Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

2月が終わろうとしています。2月の終わりにこんな画像を載せましょう。Florence Nightingale (1985) では、ジェレミーはフローレンス・ナイチンゲールの父親の役でした。
http://www.amazon.com/dp/B001TKNWUU
作品の最後でフローレンスが従軍地から懐かしい家へもどってきた時に、彼女を抱きしめる姿です。

florence Nightingale JB 1
florence Nightingale JB 2
florence Nightingale JB 4
florence Nightingale JB 5

RM

追記:アメリカで発売されたのが2009年ですが、去年(2011年)イギリスでも発売されていたことに気がつきました。
http://www.amazon.co.uk/dp/B003GTQJL6
前回の記事で、Michael Coxの講演の録音を聴いた感想を書きましたが、実はマイケルが話しているのをこれまでにも聴いたことがあります。ドキュメンタリーTime Shift(BBC4)の第5シーズンで2007年に放送された、"A Study in Sherlock" という番組に出演しています。この番組にマイケルが出演したということは宝島社のDVDムックの解説ページで知りました。「映画やTVにおけるシャーロック・ホームズの歴史を解説した番組」と書かれています。この番組の全部を以前はGoogle Video で、今はYouTubeでみることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=9JvU9Lry9Q4

38分のビデオです。エドワード・ハードウィックも出演していますし、もちろんグラナダシリーズも大きくとりあげられています。(ちなみにこれをきいたときは、マイケルの声や話し方について特に何とも思わなかったんです。講演の時は、イヤホンをつけて声だけに集中していたせいでしょうか。あはは。)

この番組はワトスンがナレーターとして語る、という形をとっています(残念ながらエドワードではありません)。画像はとてもきれいですし、いろいろな作品のホームズをみることができます。話にはきいていた、世評の高いロシア版のホームズ、ジェレミーが自分にとってのホームズだと言っていた、ラスボーンのホームズ、品格のあるピーター・カッシングのホームズ、以前ちらっと触れた、マイケル・ケインのバカなホームズなどなど。

途中でワトスンの描かれ方について触れたところで、約12分からエドワードが、約13分からマイケルが話しています。その後約24分からグラナダシリーズの映像が流れ、すぐにマイケルが話し始めます。約25分からエドワードが、約29分からマイケルがジェレミーのことを話します。グラナダシリーズ以外からの引用としては、約27分から以前ご紹介した1988年のWogan interviewでのジェレミーの映像の一部が、約31分からこれも以前ご紹介した1995年のラジオ番組での躁鬱病友の会のためのアピールの音声の一部が流れます。

この二つについては元の番組が放送された時に家庭用録音機でとられたものがYouTubeにありますが、今回のものは映像も音声もそれよりもはるかにきれいです。テープがBBCに残っていることはほぼ確実で、本当によかったと思います。1995年のラジオ番組はジェレミーの公の場での最後の声で、放送は9月3日、亡くなったのは9月12日です。録音は8月23日に行われたと書いているサイトがありました。

ご参考までにこの二つの番組を以前ご紹介した記事へのリンクです。
ジェレミーの笑顔
(Wogan interview)
The Week's Good Cause (1995) その3
(躁鬱病友の会のためのアピール)

RM
前回の記事で、A Study in Celluloidの第二版の前書きについて、「その内容ととともに、Michael Coxの声を久しぶりにきいた、言葉に久しぶりにふれた、という感慨があります」と書きました。声をきいた、と書きましたがそれは修辞的な表現で、実際にはもちろん文字で読んだのです。でも実は今回Michael Coxの声も録音できいたのでした。ただし現在の声ではなく1987年の声です。

1987年12月にアメリカのインディアナ大学で行われたシンポジウムでMichael Coxが話した音声の録音CDが発売されていることを、以下の記事の最後に書きました。
"A Study in Celluloid" 第二版の出版

このCDを今回一緒に注文しました。内容については本と重なるところが多く、英語の聴き取りが苦手な私にも楽しめました。でも一番印象に残ったのは、マイケルがとても気持ちのよい声の持ち主で、話し方が知的で感じがよくて、聴くのが楽しいということです。これは予期していなかったことで、うれしい驚きでした。

講演の中で、ホームズ中のせりふを引用するところがありました。今聴き直す時間がないのですが、一つは「緋色の研究」でホームズとワトスンが出会う場面でのホームズの “You have been in Afghanistan, I perceive.”、もう一つは「孤独な自転車乗り」でのウッドレィとカラザーズの “You're too late. She's my wife.” “No, she's your widow.” だったと記憶していです。(追記:聴き直したら、あと何カ所か引用していました。好きで好きで、という感じですね。)

