイルを通じてこの時代をいわば嗅ぎ取ります。」

そしてそこからすべてが始まる、とブレット氏は言う。「たとえば手。彼は手をどう使うだろう?彼はどのように動くだろう?そしてせりふをささやいてみます。声をさがすためにささやいて、ささやいて、ささやいてみます。イメージがしっかりと持続するものになるように、ささやき続けます。彼のことがわかったと思ったとき、彼が充分自分の中に入ってきたときに、彼の言葉を声に出して語りはじめるのです。これは本当にわくわくするようなプロセスです。」


これをはじめて読んだ時、ジェレミーはなんと演じることが好きで、なんと創造的な過程を経て役に入り込むのだろう、と感動しました。たちたちさんも同じように感じてくださって、とてもうれしかったことを覚えています。ジェレミーを愛する方々とお話するのは、なんて幸せなのだろう、と思いました。

ジェレミーは天性の感受性はもちろんのこと、それに加えてこうしてたくさん本を読み、何度もささやき、声に出し、手を動かし、身体を動かして、役に入って行くのですね。その時のジェレミーの気持ちを感じられるような気がします。私自身は、どう間違っても俳優にはなれませんが。

RM

(原文)
Reading Eagle, Jul 10 1990
By Luaine Lee, Scripps Howard News Service

For Jeremy Brett, Holmes still bit of a mystery

(...)

Finally, he undertook the challenge, paring off 24 pounds (mostly by swimming) and immersing himself in the part. "When you do as an actor, for me anyway, you become a sponge," he said. "What you do is squeeze the sponge out. And you learn and assimilate. You read and read and read about the Victorian era. Who was in government? What was the social status of the country? Why was Holmes a bohemian? Then you start to read Doyle and you sort of sniff it through."

After he has absorbed himself in study, things begin to happen, says Brett. "Like hands. What does he do with his hands? How would he move? And you whisper, whisper, whisper because you have to find the voice. You keep whispering so the imagination keeps going. When you think you've got him – or he's enough in you – you speak. It's an enormously exciting process," he said.

Three years ago Brett even played Holmes on stage. "It was '87 and Holmes was 100 years old, so I thought I'd do an evening, a recital," he said. "It was a great success and the producer said we should do it in the West End. So we went into London for six weeks and ran a year." A national tour followed for another 11 weeks.

After six years and countless resolved mysteries, Brett's Holmes is seen in 85 countries. He receives about 5,000 letters a week, many from women who see the fictional genius as a father figure, he says.

Brett is a great deal more cheerful than his video counterpart. "His image isn't me," Brett says, smiling. "My image, I think, is a kind of a cross between Ben Kingsley and Al Pacino with a touch of a George Hamilton.... He's a genius. I'm just an actor. He's an isolationist. I'm gregarious. I think he's better read. I must be truthful," he smiles.

Though he has been enormously successful as Sherlock Holmes, the remaining six episodes are absolutely his last, he insists.

"Since 1983, that's a big chunk of my life," he says. "I have other things I really want to do."
Sherlock Holmes: The Detective Magazine(ここで何度かふれたThe Sherlock Holmes Gazetteから名前がかわった雑誌)の21号(1997年)に、ジェレミーの最後のホームズ撮影に立ち会ったLindaからの、編集部への手紙の内容が記されています。1997年というと、ジェレミーが亡くなってから2年後です。この、編集者の手によるコラム記事を紹介します。David Stuart Daviesが編集していましたので、署名はありませんが彼でしょう。

(追記:雑誌掲載分の白黒写真でなくカラーの写真がみつかりましたので、差し替えます。)

「今もジェレミーを偲んで」

Jeremy Brettが亡くなって2年がたつということは、今も信じられない。彼は1995年9月12日にこの世を去った。Linda Pritchardは、ジェレミーの最後の数年間に関わった女性だが、彼女から、最後のグラナダ・ホームズの作品、「ボール箱」の最後のシーンを彼女が撮った写真が送られてきた。

1994年のとても寒い1月、ManchesterのHeaton Parkで、ジェレミーがホームズとしての最後の言葉を発する時に撮られた写真だった。「これは何を意味するのだ、ワトスン?この苦難と暴力と恐怖の循環は何の役をはたすのだ? 何かの目的がなければならない。さもなければこの世は無意味だということになって、そんなことは考えられない。では何の目的があるというのか? これは人類にとって永遠の問題で、人知のおよぶところではない。」

ジェレミーは病院を出たばかりで、健康とはとても言えない状態だった。しかし彼はこの最後のシーン、彼のシャーロックとしての言わば最後の挨拶が、ほぼアーサー・コナン・ドイルの言葉のままであることをとても喜んでいた。健康状態が悪かったにもかかわらず、このシーンをできるだけ完璧に演じることができるように、数時間のリハーサルをおこなっていた、とLindaは手紙に書いてくれた。


