Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

前回まで、Rebecca(「レベッカ」)撮影中のお話を紹介していましたので、その続きで、アメリカでの「レベッカ」放映時の新聞記事から引用してみましょう。

引用部分で出てくるHitchcock(ヒッチコック)の「レベッカ」は1940年のアメリカ映画で、ジェレミーが出演したBBCテレビ版と同様Daphne du Maurier(ダフネ・デュ・モーリア)の原作を元にしています。Laurence Olivier(ローレンス・オリビエ)がMaxim de Winter(マキシム・ド・ウィンター)役を演じたことでもよく知られています。

New Rebecca Airs
The Dispatch, March 7, 1980
https://news.google.com/newspapers?&id=0AoeAAAAIBAJ&pg=6470,7705429

サー・ローレンス・オリビエは、ダフネ・デュ・モーリアが書いたサスペンス小説の古典、「レベッカ」の新しいドラマでジェレミー・ブレットが「オリビエの有名な役」を演じるときいて、ブレットに電話をかけてきた。いかにも深刻なことだというふりをして、「Max de Winter(マックス・ド・ウィンター)になるそうだけど、僕が死ぬまでは演じないで待っている手もあったと思うよ。」

ブレットは答えた。「でもLarry(ラリー)、もしあなたが死ぬまで待っていたら、それまでほとんど何の役もできないですよ。」オリビエの友人でもある、46歳の俳優ブレットはこう説明する。「古典作品の重要な役ならすべて、彼は演じていますからね。」(中略)

ヒッチコックは原作にいくらか改変を加えたと言えようが、新しい「レベッカ」は元の作品に忠実だ。(中略)

ブレットはオリビエを敬愛しているけれども、自分のド・ウィンターをつくりあげた。「私達の作品のド・ウィンターは、デュ・モーリアの小説に書かれたド・ウィンターです。はるかに大きな闇の部分を持つ男です。」


When Sir Laurence Olivier heard that British actor Jeremy Brett had been cast for 'his' role in a new version of Daphne du Maurier's suspense classic "Rebecca," he called Brett up and said in mock seriousness, "I hear you're playing Max de Winter. You might have waited until I'm dead."

Brett replied: "Larry, if I waited until you were dead there'd be precious little to do in the meantime." A personal friend of Olivier's, the 46-year-old actor explains, "All the great classic parts—he's done them." [...]

If Hitchcock took some liberties with the original story, the new "Rebecca" goes strictly by the book. [...]

Despite his admiration for Olivier, Brett has fashioned his own version of the male lead. "The de Winter of our version," he explains, "is the de Winter of the Du Maurier novel—a much darker fellow.


ジェレミーが、4年間のThe National Theatreの時代を経てオリビエのもとを離れたのが1970年のはずです。Rebecca (1979) の撮影がおこなわれたのは1978-9年頃でしょうが、オリビエとはこの頃も(あるいはもしかしたら、劇団にいた頃の「師」としての関係が終わったこの頃は)こうして電話がかかってくるような親しさだったのですね。"A personal friend of Olivier's"という言葉もそれを示しているようです。

それで思い出したのですが、もうずいぶん前にオリビエからジェレミーへの手紙を、サインや直筆の手紙を扱うサイトでみたことがあります。オリビエが、大きな花束を贈ってくれたジェレミーにお礼を書いていました。久しぶりにコンピュータの中を探してみたら、その時の画像がみつかりました。そこでこの手紙のことを少し書いてみましょう。

手紙に書かれた日付は1987年6月4日、ということはジェレミーが「レベッカ」に出演した1979年から、8年ほど後のことです。そしてオリビエが亡くなったのは1989年7月11日だそうですから、この手紙はオリビエが亡くなるおよそ2年前です。

手紙のはじめにタイプした文字で

Jeremy Brett, Esq.,

とあるその後に直筆のペン字で

My dear Jeremy, most dear!