どちらも演技というほどにはおおげさではなく、さりげなく、でもちょっと楽しそうにこの台詞を口にしていて、聴いていてにっこりしました。すごくききやすくてよい声で、ホームズ譚への愛情もとても感じられて良かったです。こういう人がグラナダシリーズの産みの親なんだなあ、とあらためて思いました。こういうすばらしい人がジェレミーと出会って一緒にあのシリーズを育てあげたこと、そしてジェレミーの良き友人でもあったことに感謝の気持ちを覚えました。

そして、この講演がおこなわれた当時の1987年に私の気持ちは飛んでいきます。1987年のジェレミーに。

RM
"A Study in Celluloid" は、なかなか手に入らない本の一冊でしたが、昨年の年末にお知らせしたとおり、出版社をかえて第二版が発売されました。
"A Study in Celluloid" 第二版の出版

2ヶ月たちましたが、残念ながら米英日のいずれのアマゾンでも現在のところ販売されていませんので、今のところアメリカの出版社から直接買うしかありません。私は12月に注文して、たしか2週間たたずに到着したと思います。下に載せる第二版の表紙の絵は、出版社のウェブサイトからです。
Source: http://www.wessexpress.com/html/studyincelluloid.html

celluloid350.jpg

お気がつきになるでしょうか。これは前回の記事で書いた、私の部屋にある写真と同じものです。色合いが少し違うのと、字の邪魔をしないように221Bの建物の色を薄くしていますが。

本の大きさ、紙の質、活字の種類、余白の取り方も第一版とは少しかわっています。一言で言えば、今回は持ち歩きたいような本、いい意味で前の版よりも少しカジュアルな印象です。これは私にとってはうれしいことです。たとえば20年前くらい前までの日本では、文庫本になるということは長く読み継がれる本の仲間入りをした、ということでしたよね。

誤解なさらないように申し添えますが、単行本と文庫本ほどに、今回外観が大きくかわったという意味ではありません。横の幅はほとんど同じ、縦が少し短くなっただけです。ただ、前の版は表紙がすごくずっしりとしていたのです。

中の写真は以前の版ではすべて白黒だったのが、半分近くカラーになり、新しい写真も3枚加わりました(その1枚にはジェレミーがうつっています)。また、著者による第二版への前書きが加わりました。この前書きがとても感慨深かったです。内容についてはお読みになる方のために書かないでおきますが、その内容ととともに、Michael Coxの声を久しぶりにきいた、言葉に久しぶりにふれた、という感慨があります。グラナダシリーズの産みの親であり、ジェレミーの友人でもあった人、ホームズの映像の歴史にこれからもずっとその名前が残っていくであろう人の今の言葉をこうして読めて本当に良かったです。どうぞお元気でいらしてください、と心の中で思いました。

RM
私の部屋にジェレミーの写真が3枚あると書きましたが、他の2枚が何か興味がありますか?ないですか?いえ、それでも書いてしまいます。:-)

3枚の内の2枚は、ジェレミーを知ってそれほどたっていないころ、ネット上でみつかるものの中から選びました。1枚は前回の写真で、元々はThe Man Who Became Sherlock Holmesからとられたものです。画質はあまりよくないのでL版の小さなプリントにして、東京のブリヂストン美術館のミュージアムショップで買ったシンプルでシックな写真立てに入れています。アクリルの透明な板と黒に近い濃紺の板の間に写真をはさむタイプの、お気に入りの写真立てです。

もう一枚はいかにもホームズという写真です。元はファンフォーラムに投稿されたものだったと思います。今回はJeremy Brett Informationの画像を少し小さくして載せました。



http://jeremybrett.info/Holmes_C/images/Colour_Holmes%20%282%29.jpg
上のアドレスをクリックすると、大きな画像として表示されます。

多分シリーズ放映が始まる前に、主に広告宣伝用に撮られたのでしょう。今なら、別の時のもう少し顔が大きくうつっている写真を選ぶかもしれません。でもこれも、まだこのシリーズがどれほど世間に受け入れられるかわからない時のういういしさと意気込みも感じられて、好きな写真です。3人が221Bの前にいるという構図も含めて、これぞホームズという感じで、ホームズとワトスンが共同生活をはじめて間もなく、というふうにもみえてきます。顔のアップもいいですが、こういう写真もいいですね。

これを、表紙にポストカードをいれられる藍色のノートを使って飾っています。

そして3枚目はマーカスが撮った写真。これが3枚の中で一番最後に私の部屋に仲間入りしました。写真集で言うと20ページ目のフレーム4です。
http://www.blurb.com/bookstore/detail/1613794
写真集のプレビュー画面の操作方法については、こちらでご紹介しました。
ジェレミーの写真集(続き)

