Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

今日はAudibleにあるオーディオブックのご紹介です。前回オーディオブックをご紹介した時の記事はこちらでした。
Love's Labours Lost (1974) のオーディオブック再発売

ジェレミーが録音に参加しているオーディオブックについては、多くの人が参考にする代表的なジェレミーのファンサイトにも、現在手に入る作品のきちんとしたリストがありません。映像作品についてはどこのサイトも充実しているのですが。

欧米ではオーディオブックで本を読む(聴く)ことが生活の一部になっている、ときいたことがあります。米国では車で長時間移動するためでしょう、はやくから市場が確立していたそうです。イギリスでも、ネットからダウンロードするオーディオブックの販売サイトであるAudibleの売り上げが順調に伸びているようです。

それなのに、Audibleにジェレミーの声がきける作品がいくつもあることが、なぜ英米のファンの間でもあまり知られていないかというと、一つには多くの俳優が参加している作品が多く、個々の俳優の名前で検索してもひっかからないことが多いからだと思います。

多くの俳優が参加している作品が多い、ということと関係しますが、私はなぜ若い時の、声だけの、そして時にはあまり出番が多くない録音であっても、オーディオブックにも興味があるのかしらと考えると、それはジェレミーの修業時代という感じがするからかもしれません。すでに名をなしている多くのシェークスピア俳優にかこまれて、どんなだったかを想像しています。

また、ジェレミーのホームズにはおそらく古典劇での経験が多く生かされているのでしょう。その意味でもシェークスピアを演じるジェレミーに興味があります。実際プロデューサーのMichael Coxは "A Study in Celluloid" の中で、ホームズを演じる俳優としてハムレットを演じることができるのと共通の資質を備えた俳優を考えています。

And, of course, Jeremy had all the basic characteristics the part demands: the voice, the presence, the energy, the bearing of a gentleman and the classical training. For the Hamlet of crime fiction, you need an actor who has played Hamlet.

そしてもちろんジェレミーは、ホームズを演じるのに必要な資質をすべて備えていた。存在感、活力、紳士としての身のこなし、そして古典劇を演じる訓練を受けていること。推理小説の「ハムレット」には、ハムレットを演じた俳優が必要なのだ。


Hamletを演じた時の写真で、以前もご紹介したものを再度載せます。

他にもこちらにたくさんありますが、特に上にあげた写真が好きなのです。
http://jeremybrett.livejournal.com/106370.html

前回ご紹介したAudibleのAudiobookは1974年に最初に発売されたLove's Labours Lost(恋の骨折り損)でしたが、今回のRichard II(リチャード二世)はそれよりもさらにさかのぼる1961年で、ジェレミーは20代後半です。Hamletを演じたのが1961年ですから、この作品の発売はHamletと同じ年になりますが、このオーディオブックの実際の録音はそれよりも少し前でしょう。最初はLPとして、その後カセットテープとして発売され、2010年12月にAudibleのカタログの中にはいりましたが、リチャード二世を演じたSir John Gielgudのみキャストとして名前があがっているので、ジェレミーの名で検索してもヒットせず、この再発売に気がついたのは発売後かなりたってからのことでした。

ちなみにSir John Gielgudは「Dorian Grayの肖像(1976)」でLord Henry Wottonを演じた俳優といえばおわかりでしょうか。ジェレミーがこの有名な俳優を "Johnny G" と呼んで、カナダ出身の若い俳優Larry Lambの度肝を抜いた話が、Larry Lambの自伝に書かれています。

長くなりましたので、ご紹介を二回に分けます。

RM
16歳で大病した後のことを、David Stuart Daviesはこのように書いています。2段落目はとても短いのですが、こころに残っていました。ジェレミーはDavidに、どんな言葉でどんなふうにこの時のことを話したのだろう、と想像しています。

At the age of sixteen JB fell very ill with rheumatic fever. He was nursed at home and for some weeks he wandered in and out of consciousness, coming dangerously near death. The family prayed for him and in the end, partly because of his youth and strength, he survived but the disease left a legacy which would affect him in later life. The X rays revealed that at the height of his illness his heart had become enlarged to twice the normal size and when the fever left him, his over-strained heart valves were permanently damaged.

Being at death's door at such an early age gave JB a real reverence for life and for the spiritual pleasure of simply existing.

