Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

ホームズが子供の感受性を持っている、とジェレミーが語っているインタビューを、先日ご紹介しました。
Michael McClure君のこと;1991年のインタビューから
また、一年前になりますが、こちらもそうです。
子供の感受性(「Mystery!: A Celebration」から)

ホームズが持つ子供の感受性に関して、ここで取り上げようと思っていてまだご紹介していない記事があるのですが、ホームズの別の面をジェレミーが話しているのを今日は書きたくなりました。

今までも、子供の感受性を持っている、ということ以外に、ジェレミーがホームズをいろいろな言葉で描写するのを読んできました。たとえば以前の記事から引用します。

「ホームズは孤独癖のある男なので、演じるのは難しいのです。カメラや観客に、彼があまり表に出そうとしないことをどうやったらみせられるでしょう。彼が天才であること、拳闘と剣の名手であること。整理整頓がなってない、パイプとたばこを吸う、コカインとモルヒネも。そして彼はコメディアンでもあるのですよ!僕はいつも彼の中に新しいことをみつけています。あらゆる種類の、彼独特の性質をね。」
「Scrawl」のインタビューから(1989年)(1

同じインタビューでは、ワトスンとの友情について、こう言っています。これは「The Secret of Sherlock Holmes」の芝居のこととして話していますが、ホームズとワトスンについての言葉ととっていいでしょう。

「この芝居の意味は、最も純粋で素朴な友情をみることができる点だと思います。これは二人の男の劇なんですよ。二人とも孤独で、一人は天才、一人は立派な市民です。彼らの友情は澄み切った水のように純粋です。そして昔風のこと、つまり尊敬、信頼、思いやり、よいマナー、そういった多くのことがその頃は大切にされていました。」

そして今回のインタビュー記事では、ホームズの別の面を話しています。1987年出版の"Granada Companion, Number One: A Sherlock Holmes Album—A Centenary Celebration of Sherlock Holmes" (「シャーロック・ホームズの100年を祝って」)といううすい本の15ページです。タイトルは "Playing Sherlock Holmes; A Profile of Jeremy Brett"(「シャーロック・ホームズを演じるということ;ジェレミー・ブレットの横顔」)で、その一部を引用します。

「ホームズのこころの中にある感情を表現しようと思っています。ホームズは表面では冷たくて、時に暗く、まわりの人を当惑させたりしますけれども、こころの奥の奥では彼はとても感情がゆたかだと僕は思っています。

「ホームズはとても複雑な男です。音楽が好きでバイオリンの名手、冗談を楽しむ、少し思い上がったところもあるかもしれない。ほめられるのが好きで、自分以外の名探偵のことを評価する場合は、意地悪になることもあるでしょう。

「ホームズはちょっと大げさな時があります。特に事件の謎が解けた時には自慢しますし、ひとの注意をひこうとします。

「難しい事件ではこころの中まで張りつめた状態にあります。事件が解決したときには、芝居がかったとも言えるかたちで、その張りつめたものが爆発するのです。

「そういったところをいくらかでも、自分が演じるホームズの中にあらわそうとしています。」


このようにいろいろな面からホームズを語る言葉を読むと、ああ、ジェレミー、あなたは見事に全部表現していますよ、と言いたくなります。ジェレミーがすごいのは、自分で「僕はいつも彼の中に新しいことをみつけています」と言っているように、その時々でホームズのさまざまな姿をとらえていることです。「The Secret of Sherlock Holmes」上演時のインタビューで、「昨日も新しい発見がありました」と話しているのを読んだことがあります。

ジェレミーのホームズは時に大げさだとか、芝居がかっていると評されることがあるようですが、ジェレミーはホームズのそういう面もよくわかっていて、実に魅力的に演じていると思います。そしてそれは、たとえば「海軍条約事件」に「ワトスン君はよく知っていますが、私はとかく芝居がかりにやらないじゃいられない癖があるもんで……」(延原 謙訳)とあるように、ホームズ自身も知っていて楽しんでいたのでしょうね。

