Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

eBayに2010年、ジェレミーに関する新聞や雑誌の記事の切り抜きが相当数まとめて出品されました。今日ご紹介するのはその一つで、出品者は以下のように書誌情報を書いていました。

The new tenant at 221b Baker Street
YOU magazine, 1984.

ネット上の図書館カタログサイトWorldCatで、これに該当すると思われるものがありますので、おそらく正しい書誌情報なのでしょう。
http://www.worldcat.org/title/new-tenant-at-221b-baker-street/oclc/645775381

このカタログでは4月22-28日号となっています。イギリスで放映がはじまったのが1984年4月24日夜9時ですから、新番組にあわせたインタビュー記事ですね。この中から、ジェレミーの言葉です。

「(今までの撮影で)ホームズに脅かされるようになったんです。ホームズは僕にとって、月の影の部分のようになってしまいました。ホームズは陰気で孤独なのに、僕はあかるくて仲間と一緒にいるのがすき、ホームズは堅苦しいけど、僕はジミニー・クリケットみたいなんです。だから撮影が終わったら、ホームズを自分の中から洗い流さないといけませんでした。髪からグリースを洗い流すのと一緒にね。」

'I found Holmes was threatening me,' says Brett. 'He became the dark side of the moon because he is moody and solitary and I am sociable and gregarious. Holmes is so stiff and I'm like Jiminy Cricket. I had to wash the part out of me as well as the grease out my hair.'


ジミニー・クリケットは、ディズニーのアニメーション「ピノキオ」(1940)に出てきたコオロギです。日本語版のWikipediaはこちら、英語版ではこちらです。

ディズニーが大好きなかたはよくご存知でしょうが、私はあまり知らないんです。でもぼんやりと思い浮かべられます。日本語版Wikipediaでは「旅人のコオロギ。美声の持ち主」、英語版では"a comical and wise partner who accompanies Pinocchio on his adventures"(ピノキオの賢くておもしろいパートナーで、ピノキオと冒険をともにする)と書かれています。

ジェレミーが「僕はジミニー・クリケットみたいで」と言ったとき、多分「おもしろい」と「美声の持ち主」は絶対、気持ちの中にあったでしょうね!そしてジェレミーは南米大陸を六ヶ月間放浪した人ですから(「南アメリカでのヒッチハイクの旅; Desert Island Discs (1991) から (1)」)、ジミニー・クリケットがもともと「旅人」で、さらに「冒険」をするという点も気に入ったのではないでしょうか。

ジェレミーが自分をどんな人間と考えているか、どんなキャラクターと関連づけているかわかって、この記事のこの部分も興味深く読みました。

RM
まず最初に覚え書きです。

「法案可決しても運動はさらに続く」~憲法学者らが国会前でリレートーク
江川紹子、Yahooニュース、2015年9月17日

首相「支持受けた」というが… 安保法案は公約271番目
東京新聞、2015年8月24日

この場所がこういうことを書くところになるとは、とても不思議ですが、思えばこのブログをはじめたのも、5年間続いて今も書いていることも不思議ですから、何もこのくらいで不思議がることはないのでしょう。なにより、私にとってここがまだ生きている、変化しているということなのでしょうね。


さて、三日も続けて何か書くのは、ここを始めた頃以来だし、それがすべてこのブログのテーマに直接関係ないことなんて、まったくはじめてで、ここでちょっと休んでしばらくしたらまた書き始めようと思っていたら、Marcus Tylor氏からのお知らせがあって、あまりゆっくりもしていられなくなったので、手短かに書きます。

先週土曜日、9月12日のロンドンでの集まりについては、すでにSNSなどに写真などが出ていましたから、ご存知のかたも多いでしょう。日本人のかたもいらしたようですね。

ジェレミーの共演者としては、ジェレミーの最初のワトスンのDavid Burke、「まだらの紐」のヘレン・ストーナーのRosalyn Landor、「美しき自転車乗り」のバイオレット・スミスのBarbara Wilshereが参加していました。Davidはかわらずお元気そうでした!

