Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

前回はThe Musgrave Ritual(マスグレーブ家の儀式書)の宝探しの場面で、原作から方向と歩数を変更したことについて書きました。

ジェレミーがこれについて触れていたのは1987年のインタビューです。
The SHR Interview: Jeremy Brett
The Sherlock Holmes Review, Vol.1, Nos.3/4, 1987

今回もこのインタビューからで、歩き方の部分です。前回のところを含めて、その前からその後まで引用します。原文では一つの段落のところを、和訳では読みやすいように段落をわけています。

その前に引用に先立つ部分をご紹介すると、ジェレミーがホームズの卓越した頭脳の働きは完全な静けさを通して表現するか、驚くほど素早い動きを通して表現するか、そのどちらかですと言います。インタビューアが「マスグレーブ家の儀式書」での歩幅で距離をはかるあのシーンを思い出します、あれはその一例かもしれませんねと言うのに対しての、ジェレミーの言葉です。

あのシーンでの歩き方は斬新ですけど、でも実は僕がドイルから教わったと言えるようなものです。もし実際に庭で歩幅で距離をはかるとしたら当然、走るか大きな歩幅で歩くかのどちらかでしょう。劇的にみせるには大またで、でも相当な速さで歩くしかありません。すばやく動けば庭中を歩き回れます。

あれで一番面白いのは、宝探しの徒歩旅行でドイルが示したとおりの図形を実際にたどって歩くと、始まりと同じ場所に戻ってくるということです。でも私たちは歩く道筋を変更しました。

あの歩き方は滑稽にも見えるという点で大胆です。でも肝心なことは、ドイルが描いた舞台の中におさまるだろうか、それとも私が演じたホームズはそこから出てしまって下手な漫画になってしまっているかということです。いつもそこに気をつけていなければなりません。でも危険をおかしても思い切ったことをやらないと、あらたな表現を得ることはできないのです。

Brett: That was quite daring, but that actual fact was taught to me by Doyle. If you actually try and do a full yard you either have to run it, or you have to stride it out. The only way to do it dramatically, of course, was to stride it, but at speed. If you are moving fast, you do get about an actual yard. The funniest thing about that is that if you actually follow that diagram that Doyle has drawn for that walkabout, you actually come back to the same place from which you started. But we changed that. The walk was daring because it was comic, but it's a question of will it stay in the canvas or have I stepped outside and caricatured? That's the thing one has to watch all the time. But one must dare or it doesn't take off.


インタビューアは、あのシーンで儀式書に従って庭を突進しては方向転換するホームズは、高速回転している頭脳の象徴のようにもみえると言いたかったのでしょう。それに対してジェレミーは(それもあるけど)原作に従ってやってみたらあれしかなかったのだと言います。

普通の歩幅で普通に歩いて原作どおりに「北、東、南、西」と計36歩では、宝探しとしては無意味なものに見えただろう、そうすると(歩数と方角を変えた上でさらに)走るか大きな歩幅で歩くかのどちらかだろう、でも劇的にするなら走るのではなく大また、しかも高速で、というわけです。

そうすることで滑稽さがあらたに加わった、でもいくらユーモアがあっても、原作をないがしろにしたものであってはいけないと考えるのが、原作を大切にするジェレミーならではです。その上でぎりぎりのところで冒険をするというところ、いつもながら、ああジェレミーらしいなあと思いながら読みました。大胆かつ優雅な大またで歩いたあの演技の裏には、こういう気持ちがあったのですね。

よりしろさんの以前のコメントに「ジェレミーホームズが大変品のあるコメディアンに見えることがあります!」とあったのを拝見して、このインタビューを思い出しました。ホームズの頭脳と性質と品を失わない形で私たちをクスッとさせるのは、ジェレミーならではです。

RM
The Musgrave Ritual(マスグレーブ家の儀式書)の宝探しの場面についてジェレミーが話している、1987年のインタビューがみつかったので、この場面のことを書いてみます。