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雑誌のページからのものなので画質は悪いのですが、これがそうです。(追記:カラーの写真がみつかりましたので、差し替えます。)この時のジェレミーの状態は、Lindaも書いていますが良いとは言えなかったようです。そしてこの撮影が終わってさほどたたない内に、双極性障害の悪化で入院したことがLindaの本に書いてあります。心臓の状態が悪くなって、双極性障害のための薬をかえたことが原因だったようでした。この写真の時、これが最後の作品の最後のシーンになるとおそらく知っていて(Lindaによれば、撮影に入る前に、これが最後の作品と決めていたようです)、いつものように演技に最善をつくすために何度もリハーサルを繰り返したジェレミーの気持ちを感じています。

この雑誌ではなく他のところで、同じ年、1994年の2月17日に撮られた、となっている写真2枚をご紹介します。この日付が正しければ、最後の撮影と入院の間ということでしょうか。以前ご紹介したマンチェスターのMidland Hotelでのインタビュー記事(1994年3月19-25日号のRadio Times)の写真と同じ帽子をかぶっています。同じ時の写真なのかもしれません。インタビューの時もそうでしたが、この写真でも健康状態はある程度維持されていたようにみえます。少なくともとても辛そうという感じではなく、軽く微笑んでいるので、ほっとします。画質がよくない小さな写真ですが、この写真をしばらくみて、この頃のジェレミーを感じています。

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RM

(原文)Still Remembering Jeremy
It is difficult to accept that it is two years now since Jeremy Brett passed beyond our ken. He died on 12 September 1995. Linda Pritchard, who was so much a part of his life in the final years, has send us a photograph taken by her of the final scene of the last Granada Holmes film, The Cardboard Box.

It was shot in Heaton Park, Manchester on a very cold January day in 1994, just as JB spoke his final lines as Holmes; "What is the meaning of it, Watson? What is the object of this circle of misery and violence and fear? It must have a purpose, for our universe has no meaning and that is unthinkable. But what purpose? That is humanity's great problem to which reason has no answer."

Jeremy had only just been released from hospital and was far from well. But he was so glad that this final scene, his last Sherlockian bow as it were, should contain words penned by Sir Arthur Conan Doyle. Linda says that despite his ill health he had rehearsed for hours to make sure the scene was performed as near to perfection as possible.
前回の写真にもありましたが、ジェレミーはDavidをとても愛していました。ジェレミーはAnnaとの離婚後も、ひんぱんにDavidと会っていたようです。Davidは、父は週末には僕を連れ出した、と言っていますし、一緒に長い旅行にも出ています。AnnaがDavidを育てるのをジェレミーが手助けした、という面もあったでしょうが、Davidとジェレミーが自由に会えるようにはからったAnnaも偉いと思います。ジェレミーがAnnaをすばらしい前妻だと言うのもわかります。そしてAnnaがジェレミーとの関係をDavidのためにもそのように良好なものに保ち続けた原動力の一つは、やはりジェレミーの魅力とやさしさだと思います。

Annaに私が感謝したいもう一つのことは、ジェレミーが人生のある時期に同性をパートナーに選んだことを受け入れサポートした、ということです。Annaはジェレミーとの結婚生活がたちゆかなくなった頃、以前から親しくしていた劇作家、作詞作曲家、俳優、その他多くの仕事をした才人で同性愛者でもあるNoel Cowardに相談していて、その時のことが彼の日記に書かれていることを、Google BooksとAmazonを検索してみつけました。

The Noel Coward Diaries, Page 489:
Adrianne (Annaの母), Bill(Annaの義父) そしてAnnaと木曜日に食事をした。Annaとは腹を割った長い話をしたが、Annaはとても分別があった。ジェレミーとのことをすべて話し合ったが、彼女は何の敵意も恨みも示さず、状況をきちんと受け止めていた。彼女が賢く、大人としての態度を持ち、思慮深いことに感銘をうけた。

(原文)We dined on Thursday with Adrianne, Bill and Anna [Massey]. I had a long heart-to-heart with Anna, who couldn't have been nicer or more sensible. We went into the whole Jeremy [Brett] business and she evinced no malice or spite, merely a dignified acceptance of the situation. I really was deeply impressed with her wisdom, maturity and plain horse-sense.


Annaにとって、ジェレミーがAnnaと別れて男性のパートナーを選ぶということは、ショックだったに違いありません。それでも、そのことを恨まずDavidのためにも友人としての関係を続けたことは、Davidを深く愛していたジェレミーにとって、どんなにありがたいことだったでしょう。そして、離婚は二人が性格的にまったく逆であったことがもともとの原因であったとしても(Davidが二人は正反対だ、と言っています)、ジェレミーはAnnaにすまないと思っていたはずですから、気持ちの上でどんなに救われたでしょう。