私のブログではこちらに書きましたが、開催前でしたからこの二つには写真などはありません。
今年の9月12日の集まり
今日で二十年です そして「こころは一緒」:1995年のインタビューより

以前の計画にはジェレミーの声の録音を流したいと書かれていたのですが、それについては今のところ話題になっているのを読んでいないので、実現しなかったのでしょう。

さて、「ジェレミーをWyndham's Theatreの楽屋で撮影した写真家Marcus Tylorも、この集まりに参加するようです」と9月12日の記事に書きましたが、集まりが終わって間もなく彼は、撮った写真を集めたアルバムへのリンクを書いていました。そこで私は旧交をあたためる(というほどおおげさではないですが)よい機会だと思って、数年ぶりでメッセージを送りました。「すばらしい集まりだったようですね!あのアルバムの写真へのリンクを私のブログに載せたいんですけど、いいですか?」そしたら"Are you genki ?"がはいったメッセージがもどってきて、"Matane"でしめくくられていました。簡単にまたお返事を書いて、りえさんもgenkiですよ、と送ったら、「来月で僕たちが会って5年だね」って。ちゃんと覚えていてくださいました。

そして数日前に、この集まりのために特別にプリントした写真がまだあるので、eBayへのリンクも書いてくれる?とメッセージ。そして今日、例の写真集を今だけ40%引きにしているよ、とその割引用コードも教えてくださいました。それでちょっと急いでこのご紹介を書いています。


さてまずは彼のアルバムです。彼のあと何人かが同じ日の写真をネットに投稿していますが、プロの写真家の写真は多分こちらにあるものだけでしょう。写真は17枚あります。Davidのお顔、そして記念のベンチとそこに書かれた言葉もどうぞご覧になってくださいね。
http://www.demotix.com/news/8530967/sherlock-holmes-actors-and-fans-around-world-gather-london/all-media

そしてマーカスからのお知らせの一つ目は、マーカスがジェレミーを撮った中の一枚を元に、煙草を赤いばらにかえて、この日のために特別にプリントした限定版をeBayで購入できるということです。
http://www.ebay.co.uk/itm/111770840726

二つ目は、以前もここでお知らせしたことのある写真集を、40%引きで購入するための割引用コードで、
Save 40% until September 21, 2015. Code: RECORD40
とのことです。9月21日までに購入なさる場合、このコードを使ってください。購入場所はこちらです。
http://www.blurb.co.uk/b/1613794-a-roll-with-jeremy-brett


いろいろな思いが流れていった一週間でした。四日も続けて書いてしまいました!もちろん今日も明日もいろんなことがあって、いろんな思いが生まれて、そしてこれからも日々は続きます。

でも今夜は特に、真剣に・止むに止まれず・燃えて・軽やかに・思索しながら・怒りながら・絶望せずに・自分の意見と意思と言葉を大切にして この数日間をすごした若い人と中年の人と年とった人に、敬意と連帯の気持ちを送ります。

RM
もう一つ、この法案の内容についてふれてみます。ただし私は専門家ではありませんから、間違ったことを書いているかもしれません。前回は客観的に検証可能な事実、あるいは事実から論理的に導かれると思われることのみを書いたつもりですが、今回は見解も含みます。(追記:「間違ったこと」というのは、今回思い違いにもとづく個人的「見解」があれば訂正するという意味です。ただし、前回書いたことの中身には個人的「見解」は含めていないはずです。)


1. この法案は日本のために必要なのではないか。

必要だとは思いません。集団的自衛権の容認を必要だと思うひとの多くがあげる論点に、ほかの国が攻めて来たらどうする、領土をとられたらどうする、というものがあります。これは集団的自衛権ではなく、個別的自衛権を行使する場合にあたります。

武力攻撃を受けた国が自衛のために武器をとる権利が個別的自衛権、自国がまったく攻撃を受けていないのに、他国同士の戦争で、より関係の深い方の国のために武器をとる権利が集団的自衛権です。

(追記:他国同士の戦争に参加することが、日本のために必要だという意見、世界のために必要だという意見もあります。私は必要だとは考えず、かえって害をなすと思います。ごく短いですが、この後の3参照。)


