Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

ここ数日、今日の記事中の最後の場面が投影されたイメージが、私の中に浮かんでいます。どうして今という時にそのようなイメージが浮かぶのかよくわからないのですが、区切りをつけるためにも、その場面のご紹介を書いてみたい気持ちになりました。

以前2回このブログで内容に触れた1990年のインタビュー記事からで、全文がこちらで読めます。
http://jeremybrett.livejournal.com/105878.html

以前の2回はこちらです。
大病の後に;インタビュー記事 When the lights went out (1990) より
俳優であることの重圧;インタビュー記事 When the lights went out (1990) より

2回目でご紹介した、俳優であることの重圧を述べたすぐ後の部分です。一部を省略しながら引用しています。引用部分の原文は最後にあげます。

「俳優であるために、自分の頭を必死でこき使うようなことをしながら、そうすることで自分を痛めつけているかもしれないということには気づいていませんでした。体は健康だったのですが、それ以外の場所を傷つけていました。才能を持っているのなら、それをなんとかして掘り下げようとしていました。それで、自分の中にあるかどうか確信が持てない、俳優としての自分を見いだすために、すべてを賭けたのです。

「突然すべてが悪い方へとまわりはじめました。ホームズをきちんと演じるために必死で、自分の時間はすべて、せりふを頭に叩き込むことやドイルを読むことにあてて、外出せずホテルの部屋にこもって友人や家族にも会わない、気のめいるような時間をすごしました。

「Jeanieが亡くなった時、人生から光が消えました。彼女がいたから自分を信じられたのです。もうホームズを演じる気持ちにはなれませんでした。何の意味もありませんでしたから。でも契約があったので、2ヶ月後の9月には撮影を再開していました。第二シリーズではそれまでとは違ったふうに演じましたが、それは作品にはちょうどあっていたようでした。

「その頃には、ロンドンに買った家に落ち着こうとしていました。Jeanieはもういないけれども、荷物をほどいて、絵を壁にかけはじめました。

「そしてすべてがおかしくなったのです。自分ではコントロールできない唯一の場所、自分の頭が駄目になったのです。体は健康だったのに、頭とこころが....。」

ブレットの家族は彼をMaudsley病院へ入院させ、それは8週間におよんだ。

「私のことを息子がその時本当に必要としていることに、気がついたのです。それは私にとって、とても大きなことで、勇気を与えてくれました。『Davidが僕を必要としているなら、二度とこんなことは起こすものか。』これが大きな転機となって、自分自身にひきもどされました。ベッドにうつ伏せのままで誓いました。『役者なんてものであるために、精神の健康をひきかえにするなんて、絶対に絶対に絶対に二度とするものか。』」



あらためて読むと、いろいろな思いが浮かんできます。演じることがすごく好きで、新しいことに挑戦するのが好きで、すべてをイギリスへ置いてアメリカでゼロからはじめたような、自由でとらわれないこころ。一方でここで話しているような、痛々しくも思えるような努力と、自分の才能への疑い、そして愛する人の死を悲しむ時間もなく演じることに復帰する中で、次第にすりきれていくこころ。どちらもジェレミーなのだと思います。そして後者の部分は滅多に表には出さなかったのでしょう。こういう複雑さ、こういう光と影の両面。ジェレミーを苦しめたものでもあり、ジェレミーにひとの悲しみへの共感と、人間を深く理解するこころを与えた魅力の一つでもあるのでしょう。ジェレミーは影も知っている人でした。誰にでも、自分の苦しみの種であると同時に、それがあるからこそ内から輝くもの、そういうものがあるのかもしれません。そんな思いが次々と浮かんできます。

でも今日は最後のところを。最初の入院は1986年ですから、1959年8月生まれの息子のDavidは26歳か27歳で、すでに長く独立して暮らしていたはずです。そのDavidが、息子として、そして一人の大人として自分を必要としていると感じた時の気持ちが、なぜかこのところイメージとして強く浮かぶのです。Davidは涙を浮かべていた、と以前紹介した記事では言っていましたし、BBCの1989年の番組でも、病気のことを話す途中でジェレミーは一瞬絶句した後に、この時のことに触れていました。

ジェレミーはDavidのことを、息子であり友人でもある、と言っていました。日本語で書くと息子が友人である、というのは少し妙にきこえますが、わかる気がします。愛する子供であるととともに、今では対等な大人である一人の人が、自分を必要としていると感じた時の気持ち。愛情の深いジェレミーにとって、どんなに大きな意味を持ったことでしょう。

誰かが自分を必要としている、ということ。自分があなたを必要としている、ということ。「必要」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、街で、お店で「ありがとう」と言うことでさえ、あなたが今ここにいて、それをしてくれたことが、私の人生のひとこまにとって「必要」なことだった、という気持ちをあらわしているように思えるのです。

