Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

ラジオ番組 Desert Island Discsは、無人島に行くことになったら持っていくであろう音楽をゲストが5曲選んで、それを流しながら番組のホストと話をするというものです。1991年にジェレミーがアメリカ・ツアーに行ったときにアメリカで収録されたものの録音が残っていて、以前こちらでその一部、ハムレットを演じたときのことと、南アメリカへのヒッチハイクの旅について話している部分をご紹介しました。今日は奥様Joanの話をしている部分を一部抜粋してご紹介します。

はじめから年代を追って話をしてきて、南アメリカへの旅と、Alec Guinessと共演した芝居の話をします。「その次はどんなことが起きたんですか?」と司会者が問うのに答えて、

それから「Design for Living」の芝居に出ました。その時は知らなかったのですが、最愛の人が僕をみていました。彼女はステージにいる僕をみたのです。一度彼女にたずねたことがありました... 。ちなみに彼女の名前はJoan(ジョーン)といいます。Joanie(ジョーニー)は...(司会者が「彼女は普通に観客として劇を観に来たのですか?」とたずねるのに対して)芝居に出ていた僕を観に来たのです。彼女が言うには「あなたのせりふを聴いていたんじゃないのよ。あなたの足の動かし方をみていたの。」それをきいて、顔が真っ赤になりました。(司会者が笑う。)

他の機会には、ジェレミーは「Joanは僕が片方の足からもう片方へ、重心を移すやりかたが好きだった」と言っています(引用されているのですが、出典はわかりません)。Joanは多分、ジェレミーの独特な身のこなしが好きだったのですね。


1975年には、「The Rivals」の撮影中でした。そしてそのとき僕たちは出会ったのです!彼女がそのお膳立てをしたのじゃないかと思うのです。というのは僕以外にも主要な出演者はいたのに僕が選ばれたのですから。カメラの前ではじめて出会い、話しているところを4分間収録するはずが、2時間半カメラの前で話し続けました。そして1978年に結婚した時、新郎の付添人をつとめてくれた友人が、結婚のプレゼントとしてカットされた部分を贈ってくれました。僕らが暗い中でその映像をみたのは幸いでした。だって顔が赤くなっていましたからね!

二人が出会ったのは、Joanがプロデューサーだった番組「Classic Theatre」で、ジェレミーが出演している「The Rivals」を放送するのに先立って、アメリカの視聴者にこの作品とその脚本家Sheridanの紹介をするためにつくられた番組(Classic Theatre Preview, 1975年11月放映)の収録の時でした(新聞のテレビ欄より)。ちなみに結婚の年については、別のインタビュー(Evening Times, 1986年8月)ではジェレミーは1976年と言っていますし、The New York TimesのJoanの死亡記事や、Boston GlobeのJoanを紹介する記事では1977年、The GuardianやThe New York Timesのジェレミーの死亡記事では1978年となっています。ウェブサイト Jeremy Brett InformationをつくっているRebeccaは頭を抱えていて、ロンドンのとある女性が後で困ると知っていたら、ジェレミーももっとはっきりさせてくれたでしょうに、とぼやいていました。私は、二人が人生のパートナーとして生きることを決めたのが1976年、アメリカで結婚披露のパーティをひらいたのが1978年なのではないかと思っています。そしてDancing in the Moonlightにも記述がある1977年11月22日というのは、公式な結婚届けの日にちではないでしょうか(アメリカにもイギリスにも戸籍制度はないそうです)。


僕たちは誕生日が同じなんです。(司会者の「いつですか?」の問いに)11月3日です。(「おめでとうございます」)はい、もうすぐです。義理の母とすごす予定にしていて、楽しみにしています。僕たちはとても愛しあっていました。(どんな仕事をしていたのですか?)彼女は「Mystery!」をつくったんです。(え、本当ですか!)