2. これで日本は戦争に近づき、戦争による死者が(まず自衛隊に)出るか、それともより平和に近づくか。

戦争に近づくと考えます。これは安倍首相の次の言葉からも明らかだと思います。

集団的自衛権の「問題点」を一気に学ぶ
伊勢崎賢治『戦場からの集団的自衛権入門』から
SYNODOS, 2015.08.11

安倍内閣はどうしてそんなに集団的自衛権にこだわるのか? どうやら、首相の頭の中には「アメリカとの双務性」という言葉があるようです。

安倍首相は2004年に『この国を守る決意』(扶桑社)という対談本を出しています。(中略)また、安倍首相は同著でこうも言っています。

「軍事同盟というのは血の同盟であって、日本人も血を流さなければアメリカと対等な関係にはなれない」

この「血」というのは当然、ご自分の血ではなく「人」の血―自衛隊の「血」です。安倍首相が言う「双務性」が達成されるには、自衛隊に死者を出す必要があると言っているのです。


つまり、同盟国アメリカの戦争のために死者を出すことでアメリカと対等になる、というのが安倍首相のこの本の中での考え方です。その考えがそのあと変わったとは思えません。


3. たとえ日本に死者が出ても、世界の平和に貢献できるからいいのではないか。

アメリカは今まで間違った戦争をしてこなかったでしょうか?


4. 自衛隊はどこにでも行くのではなく、危険な地域には行かないのではないか。

今までは非戦闘地域に限られていましたが、この法案では「非戦闘地域」の概念はなくなりましたので、「現に戦闘行為が行われている現場」以外なら世界のどこへでも行けます。間もなく戦闘行為がはじまりそうな場所でも。また「後方支援」といいますが、その「後方」なる場所にいれば、攻撃を受けないと思えるでしょうか。


5. 徴兵制は現実のものになるか。

なるかもしれない、と思います。自衛隊員が激減するならば、徴兵制以外に手はあるでしょうか。憲法で禁止されているからあり得ないと言うかもしれませんが、憲法を時の内閣が解釈変更してしまう実例が今まさにおこりつつあります。


この法案の中身の点から、自問自答してみました。

RM
いつも楽しんで読んでいるブログに、安保関連法案のことが書かれていました。「自分用のメモ」とのことで、いくつか項目をたてて書いていらっしゃいます。それを見て、私の場合はなぜこの法案にこれほどの危機感をいだいているか、私もまた少し整理して書いてみようと思い立ちました。以下はそのかたの記事の項目には対応していませんが、自分で問いをたてながら整理してみるという点ではどこか共通したところがあるかもしれません。そしてこうして書いてみようと思ったのは、そのかたの文章を読んだおかげでした。

1. 日本という国は集団的自衛権を行使すべきか。

賛否両論があります(が、ここではふれません)。


2. 日本の政府は集団的自衛権を認めていたか。

いいえ、どの政府も一貫して「認められない」と言い続けてきました。理由は憲法が認めていないからです。

集団的自衛権と内閣法制局
南野森 yahoo!ニュース 2014年2月7日

激動の安保国会においても政府見解は揺るがない。歴代の内閣法制局長官で最長任期を誇る林修三といわば二人三脚で厳しい国会に対応した岸信介首相は、たとえば1960(昭和35)年2月10日の参議院本会議で、「自国と密接な関係にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵害されたと同じような立場から、その侵略されておる他国にまで出かけていってこれを防衛するということが、集団的自衛権の中心的の問題になると思います。そういうものは、日本憲法においてそういうことができないことはこれは当然でありま〔す〕」と述べている。


3. 集団的自衛権を認めるこの法案は、日本の憲法に違反しているか。

はい、衆議院憲法審査会において、与野党各党が推薦する3人の憲法の専門家が全員「安保法案は憲法違反」と明言しました。憲法学者の約9割も同様の意見だと報じられました。また上の項目2にてらして、今までの政府ならこの法案は違憲と判断するだろうと言うことができます。