JeremyがGary Bondと出会うのは、離婚から約7年がたってからですが、このこともAnnaは受け入れています。Annaは、Garyとジェレミーがパートナー関係にあった時期にもGaryとラジオドラマで共演したことがあり、彼のことをよく知っていたそうです。そして以前に紹介しましたが、Davidもまた父親を深く愛していて、ジェレミーが亡くなった後の悲しみは長く癒えませんでした。Davidは17歳の時に、Notting Hillのジェレミーの家の最上階の独立したフラットに移っています(http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/features/david-huggins-public-faces-in-private-places-747515.html)。移ったのはおそらくちょうどジェレミーとGaryが別れた頃、あるいはその後ですが、それまでもよく二人の家をたずねていたそうです。そして少なくとも大学生の時にはGaryが父親のパートナーであったということも知っていて、そのことは彼にとって何の問題でもなかったとともに、必要ならそれをそしる人から父親を守るだけの気概を持っていたらしいことを、最近知りました。

時代は今と違って、Davidが大学生だったのは30年以上前のことにもかかわらず、Davidがそのように育った一因は、母親であるAnnaがジェレミーを受け入れていたことでしょう。そしてもちろんここでも、ジェレミーの人間としての魅力を思います。ジェレミーは少なくともはじめは自分が同性も愛することに苦しみ、それを恐れたはずですし、Annaもそう言っています。AnnaとDavidが、ジェレミーが男性も女性も愛することをきちんと受け入れてくれたことは、ジェレミーが自分を責めずに、自分の気持ちに正直でいられるのを支えたことでしょう。

それで私はこのことを最近知って、とてもうれしく思いました。

ここで大学生のDavidが出て来るStephen Fryの去年出版された自伝の一部を引用します。Stephen Fryは俳優、コメディアン、作家、脚本家などの多彩な顔を持つ人で、ガイ・リッチーの映画のホームズの続編でマイクロフトを演じるそうで、以前からのシャーロッキアンでもあります。また「ジェレミーにBAFTA賞を!」の活動の強力なサポーターです。(署名がまだの方はどうぞここをご覧下さい。)以下はケンブリッジ大学でのことです。

ある午後、Dave Hugginsが中庭で私を呼び止めた。「母が君の劇を観に来るって。」「お母さんが?」私は驚いた。Daveは劇には関わっていなかったから、子供が出ない劇を親が見に来るのは妙だと思った。「うん、母は女優なんだ。」私はHugginsという名前の女優を思い出そうとしたが、思い出せなかった。「あー・・・それはいいね」

「うん、父も俳優なんだ。」「僕知っているだろうか。」「さあ。二人とも芸名を使っているからね。母はAnna Massey、父はJeremy Brettっていうんだ。」「えっ、でも・・・何てことだ!」Anna Masseyが僕を観にくるんだって?いや、僕を観に来るとは言わないだろうけど、僕が出る劇を観に来るんだ。「お父さんは来ないんだろうね?」「うん、来ないよ。両親は離婚したんだ。父はゲイなんだ。」「えっ、そうなの?知らなかった・・・。えっと、それはそれは、驚いたね!」私は興奮でよろよろとしてぼーっとなった。


これはちょうど、ジェレミーがGaryと別れてJoanと結婚する頃、あるいは結婚した後ですから、実際はgayではなく、bi なのですが。ただ、言わなくてもまったくかまわないのに、「父はゲイなんだ」と言ったDavidからは、「なんか問題がある?問題だなんて、君はそんな馬鹿な事いわないよね?」という挑戦的な気持ち、あるいは茶目っ気が感じられて微笑ましいと思います。そしてもしもそれを問題にする人がいたら、無視するか、あるいは必要なら父親を弁護して守ったことでしょう。

これが投稿された時に喜んだ人の中には、ジェレミーが両性愛者であったことを家族は恥じているから、ウェブサイトに書かない方がよい、と忠告された人がいました。でもAnnaは自伝でもインタビューでも、ジェレミーが男性を愛したことを言っていますし、今回Davidがまったくそのことを問題としていないことがわかって、喜んでいるのです。

そして私が喜んだのは、先に書いたように、ジェレミーが愛したDavidが、ジェレミーのことを全面的に受け入れてくれていたことを知ったためでした。そしてそのように育てたAnnaへの感謝の念を持ちました。

(原文)
Dave Huggins stopped me in Walnut Tree Court one afternoon.
"My mum's coming to see your play tonight."
"Is she?" I was surprised. Dave wasn't in the drama world, and it seemed odd for a parent to come to a production that her child wasn't in.
"Yeah. She's an actress."
I consulted my memory to see if I could offer any data on an actress called Huggins. It had no suggestions. "Er...well. That's nice."
"Yeah so's my dad."
"Might I know them?"
"Dunno. They both use acting names. She's called Anna Massey and he calls himself Jeremy Brett."
"B-but...good God!"
Anna Massey, coming to see me in a play? Well not expressly to see me, but coming to play that I was in.
"Your father won't be there as well, will he?"
"No, they're divorced. He's gay."
"Is he? Is he? I didn't...well, well. Goodness. Blimey. My word.
I tottered off, numb with excitement.


RM

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Author: RM
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和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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