Joanとジェレミーは同じ誕生日でした。誕生年に関しては、Joanが3歳2歳年上だと書いているウェブサイトもあるようですが(Brettish Empire)、今のところはっきりとはわからない、と多くの人が考えているようです。というのは死亡記事でも、Joanは本人の意思で年齢を明らかにしていなかった、とされていますし、Massachusettsにあるお墓の墓石にも生年は書かれていないのです。(ウェブ上でお花を捧げることができるサイトに、お墓の写真があります。http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=6839525)ただ、私もJoanはジェレミーとほぼ同じ年齢か少し上だと想像しています。(追記:genealogy(系譜学)の専門家によると、データベースによればJoanは5歳年上だそうです。)

「Mystery!」はアメリカの公共放送サービス(PBS)の番組です。ジェレミーのホームズはアメリカではこの番組で放送されました。

Joanとの出会いを話すところでは、はじめはこころなしか、声が悲しげにきこえますが、その後はとても楽しそうに話しています。「彼女は『Mystery!』をつくったんです。」と言うところは、本当に誇らしげです。この音声は以前のThe Jeremy Brett Archiveにはあったのですが、Jeremy Brett Informationにはまだアップロードされていません。アップロードされたら、またお知らせします。

このあと、Joanがどんな女性だったかをジェレミーが話しています。続きは次回ご紹介します。

RM
1991年10月にアメリカの新聞に載ったインタビューから抜粋してご紹介する2回目です。前回の部分の後で、ホームズがコカインのボトルと注射器を捨てるシーンについて話しています。その次が、ジェレミーの最愛の奥様、Joanのことにふれている部分です。

ダラスに来た理由ははっきりしている、とブレット氏は言う。「ここにいるのは、PBS(公共放送サービス)のためです。私の妻はPBSのために生涯をささげました。私は妻の思い出のために、ここにいるのです。妻がPBSの番組、『Mystery!』をつくったプロデューサーだったのはご存知でしょう。」その時ジェレミーの目は、窓の外を飛翔するものをとらえた。「あそこに鷹がいる。」ジェレミーは空を旋回する鳥をみつめた。「妻と私は誕生日が同じ日でした。妻は『Masterpiece Theater』(イギリスのテレビ番組をアメリカで紹介する番組)のエグゼクティブ・プロデューサーも15年間つとめました。彼女は私たちの2つの国の間に、繊細な橋をかけたのです。彼女の魂に祝福がありますように。あそこに飛んでいるあの鳥は彼女です。」

ジェレミーはJoanの魂が近くにいることを、自然の中にいることを感じていたのですね。こういう感覚はキリスト教的というよりも東洋的に思えて、私たち東洋人はジェレミーの気持ちをとても身近に感じられるような気がします。ジェレミーは瞑想の時に仏像を近くに置いていたそうなので、東洋の感じ方にもひかれていたのかもしれません。

特にこの時はアメリカにいたこともあって、Joanが懐かしくて、彼女を失ったことを思って悲しかったのではないかと思います。この同じアメリカツアーの時に収録されたラジオ番組 Desert Island Discsでは、Joanのことを本当に誇らしげに愛しげに話しています。その後彼女の死にふれ、母と彼女にフォーレのレクイエムを捧げる、と言うときのジェレミーの声が忘れられません。

Joanの魂を鷹のなかに感じた、ということに少し驚く方もいらっしゃるかもしれません。鷹は女性的ではないようなイメージがありますから。でもJoanは美しいと同時に、つよい意志を持った有能な女性で、ジェレミーは彼女のことをbeautiful and gutsy (美しくて精気にあふれている)と言っています。ですから美しく堂々と空を舞う鷹に彼女をかさねるのも、自然だと感じます。

次回は上でふれたラジオ番組 Desert Island Discs の、Joanのことを話している部分について書こうと思います。

最後にジェレミーがサインして、メッセージを添えている写真をご紹介します。写真はクリックで大きくなります。
JBSpring.jpg

Spring is in the air! Joy to us all. J.B.
空気に春が感じられますね!僕たちみんなを幸せな気持ちにしてくれますように。J.B.


ジェレミーらしい言葉だと思います。今まだ、とても春の訪れを感じるどころではなく生活していらっしゃる方々の元にも、遠くない時期に春が静かにやってきますように。

RM
1991年10月24日に、アメリカ・ダラスの新聞にのったアメリカでのインタビュー記事からの抜粋です。これは昨年りえさんのブログのコメント欄でもご紹介したことがありますが、とてもこころに残っているので、少し書き直して再度ご紹介します。今日はその一回目です。