16歳の時JBはリウマチ熱にかかった。家で看病を受けたが意識がなくなることも何度もあり、数週間のあいだ死の淵をさまよった。家族は彼のために祈り、ついに若さと体力のためもあって快方に向かったが、この病はその後の彼の人生に影響を与えることになった。X線検査によって、病が最も重いときに心臓が普通の2倍に肥大したことがわかり、病が癒えてからも心臓弁がもとどおりになることはなかった。

若くして死への扉の際にたったことにより、JBはいのちへの畏敬の念と、ただ在ることへの魂の喜びを感じるようになった。


ジェレミーは明るくて友達がたくさんいてエネルギッシュで、言わば外へ外へと向かう面がある一方で、この内側へと向かう面も感じます。こういう複雑さがジェレミーの演技と、ひととしてのジェレミーに、深みを与えているのだと思います。

自分の中のいちばん内側を見るとき、すべてのみなもとにつながっていることを感じたい。私の今の気持ちです。それで今日はこの部分を引用しました。

RM
3月15日付けのMail Onlineに、テレビドラマでのエルキュール・ポアロ役で有名なDavid Suchet (デイビッド・スーシェ)に関する記事が載っています。(Mail Onlineはイギリスのタブロイド紙Daily Mailのネット版です。)この記事の内容もとても興味深いものでしたが、記事中にジェレミーとAnna Massey(アナ・マッシー)の結婚前後、多分婚約会見の時の写真がありました。Jeremy Brett InformationのRebeccaがネットで知らせてくれました。この写真はおそらく今までどこでも見ることができなかった「新しい」写真だと思います。

記事はこちらです。
My grandad the big shot: David Suchet picks up a camera to follow his grandfather's footsteps

写真への直接のリンクはこちらです。
http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2012/03/15/article-2115315-12307656000005DC-721_634x404.jpg
 

デイビッド・スーシェの母方の祖父が有名な写真家 James Jarché で、デイビッドにとって父親がわりのような存在だったそうです。デイビッドは祖父の影響で、写真を撮ることも今でも好きだそうです。彼が祖父の足跡をたどるドキュメンタリーがイギリスのテレビ局ITV(かつてのグラナダテレビ)で、この25日に放送されます。

その James Jarchéが撮った写真がこの記事にはたくさん含まれていて、その一枚が上にあげたジェレミーとアナの写真、そしてアナだけの写真も一枚あります。1958年ですから、これも結婚前後でしょう。新居での写真のような気がします。
http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2012/03/15/article-2115315-1230765E000005DC-126_634x454.jpg

デイビッド・スーシェは「ジェレミーにBAFTA賞を」の活動に署名とメッセージを寄せていますし、ジェレミーと一緒の写真もみることができます。そのデイビッドのおじいさまが撮った写真にジェレミーとアナがうつっているとは、世間は狭いですね!(It's a small world!)

デイビッド・スーシェからのメッセージと、ジェレミーと一緒の写真については、こちらをご覧下さい。
ジェレミーにBAFTA賞を!(18); 9月末で署名活動が終わります(4)

ジェレミーとアナは離婚してしまうのですが、こんなに若くてこんなに幸せそうな二人を見るのは、やはりうれしいものです。そしてジェレミーとアナは離婚後もよい関係を保ち、それぞれにお互いを人間として友人として大切に思っていたことが、インタビューなどで感じられます。ジェレミーのClaphamの家にはアナの写真が飾ってあったとききました。

RM
前回の記事で、ジェレミーとエドワードの文字をご紹介しました。
ジェレミーとエドワード、それぞれの筆跡

それで、ジェレミーの手紙もご紹介したくなりました。これまでに2回記事にしています。
私信
私信(2)

これまでの二つは個人に宛てた手紙だったのに対して、こちらはVictoria & Albert ホテルのスタッフに宛てたものです。このホテルはマンチェスターのグラナダスタジオの近くにあります。日付は1994年2月4日で、eBayへの出品者も書いていますが、おそらく最後の作品「ボール箱」撮影終了パーティの翌日に書かれたものでしょう。

鉛筆で書かれているので、読みにくいのですが、

Feb 4th 1994
To everyone at the
Victoria & Albert Hotel
Thank you so much for
making the Sherlock Holmes
Party last night, such a
night to remember
Sincerely
Jeremy Brett

1994年2月4日
Victoria & Albert ホテルの皆さんへ
昨晩のシャーロック・ホームズ・パーティを
ありがとうございました。
あの素晴らしいパーティのことは
ずっと覚えているでしょう。
ジェレミー・ブレット


 