ホームズがこころの内では感情がゆたかだ、とジェレミーが言っているのも、うれしく読みました。




ところで、BBCの現代版ホームズ、「SHERLOCK」をご覧になったかたもいらっしゃるでしょう。私はとなりの部屋でテレビがついているのを、聴くともなく聴いていた、という状態でした。(時代遅れですが)ビデオにとってあるので、またいつかゆっくりとみると思います。

実は二人の声、特にシャーロックの声が私には違和感がありました。急いで申し上げますが、声が悪いというのではありません。カンバーバッチの声で慣れてしまっていて、カンバーバッチの声に比べて高い声が私にはあわなかったのです。

ジェレミーのホームズは、今はジェレミーの声以外ではほとんどみませんが、露口茂さんが吹き替えたNHK放映時は、あの味のある声も調子も大好きでした。ホームズが日本語をしゃべることも含めて、もちろん何の違和感もありませんでした。(日本語のせりふが見事だったことを、ナツミさんからうかがいました。とりあえず手元にある「バスカビル家の犬」を日本語版でみて、とても懐かしかったです。)

むしろ2年半前にジェレミーの声でホームズをみはじめたとき、「へえ、こんな声なのか、思ったよりも高い声だなあ、英語をしゃべるのも少し不思議な感じ」と思った記憶があります。でもすぐに慣れました。高い声、といってもジェレミーの声が露口茂さんよりも全体にわたって高いというわけではなくて、特に初期作品では、高いところはより高いという気がします。日本語よりも英語を話す人の方が一般的に声に高低差をつけるのではないでしょうか。役や作品にもよりますが、ジェレミーの場合もかなり高低差があるように思います。(そしてこれは「演劇的」ということとも通じるのかもしれません。)

そして今では英語版と日本語版のどちらをきいても、「違和感」を感じることはありませんが、それにくらべて今回の「SHERLOCK」では、はじめにもともとの英語版でみてしまったためか、日本語版の方の声に慣れるのに時間がかかりそうです。

声の話で終わってしまいました。何せ、カンバーバッチの声、好きですから。でも今のところ、やはりフリーマン演じるジョンが好きです。

シャーロック、ジョンをあまり困らせないでね。でも、第一話の最後、第三話の最後のシャーロックには、ジョンへの気持ちがそれぞれにあらわれていて、好きでしたよ。えっと、第二話の最後はどう終わったのでしたっけ。

時間をみつけて、DVDをもう一回ゆっくりとみようと思います。

RM
このエピソードはご存知の方も多いかもしれませんが、急にお話したくなりました。なぜでしょう。前回まで、ハワイ・マウイ島の浜辺でのお話をしたので、イタリアの太陽のもとで、オードリー・ヘップバーンと一緒にプールで泳ぐ若いジェレミーのことを思い出したのかもしれません。

Barry Paris(バリー・パリス)が書いたオードリー・ヘップバーンの伝記を、Google Booksで一部読むことができるのですが、この中に、「戦争と平和」撮影のためにイタリアでオードリーと会った時のことを、ジェレミーが話している言葉が紹介されています。同じ時のことを、1989年のBBCのラジオインタビューでもジェレミーは話しています。こちらも大好きなインタビューで、このインタビューの他の内容にふれたことがあります。
「息子の涙が彼を救った」;病気について話している記事から
ジェレミーの笑い声と笑顔

私が最初にこのインタビューの音声を聴いたサイトは、しばらく前になくなってしまったのですが、うれしいことに Jeremy Brett Informationにアップロードされました。
http://jeremybrett.info/media.html
一番上の「BBC Radio Interview presented by Gloria Hunniford.mp3 」と書かれたところをクリックすると音声が流れ、右クリックでダウンロードができるはずです。8分より少し後から、伝記中のエピソードと同じ時のことを話しています。このインタビューではどのように話しているかについても、最後に少しふれます。

ダウンロードにあたってのお願いです。「英米の法律で認められる公正な利用(フェアユース)によって、著作権を持たない著作物をこのウェブサイトで使用しますが、読者はこれを営利目的では使用しないようにお願いします」と書かれていますので、どうぞ守ってください。

(Jeremy Brett Informationのこのページでは、このインタビューは1991年のものとなっていますが、私は1989年だと思っています。)