とあります。本文でも"wonderful bouquet!" と"quite lovely"と、こちらはタイプの文字にペンで線をひいています。

オリビエの誕生日は5月22日だそうですから、この6月4日付けの手紙でふれられているジェレミーからの大きな花束は、ジェレミーからのお誕生日のプレゼントだったのかもしれません。別の意味での花束かもしれませんがとにかく、花を贈るのが好きだったジェレミーらしいですね。手紙の中でオリビエは、

「花束を部屋に入れるために家具を出さなきゃならなかったよ!いや、それは冗談で、とても素敵だった」("We had to take the furniture out to get it into the room! No, it was quite lovely")、

そして

「こんなものすごいスケールで僕のことを思ってくれて、本当に本当にありがとう。」"[T]hank you so very very much for your kind thoughts of me on such a grand scale."

とタイプで記したものの最後にペンでたて棒一本を書き加えて、ピリオドを感嘆符"!"に変えています。最後には直筆のサインの前に、これも直筆で

As ever and
Forever.

とありました。正確にはForeverの部分では"For"の後に二つの点のditto mark(繰り返し記号)で"ever"をあらわしています。


見ていて楽しい手紙でした。ジェレミーにとってオリビエは神様みたいな存在であり、俳優を志すきっかけだったとともに、こういう手紙をやりとりする年長の友人の一人でもあったのですね。そしてそれを生んだのはジェレミーが誰とでも親しくなれる性格だったからかもしれません。こういう親しさがあったからこそ、ジェレミーが「レベッカ」で自分と同じ役を演じることを知って、ジェレミーにあんな電話をかけてきたのでしょうね。

RM
少し間があいてしまいました。

David Huggins(デイビッド・ハギンズ)のオートバイについてAnna Massey(アナ・マッシー)の自伝から前回引用したのに続いて、デイビッド自身が語っている記事から引用しましょう。これは2001年のThe Guardianからですから、1959生まれのデイビッドは42歳になっています。

At Christmas I dreaded playing charades
The Guardian, 14 November 2001
http://www.theguardian.com/books/2001/nov/14/shopping.familyandrelationships

両親は職業とユーモアのセンス以外には共通するところがほとんどなくて、私が3歳の時に離婚したのだが、そのあと子供時代の私の目から、二人は驚くほど仲のよい関係にみえた。(中略)

父が私の18歳の誕生日にオートバイをプレゼントしてくれた時、両親はテレビドラマRebeccaの撮影で一緒だった。母は父にとても腹をたてたので、二人は撮影のあいだずっと互いを無視していた。その時は私は父の側についていたが、今は母の気持ちの方がよくわかる。両親ははじめてまわりにもみえるかたちで喧嘩をしたのだが、この諍いは二人の性格がもともと正反対だということをよく示していた。母は理性的で慎重で几帳面、父は直観的で自分の気持ちに従う。私が子供の頃二人がなんの苦もなく気持ちを通い合わせているようにみえていたのは、それが子供を育てるために必要な態度であるのに加えて、彼らがプロの俳優だったからかもしれないとも思う。今でも私の頭の中では、父が「危険をこわがらずに冒険しなさい」、母が「よく考えるんですよ」、と正反対のことを言いあうのがきこえる。

With little in common besides their careers and a sense of humour, my mother and father divorced when I was three, but for the remainder of my childhood, they appeared to get along surprisingly well [...].

When my father presented me with a motorbike for my 18th birthday, my parents happened to be working together on a television adaptation of Rebecca. My mother was so angry with him that they ignored each other for the entire filming. At the time, I took my father's side, but now my sympathies lie more with my mother. It was the first time they'd fallen out openly, and the row pinpointed the fact that they were, by nature, opposites. My mother is cerebral, cautious and organised, while my father was intuitive and impulsive. I suspect that the easy rapport they seemed to share when I was a child might be due to the fact that they were professional actors as well as caring parents. I can still hear them battling out their differences in my head: my father urging me to take risks; my mother advising me to think things through.