「1987年にシカゴの11歳の少女から届いた手紙のことが忘れられません。俳優である私の友人から、私が出演している劇場に電話がありました。電話番号を言って、『明日この番号に電話してくれるかい?小さなルイーズ・アンが君とベット・ミドラーの大ファンなんだ。』でも私はなぜかわからないけど、すぐにその番号へ電話をかけたのです。芝居の幕があがる30分前でした。女の子は眠っていましたが、彼女の叔母さんと話ができて、私から電話があったことを彼女に伝えてくれると言いました。私は、私のいっぱいの愛を伝えました。彼女は目をさまして私からの言付けをきいて、永遠の眠りにつきました。白血病でした。その後、亡くなる3週間前に私に書いてくれた、とても優しい手紙が届きました。彼女は私のことを案じて気にかけてくれていたのです。テレビ撮影のライトはあぶなくないか、私が気持ちよく健康にすごしているか気にかけてくれていました。彼女が亡くなった後、彼女の友達と手紙をかわしましたが、その友達も15歳の時に交通事故で亡くなってしまいました。だから今、二人は私を守ってくれる天使なのです。」ブレット氏のこころの内を映し出して、彼の瞳は光っていた。

1987年とありますがこの年には舞台出演はないと思うので、多分「The Secret of Sherlock Holmes」(1988-9)だと思います。

ジェレミーは自分が直観的だ、ということを何度も言っています。明日電話をしてくれ、と言われて、なぜかその日に電話をしたのも、今日でなければ、というジェレミーの直観だったように思います。それでルイーズはジェレミーの言葉をきくことができました。

ジェレミーはそのようにして、自分を必要とする人に自然に寄り添うことができる人だったと感じます。そして自分を思ってくれた人のことを、ずっと忘れなかったのだと思います。

追記;ジェレミーはとてもいろいろな面を持った人だったと感じています(もちろん、人は皆そうだ、という言い方もできるでしょうが。)ここではその時々で、私が感じているところをお話しているのだと理解してくださるとうれしいです。最近、ここを読んでくださる方がいらっしゃるとしたら、どのように受け取っていらっしゃるのだろう、と思うことが多いのです。すごく偏ったことを書いている、ファンタジーを書いている、と受け取っていらっしゃらないだろうか、と思うのです。通して読んでいただければわかってくださると思うのですが、私はジェレミーが完璧な人間だったとも、天使のような人だったとも思っていません。多くの人を愛し多くの人に愛され、人を悲しませたことがあっても理解されて互いに友情を持ち続けて、人生における幸せな時も悲しみの時も十分に生きた人だと思っています。

RM
私がジェレミーにひかれる理由はたくさんあります。内からわきでるこころのあたたかさを持っていたこと、自分が悲しみを経験したことで、それまでにまして悲しんでいるひとのこころに寄り添ったこと。これは、ジェレミーにひかれる理由の中のとても大きな部分です。ジェレミーのことを話しているうちで、"Jeremy was beautiful inside and out." という表現にふれることがあります。ジェレミーは本当に美しい容姿を持っていたけれども、私たちがここまでジェレミーにひかれるのは、内側の美しさ、あたたかさを感じるからだと思います。

こういう時だから、ジェレミーのそのあたたかさにふれたくなります。少しずつ、ジェレミーのインタビューや、他の人がジェレミーを語る言葉をご紹介していこうと思います。今日はその前に、思っていることを書いてみます。

私は今の自分が不思議になることがあります。そしてここ2年の自分の変化のおおもとは、ジェレミーでした。ジェレミーのあたたかさが私をかえたと思っています。

国をこえたファンの言葉にふれるようになって驚いたのは、多くの人が私と同じような意味でジェレミーと出会い、ジェレミーに助けられた経験を持っている、ということでした。"He has touched my life."と言っている人を何人も知ったとき、それはまさに私のことだ、と思いました。ごく最近でも、同じアジアの女性が、"He has changed my life."と書いているのを読みました。

精神や身体の病で辛い思いをしている人、肉親を亡くした人、心の傷をかかえている人もまた、ジェレミーにひかれ、助けられています。精神の病で死の淵にいた人が、死ぬことを思いとどまったのも知っています。今は亡きイギリスの一人の俳優がそのような力を持つことは、不思議なことにも思えてきます。

悲しみの共同体、という言葉が思い浮かびます。悲しみを背負ってこの世界で生きている私たちに、ジェレミーのあたたかさは、悲しむ個人個人がこの世界にたった一人で放り出された存在ではないことを、感じさせてくれるのだと思います。私たちがこのからだとこころに閉じ込められた孤独な一人ではないことを、感じさせてくれるのだと思います。私にとって、ジェレミーはそういう人です。