伝記はBarry Paris(バリー・パリス)著、「オードリー・ヘップバーン」です。
"Audrey Hepburn"
By Barry Paris
Putnam Adult, 1996

Goolge Booksのこのページで本の中身を一部読めます。
http://books.google.com/books?ei=69Q4To7BMoWJmQXjpODBBw&ct=result&id=1nVZAAAAMAAJ

以下はこの本から、「戦争と平和」の時のエピソードです。オードリーとメル・ファーラー(メル・フェラーと書かれることもあります)は、この頃結婚していました。

p.118
In spring of 1955, the Ferrers went to Italy and reoccupied the charming house in Albano, twenty miles outside Rome, where they had spent their honeymoon. One of their visitors was Jeremy Brett, who was playing Natasha's younger brother. "When I arrived at their house," recalled Brett, shortly before his death in 1995, "Mel met me and under his right arm popped a little girl with no makeup who looked about sixteen years old―an exquisitely delicate, porcelain doll. I was spellbound. I remember swimming with them and banging my head on the side of the pool because I was so busy looking at her."

1955年の春、オードリーとメル・ファーラーはイタリアへ行き、ローマから20マイル離れたところにある、アルバーノの美しい家に再度落ち着いた。二人は以前そこでハネムーンをすごしたのだった。その家を訪れた客のなかにジェレミー・ブレットがいて、彼は「戦争と平和」では、ナターシャ(オードリーが演じた「戦争と平和」のヒロイン)の弟を演じていた。「二人の家をたずねると、」ブレットは1995年に亡くなる少し前に話してくれた。「メルが私を出迎えてくれました。素顔のままの、16歳くらいにしかみえない少女がメルの右腕のかげからひょっこりと顔をのぞかせました。とても繊細な美しさをもつ、陶器の人形のような少女が。私はすっかり魅了されました。二人と一緒にプールで泳いで、プールの壁に頭をぶつけたのを覚えています。オードリーのことをうっとりとみていたものですから。」

BBCのインタビューでは、出迎えの時のことを、オードリーがメルの腕に頭をもたせかけて、と言っているようです。またプールの話もここでもしていて、「彼女の美しさにあやうく溺れかけました。こころの内も、そして外も美しかったのです。」と言っています。

そしてそれ以外にもう一つ、忘れられない箇所があります。二人が出迎えてくれた時に、オードリーが、"Oh, Jeremy, you are Nicholas..." (ニコラスは、ジェレミーの役名)「ジェレミー、あなたがニコラスなのね...」と言った、と話しています。オードリーが言った様子をまねているのですが、何ともやさしい声なのです(8分35秒くらいから)。"are" をやさしくかわいく強調して。ジェレミーのこの声の調子、懐かしく、夢見るように思い出している声が大好きです。

RM
残りの3枚の写真についてご紹介します。この3枚は、二日目にドライブした時の写真です。3枚とも、ジェレミーはとても小さくしか写っていません。ジェレミーは写されていることに気がついていないはずです。

写真を撮った時のことに触れた文章を、元の記事を紹介した時には省略した部分も含めて訳します。

「両側に海と陸の風景が広がる曲がりくねった道のカーブをまがるたびに、見たことのない景色がつぎつぎと姿をあらわしました。話をしているうちに、私はすぐにジェレミーが特別な人であることに気づきました。ジェレミーの観察眼、外界を見る目は、彼が自分の内面の感覚や感情を見る目を反映して、彼独自の味わいを持っていました。美しさへの感受性がとてもゆたかで、彼が口にする言葉は、まるで内面の深いところから今日初めて生まれた言葉であるかのように、すべてが深い意味を持っていました。

興味をひく何かをみつけると、車をとめて近くまで行きました。その内のある場所で、ジェレミーは浜辺の大きな岩の上に登り、顔を太陽に向けて両手を上にさしのべ、目を閉じて動きをとめ、じっとたっていました。

下で私はゆっくりとカメラを持ち上げ、その写真を撮りました。みる人によっては、ちょっと芝居がかっていると感じたかもしれません。でも私は、彼が自分の近くの目に見えるものだけでなく、その向こうのすべてのものを抱きしめて、すべてとつながろうとしているのがわかったのです。」