デイビッドは、バイクで怪我したことも、そのバイクに乗らなくなったことも特に書いていません。いろいろな解釈があって、一つは自分が怪我した話は照れくさかったかもしれませんし、あるいは彼にとってバイクに乗ったことこそが大切で、事故のことはもう忘れていたかもしれません。

それに対してアナの自伝を読むと、母親のアナにとっては事故こそが忘れられない一大事だったのですね。そしてその事故のおかげで、オートバイはやはり危険なもので贈るべきでなかったとジェレミーもわかっただろう、と書いていました。

デイビッドは当時はジェレミーの味方だったとありますから、父が母の反対を押し切ってバイクを買ってくれてよかったと思っていたのでしょう。そしてデイビッドに「危険をこわがらずに冒険しなさい」と言っていた父は、もちろんオートバイを贈ったことを後悔なんてしていなかったでしょう。

でもデイビッドは、今は母の気持ちの方がわかると言っています。理由は何も書いていませんが、この記事が書かれた2001年は彼が結婚した年ですから、それもなにか関係していたかもしれません。

離婚した両親のそれぞれの性格と、その性格の違いにもかかわらず、二人が子供の自分のためにみせた姿の描写も、興味深いものでした。両親が離婚した人がフォーラムで、私の両親も私の前では子供のためを思ってこんなふうだったらよかったのに、と言っていたことを思い出します。



ところで、ジェレミーとアナが共演しているRebeccaにはデイビッドも「出演」しているということをご存知でしょうか。「出演」といっても通行人の役で、出演者として名前も出ていませんけど。でも親子3人が出ているというのもちょっとおもしろいです。

そのことをデイビッドが話していたのは、イギリスの新聞 The Independentの記事中でした。以前はネット上にあったのですが、今はThe Independentのウェブサイトから削除されてしまいました。以前のページのアドレスです。
http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/features/david-huggins-public-faces-in-private-places-747515.html

過去のページを収集して公開しているウェブアーカイブサイトに残っていますので、そちらのアドレスを書きます。

David Huggins: Public faces in private places
The Independent, 3 November 2001
http://web.archive.org/web/20100530062834/http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/features/david-huggins-public-faces-in-private-places-747515.html

たった一度だけ演じたのは、Rebeccaのテレビドラマ版でした。母はダンバース夫人、父はマキシム役、私は(おどされて)ちょい役で出ました。女優のVivienne Picklesが運転する車にあやうくひかれそうになる役です。

The only time I acted was in a TV adaptation of Rebecca. My mother played Mrs Danvers and my father played Maxim de Winter. I played an extra (under some duress) who was almost run over by the actress Vivienne Pickles.


3人が同じ作品に出る最初で最後のチャンスかもしれないから、と言われたのでしょうか。「おどされて」って、両親に?どちらか一方に?あるいは照れてそう言っているだけで、一回だけなら案外面白がって出てみたなんてこともあるかもしれません。

そしてこの通行人役のデイビッドが出るシーンは、おそらくこちらです。RebeccaはいままでビデオにもDVDにもなっていませんので、Youtubeのアドレスを書いてもよいでしょう。このアドレスをクリックして、数秒後です。(記事では車を運転している女優の名がVivienne Picklesとなっていますが、正しくはVivian Picklesのようです。)
http://www.youtube.com/watch?v=iJWEYaN08ws&t=4m51s

いかがですか?家庭用ビデオデッキで録音されたぼんやりした画面で、顔は全然わかりませんけど、足が長いのはわかりました(うふふ)。ジェレミーはこのシーンをみて、にっこり笑ったでしょうか。

RM
16歳で大病をした後の出来事として、ジェレミーのオートバイの話がありました。
8ヶ月ベッドで過ごした後:1994年のインタビューより

それで思い出したのは、David Huggins(デイビッド・ハギンズ)のオートバイのことです。デイビッド・ハギンズはジェレミーとAnna Massey(アナ・マッシー)の息子です。ジェレミーとアナは離婚してからもデイビッドの両親として、互いを尊重し合っていました。たとえば以下の記事で触れました。
Anna Masseyの自伝と、Penhaligonのバスオイル
"Women in My Life"の記事からもう少し