4. この法案は憲法の解釈を変えるものか。

はい、憲法が認めていないから集団的自衛権はみとめられない、という今までの政府の憲法解釈を変えるものです。


5. その国の政府がある重要な国の指針について、従来は違憲だったが情勢が変わったから合憲ということにした場合、憲法はどうなるか。

その国の憲法は国家権力によってどのようにも解釈しうるものになった、ということです。


6. 国家権力が憲法を自由に解釈しなおして、憲法を守らなくなったとき、その国に何が起こり得るか。

その国には、本来なら憲法では認められないような、どのようなことも起こり得るということです。


以上が、私が今の状況に強い危機感をおぼえる一つの大きな理由です。

RM
それぞれ個人として、その時その場でできることをする。私にとってその一つがここでこれを書くことです。

安全保障関連法案に関して今、とても大切な状況にあります。それぞれにいろいろな意見、考えがあるでしょう。私が今の時点で思うことをここに書いてみます。

調査によって数は異なりますが、国民の6割かそれ以上がこの国会での成立に反対、あるいはその必要はないとしています。
この法案をいまの国会で成立させる必要が「ある」は20%、「ない」は68%(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASH9F659TH9FUZPS569.html
安全保障関連法案の今の国会での成立に、およそ6割の人が、反対(FNN)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00302986.html

それでも与党は強行採決しようとしていて、首相は「法案が成立し、時が経ていく中において間違いなく(世論の)理解は広がっていく」と言っています。
http://www.asahi.com/articles/ASH9G6H69H9GUTFK01D.html

また与党の中で、この安全保障関連法案に否をとなえる人は今のところ、いません。引退した自民党政治家でこの法案を否定する人は何人もいますが。
「山崎拓氏、亀井静香氏らが安全保障関連法案に反対表明会見」

追記:一人、発言している議員がいることを知りました。
「あまりに傲慢」自民・村上議員が「安保法制反対集会」で自民党執行部を批判

この状況をみて、教科書や本を通じてではなく、実際の目の前のこととしてはじめて私は知った、と感じたことがあります。

つまり、戦争をはじめとして、国がその方向を誤り国民が不幸になる事態というのは、政治権力を持っている人によってこのようにしてはじまるのだ、そしてその時、権力内には誰も止めるものがいないのだ、ということです。

国民の多くが何と言おうと、自分の言うことに間違いはない、と考える一人のひと、そのひとに異をとなえられない、そのまわりのひとたち。

あれっ、大丈夫だろうか、と今になって思ったひとが権力者のまわりにいたとしても、彼らはもう、ここでとまって考えようとは言えない。自分の身を守るためには、とにかく前に進むしかない。戦争末期に、日本が勝つとは信じられなくなったひとが軍部の中にいたとしても、退くことを選ぶなど考えられなかったように。

こうして国民や憲法がないがしろにされる。それをはじめて、実際のこととして見聞きしているのが今だと思います。今までは教科書の中のことだったのに。

一方で大きな希望があります。若いひとたちです。昨日の公聴会での若いひとの言葉は、すばらしかった。新しい理性と知性が育っています。そして連日のデモの中心も若いひとたちです。
日本の軍事的役割拡大、抗議デモは学生が主導
The Wall Street Journal, September 16, 2015

私たちに必要なことは、今できることをすること。そして投げやりにならないこと。忘れないこと。

ここに議員名簿と連絡先とこの法案への賛成・反対の別が書かれたサイトがあります。今日ここを知りました。私は私の声を直接議員に届けます。そして、次の選挙でも自分の意見を投票で示します。
http://democracy.minibird.jp/

RM

追記:上で「昨日の公聴会での若いひとの言葉は、すばらしかった」と書いた、その言葉です。聴いていらっしゃらない、または読んでいらっしゃらないかたにご紹介します。
「政治に絶望するような議会運営やめて」 参院中央公聴会 奥田氏の発言全文
東京新聞 2015年9月16日 朝刊
今日は2015年9月12日。ジェレミーがこの世を去って二十年です。

先日ご紹介しましたとおり、今日ロンドンでジェレミーのファンと、友人・知人が集まることになっています。
今年の9月12日の集まり

ジェレミーをWyndham's Theatreの楽屋で撮影した写真家Marcus Tylorも、この集まりに参加するようです。会ったことがあるひとが参加するのを知ると、私のこの身は実際には行かなくても、こころが今日のロンドンとつながっているように感じられます。Marcusとりえさんと私とで奈良で会ったのが2010年10月13日ですから、もう5年がたとうとしています。
マーカスとりえさんとすごした奈良(1)

ジェレミーのファンで、ロンドンに行きたくても行けない人はたくさんいて、こういう言葉を目にします。
"I wish I could be there, but I will be there in spirit!"
(私も行けたらどんなにいいでしょう、でもこころはそこにいます!)
"I can't be there physically, although I'll join in spirit!"
(からだは行けないけど、こころは一緒です!)