Myers氏は、この3枚の写真は浜辺での写真だと、フォーラムのメンバーに説明していますので、3枚ともこの時の浜辺で撮られたのでしょう。ここで言及されている写真はその内の3枚目だと思います。でもまず1枚目からご紹介します。

1枚目では画面中央よりも少し上を、小さな流れが横切っています。その両側にはこぶし大からもう少し大きめの石が一面にころがる岸辺が広がっていて、こちら岸の右手前は砂浜になっています。そこに上半身は服を脱いで、脱いだ濃紺のシャツをブルージーンズのももの部分にかけ渡し、両足を組んですわるジェレミーがいて、左半身をこちら側にみせています。椅子の上で両足を組んだ姿はホームズでおなじみですが、これは砂浜の上で足を組んでいて、瞑想しているようにもみえます。前方に向けられた目は閉じてはいません。後ろの髪は首をほぼおおっています。両腕は膝頭に軽くおいて、手のひらは自然に軽く下を向いていて、膝頭よりも前に出ています。

2枚目では大きな岩が画面の右下から左中央まで空へ向かって盛り上がっています。左の岩の頂上にたったジェレミーが両手を腰にあて、太陽を斜めからあびながら遠くをながめています。シャツは赤いフチどりのある、濃い青のタンクトップです。Myers氏はこの岩のほぼ正面の下からジェレミーを見上げていて、写真を撮っています。

3枚目がおそらく、文章中で触れられている写真で、2枚目の少し後、あるいは前でしょう。この写真では、大きな一枚岩が画面手前の左から右にわたっていて、一枚岩の向こう側は右だけに、2枚目と同様の盛り上がった岩がみえます。ジェレミーは一枚岩の左の方にいます。カメラはここでも下から見上げていて、かなり遠くから撮っています。ジェレミーは2枚目と同じく両手を腰にあてていますが、今度は画面左を向き、斜め上の太陽の方に顔を向けています。顔の表情はまったくみえませんが、目をつぶっているように感じます。これがおそらく、両手を上にさしのべた後なのでしょう。2枚目と3枚目ではジェレミーの背景は、青い美しい空です。

この3枚の写真は、1枚目をのぞいては、ジェレミーの写真だと言われてはじめて、そうかもしれないと思うような、ごく小さい姿でしかうつっていません。1枚目も髪が長めですし、横顔を遠くから写したもので、見せられても気づかないかもしれません。普通私たちは誰かの写真を撮りたい時、こんなに遠くから撮ることはないでしょう。近くに行き、声をかけて、こちらを向いてもらうのが普通でしょう。

それでも私がこれらの写真を特別に好きな理由の一つは、この写真の向こう側にある物語が、私にとって大きな意味を持つからだと思います。そしてMyers氏も、たとえその姿をファインダー上で小さくしかとらえられなくても、自然の中で安らいでいるジェレミーを、あるいはこの自然をすべて含んだ何かを感じているジェレミーを撮りたかったのでしょう。

Myers氏がこの時のことについてメンバーに語ってくれた中から、印象に残る部分を一部省略しながら引用します。

「私は記事を書くにあたって、実際におきたことでない内容をすべりこませたり、脚色したり、おおげさに書いたりしないようにとても注意した、ということを強調したいと思います。」

「どうしてジェレミーがそんなに普通とはちがってみえたのか、なぜそんなにも強くひきつけられる魅力を彼から感じたかについて、お答えするのはかなり難しいです。その時のことを覚えていないからではなく、言葉をみつけられないからです。
(途中略)
私はライターで、彼は俳優だった、というのも大きな理由の一つでしょう。私たちは創造的であろうとする人間で、人生において2+2が必ずしも4にはならないことを知っていたのです。私たちは、人生の本質は冒険だと考えていたのです。」

「その時彼は、突然予定にはなかった行動に出て、誰かに出会うことで、たまっていた緊張をとりのぞいて安らぎをとりもどし、自分の中の本質的で直観的な羅針盤を調整し直して日々の仕事と生活に戻ることが必要だったのだと思います。もしそうならば、私たち人間には見ることができない糸を、何か人智を越えたものが引いた結果、私が彼の前にいた、そしてこのようなことがおきたのだと思っています。
そのようにして、人生と、この人生を生きることに含まれる神秘は、あらわれていくのです。」