ジェレミーとアナはRebecca (1979)で共演していて、その頃のことをアナが自伝に書いています。ここにオートバイの話が出てきます。

Rebeccaのリハーサルの時だが、知らない間にジェレミーはデイビッドにオートバイを与えていた。それまでいつも私は反対していたのだ。激怒したが、ジェレミーとその時大げんかをするわけにはいかなかった。皆を動揺させて、不必要な緊張を現場に持ちこむわけにはいかないからだ。それでジェレミーを無視して話しかけないことにした。形式的な挨拶以外は、そしてもちろん二人が出るシーンのリハーサルの時以外は。奇妙な日々だった。でもバイクを手に入れて数週間後にデイビッドが事故で足を怪我したことで、私の主張が正しいことは裏付けられた。それほどひどい事故ではなかったが、オートバイを贈ったのは愚かなことだったとジェレミーが気づくには十分だった。このことについて撮影中もその後も私達は話すことはなかったが、数ヶ月後バイクは捨てられて、ひどい喧嘩にならずに二人の間に平和がもどった。そしてテレビでドラマの放映がはじまった時、ジェレミーが私に手紙をくれた。そのなかで私の演技をとても褒めてくれていて、私は胸を打たれた。

During rehearsals, unbeknown to me, he had given David a motorbike, something that I had always been against. I was utterly furious. We could not have a vehement row, as it would have upset everyone and created tension where it was not needed. So I decided to ignore Jeremy and not speak to him, except in the most formal way, and of course when we had to rehearse our scene together in the play. It was an odd experience, but my side of the argument was reinforced when, a few weeks after getting the bike, David had an accident and injured his leg, not badly, but enough to make Jeremy understand that his gift had been a foolish one. We never spoke of this episode during the production or afterwards, but a few months later the bike was abandoned, and peace was restored without a bloody war having taken place. In fact when the show was first shown on television, Jeremy wrote me a most complimentary letter about my performance, which I found very touching.

Telling Some Tales
by Anna Massey

16歳でオートバイを両親から贈られたジェレミーは、今度はデイビッドにオートバイを贈ったのですね。次回ご紹介するつもりですが、デイビッドによるとこれは彼が18歳の時の誕生日プレゼントだったようです。アナに反対されてもデイビッドにバイクを経験させたかったのは、デイビッドが欲しがったからかもしれませんし、風を切って走る感覚をジェレミーが覚えていたからかもしれませんね。

そしてアナの自伝には「オートバイを贈ったのは愚かなことだったとジェレミーが気づくには十分だった」とありますが、ジェレミーはそんなふうに思ったでしょうか。アナの気持ちもよくわかりますが、でもジェレミーの性質を思えば、そうは思わなかった気がします。怪我をしても、その後乗らなくなってしまっても、デイビッドがそういう経験もできてよかったと思ったのではないでしょうか。

この文章でもう一つ触れるとすれば、もちろん最後の部分です。ジェレミーはいつもひとをこころから褒めますね。自分のあたたかい気持ちをまっすぐにひとに伝えます。それが感じられてうれしくなりました。


さて、ジェレミーがデイビッドにオートバイを買ったことについて、デイビッドが語っている新聞記事があります。母親のアナとは言っていることがちょっと違うところ、そして彼の両親をみる目が興味深いので、多分次回それに触れます。

RM
前々回、ジェレミーが16歳で大病をした後、回復しつつあるのになかなか普通の生活に戻れず、挙げ句の果てにベッドに逆戻りしたことを話しているインタビューをご紹介しました。その頃のジェレミーに思いを馳せる手がかりになる文章を二つあげましょう。

一つは以下の記事で引用したインタビューの一部です。この頃は原文併記を原則としていませんでしたので、今回はジェレミーの元々の言葉も書きます。訳も少しだけ変えました。
大病の後に:インタビュー記事 When the lights went out (1990) より

「イートン校にいた16歳の時に、ダイビング競争で優勝しました。 テムズ川の河口に飛び込むのですが、優勝して、他の生徒よりも長く水の中にいることになって、川に浮いているきたないもののせいでが耳がはれてしまいました。それがもとでリウマチ熱にかかり、ひどい状態になりました。X線でみると僕の心臓は普通の2倍の大きさになっていたのです。」彼は家に送り返され、8週間のあいだ鎮静剤が必要な病状で、8ヶ月の間ベッドから離れられなかった。その間に背が4インチ(約10センチ)伸びた。

「その年齢で重い病気をしたことで、人生が完全に変わりました。死の淵の手前まで行ったのですが、自分ではそのことを知りませんでした。でも人生の真実をかいま見た時、人は違う人間として戻ってくることになります。」


"When I was 16 and at Eton, I won the diving competition. We used to dive into a kind of estuary on the Thames. Because I had won and was in the water longer than the other boys, I got boils in my ears, caused by unpleasant, dirty things floating about. This developed into rheumatic fever and I was completely flattened. When I was behind the X-ray machine it showed my heart was twice its normal size." He was sent home from school, kept under sedation for eight weeks and bed-ridden for eight months, during which time he grew four inches.