この「こころは一緒」という言い方で思い出したジェレミーの言葉を、今日はご紹介しましょう。

ジェレミーは1995年5月、つまり亡くなる4ヶ月前にあたりますが、シャーロッキアンのグループ、The Northern Musgraves Sherlock Holmes SocietyがEdinburgh(エディンバラ)で開く集まりに出席して話をする予定になっていました。しかし健康状態が理由でいけなくなってしまいました。ジェレミーはこれを悲しんで、電話の声で参加者にメッセージを伝えることを、このグループの主催者だったDavid Stuart Daviesに提案したそうです。そしてこの録音は実際に集まりの会場で流されました。

これを文字におこしたものが、このグループの機関誌であるThe Ritualの1995年秋号(ジェレミー追悼号)に載っています。その冒頭部分です。ジェレミーの言葉の中でSHとあるのはもちろん、Sherlock Holmesです。

DSD: よく来てくださいました、ジェレミー。

JB: ここに来られてうれしいです。ちょっと残念なことに、こころで一緒にいる、っていうことですけど。みんな気をつけて。最近エディンバラでSHをみたっていうひとがいるんですよ。だから彼はそのあたりにいるんです。変装しているかもしれない、いま隣のどちらかにすわっているのがSHかもしれない。用心して。彼はその集まりのなかにいるって僕はきいたんだから。もし会ったら、僕がよろしくと言っていたって伝えてください。

DSD: Hello Jeremy and welcome.

JB: Nice to be with you. Sorry I'm only with you in spirit. Now listen, I'm told that SH has been seen in Edinburgh recently so I do warn all of you that he is about. Now he may be in disguise, he may be sitting on your right or your left hand side this very moment. So be wary because he is, I'm told, amongst you. If you see him, do remember me to him.

Message to The Musgraves
The Ritual, No. 16, Autumn 1995

いかにもジェレミーらしいでしょう。僕もみんなと、こころで一緒にいますよ、そしてホームズもそこにいるんですよ、って。

こう言ったときのジェレミーの気持ち、声の調子を想像しています。

今日、このテープをDavid Stuart Daviesが流す計画のようです。先日の記事でもアドレスを記したFacebookへの投稿に書かれています。この投稿には7月の時点での予定が書かれていますので、また少しかわっているかもしれませんが。
https://www.facebook.com/events/1462453807302910/permalink/1652756301605992/

1995年にThe Northern Musgravesのためにジェレミーの言葉を録音したものを、皆でこの日にききたいと彼は言っています。とても「こころ動かされる」録音だそうです。というのもジェレミーの健康状態は悪かったけど、とても「生き生きと楽しげ」だからです。
He wants to share a recording he did with Jeremy in 1995 for the Northern Musgraves, which he describes as 'touching', because he was unwell, but 'lively'


私もきいてみたいという気持ちとともに、でも、それこそ「こころで」きくことができる、とも思います。文字で読んで、こころを沿わせることができる。


ここから連想です。私が実際の生活で出会うひと、あるいは会ったこともない、気がついたらすでにこの世にいなかったイギリスのひと。最近私はそのひとりひとりに、今ここで私ができるもっとも誠実なこと、そして本当はこれしかできないことってなんだろうと考えます。

私でない他人。今ここで言葉をかわしているひと、そして今ここで気持ちを向けているひと(たとえ会ったこともないひと、すでにこの世にいないひとでも)。正にせよ負にせよ、何かの幻想、偏見、自分の気持ちの投影をひとに押し付けないようにつとめる、でも、それでも押し付けてしまっていることに気がつく。そのひとのこと、そのひとの気持ちなんて、全然わかっていないことを認める。その上で、今ここで自分に正直であろうとつとめながら、こころを沿わせて、ときに想像の翼を広げる。その想像の中にあやまりがあっても、その中に何か本質的なものが含まれているように願う。

そういうことじゃないかしら、と最近思っています。ジェレミーの話にもどると、だから私はジェレミーのことなんて何一つわかるはずがない。それでもなぜかこんなことしていて、たとえば文字に書き起こしたものを読んで思いをはせたりしているわけです。そしてそれは以前は考えてもいなかったけど、現実の生活の中の私と他人との関係と、不思議なかたちでつながっています。

そういう意味でも、そしてもちろん、あのホームズを残してくれたという意味でも、あらためてジェレミーに個人的に(うふふ)感謝の気持ちをおくります。ここに来てくださる皆様もそれぞれに個人的に(にっこり)、そして私も含めた世界中のジェレミーのファンと一緒に、ありがとうと言ってくださいね!