直接この写真へのリンクを貼らないことをどうぞお許しください。

登録者限定のフォーラムにアップロードすることを条件に写真を提供していただいたとはいえ、いつかは誰かが外へ持ち出し、その後は事情を知らない人たちの手で、物語抜きで転載されることになると思います。そうであるなら、いつかご覧になることがあるでしょう。その時にはこの写真にはそのような物語があるのだということを思い出していただければ幸いです。

また、写真がある2つのフォーラムについては、関連する名前もアドレスも書いたことがありますので、推測がつく方はどうぞおいでくださいませ。

RM
今回は写真のご紹介です。1枚目はジェレミーがMyers氏に声をかけて、車(スバル)にのせてもらった日の写真です。元の記事をご紹介した時には省略した部分も補って、この時のことだろうと思う箇所をもう一度訳し直します。

ラハイナに着いてから、私たちの出会いを祝って祝杯をあげました。私は、自分は近くのモーテルに予約していて、明日マウイの西の端を車でまわるつもりだけれども、一緒にどうですか、と言って誘いました。彼の顔は明るく輝きうれしそうに笑いました。

Myers氏は、1枚目の写真はラハイナに着いた日の午後に、ラハイナのホテルのレストランで撮ったものだ、と書いているので、祝杯をあげた、この同じ時だと思います。

ジェレミーは七分袖で濃いえんじ色(暗めのワインレッド)、襟のある前あきの、胸ポケットつきの体にぴったりとしたシャツを着て、ボタンの上3つくらいをはずしています。左の胸ポケットには煙草の箱が入っているのか、膨らんでいます。リゾート地の簡素なテーブルの手前ぎりぎりに、煙草をもった右手の肘を軽くついて、右手が口元を覆う形で煙草を吸い、少しの煙の向こうからこちらをみつめています。髪は後年のジェレミーとくらべたら少し長め、軽いウェーブがかかっています。まわりはいかにもリゾート地のレストランらしく、背後には床まで続く壁一面の窓、その手前には簡単なテーブルが三列にわたって並び、そこには何人かのラフな格好の客がいます。自然光の中です。Myers氏はテーブルのこちら側にすわったままで、ジェレミーを撮っているのだと思います。

ジェレミーは出会った時に名前を名乗り、俳優である、とは言いましたが、Myers氏はその時、ジェレミーのことを本当に知らなかったそうです。つまり俳優としてのジェレミーのことを知りませんでした。そして「ジェレミー・ブレット」という名前を持つ一人の人間としてMyers氏の前にいることに、ジェレミーはほっとしたのではないか、と書いています。それ以外の外面的なものはすべて脱ぎ捨てて。俳優としての仕事についてはMyers氏は何も尋ねず、ジェレミーも何も言わなかったそうです。(そしてそこまではMyers氏は書いていないのですが、それ以外の日々の生活のことも、おそらくほとんど話題にのぼらなかったのではないでしょうか。)

Myers氏は、この時の印象を語る部分ではなく、この出会いから別れまでの短い時間について記す別のところで、こう書いています。二人の人間が、お互いがどんな人かを知らず、そんなことを気にかけもせず、ただ共にいてすばらしい時をすごしたのです、と。ですからこの写真は、ジェレミー・ブレットという名前を持つことと、俳優であることしかわかっていない、一人の人間として撮られたものです。

この写真についてMyers氏は、どこか「haunting (印象が強くて容易に忘れられない)」なところがある、ということしか今は言葉にできない、と言っています。このhauntingという言葉でMyers氏が具体的に何を言おうとしているのか、最初はよくわかりませんでした。(彼自身が、この言葉は完璧ではないけれども、こう言いあらわすことしかできない、と書いています)。