これはとっても大きな写真です!木のフレームに入れて、本棚のガラス戸の向こう側に置いています。このジェレミーは本当に好きです。幸せな時、悲しい時、それぞれの時にそれぞれの顔をしてくれるように感じます。

というわけで、この3枚が私の部屋にある写真です。



ところで、Bending the WillowのeBookが発売された時の記事に、この出版社がメールの問い合わせに返答してくれないことに困っている人の声をよくきくが、今なら返事がもらえるかもしれないので、2010年発売のハードバックを欲しい方は問い合わせてみるのもよいかもしれない、と書きました。その後私自身が問い合わせてみたのですが、1回目のメールには返事がもらえなくて、Facebookのウォールに「返事がまだ届きません。メールボックスを見ていただきますように。」と書いたところ、すぐに私の書き込みが消されて返事のメールが届きました。すでに売り切れて、増刷の具体的な計画はない、とのことでした。

2010年に新版が出版された時に3回メールをして返事をもらえず、あきらめて他の本屋から購入しましたので、はじめて出版社から返事をもらった今回が、5度目の正直ということになります。そして今回わかったことは、残念ながらeBook以外は今は古本でしか手に入らない、ということです。2010年発売の本が売り切れということはウェブサイトには書いていなくて、まったくこの出版社は!というところですが、いい本を出してくれたのですから、そう文句も言えません。

というわけで、Bending the Willowについてのお知らせでした。

RM
今の気持ちにあった写真です。

MrBinks.jpg

これは私の部屋にある3枚の写真のうちの一枚です。Mr Binksはジェレミーのこころにずっと生き続けた 'Hound of Heaven' です。

時間とか空間とか自分とかいうものは、普段思っているほど確かでかっちりしたものではなくて、透明でからっぽで無限に広いものだなあ、と思うときがあって、そういうときは、時間も場所もあたりまえのようにこえられる気持ちになります。

RM
ジェレミーは直観がすぐれた人だったと思うのです。たとえば、ジェレミーとアナの息子のデイビッドが言ったことについては、この記事でふれました。
Anna Masseyの自伝と、Penhaligonのバスオイル

両親はもともと正反対の性格だった。母は理性的で慎重で几帳面、父は直観的で自分の気持ちに従う。今でも私には、父が「危険をこわがらずに冒険しなさい」と言い、母が「よく考えてみたら」と言うのが頭の中できこえる。

また、ジェレミーも自分のことをそう言っています。はじめはホームズとの対比として、ホームズは頭脳の人であり自分は直観の人である、という言い方をしていましたが、後にはホームズの中に子供の直観をみるようになっています。
Michael McClure君のこと;1991年のインタビューから

また、この時のジェレミーは直観が働いて、その日のうちにすぐに電話をしたために、少女が亡くなる前に気持ちを伝えることができたのではないかと思っています。
ジェレミーの悲しみと、あたたかさ(2); 1991年のダラスの新聞から(1)

ちなみに「直観」と「直感」についてですが、広辞苑には、「直観」は哲学用語で、「一般に、判断・推理などの思惟作用の結果ではなく、精神が対象を直接に知的に把握する作用。直感ではなく直知であり、(後略)」とあります。 哲学用語としてではありませんが、なんとなく私は「直観」を使うことが多いのです。

さて、で何が言いたいかというと、私はもともとは石橋をたたいてこわす性格でした。若い頃、「あなたは深く考える人だから...。」と年長の女性に言われて、とまどったことを覚えています。でもそのようにみてもらえたことを、ありがたくも感じました。もっと若い時に、言葉をさがしていたら「思ったことをなんでも言っていいよ」と言われたことも何度かありました(追記:彼ではありません。大学の先輩です、って追記するほどのことでもありませんね)。その頃私は自分が特別だとは思っていませんでした。でも今思えば、私は人よりもずいぶん臆病だったのだと思います。

でも私はここ数年ずいぶん衝動的になりました。自分のことについては「直観」というよりも「直感」にしたがって、と書きたい気持ちです。「直感」にしたがうようになったのはジェレミーの影響だ、というとお笑いになるかもしれませんが、ジェレミーにまつわるいろいろなできごとと、こころの動きが私に作用したのは確かです。

そして昨日の夕方突然こころにきめたことがあって、そしてそういう自分を今おもしろがっています。その時の自分のこころに従って動くということは、この一瞬に新しく生まれる、ということとつながっているようです。この数日、ともすれば悲しい気持ちや空虚な気持ちにおそわれていたのですが、昨日の夕方、少しの涙とともに突然生まれた気持ちにしたがって動くということが、今の自分に不思議な感覚を与えてくれます。

そしてやっぱり私はジェレミーのことを思うのです。
ハワイでのジェレミー(5)