でもその前に、たまたま読み返した他のインタビューでEdward Hardwike(エドワード・ハードウィック)も「マスグレーブ家の儀式書」について話していて、ジェレミーが話していることと関係するので、こちらを先に引用します。これはジェレミー、エドワード、Michael Coxへのインタビュー記事で、以下はエドワードの発言です。

Holmes' Encore
by Elizabeth Trembley
The Armchair Detective, Vol.25, No.1, 1992

エドワード・ハードウィック:ドイルによるホームズの物語は正確で論理的だと思われているのに、滑稽で理屈にあわないことが時々みつかるので、私はびっくりして笑ってしまいます。今思い出したのは「マスグレーブ家の儀式書」での、儀式書に書かれている謎です。私たちは実際にあれをやってみたのですが、ぐるっとまわってはじめの場所に戻ってきたんです!ドイルが書いたものにはこんな小さな間違いがたくさんあります。でもこれはたいしたことではなくて、ドイルが書くと読者はそのまま信じるのです。真に優れた作品だけができることです。

Edward Hardwicke: [...] One is surprised sometimes, though — he is known for precision and logic, but it amazes and amuses me to come across things which are ludicrous. One that springs to mind is the riddle they must solve in "The Musgrave Ritual." We actually did it and went around in a complete circle, ending up where we started! Doyle is full of little things like that. But it doesn't really matter because he's managed to convince you, which is what really good writing is about.


えっ、はじめの場所に戻ってきた("ending up where we started")のですか?

原作では

北へ十歩、而して十歩、
東へ五歩、而して五歩、
南へ二歩、而して二歩、
西へ一歩、而して一歩、
かくして下に。(延原謙訳)

'North by ten and by ten, east by five and by five, south by two and by two, west by one and by one, and so under.'


となっています。

そしてこれの謎解きでは

『北へ十歩、而して十歩』とある通り、両方の足で十歩ずつ北へ進むのは、ちょうど家の外壁に沿って歩くことになる。僕はその最後の地点にくいでしるしをつけた。それから注意して東へ五歩ずつ、つぎに南へ二歩ずつ歩くと、ちょうど旧館の玄関の敷居のところで、そこから西へ二歩ゆくことは、石鋪の廊下へそれだけはいってゆくことだ。これが儀式文に明示された場所なんだ。(延原謙訳)

Ten steps with each foot took me along parallel with the wall of the house, and again I marked my spot with a peg. Then I carefully paced off five to the east and two to the south. It brought me to the very threshold of the old door. Two steps to the west meant now that I was to go two paces down the stone-flagged passage, and this was the place indicated by the Ritual.


「両方の足で十歩ずつ北へ進む」とは北へ20歩あるくという意味ですね。そうすると北へ20歩、東へ10歩、南へ4歩、西へ2歩で、厳密には元にはもどりませんけどぐるっとまわって、最初の場所がすぐそこに見えるたいして変わりばえしない場所に立つことになりますね。

私はここが「北、東、南、西」となっていることに全然気がつきませんでした。シャーロッキアンの間で、ここがどう論議されているか私はまったく知りません。当然いろいろなことが言われているのでしょうね。


それでは次はジェレミーの言葉です。

The SHR Interview: Jeremy Brett
The Sherlock Holmes Review, Vol.1, Nos.3/4, 1987

あのシーンで一番面白いのは、宝探しの徒歩旅行でドイルが示したとおりの図形を実際にたどって歩くと、始まりと同じ場所に戻ってくるということです。でも私たちは歩く道筋を変更しました。

The funniest thing about that is that if you actually follow that diagram that Doyle has drawn for that walkabout, you actually come back to the same place from which you started. But we changed that.


どう変えたのでしょう?Jeremy Paulの台本ではこうです。(実際の映像の字幕も、句読点や数字の書き方が違う他は同様です。)

The Musgrave Ritual
A Television Script by Jeremy Pau l (1986, Ian Henry Publication)

'West 8 by 8. South 7 by 7. West 6 by 6. South 5 by 5. And 2 by 2, and so - under.'