RM
今朝、りえさんのブログのコメント欄にも書かせていただきましたが、こちらでも書きます。

数日ぶりに、"Jeremy Brett Information"のメインページを今朝開いて、「ああ...」と思わず声が出て、心があたたかくなりました。もう何度もみておなじみのメインページ、ジェレミーの素敵な写真が並ぶページのトップに、サイトの運営者であるRebeccaが書いた「Please Help Japan!」の文字がみえます。
http://www.jeremybrett.info/

その文字の下には、寄付ができる場所へのリンクが記されています。

Please Help Japan!
日本を助けてください!
(津波に関するアピール)

Shelterbox:寄付はこちらのリンクから
英国赤十字社:寄付はこちらのリンクから
米国赤十字社:寄付はこちらのリンクから
国際医療隊:寄付はこちらのリンクから


世界中からジェレミーを愛する人達が訪れるウェブサイト、そこに日本をおもう文字があたたかい心とともに記されています。

RM
昨日の地震と津波でご自身が、あるいはご家族・ご友人が被害を受けた方に衷心よりお見舞い申し上げます。まだ被災地の方と連絡がつかずに不安な思いを抱えていらっしゃる方、心からご無事を祈っております。

今回の災害で、日本を案じるメッセージをジェレミーのファンの方々からいただき、心を打たれました。もしもよければ、お読み下さいませ。

昨日午後3時前に起きた地震に対して、ジェレミーファンのフォーラムで午後4時半頃、最初の書き込みがありました。イギリスのファンからでしたので、現地は午前7時半頃のはずです。続いて日本時間で午後5時過ぎにやはりイギリスのファンから、心配しているというメッセージがありました。その頃私は、この地震がどのような被害をもたらすのか、どのくらい深刻なのか、まだわかっていませんでしたが、地震発生後1時間半で、遠く離れたイギリスから日本を案じる最初の言葉が届いたことに心を打たれました。返答は遅れましたが、私自身は無事であること、ただ被災地の状況を心配していることを書きました。

BBCのウェブサイトでは、BBCのニュースがライブと録画で繰り返し流され、日本の地震がトップニュースになっていました。文字情報も刻々と書かれていて、日本在住のイギリス人の報告や、通信社からの配信内容、BBCの日本駐在支局員からの情報、イギリスのキャメロン首相の日本へのお見舞いの言葉などを読み、エリザベス女王がお見舞いの言葉を天皇に送ったということも知りました。世界中のたくさんの国が支援を申し出たことや、国連事務総長の会見のことも知りました。ネットの普及によって世界がより近くなり、情報が瞬時に、そして直接的に伝わるようになり、世界中がこの今という時に日本を注視し、案じていることを実感しました。

ファンフォーラムでその思いを伝えたくて、もう一度つたない言葉で書き込みました。私が伝えたかったのは、ジェレミーファンの皆さん、そして皆さんの国が日本を心配してくださっていることに感謝していること、私は今、世界という家族の一員であると感じていること、それはジェレミーを知って、英語で読み書きするようになり、このように皆さんとお話をするようになって、国をこえたつながりを感じるようになったからであること。

私の英語でどれだけ伝わったかわかりません。でも少なくとも感謝の気持ちは伝わったはずです。イギリスとアメリカの何人かの方たち、そしてもう一カ国別の国のジェレミーを愛するファンの方が、日本への気持ちをあいついで伝えてくださいました。その中から引用して、この記事を終わります。この国のことを思ってくださるかたの気持ちを感じていただければ幸いです。

Your country is in our thoughts.
(あなたの国のことを私たちはとても心配しています。)
I want to add my thoughts to the others concerning Japan. 
(私も皆さんと同じように日本のことを案じています。)
I send prayers to all those affected.
(被害にあわれた方のために祈っています。)
I just want to add my voice to everyone else's here, to say I hope and trust you will be well, and that Japan will endure.
(ここに集う皆さんと同じように、日本がこの困難に耐えてもちこたえることを信じています。)

RM
つい先日eBayにジェレミーのとても素敵な手紙が出品されました。俳優Vincent Priceに宛てた1991年の手紙です。英語圏のファン・フォーラムでこれが紹介されると、皆が楽しそうにいろいろなことを書いていました。ジェレミーの手書きの文字は私には時々読めないことがあるのですが、皆がわいわいきゃーきゃーと感想を書いてくれたおかげで、今回はわかりましたので、文面も含めてこの手紙をご紹介します。