そこで私は自分の言葉で、この写真のジェレミーから受ける印象を書いてみます。ジェレミーの表情は、口を手でおおっているのではっきりとはわかりません。ただ、大笑いに笑っている目ではないことはわかります。眉をひそめる、というほどではありませんが、考え深げな目、Myers氏の方をじっとみているとともに、自分のこころの奥底も同時にみている瞳のように私には思えます。この目は少し哀しげでメランコリックにみえる、と感想を書いた人がいました。私は哀しげ、とまでは思いません。ただ、リゾート地で何もかも忘れて羽をのばす気楽な人の目ではなく、自分の中の複雑さと深さをそのまま魂に宿す人の瞳だという気がします。

この写真が特別な何かをMyers氏に感じさせたのは、この時のジェレミーの瞳が、彼の内面をそのままあらわしていたからではないでしょうか。強い意思とともに、感受性にあふれて、複雑で感じやすいこころも含めて。

残りの3枚は次回ご紹介します。

RM
今日のお話をする前に、少しだけ。ここ数日のイギリスでの暴動のニュースに、こころを痛めているかたもいらっしゃるでしょう。りえさんも心配していらっしゃるだろうと思っています。Clapham Junctionも大変なことになっていたようですが、大勢の人達が掃除道具持参で集まって、後片付けをする写真が多くのニュースサイトに掲載されました。(下のリンク先では、暴動に負けずに街を元通りにするという決意をこめて、皆で笑顔でブラシを高くかかげています。)
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-14475741



前回から、ハワイでジェレミーと偶然出会って共にすごしたMyers氏のことと、Myers氏が撮ったジェレミーの写真のことをお話しています。もともとのMyers氏の文章のご紹介はこちらで、そしてこの写真についての前回の私の文章はこちらでご覧ください。

どのような経緯で、以前のフォーラムのメンバーがMyers氏と連絡をとるようになり、どんな返事が返ってきたかについては、くわしくは述べません。以前のフォーラムがどこか推測がついて、そこに登録して入れる方は、そちらに記されていますのでお読み下さい(新しいフォーラムの方にはくわしくは書かれていません)。今回の一連のできごとについて、"A joint operation" と書いてくれた人がいたとおり、多くの人が関わったりサポートしたりしています。私の英語はつたないものですから、その間の私の役割は、最初に元の記事のアドレスを投稿した以外は、「そこにいること」、「共によろこぶこと」だけでした。それでも今はないスレッドの一員として、あのあたたかく楽しい雰囲気の中でのメンバー間の感想の共有、相談と報告、賞賛と励ましを懐かしく思い出します。

Myers氏とのやりとりを教えてもらう中で、Myers氏自身がとてもすばらしい感覚を持った人であると感じました。それは元の記事を読んだ時から感じていたことでもありました。短い時間の中で、ジェレミーのことをこれだけ深く直観的に理解したのですから。

「ジェレミーの観察眼、外界を見る目は、彼が自分の内面の感覚や感情を見る目を反映して、彼独自の味わいを持っていました。美しさへの感受性がとてもゆたかで、彼が口にする言葉は、まるで内面の深いところから今日初めて生まれた言葉であるかのように、すべてが深い意味を持っていました。」

「彼ほど、高貴な輝きを放って内側から自然にあふれる自由な魂を感じさせてくれた人を他に知りません。」


ジェレミーもまた、感覚のするどい、あたたかい人柄のMyers氏と出会えたからこそ、ハワイのマウイ島の美しい自然を全身で感じて、目にみえるものをこえた何か、聖なるもの、大いなるものに触れることができたに違いありません。Myers氏はジェレミーが、舞台の緊張と日々の喧噪からしばし逃れたい気持ちで飛行機に飛び乗ったと感じたようです。もちろんジェレミーは明るく、人といるのが大好きな人ですが、静けさを必要とする時があったに違いありません。私はMyers氏に、そしてジェレミーとMyers氏を出会わせた何かに、深い感謝の念をいだきました。

感謝の気持ちを持っているのは私だけではありません。Myers氏も二人を出会わせた何かへの感謝をこめて、このようなことを書いてくれました。そして何度かのやりとりの中で繰り返し同様のことを述べています(メール転載の許可をメンバーは得ていますが私自身はもらっていませんから、翻訳のみ、そして概要だけを書きます。)

