Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

11月3日のジェレミーのお誕生日には、たくさんの人からのメッセージがウェブ上に書かれていました。FacebookやTumblrなどをちょっとのぞいて、驚きました。私が出入りしているフォーラムでも、スペインからの人が英語で詩を書いたり(すごいですよね!この前ロンドンに行った時に感じたことを書いたスペイン語の詩を、英語になおしました、ということでした。)中国とポーランドからの人が、それぞれ自分のつくったトリビュート・ビデオへのリンクを書いたりしていました。

私は詩を書くこともビデオをつくることもできませんが、ジェレミーのお誕生日を祝うスレッドに「ジェレミー、お誕生日おめでとう、そしてありがとう。私には世界中にたくさんの素敵な友達ができました」と書きました。メンバーのお誕生日を祝うためのスレッド("Birthday thread")が常時開いているのですが、そこにもジェレミーへのメッセージが書き込まれていました。ジョーンへのお誕生日メッセージがまだ書かれていなかったので、そこには簡単ですが「お誕生日おめでとう、ジェレミー、おめでとう、ジョーン」と書きました。ジェレミーとジョーン(Joan Wilson; ジェレミーの二度目の奥様)は同じ11月3日生まれです。

メッセージの中で私がとても好きだったのは、アメリカからの人が書いたものです。「そちらにいる、あなたの愛する人達と一緒にシャンパンをあけて、お祝いしてくださいね」と書いて、ジェレミーの伴侶と友人の名前、ご両親、ご兄弟をあげた後、「あなたのお母様に私たちのかわりにキスをしてくださいね、あなたを生んでくださったのですもの」と結んでいました。

それを読んで、ジェレミーがお母様にキスをしてしっかり抱きしめている様子がこころに浮かびました。亡くなる頃のジェレミーの姿と、お母様が亡くなった頃(1959年)の20代のジェレミーの姿が重なってお母様を抱きしめていて、さらに、小さなジェレミーが小さな手でお母様に抱きついているところ、赤ちゃんのジェレミーをお母様がやさしく抱いているところが重なりました。亡くなる時にはたくさんの心象風景が夢のように流れていくのではないかと思っていますが、このあたたかさもまた、ジェレミーのこころのなかに流れていったのではないかと感じて、私には大切なイメージとなりました。


ジェレミーのお母様については、以前この記事でふれました。
母、Elizabethのこと;Quaker

また、ジェレミーの子供の頃のことと写真、ジェレミーが生まれ育ったおうちについて、りえさんが紹介してくださっています。下のアドレスから6ページにわたっています。
The Grangeでの生活

こちらのファンフォーラムにも、お母様単独のポートレートも含めて、ジェレミーの子供の頃の写真があります。
JB Childhood photos

RM
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コメント

愛されるということ

ジェレミーとジョーンはお誕生日が一緒!運命的なものを感じます。ジョーンへのメッセージが書き込まれたこと、きっとジェレミーも喜んでいるのではないでしょうか。

「誰も彼の元を去らなかった」の記事を拝見した時も考えたのですが、私がジェレミーを好きになったきっかけは「ホームズ役者」としての彼に出会ったことでした。でも、彼を愛する多くの人にとってそれは入り口に過ぎないのですよね。、俳優としてだけでなく、一人の人間として多くの人を惹き付けているという事実にいつも驚かされます。
比べるのもおこがましいのですが、例えば私にも職場の一員としての私、友人としての私、家族としての私、とさまざまな役割がありますが、そういう垣根を越えて全ての私を見ようとする人、というのはそういないと思うのです。

俳優としてだけでなく、さまざまな側面を併せて彼を慕う人々がこんなにいるというのは、彼が素晴らしい俳優であったから人間としての彼に惹かれるのか、それとも素晴らしい人間であったが故に素晴らしい俳優だったのか。考えると堂々巡りになってしまいますが…

きっと人には、「愛されることでほかの人の気持ちを繋ぐ」という役割が多かれ少なかれあって、それは私たちの肉体が消えた後でもできる唯一の「仕事」なのではないでしょうか。そして、ジェレミーはその「仕事」をとても真面目に、真正面からこなしている人なのですよね。だとしたら、誰もがジェレミーほどにはなれないにしても、少しでも多く愛される人間になるための努力をするべきのかもしれません。そして、亡くなった後も残された私たちに「愛させて」くれる存在にはありがとうをいうべきなのかもしれません。
(とりとめのないことを書いてしまって申し訳ありません!)

「あちらでお祝いをしている」という考え方、とても好きです。そして、お誕生日は生んでくれた人たちに感謝をする日でもあるのですよね。
お母様の写真やジェレミーの子供時代の写真を眺めていたら、とても静かで愛おしい気持ちになりました。だから、すこし遅れてしまいましたが、私にもこの場で彼に「おめでとう」と「ありがとう」を言わせてください。

「ありがとう」ですね、本当に。

ジェレミーとジョーンのお誕生日が一緒だったことをはじめて知ったのは、ラジオ番組(Desert Island Discs)で、"We have..., we had the same birthday." とジェレミーが言っているのをきいた時でした。現在形から過去形に言い直したことに、こころが少しいたみました。この時はとても楽しくインタビューアと話していて、話はどんどん進んで行くのですが。