RM
前回、上から二番目の兄で画家のMichael Huggins(マイケル・ハギンズ)についてご紹介しました。前回アドレスを書いた赤いペチュニアの絵をはじめとして、彼は少なくともある時期は静物画をおもに描いたようで、たとえばアマゾンにも絵が出品されていますが、現在リストにあがっている6点はすべて静物画です。
http://www.amazon.com/s/ref=art_artist_search?node=6685269011&field-keywords=Michael%20Huggins

ところが最近、Facebookにいくつもあるジェレミーのファングループの一つにメンバーの一人が、マイケルによる興味深い人物画を撮影した写真を投稿していました。このファングループは公開グループですから、メンバーにならなくても見ることができます。(ちなみに私はFacebookのグループにはどれにも参加していません。)

マイケルによる人物画をみることができるのはこのグループ内にあるアルバムで、そこには"The Berkswell Museum Exhibition"というタイトルがついています。Berkswellはご存知のようにジェレミーが生まれ育ったところで、そこにある博物館でそのメンバーが撮ったのがこのアルバムの写真なのです。
https://www.facebook.com/media/set/?set=oa.963851870331972&type=1

アルバムの説明の文章には、The Berkswell MuseumのFacebookのページのアドレスが添えられています。
https://www.facebook.com/berkswellmuseum?fref=ts

アルバムの6枚目と7枚目の写真をご覧ください。7枚目をクリックすると大きくなって、投稿者の説明を読むことができます。「ジェレミーの絵。兄のマイケルによって1957年に描かれたもの」("Jeremy, painted by his brother Michael 1957") 6枚目ではこの絵が博物館内でどんなふうに飾られているかわかりますね。
 
1957年というと、ジェレミーは23歳か24歳、マイケルはその6歳年長です。マイケルはその頃は人物画もよく描いていたのでしょうか、それともこの絵は特別なんでしょうか。

この絵、ジェレミーと言われると、たしかに面影があるように感じられます。頭の形、口元、あ、耳も。首から肩の線も。War and Peace(1956年公開) の後、Anna Masseyとの結婚(1958年)より少し前のジェレミーです。兄が描いた若きジェレミー。二人の間にどんなふうな会話があったでしょうね。

なお、もしもこの写真をどこかで紹介なさりたい場合は、この絵の写真を撮った人と、この絵がある場所についての情報も一緒に紹介してくださいますようお願いいたします。

RM
前回の記事の中で、ジェレミーの長兄のことに少しふれました。ジェレミーは男ばかり4人兄弟の末っ子です。

以前このように書きました。

1973年のインタビューでは「一番上のジョンは教師、マイケルは絵描きになって今はマジョルカ島に住んでいて、パトリックは建築家です」と言っています(「父のこと; 1973年のTV Timesのインタビューより」)。その後だと思いますが、長兄のジョンはキリスト教、おそらくイギリス国教会の司祭になっていて、ジェレミーの追悼式では司式をなさっています(「追悼式での John Huggins師の言葉;1995年のThe Baker Street Journal より」)。

アーチェリーに関する1989年の記事より(1)

今日は、このマジョルカ島に住んでいた兄のMichael Huggins(マイケル・ハギンズ)の絵をご紹介しましょう。何枚か見たことがありますが、私が好きな一枚はこちらです。このページは2009年のeBayの記録です。金色の背景の中の赤いペチュニアで、ちょっと日本画を思わせる様式のようにも思うのですが、いかがですか?絵は油絵です。
http://www.worthpoint.com/worthopedia/michael-huggins-red-petunias-original-97197177

下の方に説明があります。

マイケル・ハギンズ
現代英国の画家
1927年に英国のKenilworthの近く、Holly Lodgeで生まれた。Eton校とSandhurst陸軍大学で学び、グレナディア近衛歩兵連隊に所属した。チューリッヒ、パリ、そしてカリフォルニア州ラ・ホヤで画家として活動した。ハギンズはその後英国にもどり、それからスペインのマジョルカ島に移り住んだ。

Michael Huggins
Contemporary English painter
Born in 1927 at Holly Lodge, near Kenilworth, England. Studied at Eton and Sandhurst Military College, and later served with the Grenadier Guards. Painted and studied in Zurich, Paris, and La Jolla, California. Huggins returned to England before relocating to Majorca, Spain.