最後の撮影の時のことは、こちらでご紹介しました。
グラナダ・ホームズの最後の撮影

パーティの時は定宿のMidland ホテルに泊まっていたのでしょうか。あるいは同じVictoria & Albert ホテルに泊まったのでしょうか。便箋に折り目が見えないので、同じホテルに泊まっていたのかもしれませんね。

パーティが終わった翌日、パーティを準備してくれて素晴らしい時を過ごさせてくれたホテルのスタッフにメッセージを残したくて、手紙を書いたのですね。これが最後の作品だとおそらく決めていて、撮影終了パーティもこれが最後になることもわかっていたのだと思います。どんな気持ちでパーティの次の日の朝を迎え、この感謝の手紙のために鉛筆を走らせたのだろう、と想像してみます。

RM
前回の記事の「Sherlock Holmes Gazette第二号の『編集者への手紙』から」で、

多分エドワードはあの整った丁寧な文字で、そしてジェレミーはあの踊るような元気な文字で書いたのでしょう。

と書きましたが、eBayに出品されたものの中に、ちょうど二人のサインを並べてみることができるものがあったので、画像をいただいてきました。

$(KGrHqUOKpgE25nLEFgGBN2(0N7bHg~~_12

エドワードは

Best wishes
Edward Hardwicke


ジェレミーは

Jeremy Brett

とサインしています。

もう一枚。こちらはどこから頂いたか忘れてしまいました。

JBEHautographs.jpg

Best wishes
 from
Jeremy Brett
  +
Edward Hardwicke


です。この「プラス」はどちらが書いたのでしょう?はじめはジェレミーだろうと思っていたのですが、この傾き具合はエドワードのサインと同じですから、エドワードでしょうか。どちらにしても楽しいですね。

ね、二人とも特徴のある、そしてどちらも美しい文字ですよね!

そしてこれは1年前の震災の後、少ししてから書いた記事(ジェレミーの悲しみと、あたたかさ(3); 1991年のダラスの新聞から(2))で紹介した、ジェレミーのサインとメッセージでした。1年前と今の被災地に思いを馳せながら、もう一度ご紹介しましょう。



Spring is in
the air! Joy
to us all
J.B.


RM
前回の記事(Sherlock Holmes GazetteのDVD-ROM)中で、記憶だけで書いたことを、あらためて雑誌を見て確認しました。第二号のLetters to the Editor(編集者への手紙)のコーナーに、Michael Cox, Edward Hardwicke, そしてJeremy Brettからの手紙が載っています。
Michael Coxからは長めの文章で、半分ぐらいを抜粋して抄訳しますと、

とても興味深くて情報にあふれた素晴らしい雑誌だと思います。今頃は編集の皆さんは、100周年記念行事のためにマイリンゲンに向かっているでしょうか。そうでしたら、私たちがそこで7年前に撮影を行った時のように、すばらしい時間をどうぞすごしてください。

7年前というのは、「最後の事件」のロケのことですね。

そしてEdwardは

Thank you so much for the copy of The Sherlock Holmes Gazette, which I enjoyed reading very much. I wish you much success with your future editions!
Edward Hardwicke, London

The Sherlock Holmes Gazetteをありがとうございました。とても楽しく拝見しました。この雑誌がこれから大成功をおさめますように!
エドワード・ハードウィック、ロンドン


Jeremyは

Thank you so much for sending me The Gazette―excellent. Bravo!
Jeremy Brett, London

The Gazetteをありがとうございました。すばらしいですね。ブラボー!
ジェレミー・ブレット、ロンドン


私の記憶にあったものほど極端ではないかもしれませんが、やはりそれぞれに個性が出ていてにっこりしてしまいませんか?多分エドワードはあの整った丁寧な文字で、そしてジェレミーはあの踊るような元気な文字で書いたのでしょう。

RM
Sherlock Holmes Gazetteという雑誌のことは、こちらでも何度も触れました。特にジェレミーが亡くなる直前の号と追悼号は、思い出深いものです。また、この雑誌の刊行を祝って、第二号か第三号にはジェレミーとエドワードが寄せた言葉も載っていたと思います。ジェレミーのものは「ブラボー!」というような元気で短い一言二言、エドワードは「素晴らしい雑誌を送ってくださってありがとう」といったような、丁寧な文章だったと記憶しています。読んだ時に、くすっと笑った思い出があります。(このあたり、以前はちゃんと確認してから文字にしていたのですが、最近は記憶で書いてしまっています。)

それ以外にも、ジェレミー・ポール、エドワードへのインタビュー記事もありましたし、ジェレミーへのインタビューも何度か載りました。グラナダシリーズの制作状況の取材記事もありました。A Study in Celluloidも、この雑誌での連載記事を元にしています。