そして実際に歩く時にはたとえば

Watson: West 8 by 8.
Holmes: Sixty-four.


と言っています。なるほど、西へ64歩、南へ49歩、西へ36歩、南へ25歩あるいて掘に出て、そこからホームズはボートのへさきに堂々と立ち(マスグレーブはボートを漕ぎ、ワトスンはマスグレーブに指示して方向を微修正し)着いたところで4歩進む、というように変えたのですね。ボートに乗るのは原作にはないということは知っていましたが、歩く方角と歩数がこんなに違うのは知りませんでした。

方角を変えたのは、出発点に戻らずに遠ざかるためでしょう。歩数は原作ではあわせて36歩であるところを178歩とほぼ5倍にしたから、劇的、ちょっと滑稽、目を離せないあのシーンが生まれたのですね。ところで「西へ64歩、南へ49歩、西へ36歩、南へ25歩」なら「西へ64歩+36歩、南へ49歩+25歩」歩いても同じに思えますが、もちろんそれではあのシーンの効果は半減します。ジグサグに歩いて、最後の25歩の先でお堀に出るからいいんですよね。

グラナダ・シリーズでの方角と歩数変更のこととその理由を、私はグラナダ・シリーズの解説書で触れているのを読んだ記憶がないのですが、当然どこかに書かれているのでしょう。 宝島社のDVDブックとA Study in Celluloid にはありませんでした。(追記:Bending the Willowにも書かれていませんでした。)私はジェレミーとエドワードの言葉ではじめて知って、面白く感じました。

でも私がこの儀式書中の指示のことで、何かとんでもない思い違いをしていないとも限りません。シャーロッキアンのかた、気がついたことがおありでしたらどうぞ教えてください。

次回は、ホームズが庭園を大またでものすごい勢いで歩くことについて、ジェレミーが話しているところを引用するつもりです。

RM
(11/16追記:やたら長いですね、この記事。「資料をみる方法」の要点のところ、色をかえておきました。

前回の記事「仕事をこえて:A Study in Celluloid より」のコメント欄でりえさんが書いていらしたので、Jeremy Brett Information (JBINFO) というサイトのことをお話します。ここを読んでくださっている方の中にも、このサイトの資料を参考になさっていた方がいらっしゃるでしょう。現在このサイトの内容がすべて消失しています。

このサイトの前身はThe Jeremy Brett Archiveという名前で、2007年にはじまりました。2011年に新しいオーナーの元で名前がJeremy Brett Informationに変わり、内容が増えてさらに充実しました。そして2013年に、このサイトに付随するDiscussion Forumのメンバーの一人が、このサイトを新しいオーナーとして引き継ぎました。

2011年の1回目の引き継ぎの時に、このブログでもこのサイトを紹介したことがあります。
ウェブサイト "Jeremy Brett Information" のご紹介(1)

私にとっても思い出深い場所で、このサイトの二人目、三人目のオーナーとも以前は連絡をとっていました。でもこのサイトの記事が現在すべて消えてしまっていることについて、その理由や今後に関する情報を私は持っていません。私がはじめてそのことに気がついたのは、ちょうどジェレミーのお誕生日の11月3日だったと思います。その後、復活するのを待っていましたが、一週間以上たってもその気配はみえません。また今のところジェレミーのファン・グループでこのことが話題になっているのをみません。(ただしこのサイトと関係が深いメンバーが多いFacebookのグループは数ヶ月前に非公開になり、私はここをはじめとしてFacebookのグループのどこにも参加していないので、非公開グループに情報があっても私にはわかりません。)