"Being so ill at that age completely changed my life. I'd been on the brink of death, unknown to me, but when you touch the petticoats of comprehension, you do come back a different person."


このインタビューの書誌情報は、切り抜きに書かれていることと、Brettish Empireの情報を総合すると、以前も書きましたが以下のとおりです。
When the lights went out
by Marilyn Willison
The London Times, Feb 18, 1990

"petticoats of comprehension"に触れるというところの訳が難しいです。"comprehension"はひとが生きるとはどういうことか、「私」とはなにかを理解することと考え、また"petticoats"としたところに、そのすべてをみたわけではなく、かいま見ただけだという、「真実」をうやまう気持ちが含まれているのではないかと想像しました。


もう一つはDavid Stuart Daviesが書いたDancing in the Moonlightからです。この本には同じ著者がその前に書いたBending the Willowと重複する部分も多いのですが、最初の方にはあらたにThe Biographyという章がたてられていて、今回引用するのはそこからです。以前も引用したことがありましたが、少し訳をかえて再度書きます。

16歳の時JBはリウマチ熱のために危険な状態に陥った。家で看病を受けたが、数週間にわたって意識を失ったり気がついたりを繰り返しながら、死の淵をさまよった。家族は彼のために祈り、若さと体力のためもあってついに快方に向かったが、その後の彼の人生に影響を与えることとなった。X線でみると、病が最も重いときには心臓が普通の2倍に肥大していて、癒えてからも、無理に引っ張られた心臓の弁膜に永久に損傷が残った。

若くして死への扉の前にたったことにより、JBはいのちへの畏敬の念と、地上にただ在ることへの魂の喜びを感じるようになった。


At the age of sixteen JB fell very ill with rheumatic fever. He was nursed at home and for some weeks he wandered in and out of consciousness, coming dangerously near death. The family prayed for him and in the end, partly because of his youth and strength, he survived but the disease left a legacy which would affect him in later life. The X rays revealed that at the height of this illness his heart had become enlarged to twice the normal size and when the fever left him, his over-strained heart valves were permanently damaged.

Being at death's door at such an early age gave JB a real reverence for life and for the spiritual pleasure of simply existing.



これほど重い病気で、一時は生死の境にいた状態から、少しずつ回復してきて、それでも両親が心配するくらいに長くベッドから離れられず、横になって何を感じていたでしょう。この世に生きていることの感覚を、不思議なもののように感じていたでしょうか。ひとの声、鳥や犬の声のひとつひとつに耳を傾けていたでしょうか。車輪をつけたベッドの上から、空の青、木々の葉の緑を、今日生まれた赤ん坊のような気持ちで見たでしょうか。

やがてオートバイにつられて身を起こして外に出て、バイクで風のように走り回ったとき、何もこわくない、ためらうべきことは何もない、死んでも失われないものがあるのだから、今は死ぬことも恐れない、生きるとはそういうことだ、そう思ったでしょうか。

バイクに乗ったまま青い空に飛び出して怪我をしてベッドにもどって、格好わるい事故にもあうし痛みも感じる自分にもう一度少しずつ慣れていったでしょうか。失われることのない自分と、変化していくこころとからだを持った自分と、その両方の感覚を統合する時間を、二度目のベッドの上で過ごしたでしょうか。

私はこんなふうに16歳の時のジェレミーを想像して、思いを馳せています。

RM

 RM

Author: RM
コメントは承認後に公開されます。古い記事へのコメントも大歓迎です。2010年8月7日に始めました。
私の記事へのリンクはどうぞご自由になさって下さい。
和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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