>考えると堂々巡りになってしまいますが…
ちょっと違う堂々巡りかもしれませんが、私が時折思うのは、ジェレミーだから私はこんなにひかれたのか、それともたまたま私がひかれたのがジェレミーだったのだろうか、と。そして、両方ともが本当だろうなあ、とこころのどこかで思うのです。そしてその上で、本当に「有難い」と感じます。

ホームズ役者としてのジェレミーについては、ホームズの魅力の中にジェレミーの人間としての魅力があらわれていると思います。時に直接的に、時にかくれた形で。グラナダ版に再会してしばらくして、「この俳優はどういう人なんだろう」と最初に思ったときのことを、懐かしく思い出しました。そしてホームズでなかったら、この人のことを知りたいと強く思うこともなかったような気がします。

「愛されることでほかの人の気持ちを繋ぐ」というのは本当ですね。私の場合はジェレミーだったわけで、たまたまネットの時代だったからたくさんの顔も知らない人と知り合えたのですが、毎日の生活の中のごく小さなことについても、言えることなのだと思います。

ありがたい=有難いなんですね

>現在形から過去形に言い直したことに、こころが少しいたみました。

「フォーラムでの失敗談」のお話を人ごととは思えぬドキドキ感を持って拝読していたのですが、私、英語で話していると時制を特に多く直されるんです。曖昧にしてよい所とそうでない所が日本語と英語は違うんだなあ、といつも感じているのですが、こんなに切ない「言い直し」もあるのですね…訂正したジェレミーの気持ちを思うと、本当に胸が痛いですね。

>ホームズの魅力の中にジェレミーの人間としての魅力があらわれていると思います。時に直接的に、時にかくれた形で。

本当にそうですね!
ジェレミーのホームズはジェレミーという人にしか生み出せないし、もしジェレミーがホームズ役に出会わなかったら、まったく違うタイプの俳優になっていたのかもしれません。どちらが違っても、物事はまったく違っていたのでしょうね。

「小説」や「脚本」に書かれていることはきっとほんの一部というか、骨組みのようなもので、隙間を埋めるようにそこに小説家や脚本家、演出家の思い、俳優の演技やその人自身の持っている魅力、そして読者や視聴者など受け手の想像力が加わって、初めて「作品」になるのかもしれませんね。
RMさんがジェレミーにひかれるということも、そういうchemistryから生み出されたことなのですね。小さな「有難い」奇跡がたくさん積み重なってのことなのではないでしょうか。

>毎日の生活の中のごく小さなことについても、言えることなのだと思います。

「子はかすがい」みたいなことから神様への愛まで、さまざまな愛がさまざまな人をつないでいるのでしょうね。

このブログでジェレミーのたくさんの言葉に触れさせていただいて、彼は愛することにも愛されることにも、とても自覚的だったのだと思いました。
家族にも、仕事関係の人にも、ほんの少しの関わりしかもたない人にも、どの人に対しても真剣に、思いやり深く接していたということが伝わってきました。
私のジェレミーへの思いの中にも、完璧なホームズ!という賞賛の思いのほかに、私もこういう人になりたい、という人間として尊敬する思いが増えてきたと思います。

そうなんです、「有り難し」なんです。

>RMさんがジェレミーにひかれるということも、そういうchemistryから生み出されたことなのですね。小さな「有難い」奇跡がたくさん積み重なってのことなのではないでしょうか。

はい、堂々巡りの果てに思うのは、「有り難し」なんです。言外の意味までくみとって下さったことに感動と感謝を覚えています。

>こんなに切ない「言い直し」もあるのですね…訂正したジェレミーの気持ちを思うと、本当に胸が痛いですね。

現在形と過去形、英語ではそういうことなんだなあ、と思って、ここでは日本語のあいまいさをジェレミーに贈りたい気持ちになります。グラナダシリーズの途中からのプロデューサーであるJune Wyndhams Daviesが、ジェレミーが亡くなった時に、ジェレミーはジョーンがまるで生きているかのように話していた、と言っているのを読んで、どういうことだろうと思っていたのですが、現在形で話していたということなのかもしれません。

グラナダ版の「踊る人形」では、ホームズが "Mr. Hilton Cubit... was my client." と言うところがあって、現在形で言おうとして、すでにヒルトン・キュービットが故人であることに気づいて過去形にしたのだと思います。このせりふは原作にはないようですね。ホームズがいいよどんだ一瞬の間が印象的で、ホームズの気持ちをあらわすよいシーンだなあとこの時は思っていたのですが、ラジオインタビューの時には、現在形のままでいいですよ、とジェレミーに言ってあげたくなります。

>私のジェレミーへの思いの中にも、完璧なホームズ!という賞賛の思いのほかに、私もこういう人になりたい、という人間として尊敬する思いが増えてきたと思います。

ナツミさんのように原作から映像へお入りになったかたや、俳優としてのジェレミーに興味があるかたには、人間としてのジェレミーにひかれることはどううつるのだろう、と思っていました。ちょっとバランスを欠いているようにみえるのではないか、と。ですから今回書いていただいたこと、とてもうれしかったです。

最初の頃の私は、少し崇拝が過ぎていたように感じていて、ちょっとはずかしい気持ちもあります。でもそういう時期が過ぎた今でも、ジェレミーはやはりかけがえのない存在であることは、まさに「有り難し」だと思っています。

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