これに先立つ数ヶ月前には、Discussion Forumの過去の投稿がすべて消えました。このドメインを借りているサーバーで仕様が新しくなったために、過去の投稿記事を保持できなくなったそうです。(少なくともそのように私は理解したのですが、この分野に詳しくないので言葉の使い方が間違っているかもしれません。)Discussion Forum以外のJBINFOのページはその時点ではかわらず読むことができたのですが、今回オーナーがこのドメインでのサイトの存続を断念したのかもしれません。

復活を願っていますが、ジェレミーに関してよくまとまっていて資料価値が高かったJBINFOの記事を、現在まったく読めなくなっているかというとそうではなく、ほとんどの部分(全部を確認したわけではないのですが、もしかしたらすべての部分)を読むことができます。ウェブ・ページを後世の人のために保存する、ウェブ・アーカイブがあります。ウェブ・アーカイブについては、たとえばWikipediaに説明があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウェブアーカイブ

サイト消失後もその情報を保存し活用してよいのかと心配なさるかたもいらっしゃるかもしれませんが、上記Wikipediaにあるように、ウェブ・アーカイブを作成することは文化活動の一つで、各国の国立図書館等も行っていることです。これを個人が利用することも自由です。ただし引用する場合は、通常のウェブ・ページの内容を引用する場合と同様、URLを書いて出典を明らかにすべきです。

ウェブ・アーカイブで最も大きいのはThe Internet ArchiveのWayback Machineです。
http://archive.org/web/

このアーカイブに保存されている、JBINFOのトップページの最新のものは今年10月2日のページです。
http://web.archive.org/web/20161002194613/http://jeremybrett.info/

このアドレスから必要な場所に行くことができます。たとえば、このページの上の方にある"Jeremy Brett Archive, Acting Career"をクリック後、左上"On Stage"をクリック、右下"The Secret of Sherlock Holmes"をクリックすると、この劇に関する資料のページがちゃんと保存されています。音声ファイルも無事です。
http://web.archive.org/web/20160427201826/http://www.jeremybrett.info/st_holmes.html


すべてが保存されているとは限りませんが、今いくつかクリックして、行くことができないページはありませんでした。ただし画像がたくさんあるページでは、一つ一つの画像ファイルが保存されていない場合があります。たとえば"Sherlock Holmes Galleries"のページは残念ながらかなりの画像が保存されていません。

上にリンクを貼ったJBINFOのトップページから行く以外に、JBINFOの目的のページのアドレスを知っていれば、それを直接検索窓に入れる方法もあります。たとえばJBINFOへリンクを貼っている私の記事からリンクのURLをコピーした上でWayback Machineの検索窓にそれをペーストして検索し、以前と同様に内容を見ることができます。


保存されているトップページのうちで最も古いものは2007年9月のもので、サイトの名前がThe Jeremy Brett Archiveの時代です。The Jeremy Brett Archive時代のトップページでリンクが貼られていたジェレミー関係のウェブサイトは、現在はなくなっているものが多いのですが、クリックするとWayback Machineに保存されたページへ自動的に飛びますので、昔のサイトにも再会できました。また、The Jeremy Brett Archiveにはあったページやファイルで、JBINFOではまだ整理されていなくてリンクが貼られていなかったけれども、古いページから行くと読めるものもあります。興味があるかたは探検してみてください。


Wayback Machineの大きな欠点は文章中の単語では検索できないということです(現在ベータ版ではサイトの主題で検索できるようになっていますが、各々のページの語では検索できません)。ですからWayback Machineの検索機能で、たとえば"Jeremy Brett"と"As You Like It"という語を含むページを検索することは、残念ながらできません。検索窓に入れることができるのはURLだけです。またGoogle検索なども、Wayback Machine上のページは検索対象にはなっていません。

でも、"As You Like It"のことが書いてあったページのURLを直接知らなくても、そこにたどりつくためのリンクがある、JBINFOのトップページのURLを知っていれば大丈夫です。トップページを保存したWayback Machine上のページから、"Jeremy Brett Archive, Acting Career"、"On Stage"、"As You Like It"とリンクをたどっていけばよいのです。そうすると以下のページに到着します。
http://web.archive.org/web/20160326143526/http://www.jeremybrett.info/st_asyoulikeit.html
説明の文章はすべて読めます。ただし写真のサムネイルは残念ながら13枚のうち5枚しか見ることができず、そのサムネイルをクリックしても大きくなりませんでしたが。