まず簡単にこの手紙の背景から。Vincent Priceは1911年生まれのアメリカの俳優で、文化人としても有名だったそうです。ジェレミーより20歳以上年長なのですね。エドガー・アラン・ポー作品など、ホラー映画の主役として活躍し、マイケル・ジャクソンの「スリラー」では曲中のナレーションを担当したそうです(http://en.wikipedia.org/wiki/Vincent_Priceを下へスクロールした中程、右側の「Vincent Price - "Thriller"」と書かれた文字をクリックすると、このときの声をきくことができます)。また、アメリカでグラナダ・ホームズを放送したPBSの番組「Mystery!」は、ジェレミーの最愛の奥様Joanがプロデューサーでしたが、Vincent Priceはこの番組のホストを1981年から1989年までつとめました。eBayの出品者からの説明には、ジェレミーはJoanを通じてVincent Priceと知り合った、と記されています。ちなみにグラナダ・ホームズの第一作目、「ボヘミアの醜聞」のアメリカ放送時に、Vincent Priceがホストとしてこの作品について話している映像が、YouTubeにあります。作品がはじまる前、そして作品が終わって、クレジットロールの前に話す部分が、この映像には含まれています。そしてさらにクレジットロールの後には、プロデューサーとして、ジェレミーの奥様 Joan Wilsonの名前を見ることができます。
Mystery! Intro with Vincent Price: Scandal in Bohemia

ウェブサイトBrettish Empireのhttp://www.brettish.com/later-stages.htmlの上から3つ目の画像でJoanの右にいるのは、説明文には書いてありませんが、Vincent Priceなのではないかと思います。「Mystery!」の打ち合わせ中の写真なのではないでしょうか。

出品者による説明には、さらにこのように書かれています。

「この手紙は、1991年11月にジェレミー・ブレットがヴィンセント・プライスに宛てた手紙であり、ブレットはロサンジェルスへの旅行を終えてイギリスへ帰ったところだった。ブレットはロサンジェルスに滞在していた時、ビバリー・ヒルズ・ホテルでヴィンセントとその娘であるヴィクトリアとディナーを楽しんだ。」

1991年11月ということは、何度もここでもお話しているPBSのためのプロモーションツアーで、ロサンジェルスを含むアメリカの都市をまわった後、イギリスに帰って手紙を出したのですね。

それではまず、封筒の表書きです。航空便であることを示すためにジェレミーが描いた上向きの矢印がなんて可愛らしくて、遊び心に満ちているのでしょう!U.S.A.から伸びる矢印についてはフォーラムでは誰も何も言っていませんでしたが、これはアメリカから長い距離を帰ってきましたよ、という感じかしら、と思ってみていました。
JBLetter1.jpg


次は手紙の最初の部分から。Clapham Commonのフラットの絵がついた便せんなのですね!「僕のうちです」と最上階を丸で囲っています。楽しげに丸を描くジェレミーを想像できます。
JBLetter2-2.jpg

次が最後の部分ですが、この部分の前に、1枚かそれ以上の文章が書かれているようです。この写真と上の写真をみると、どちらにもうっすらと文字が透けてみえますから、どちらも裏にも書かれていたのでしょうか。
JBLetter3.jpg

この最後の部分では、「Victoria(Vincentの娘)に一杯の愛を伝えてください。そしてあなたの息子さんにもいつかお会いできるのを楽しみにしています。」と書いた後、

Dear friend, do try &
get some swimming?
It's the gentlest & bestest
exercise in the world.

Meanwhile,
Tons of love
from Jeremy B.