一人の人が一人の人を、対等な関係の中で必要とする気持ちと必要とされる気持ち。友人、愛する人、家族、たまたま出会って二度と会わない人との間でも。今の私の中にそういう気持ちがあって、それでこの時のジェレミーの気持ちが、イメージとして私の中に何度もあらわれるのだと思います。それで今日は、このインタビューのこの部分をご紹介したくなったのでした。

RM

原文:

"The one physical thing I had not taken into account, which practically breaking open my head to become an actor, was that I might possibly do damage to it. The body was fine, but the rest of me was suffering. I'd tried to find a 'sober' way to reach the depths of what talent I had. So I dared and risked everything to find the actor within me that I was doubtful was really there.

"Suddenly it all begin to go wrong. I'd tried to hard to play Holmes well. I'd spent all my free time bashing the lines into my head, dipping into Conan Doyle, not going out, hibernating in my hotel room, living away from home and friends and family. Life was very bleak.

"When Jeanie died, all the lights went out in my life. You see, she was my confidence. I don't want to play Holmes any more. There was no point. But I was committed contractually and started filming two months later, in September. I played the role differently in the second series, but it quite seemed to suit the part. [...]

"By the time I was trying to get settled into the house I had bought in London. Jeanie had gone, and I started to unpack and hang pictures.'

"And then the whole thing went. The one place I couldn't control, which was my brain, just went. My body was fine, but my brain... [...]

Brett's family confronted him at home and took him to the Maudsley Hospital, where he stayed for eight weeks. [...]

"I soon realized that my son really needed me well again. That meant a great deal to me. It gave me great courage and I thought, 'If he needs me, I can never let this happen again,' which made me turn a corner in my own self. I vowed, lying face down on my bed, 'I will never, never, never risk my mental health again just to be a bloody actor.'

追記:奥様のJoanのことをJeanieとよんでいるのは、この記事以外ではみたことがありません。アメリカNPRのインタビュー(1991)ではJoannie(追記:またはJoanieの表記もあり。)とよんでいます。辞書でひくとJeanieはJeanの愛称、そしてJeanはJane, Joanの変形とありました。

関連記事

コメント

ジェレミーの病気に関しては色々と言われていますが、
やはり奥様の「死」が大きかったのでしょうね。

Joannieの「死」を受け入れる時間があれば、
もう少し結果は違っていたかもしれない・・・。


息子のDavidが傍にいてくれて本当に良かった。
誰か1人でも自分を必要としてくれる人間がいると心強いですから。

時々、無性にジェレミーが恋しくなりますね。

はい、私もトビィさんと同じで、奥様が亡くなったことは本当に大きかったと思います。そして、ジェレミーに充分に悲しむ時間があったらよかったのに、と思うとともに、契約があったからということだけではなく、仕事をすることで悲しみを乗り越えようとしていたのかもしれない、とも想像します。

>息子のDavidが傍にいてくれて本当に良かった。

そう思います。Davidはジェレミーのことがすごく好きだったことを、いろいろなところで感じます。

>時々、無性にジェレミーが恋しくなりますね。

本当にそうですね!トビィさんと同じ気持ちをわけあうことができて、とてもうれしいです。こんな時は、ジェレミーのホームズをみましょうか。

愛の強さ

こんにちは!
ジェレミーは本当に魂を削って生きたんだなと思います。なんでそこまで、と思うこともありますが、病に倒れてもまた復活する所が本当に強い人だと思います。心に愛があるからこそ、それがジェレミー、という感じで思ってます。

よりしろさん、こんにちは

ジェレミーが自分の俳優としての才能に時に疑いを持っていたというのが私たちには信じられなくて、あの輝きがあるのにどうして、と言いたくなりますね。それで無理をしたところもあるのでしょう。そして奥様を亡くした悲しみを乗り越えるために、仕事に打ち込みすぎたところもあったのでしょうね。

>病に倒れてもまた復活する所が本当に強い人だと思います。心に愛があるからこそ、それがジェレミー、という感じで思ってます。

入院して、再び現場に戻れたのも、まわりのひとの自分への気持ちを受けとめたから、そしてまわりのひとへのあたたかい気持ちがあったからなのでしょうね。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://upwardjb.blog112.fc2.com/tb.php/324-7b144b1e

 RM

Author: RM
コメントは承認後に公開されます。古い記事へのコメントも大歓迎です。2010年8月7日に始めました。
私の記事へのリンクはどうぞご自由になさって下さい。
和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

全ての記事を表示する

10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08 

QR