このようにもう一つの欠点として、ネット上に無数にあるサイトのすべてのページやファイルが保存されているわけではもちろんありませんから、みたいと思ってもみることができないページやファイルがあります。またパスワードが必要なページは保存されていません。


サイトが復活してこの情報は不要になるかもしれませんが、今資料をみたいかた、心配していらっしゃるかたのために書いておきます。また、JBINFOの前身のサイトを探検してみるのも時には面白いものだと思いますので、JBINFOが戻ってきても、この記事は残しておくかもしれません。

RM
りえさんの「生誕祭」への勝手に連動企画、三回目です。今回はこちらの記事からの連想です。
ジェレミー生誕祭 5

「ちゃんと技術のスタッフさんへの心配りも忘れないジェレミー」とりえさんが書いていらっしゃいます。ジェレミーがスタッフの人たちをその仕事ぶりのためだけではなく、個人としても大切にしていたことは、プロデューサーのMichael Coxの本にも書かれていました。

A Study in Celluloid: A producer's account of Jeremy Brett as Sherlock Holmes
by Michael Cox (1999, Rupert Books)

撮影班はジェレミーのためなら、何でもしただろう。理由は二つある。ジェレミーは仕事を何よりも大切にして全力をつくしていたから。そして彼は全員と、仕事をこえた関係を築いていたから。撮影の初日に全員の名前を覚えただけではなく、誰の車が車上荒らしにあったか、誰の赤ちゃんが具合が悪いかも知っていた。ひとの気をひくためにお座なりにたずねたのでなく、本当に心から知りたいと思っていたのだ。

ジェレミーは、スタッフの見事な仕事をものすごく賞賛した。カメラの微妙な動き、ロケ地の選択の素晴らしさ、あるいは照明の具合が美しいというような、どんなことでも。

But a film crew would do anything for Jeremy and there were two reasons for this. First, because he was absolutely professional in his work and second, because he knew them all personally. Not only had he memorised everyone's name by the end of the first day's shooting but he also knew whose car had been broken into or whose baby was ill. And this was not a trick to curry favour; he genuinely wanted to know.

He was lavish in his praise of a job well done, whether It was a tricky camera movement, a beautifully chosen location or a striking piece of lighting.


この前半部分を4年前にも引用しました。
話をきくこと

この4年前の記事を見ていたらもう一つ、ジェレミーが花売りの少女にまっすぐに向き合って、大切なひとりのひととして接している様子も引用していました。それを読んでこころが穏やかになり、なぐさめられた気がします。ひとに対する差別的・攻撃的な言葉や、それをあつかったニュースで、こころを荒らされることがあるこの頃ですから。

あたたかい気持ちで自分のことを思っているひとがいるということ、誰かが(それがもう二度と会うことがないであろうひとでも)自分を案じてくれていること、それは疲れたこころをなぐさめてくれます。

また、あたたかい気持ちで誰かのことを思えるということ、そのひとのことを自分は何も知らないこと(ひとは他人を知ることなどできないこと)を承知の上で、そのひとがよき生活、よき人生をおくる(あるいは、おくった)ことを願い信じること、それが「愛する」ということではないかと、最近思っています。

RM
「勝手に連動企画」その2です。「一個話題が出ると、RMさんとはテニスのようにボールをポンポン交換できそうです」とりえさんが書いてくださったので、ボールを楽しくポーンと打ち返してみます。

りえさんのブログの記事
ジェレミー生誕祭 2
で、結婚の年について1977年となっている場合が多いが、The Television Sherlock Holmesではジェレミーが1976年と言っている、と書いていらっしゃいます。