「ヴィンセント、水泳をやってみるのはどうですか?泳ぐのはとても適度で、そして一番良い運動ですよ。
それでは、ものすごくたくさんの愛をこめて。Jeremy B.」


"bestest"がキュートだ、という声があがりました。goodの最上級のbestをさらに強調してbestestとしているのですね!そしてヴィンセントの身体を気にかけて、水泳をすすめているのがジェレミーらしいですね。(このときヴィンセントは80歳です。お元気な80歳だったのでしょうね!)会ったときに水泳の話が出たのではないでしょうか。ジェレミーは泳ぐことが好きだったようで、ホームズの役をひきうけるために体重を落としたときも、主に水泳で、と言っていましたし、休暇に島や海に行った話も何度かききました。海辺での写真も何枚かみたことがあります。

そして最後の "Tons of love" がとても素敵ですね。

この手紙に関しては、大文字の "D" がとてもセクシーだと言う人がいて、同意の声があがりました。D の書き方が独特だ、とは私は気がつきませんでしたが、確かに、D に限らなくてもとても生き生きとしたペンの運びで、見ているだけで幸せになれそうです。

ジェレミーの声の魅力は皆様ご存知でしょう。Vincent Priceも声が独特なことで知られていたようです。ですからこの二人がそれぞれあの声でおしゃべりしているところを想像できる?とか、何を話していたか、壁の虫になってそっと聴いてみたいと思わないファンがいるかしら?などという声があがっていました。「壁の虫になってそっと聴きたい」などと言う表現を読んで、ちょっとうれしくなりました。とても素朴で、そして万国共通の思いですね!

以上が今回の手紙のご紹介でした。以前ジェレミーの私信をご紹介したことがあります。あの時も踊るようなペン運びをみているだけで楽しくなりましたが、今回の手紙はあの時以上に読んでいる私たちを幸せにしてくれるような気がします。

RM
また、写真をご紹介したくなりました。Jeremy Brett Informationから、今度はBehind the Scenes(ホームズの舞台裏)の写真です。メインページ(http://www.jeremybrett.info/index.html)のJeremy Brett Informationの文字の下のSherlock Holmes, Galleries and Episodes Detailsをクリックしますと、このページ(http://www.jeremybrett.info/holmes.html)に行きます。このページ中のBehind the Scenesと書かれている文字をクリックすると、1ページあたり15枚の写真が並んでいますので、みたい写真をクリックしてください。

今回もここでは3枚選びました。元のサイトへ敬意を表して、いずれも少し小さくして載せています。元の写真へのリンクを記していますので、大きな写真はそちらでご覧ください。

スーツ姿のジェレミーは、何度みても格好良くて、きゃーっ(squee!)と言ってしまいそうです。でもいつもはジェレミーにばかり目が行くのですが、David Burkeも良く見ると(失礼!)格好良いですね。Michael Coxが、ワトスンは女性にも魅力的にみえるようでないと駄目だ、David Burkeなら大丈夫だと思った、と言っているインタビューを最近読んだのですが(The Armchair Detective, 1992)、納得です。この写真では、二人は別に背中でお互いに支え合っている訳ではないのですが、どういう加減か背中が中央寄り、お互いの方に少し傾いてみえますね。それも二人の(ホームズとワトスンの、そしてJeremyとDavidの)友情を象徴しているようで、印象的です。

BehindTheScene1.jpg
http://jeremybrett.info/behind/imgpages/image013.html

これはStarring Sherlock Holmesという本でみました。The Hound of the Baskervillesのページに載っていますので、その時の写真なのでしょう。Liverpoolのロケ地で、とキャプションがついています。動物が、特に犬と馬が好きなジェレミーが、馬に話しかけているようにみえます。グラナダシリーズの後半でプロデューサーをつとめたJune Wyndham Daviesは、撮影に馬が使われる時にはいつもジェレミーはとても喜んで、たとえ雨が降っていても撮影の場所でどこよりも真っ先に厩(うまや)に行った、ポケットの中には角砂糖やリンゴが入っていた、と言っています。(Dancing in the Moonlight より)
BehindTheScene2.jpg
http://jeremybrett.info/behind/imgpages/image055.html

これはThe Television Sherlock Holmesという本でみました。ジェレミーの左後ろにいるのは、腕で顔がかくれていますが、監督のPaul Annettではないかと思います。
BehindTheScene3.jpg
http://jeremybrett.info/behind/imgpages/image035.html

別の写真ですが、こちら(http://jeremybrett.info/behind/imgpages/image001.html)は建設中のベーカー街でのスナップで、ジェレミーの手前にいるのがPaul Annettです。彼はグラナダ・ホームズで最初に撮影が行われた「美しき自転車乗り」の監督をつとめましたし、その他には「ボヘミアの醜聞」「ぶなの木屋敷の怪」の監督も彼で、グラナダシリーズの方向性を決めた重要な人物の一人だったようです。