この雑誌は途中で名前を2度かえました。最後はSherlockという名前になり、2005年に68号で終わっています。以下のウェブサイトで、ほとんどすべての号の表紙の写真をみることができます。
http://www.philsp.com/mags/sherlock_holmes.html
一つ頂いてきました。これは60号です。
sherlock_2003_n60.jpeg

1991年にはじまりましたので、グラナダシリーズの10年間のうちの最初の6年間を現在進行形で書いた記事は読めないのが残念です。ただ、ジェレミーの追悼号以後も、いろいろな形でグラナダシリーズがとりあげられているのを読むことができます。また、もちろんホームズ関係の記事が充実していて、それ以外の推理小説とその映像化作品についても書かれています。

この雑誌のバックナンバーを専門に扱うオンラインショップがあります。多分割と最近できたのだと思います。現在もこのショップが機能しているかはわかりません。送金前に連絡をとって、確かめて下さい。2013年6月記。
https://secure.websds.net/sherlock/index.php?c=home

バックナンバーは時々すごい値段でeBayに出たりしますが、このサイトではバックナンバーはすべて5ポンドかそれ以下、例えばジェレミーの追悼号も5ポンドです。
https://secure.websds.net/sherlock/index.php?c=product&item=SM013

バックナンバーのセットも売っています。また、バックナンバーをすべておさめたDVD-ROMも売っていて、これに興味があって問い合わせたところ、これから3月末まで25%オフにするというお知らせを頂きました。37.46ポンドで、全68冊を読むことができます。 
https://secure.websds.net/sherlock/index.php?c=product&item=CDALL
検索可能な形式で、写真や絵もすべて含み、カラー写真の場合はカラーでおさめられているそうです。興味のある方はどうぞ。

最後に、51号の表紙です。上記オンラインショップから頂いてきました。これはThe Secret of Sherlock Holmesの舞台写真で、化学実験台の前ですね。
SM051-issue_51-101.jpeg

RM

追記:最初の表紙のもとになった写真はこちらです。Jeremy Brett Informationから。クリックで2倍以上に大きくなります。背景が青か赤かで、また印象がかわりますね。
Colour_Holmes (119)

51号の表紙のThe Secret of Sherlock Holmesの写真の元は、1988年にWyndham's Theatreで撮られたものです。(写真ストックサイトへのリンク)

お目よごしのつたない英語を、一時的に一番上に置いています。(3/10に下にもどしました。)3日間フランスからのお客様がいらしたので、もしかしたらまた、と思って書きました。タイトルにつけたフランス語は機械翻訳の産物です。

自分でブログをはじめるまでは知らなかったのですが、どこの国からアクセスがあったかを知ることができます。ただし、国名が「不明」となっている場合もかなりあります。ブログによっては、国別のアクセス数が来ている人にも見えるようになっているものもありますね。

せっかくのご縁ですから、できればいろいろな方と少しでもつながりができたらいいなあ、と思っています。最近フランス語を母国語とする他の方とメッセージをやりとりする機会がありました。こういうことはジェレミーを知る前には考えられなかったので、不思議な気がします。南半球の島に住む方でした。

RM

3月はじめにフランスから来てくださったかたへのこのメッセージを、一番上に載せています。(3/10に下にもどしました。)

  Hello,

I'm very happy to know that I've had a visitor from France. I guess you are from Dyan's forum. I frequently visit there and enjoy reading posts. I once made contact with Dyan to ask a question and found her very kind.

Feel free to ask me if you have a question about photos, links, or anything in my blog. Remember that some photos will be enlarged when clicked, including the behind-the-scenes photo of The Merchant of Venice you probably posted to the forum. :-)

Kind regards,

RM  Email


最近読んでいる本にこんな記述がありました。著者は40代のアメリカ人の男性です。("Falling into Grace" by Adyashanti 和訳ではなく思い出しながら書いているので、細かい表現は違います。)

「私が7歳くらいのある日、悪いことをして、母から『お父さんが帰ってくるまで、自分の部屋で待っていなさい』と言い渡された。仕事から帰ってきた父は母から話をきき、部屋に入ってきて、その頃の親なら皆そうしたように、悪いことをした子供のお尻を叩いた。部屋を出て5分くらいしてまたもどってきて、僕の隣にすわった。『本当はこんなことはしなくなかったんだ。仕事から疲れて家に帰ってきて、ただいまを言っておまえを抱きしめようと思っていたのに、かわりに叩くなんて。もうこんなことはしたくない。わかってくれるね。』父はその時、父親という役割からではなく、一人の人間として僕に話した。はじめて父と子としてではなく、人と人として向き合ったことを感じた。父は自分の気持ちをひとにそのまま伝えることができる勇気を持っていたのだ。僕たちは抱き合った。」