「私は今でも不思議な気持ちで思い出します。あと30秒遅ければ私の車は走り出していて、ジェレミーに会うこともなく、こんなことは何もおこらず、おきなかったということも知らずにいたでしょう。人と人は偶然に出会うことはない、とずっと思っていました。何かが人を引き寄せて出会わせるのだと思っています。この世をこえた大きな何かによっておきるのだ、と。私とジェレミーもそうだったと思っています。一瞬のうちに忘れられない確かなつながりが生じて、私たちのこころはかよいあいました。」

Myers氏が今もその時のことを大切に思っているということを強く感じさせてくれます。ジェレミーとハワイで出会ったのは1976年11月ということですので、すでに30年以上たっていることになります。(実はこの日付については謎があって、Myers氏が再度連絡してくださることになっていますが、まだ連絡はありません。)

どんな写真かということについては、今回はまだ話が及びませんでした。前回も申し上げましたが、Myers氏との約束により、写真は登録会員のみが入ることができる二カ所にアップロードされています。私のこれまでの記事から推測がつくかたは、直接その場所へいらしてください。ただ、写真を転載しないでくださいますよう、お願いいたします。

RM
今日8月7日は、このブログをはじめた日から一年、そして私にとってジェレミーが大きな意味を持つようになって二年になります。今日は特別なことを書くつもりはありませんでしたし、特別なことがおこるようにも思えませんでした。でも今日の朝、ファン・フォーラムをみて、ハワイでのジェレミーの4枚の写真がアップロードされているのを知りました。私がこのブログをはじめるきっかけになった、アメリカのライターFred Myers氏が書いた文章の中でふれている、ジェレミーの写真です。約30年前にMyers氏が撮った写真です。

「ハワイでのジェレミー」


妙な言い方にきこえることを承知の上で書くと、二年前の今日、ジェレミーのたましいが私のいのちに触れてくれました。二年前までは、気がついたらこの体と心の中に閉じ込められた形で存在していて、時々ああいやだなあと思いながら生き、いつか死んで体と心ごと何もなくなる、それが「私」だと思っていました。二年前にそうではないことを知りました。その時から私にとって生と死の意味がかわりました。それは小さな臨死体験のようなものだったと思っています。その後すぐに、昔読んだエリザベス・キューブラー・ロスの「『死ぬ瞬間』と死後の生」を読み返し、以前は言葉としてしか入ってこなかった死にゆく子ども達のことが、自分のこととして感じられたことを覚えています。この本は死後の生の存在を主張するために書かれた本ではなく、死にゆく子ども達と共に時をすごしながら、子ども達の死と生、残される家族のことを感じ、抱きしめる本です。そして、私がいのちを感じることができた、そのきっかけは、ジェレミーでした。ですからどんなに奇妙でも、「ジェレミーのたましいが私のいのちに触れてくれた」という表現しか、私にはできないのです。

一年前の今日は、ビルの谷間の広い空間を利用したコーヒーショップで、風にふかれて蝉の声をききながら、コーヒーを飲んでいました。そして突然ブログをはじめようと思い立ったのでした。その時の大きなきっかけの一つは、はじめのあいさつ(8月7日)の後の最初の記事である「ハワイでのジェレミー」(8月8日付け)を書きたいというものでした。私はハワイでのジェレミーのことを知って、それまで知らなかったジェレミーの内面を感じとれたように思いました。同時にそれは、よく知っているジェレミーのことを、あざやかな形でうつしだしたようにも思えました。そして、このジェレミーのことを、ジェレミーを愛する方にぜひお話したいと思いました。

それから約1ヶ月後、去年の9月15日に、私は英語圏のファン・フォーラムにはじめて投稿しました。その時の最初の投稿も、「ハワイでのジェレミー」を紹介するものでした。当時みていたファン・サイトやフォーラムのどれにも、「ハワイでのジェレミー」について触れているものはなく、尊敬できる、(時にお茶目で楽しい)ジェレミー・ファンの人達に、このジェレミーを知ってほしかったのです。最初の投稿の時の、あのどきどきした気持ちを今もよく覚えています。その、新しい経験に向かう私の背中を押してくれたのも、ジェレミーでした。