Paul Annettが語るいくつかのエピソードが、Bending the Willowにものっています。たとえば、ジェレミーはラッシュ(編集前のフィルム)のすべてを熱心にみた、ラッシュをみるすべての機会に参加した俳優はジェレミー以外には私は一人しか知らない、撮影の技術的な側面に対して彼は鋭い感覚を持っていた、と述べています。ベーカー街建設中の写真や、この撮影中の写真をみると、ジェレミーが自分の演技だけでなく、作品をつくりあげるすべての段階に能動的にかかわっていたことが見て取れます。

今日も3枚紹介しましたが、どうぞ他の写真はJeremy Brett Informationでお楽しみください。

By courtesy of Jeremy Brett Information

RM

追記:皆様もブログなどでこのサイトからもらってきた画像を使う場合は、このサイトのアドレスを記しておくとサイトの持ち主も喜ぶと思いますし、礼儀にかなっていると思います。たくさんのファンが投稿した画像を一カ所に集めてくれたことに感謝の意を表するために。

追記その2:Paul Annettは「ジェレミーにBAFTA賞を!」の署名活動のサポーターでもあります。ジェレミーの友人や仕事仲間が、これだけ長い時間がたった今も、ジェレミーのために力になりたいと思っていることに、いつもこころを動かされます。そして私たちファンも、時がたってもジェレミーを忘れることはありませんね。署名なさっていらっしゃらない方で、興味を持ってくださるかたは、どうぞこちらをご覧ください。英語が得意でなくても大丈夫です。
英語圏のファン・フォーラムに加えて、ここ数ヶ月、フランス語圏のフォーラムも興味のある話題のスレッドに限って読んでいます。といってもフランス語は読めないので、Yahoo! Babel Fishという、ネットの自動翻訳サービスを使って英語に変換して読んでいます。両方の言語によるファンの投稿を読んで感じていることを書いてみようと思います。

以前から読んでいた英語圏のファン・フォーラムで、今まで知らなかった単語もいくつか覚えました。典型的なものは、"squee" です。私が持っている英和辞典にも英英辞典にものっていませんがどうも、日本語の「きゃー!!」という、喜びと興奮を示す言葉に対応するようです。動詞、名詞、間投詞(感嘆詞)として使われるようです。(http://en.wiktionary.org/wiki/squee

誰かがが素敵な写真を投稿すると、"Squeeee!" なんていう感嘆詞が何人もの投稿で並びます。また、"Let's squee!" などと、動詞としても使われます。

そんなふうに他愛のない言葉が並ぶ時も多いのですが、かなり長い議論になることもあります。その時に思うのは、欧米の文化は、言葉を論理立てて並べて、一つの意見を相手に伝えることを基本としているようだ、ということです。相手の意見に反対だということを表明するのを、私ならためらうだろう、あるいは自分が言ったことに反対だと言われると狼狽するだろう、と思うような場合にも、ためらわずに意見を言えるようです。

また一方で一部の例外をのぞいて、私が読んできた議論では、丁寧な口調と相手を尊重する態度は失われていませんでした。そして、私が印象的に思ったのは、”We agree to disagree." というような表現です。「あなたと私では意見が違う、ということで意見が一致しましたね。」

そのような議論を読むのはなかなか興味深いのですが、ときどき、そこまでの議論が必要かしら?と思うこともあります。白黒はっきりとしないことだってあるのですから。(もちろん、"Who knows?" 「わからないですね」としめくくられることもあります。)

最近フランス語圏のフォーラムを読んで、英語圏に輪をかけて議論がおこなわれているように思いました。私が読もうとするトピックが、議論を呼ぶようなテーマに関係している、ということもあるのでしょうが。「明晰ならざるものはフランス語ではない」という言い方があるようで、これはもともとは論旨を伝えることに関してではなく、フランス語の構文に関して述べていることのようですが、それでも私の印象として、フランス人もまた英語圏の人と同様、あるいはそれ以上に議論を好む、議論することを楽しむのかもしれない、と感じました。