ジェレミーの結婚の年については、1976, 1977, 1978という三つの数字をみます。私は、1976年に二人はパートナーとして共に人生を歩むことを決め、1977年に正式に結婚して、1978年にアメリカで結婚式をしたと想像しています。

はい、「想像」です。でもそう思う根拠となった資料をあげますね。

ジェレミーは1991年のラジオ番組Desert Island Discsで、「1978年に結婚した時」と話しています。best man(花婿の付添人)の話をしていますから、これは結婚式をあげたときのことですね。
ジェレミーの悲しみと、あたたかさ(4); 1991年のDesert Island Discsから(1)

私たち二人はカメラの前で会って、番組のためにその会話を4分間収録するはずが、2時間半カメラの前で話し続けました。そして1978年に結婚した時、付添人をつとめてくれた友人が結婚のプレゼントとして、カットされた部分のテープを贈ってくれました。

[...] and we met on camera and she wanted four minutes and we talked for two and a half hours on camera, and when we got married in 1978 our best man gave us the bits that were cut out as a wedding present.


ここで言っている「番組」とは、ジェレミー出演のThe Rivalsを放送する前に流す紹介番組のことで、これが1975年、ジェレミーがJoan Wilson(ジョーン・ウィルソン)に会った最初の時だと言っています。ジョーンがプロデューサーとして始めた番組、Classic Theatreの枠でThe Rivalsは放送されました。

1976年に、ジョーンがプロデューサーの番組 Piccadilly Circus で、ジェレミーがホストをつとめています。1976年1月19日にはじまった、14回約1年間の番組です。
"Piccadilly Circus"のホストとして;1976年の新聞記事より(1)

1977年にイギリスを去り、アメリカに活動の場を移したとジェレミーは言っています。
イギリスを離れた時のこと(その1);RADIO TIMESのインタビュー(1982年)より

ジョーンがプロデューサーの時に大きく発展し、現在も続いているPBSの番組Masterpiece(最初の頃の番組名はMasterpiece Theatre)のウェブサイトに、二人は1977年に結婚したと書かれています。これはアメリカのテレビ局の公式サイトです。
http://www.pbs.org/wgbh/masterpiece/about-masterpiece/hosts-producers/

David Stuart Davies著 Dancing in the Moonlightには二人の結婚の日として1977年11月22日という日付けが書かれています。

一方、ジェレミーが亡くなった時の新聞の記事では生年が1935年(実際は1933年生まれ)、結婚が1978年となっています。これはジェレミーの代理人側からの情報に基づいたものだと推測します。どちらも公的な記録によるものではないでしょう。以下はネットで読めるアメリカのThe New York TimesとイギリスのThe Independentの死亡記事です。
http://www.nytimes.com/1995/09/14/obituaries/jeremy-brett-an-unnerving-holmes-is-dead-at-59.html
http://www.independent.co.uk/incoming/obituary-jeremy-brett-5649170.html


以上のことから、1973年にジョーンがロンドンの舞台でジェレミーをみて、1975年に二人はカメラの前で出会い、1976年に人生の伴侶となることを決め、1977年に法的にも結婚し、1978年にアメリカで結婚披露のパーティをしたと私は考えます。

りえさんが紹介してくださった言葉で、ジェレミーが1976年に結婚したと言っているのは、ジョーンと共に人生を歩んだのはこの年からと感じていたからではないでしょうか。

これが私の「想像」です。



ジェレミーがジョーンを語っている言葉で印象深いものはたくさんありますが、そう言っているジェレミーの表情、視線が目に浮かぶように感じられるという点でこれをあげます。アメリカ、ダラスで1991年に語っている言葉です。

It's Elementary: He loves doing Sherlock Holmes
by Jane Sumner
The Pittsburgh Press, Nov 10, 1991
https://news.google.com/newspapers?&id=ZOUcAAAAIBAJ&pg=5779,6115475

その時ジェレミーの目は、窓の外を飛翔するものをとらえた。

「鷹がいる。」空を旋回する鳥をみつめた。「妻と私は誕生日が同じでした。妻は『Masterpiece Theater』(イギリスのテレビ番組をアメリカで紹介する番組)のエグゼクティブ・プロデューサーを15年間つとめて、二人の国の間に美しい橋をかけたのです。ジョーンの魂に祝福がありますように。あそこに飛んでいるあの鳥はジョーンの魂の生まれ変わりです。」


As he speaks, a soaring form outside the window catches his eye.