私はこの部分を読んで、ジェレミーが Desert Island Discs (1991) の中でこう言っていたのを思い出しました。これはアメリカで収録されたラジオインタビューで、以前にもご紹介しましたが、音声をJeremy Brett Informationで聴くことができます。何度聴いたか知れない、とても好きなインタビューです。

父はある時私にとてもまっすぐに自分の気持ちを話してくれました。--- 父は軍人で、たくさんの勲章を授与されましたから、私は父のことをとても誇りに思っていました。勲章のことをイギリスでは「(Fruit-)salad」と言うんですけどね(笑い)。--- 父は子供の私にとても正直な気持ちを言ってくれたんです。自分が勲章を得るような働きができたのは、戦場で恐怖にかられておびえていたからだ、と。父がそういう話を私にしてくれて、本当にうれしかったです。

And he once had the great grace to tell me ― I was so proud of him because he had won so many medals, what we call in England "salad" (laughs) ― and he once had the grace to tell me as a child that he only won them because he was so frightened... and I thought that was a wonderful thing to tell me.


ジェレミーがこの時のことをよく覚えていたのは、父の言葉が意外だったということ以外に、父が子供の自分に「父親」という役割の顔以外の、一人の人間としての顔をみせてくれたのを感じたからではないでしょうか。そしてこういうことをきちんと覚えているジェレミーが好きです。

"[...] he only won them because he was so frightened..." というところ、普通に読むと理屈がよくわからないのですが、私が感じたのはこういうことです。勲章をたくさんもらったくらいだから、戦場で戦うことも戦死することも何もこわくない人間だと私のことを思っているかもしれないけれども、本当は戦争が恐ろしくてこわくて、だから部隊をまとめて必死に働いたんだよ。

このインタビューを聴くと、どういうお父様でどういう子供だったか、私の中で二人が生き生きと動き出します。はじめは俳優という職業を人に誇れるものとは思わず、俳優になりたいという思いを理解してくれなかった父親と、上の3人が父の職業を継がなかった後の4人目の息子としてのジェレミーの間には、気持ちが衝突したりずれたりすることもあったのでしょう。それでもこのインタビューで、ジェレミーの父親への尊敬とあたたかい気持ちを感じることができます。ジェレミーは別のインタビューで、父からは責任感を受け継いだと言っていました。

最後に、私自身の思い出を書きます。ジェレミーのこのインタビューをご紹介することをぼんやりと考えながらコーヒーを飲んでいて、役割の顔からではなく一人の人間として大人から話してもらったと私が感じた最初の時はいつだっただろうか、と思っていました。

そして小学校3年か4年の時のことを思い出しました。学校でいやなことがあって、そのことを小学校1、2年の時の担任の先生は知っていらしたのでしょうか。いつもは数人の子供たちの中で、私が最初に皆にさようならを言って別れていくところを、その日はなぜか私が最後に残る形になるように先生がなさいました。流れていた曲について、「知っている?」と尋ねられました。「ビバルディの『四季』から、春でしょう。」母の影響でクラシック音楽をよく聴いていて、先生もそれをご存知でした。「どんな感じがする?」音楽をきいて、きれいな曲、楽しい曲、それ以外にその頃の私は何かを感じるということがあったでしょうか。先生は、自分は幸せな美しさの中のかなしさ、天国で天使と共にいる時の幸せの中に一筋感じるかなしさ、そんなことを思う、と言われました。

本当のことを言うと、先生がその時おっしゃったことは、私の記憶の中でずいぶん違うものにかわっているかもしれません。でも先生という役割の顔ではなく一人の人間としての顔で、先生の中の何か大切な気持ちを話してくださったと私は感じて、その時の思い出は私のなかに決して忘れられない何かを残してくれました。そんなことを思い出しました。

私がジェレミーのことを知って感じるのが好きな理由には、こうして自分の中から思いが引き出されることも含まれているようです。

RM

 RM

Author: RM
コメントは承認後に公開されます。古い記事へのコメントも大歓迎です。2010年8月7日に始めました。
私の記事へのリンクはどうぞご自由になさって下さい。
和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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