私も議論に参加するか否かは別にして、きちんと自分の気持ちや意見を言葉で表現できるようになりたいと思います。自分の深いところからの気持ちを言葉にのせて、時に、自分が触れてその中で生まれ育った日本語を使ってここで、時に英語で日本以外のジェレミーを愛する人たちにも伝えられたら、と。ジェレミーは言葉に関する感覚も鋭かったのではないかと思っていたのですが、Michael Coxが、He has a great way with words. と言っているのを読んで、やはりそうかと思ったことがあります(The Armchair Detective, 1992)。これはホームズを演じる時のことを言ったのでしょうが、それだけではなく、普段の生活やインタビューの時などもそうなのではないかと思います。ハワイでジェレミーと会ったライターも、「美しさへの感受性がとてもゆたかで、彼が口にする言葉は、まるで内面の深いところから今日初めて生まれた言葉であるかのように、すべてが深い意味を持っていました。」と言っていました(ハワイでのジェレミー)。

一方で、きゃーきゃー、と言い合ったり、*hugs* (あなたをこころの中で抱きしめていますよ)とだけ書くようなコミュニケーションも、気持ちのよいものです。ジェレミーは楽屋で、おそらくはこころに傷を負ったことのある人と黙って抱き合う、と言っていましたね(「息子の涙が彼を救った」;病気について話している記事から)。言葉などいらない時もあります。

そして日本には日本らしい、奥ゆかしいおつきあいの仕方がありますね。りえさんのところでお話した方々、ウェブサイトにお邪魔したことのある方々は、皆気持ちの良い方ばかりでした。またお話できたらよいなあと最近懐かしく思い出します。

RM
イートン時代のジェレミーについてこれまで3回にわたってご紹介してきました。今回はこれで区切りをつけて、またいつか、日をあらためて書こうと思います。4回目の今回は直接ジェレミーの言葉や写真を紹介するのではなく、ジェレミーが在学していた頃のイートンの写真をご紹介します。もしかしたら気がつかないだけで、写真のどこかにジェレミーがうつっているのかもしれませんね。

http://images.google.com/images?hl=en&biw=1009&bih=536&tbs=isch%3A1&sa=1&q=1940s+eton+source%3Alife
ここにある写真は、イートンの昔の写真のコレクションを写真雑誌Lifeがデジタル化したもののうちで、1940年代のものです。きちんと全部はみていませんが、みる限りでは1947-8年に撮影されたもののようで、この年にはジェレミーは13歳から15歳です。前回紹介したColin Clarkの「Younger brother, younger son: A memoir」には1948年当時のイートンでは教会へ行くのが義務で、私たちは大喜びでチャペルへ向かった、というフレーズがあります。1948年以前、この写真がとられた1947-8年には間違いなくジェレミーはチャペルで歌っていたはずです。

http://images.google.com/hosted/life/l?imgurl=84a1434ee92ee3b2
これは1948年当時のチャペルの内部、東の窓の方を向いています。ステンドグラスの窓です。1回目でご紹介した現在の聖歌隊の歌を録音したアルバムの写真をみると、この窓から少しチャペルの中央寄りの左右に聖歌隊席があるようです。

http://images.google.com/hosted/life/l?imgurl=cb104a2bfdc1ef3c
これは同じ年にとられたチャペルのオルガンをのぞむ写真です。ジェレミーに忘れられない印象を残した夕べの光は、この高い窓から差し込んだのでしょうか。

http://images.google.com/hosted/life/l?imgurl=915107a4e1392747
http://images.google.com/hosted/life/l?imgurl=8dc501aac94e00f1
High Streetを制服を来て歩く生徒(1948年)と、花を胸にさした生徒(1947年)。トップハット(シルクハット)なのですね!特に1枚目はまだ小さいので、ほほえましさを感じます。小さい頃からトップハットと燕尾服だったのなら、ホームズの格好が身についているのも当然ですね。

http://images.google.com/hosted/life/l?imgurl=1cd9e3023fd7dc8e
図書館で。きれいな少年ですね。このイートンのしまのズボンは、ジェレミーの写真でもおなじみです(1948年)。

http://images.google.com/hosted/life/l?imgurl=06b23090da79df8c
http://images.google.com/hosted/life/l?imgurl=1e7a4d27b37664a2
中庭に集まる少年達と保護者です。どこかにジェレミーがいるかもしれません(1947年)。

http://images.google.com/hosted/life/l?imgurl=e23dee52c4ef1597
こちらは美術の時間です(1948年)。

当時の写真をみて、イートン時代のジェレミーを想像しました。

RM

 RM

Author: RM
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私の記事へのリンクはどうぞご自由になさって下さい。
和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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