「その時ジェレミーは、突然予定にはなかった行動に出て、誰かに出会うことで、たまっていた緊張をとりのぞいて安らぎをとりもどし、自分の中の本質的で直観的な羅針盤を調整し直して日々の仕事と生活に戻ることが必要だったのだと思います。もしそうならば、私たち人間には見ることができない糸を、何か人智を越えたものが引いた結果、私が彼の前にいた、そしてこのようなことがおきたのだと思っています。
そのようにして、人生と、この人生を生きることに含まれる神秘は、あらわれていくのです。」


RM
米Amazonで無料で読めるBending the Willowのサンプルから、ご紹介しています。この本については、こちらをご覧ください。
Bending the WillowのeBook発売

David Burkeが思い出を語った文章から、前回は「ジェレミーは、ふさわしい時にもふさわしくない時にも、いつも人生を讃え祝った。」という、にっこりしてしまうような文章をご紹介しました。このあとDavidは自分の体験を書いています。Davidにとっては、「ふさわしい時かもしれないけれども、ちょっと祝い方が度がすぎているんじゃないかい?」という経験だったのでしょう。David Stuart Daviesが書いた、この本の本文中でも、多分この時のことだろうと思われる出来事が触れられていて、やっぱり笑っちゃうのです。そちらも後でご紹介しましょう。まずはDavid Burkeの文章から。

I remember with embarrassment a birthday when he insisted on serenading me in full voice in the dining room of a staid Lancashire hotel. He was unabashed at the reactions of the solid burghers around him. Alas, I was never able to match his unflinching chutzpah.....

ランカシャーのホテルの食堂での私の誕生日のことを、すごくきまり悪い気持ちとともに思い出す。ジェレミーが僕にセレナーデを朗々と歌ってくれたのだ。まわりにたくさんいるお客の反応にも、彼はまったく平然としていた。ああ、僕はジェレミーのような断固たる「鉄面皮」のレベルには、どうしても至れなかったのだ...。


そして、本文中ではこうです。

David Burkeはその時のことをよく覚えている。「ロケ先の夜、ジェレミーはとても混んだレストランの真ん中のテーブルで、僕にセレナーデを歌ったのです。彼がセレナーデを歌った、ということは、文字通り本当にセレナーデを歌った、ということです。冗談なんかではまったくなく大まじめで。そういう状況でジェレミー以外には誰も、真剣に心をこめてセレナーデを歌うなんてできないでしょう。僕は席に座っていて、そして彼の歌声がレストラン中に響き渡ったのです。その歌の中でジェレミーは僕のこと、僕の『美しい妻』と『素晴らしい息子』のこと全てを即興で歌いました。恥ずかしくて顔が真っ赤になりましたけど、それでもジェレミーのことが大好きでした。」

[...] and when he serenaded me, he really did serenade me.(彼がセレナーデを歌った、ということは、本当にセレナーデを歌った、ということです。)なんていうところ、笑ってしまいます。そして
But it didn't make me love him any the less.(それでもジェレミーのことが大好きでした。)というのも、いいですね。Davidがloveという言葉を使ったのはとても素敵だと思います。ジェレミーについて(私たちも含めて)抱く感情は、やはりloveだなあ、と思うのです。

RM
なんか書きたいなあと思いながら、日が過ぎていきました。

前回の記事で、Bending the Willowのサンプルが米Amazonで無料で読めて、その中にはDavid Burkeの文章もあるということをご紹介しました。そしてそれがいかにもDavidらしい文章だ、ということも。

これは2010年の新版で新たに加えられた部分で、こんなふうにはじまります。

I'm sorry that Jeremy is no longer with us. I miss his generous mad-cap spirit and blessed eccentricity.

ジェレミーがもうこの世にいないことを思うと悲しくなる。あふれるほどにあたたかくて、向こう見ずな情熱家で、素晴らしい具合に型破りなジェレミーがもういないのは、とても寂しい。


うまく訳せたか自信がないのですが、David Burkeの顔が浮かんできませんか?

そして、あるできごとについて書いた後のこの文章がまたDavidらしくて、茶目っ気のある笑顔が目に浮かびます。

He celebrated life on every suitable and unsuitable occasion.

ジェレミーは、それにふさわしい時にも、そしてふさわしくない時にも、いつも人生を讃え祝った。


この、(普通なら)ふさわしくない時にも、というのがいいでしょう?

さあ、午前1時にもうすぐなるので、短いですが今日はここまでです。おやすみなさい。

RM

 RM

Author: RM
コメントは承認後に公開されます。古い記事へのコメントも大歓迎です。2010年8月7日に始めました。
私の記事へのリンクはどうぞご自由になさって下さい。
和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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