"There's a hawk," he says, watching the bird as it circles in the sky. "My wife and I had the same birthday. She also was executive producer of 'Masterpiece Theatre' for the last 15 years. And she built a delicate bridge between our two countries. God bless her soul. I'm sure that hawk was her."


ジェレミーはジョーンの魂が近くにいること、自然の中にいることを感じていたのですね。

RM
今日はジェレミーのお誕生日、先日すでにちょっとはやめのお祝いの言葉をおくったのですが、りえさんの今日の記事への「勝手に連動企画」で書いてみます。りえさんの記事はこちらです。
ジェレミー83歳生誕祭♪

マンチェスターのグラナダ・スタジオが我が家のようだというジェレミーの言葉を紹介なさっていて、そしてコメント欄では撮影の時のお昼寝の話題が出ていました。

そのお昼寝のことでりえさんがリンクを貼っていらした記事、懐かしいです!
「まだらの紐」撮影地 Adligton hall
りえさんの「『まだらの紐』撮影地」の記事への私のコメント、ちょうどこのブログをはじめる時だったんですね!

この二つのりえさんの記事で、ペンシルベニアの新聞The Morning Callの1991年11月10日付けのインタビュー記事を思い出しました。アメリカツアーの時のものです。

Sherlock Holmes In America
by Sylvia Lawler
The Morning Call, November 10, 1991

これは一部を5年ほど前に引用したことがあるのですが、その時は英文併記を原則にしていませんでした。またその頃は有料の新聞データベースでしか読めなかったのですが、現在はThe Morning Callのウェブサイトで全文を読むこともできます。以下のサイトへどうぞ。2ページにわたっていて、以下は1ページ目のアドレスです。
http://articles.mcall.com/1991-11-10/entertainment/2827509_1_sherlock-holmes-charlton-heston-s-holmes-baker-street-irregulars

グラナダ・スタジオはある時期から、観光で回れるようになっていました。ですからジェレミーたちが221Bの部屋で撮影している時に、こういうことも起きたそうです。ジェレミーの言葉です。

グラナダ・スタジオツアーに参加した客はホームズの小さい寝室に入って、時に驚くことになる、とジェレミーは言う。「僕は昼食の後にはいつもそこで昼寝をするんです。りんご一つしか食べませんから。時々ツアーのお客さんがやってきて、ベッドに寝ている『ホームズ人形』をみつけます。僕を『人形』だと思って皆でおしゃべりをしているところに、僕が突然『こんにちは!(HUL-lo)』というと、『あああああああああ!(Aaaaaaaaah!)』って叫ぶのが、すごーく面白くって!」楽しそうに一部始終をやってみせてくれるのだ。

Those who have, he says, are sometimes startled when they turn into Sherlock Holmes' tiny bedroom. "I sleep on the bed during the lunch break because I only ever eat an apple, and sometimes people come through and see this 'dummy' lying on the bed. And they talk as though I were a 'dummy.' And I suddenly go 'HUL-lo' and they go 'Aaaaaaaaah!' and I looove that," his British actor's voice plays out the scenario with relish.


こう話しているジェレミーのいたずらっぽい目と表情が思い浮かびます。

あらためて、ジェレミーにお誕生日のお祝いの気持ちをおくります。

RM

 RM

Author: RM
コメントは承認後に公開されます。古い記事へのコメントも大歓迎です。2010年8月7日に始めました。
私の記事へのリンクはどうぞご自由になさって下さい。
和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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