Holly Lodgeというのは、ジェレミー以外の3人の兄が生まれたところとして、Berkswell Miscellany, Volume Vに書かれていますし、ジェレミーがインタビューで言っていたのと同じマジョルカ島に住んだということからも、ジェレミーのお兄様で間違いないでしょう。

Berkswell Miscellanyにはこう書かれていました。

3人の兄のジョン、マイケル、パトリックはHolly Lodgeで生まれたが、ジェレミーはTruggist Laneのthe Grangeで生まれた。(中略)ハギンズ家は1929年にDuggins LaneのHolly Lodgeからthe Grangeに移ったのだ。

Unlike his brothers John, Michael and Patrick, who were born at Holly Lodge, Jeremy was born at the Grange in Truggist Lane. [...] The Huggins family moved to the Grange in 1929 from Holly Lodge, Duggins Lane.


1927年生まれのマイケルが2歳の1929年に引っ越したということです。その後の1933年にジェレミーは生まれたのですから、マイケルにとって6歳年下の弟ですね。

この絵をみて面白がっていましたら、最近、また興味深いマイケルの絵をジェレミーのファンが紹介しているのを読みました。多分次回、これをご紹介しましょう。

RM

追記:これではじめて知ったのですが、結局別の道に進んだにしても、軍人である父のあとを継ごうと最初は考えていたのは、4人の兄弟の中でジェレミーだけではなかったのですね。
昨日、舞台公演のプログラムのページをご紹介したので、今日も別のプログラムを。

ひょんなことからBirmingham Repertory Theatreのウェブサイトに、ジェレミーも出演したA Measure of Cruelty (1965) のプログラムがアップロードされていることに気がつきました。この劇場の100周年を記念してつくられた、The REP 100という名前のアーカイブ・サイトの中です。

The REP 100のメインページはこちらで、ここに検索窓があります。
http://www.birmingham-rep.co.uk/rep100

ここに"Jeremy Brett"と入れると、A Measure of Crueltyのブログラムが、表紙も含めて8枚の画像としてみつかります。その4枚目がこちら。
http://www.birmingham-rep.co.uk/rep100/3400

上のページの画像を(私の環境では)三度クリックするととても大きな画像になります。ここに使われているジェレミーの写真は、ここのところ何かと名前を出す、Ingrid Bergmanと共演した舞台A Month in the Country (1965) のプログラムでも使われていました。反抗的な、あるいは屈折した感情をもてあました若者といった感じにみえて、特に目が印象的ですね。

備忘として、日付のことをまとめておきます。上のページの説明では、A Measure of Crueltyは1965年2月9日から3月6日までの公演と書かれていて、ジェレミーのお父様が亡くなったのは、Berkswell Miscellany, Volume Vによれば1965年4月22日でした。A Month in the Countryは正確な日付はわからないのですが新聞の劇評が1965年の9月末にいくつも出ていることからすると、9月半ば頃にはじまったようです。そして8週間の予定が4週間伸びて12月11日に終わる予定と書かれた新聞記事があります。

以前ご紹介したことがありますが、ジェレミーの長兄のJohn Hugginsによると、ジェレミーがおもに病気の父親の世話をしたということでした。
追悼式での John Huggins師の言葉;1995年のThe Baker Street Journal より

父が長わずらいの末に死をむかえるまでの間、ジェレミーが父の闘病生活に責任を持った。

[Jeremy] had taken on the responsibility of nursing their father during his long final illness.

The Baker Street Journal: an irregular quarterly of Sherlockiana, Volumes 45-46, 1995

1965年は、ジェレミーは31歳から32歳。この年はこれらの舞台と、父の死という、そういう年だったのですね。

RM

 RM

Author: RM
コメントは承認後に公開されます。古い記事へのコメントも大歓迎です。2010年8月7日に始めました。
私の記事へのリンクはどうぞご自由になさって下さい。
和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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