そして今日、Myers氏が撮ったジェレミーの写真を、私が現在メンバーになっているファン・フォーラムでみることができるようになりました。(前述のフォーラムのスレッドが、ある事情で閉じられために、メンバーの多くが移動した新しいフォーラムです。)Myers氏の許可のもと、前述のフォーラムと新しい方のフォーラムの、それぞれ会員限定の場所で、写真をみることができるようになりました。ただ、写真がある場所へのリンクを直接ここに書くことはしません。理由の一つはその二カ所が会員にならないと入れない場所であること、そしてもう一つは、Myers氏との約束にもとづいて、写真を公開の場へは決して出したくないということです。場所を推測できるかたは、どうぞご自分でフォーラムを訪れてみてください。

次回はその写真のことをお話したいと思います。

RM

(追記)Myers氏と連絡をとりあったこと、写真をいただけたことについては、フォーラムの公開の場所に書き込まれましたので、閉じた場所での秘密ではありませんが、念のため今はまだ掲示板などには書き込まないでくださいませ。
1991年のアメリカツアーの時のインタビューで、onlineで読めるものはまだあります。と書いてブックマークしているサイトへ行ってみて、困ってしまいました。

一つはAnglofileというアメリカで発行されているニューズレターの19号に載ったもので、発行者から許可を受けてウェブ上にアップロードされていたようなのですが("Reprinted with permission")、ウェブサイト自体がなくなっていました。

このインタビューのタイトルは
"He's Decided to Stick with 'Sherlock Holmes' to the End"
です。(「ホームズを最後まで演じきると決めた」)

インタビューの全体を読みたい方は、"He's Decided to Stick with 'Sherlock Holmes' to the End" でgoogleを検索してみてください。引用符つきでの検索をおすすめします。もとのウェブサイトの文章をコピーしたものを、少なくとも3カ所でみつけました。
(一カ所にはご丁寧にも、"Reprinted without permission"と書いてあります!)

タイトルどおり、「数ヶ月前にイギリスのプレスに、ホームズをもう演じないと言っていたが、気持ちがかわったようだ」という前書きからはじまり、このインタビューの最初に、こんなやりとりがあります。

「一番最近制作されたシリーズが、あなたがホームズを演じる最後だと言っていましたが...」
「いえ、気持ちが変わったんです。1年間の休みをとって---実際のところ5ヶ月といったところですが、それからMobil(アメリカでの放映のスポンサー)とグラナダに電話したんです。もしも彼らがホームズをまだつくりたいと思ってくれるなら、僕も演じたい、賛成してくれますか?と。賛成だと言ってくれました。」


以前「becomerであること(3)」というタイトルの記事中で、1991年2月のTV Timesのインタビュー記事をご紹介しましたが、その中にあったとおり、ジェレミーはホームズはもう演じないと言って、休暇に入っていました。いつどのようにして気持ちがかわったのだろう、とその時に書きました。

(引用はじめ)秋にはアメリカに行っていて、アメリカでのインタビューではホームズを演じ続けると言っていますので、この休暇中に気持ちがかわったということでしょうか。今までインタビュー記事を読む時に、この休暇がどんなだったかを意識して読んだことがなかったので、今度は気にかけておこうと思います。楽しみにしていたとおりの楽しい休暇をおくることができたことをいのりたい気持ちです。(引用終わり)

この休暇が終わった時に、ホームズをまた演じる気持ちになったのですね。その気持ちの軌跡を追うことができるインタビューという意味でも、興味深く思えます。

ジェレミーがホームズを演じ続けたことが、結果として健康状態を悪化させたこと、そして最後の方の作品の質はそれまでよりも落ちてしまったとみる人が多いことを考えると、ジェレミーのこの決心を複雑な気持ちで受け取る方もいらっしゃるかもしれません。でも楽しい休暇をすごした後にホームズを演じたいという気持ちが生まれたことを知って、私はほっとしました。

このインタビューでもホームズと子供の関係にふれています。そちらもいつか(次回?)ご紹介するつもりです。

RM

 RM

Author: RM
コメントは承認後に公開されます。古い記事へのコメントも大歓迎です。2010年8月7日に始めました。
私の記事へのリンクはどうぞご自由になさって下さい。
和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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