Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

今日で、このブログをはじめて2年です。去年(「ハワイでのジェレミー(2)」)、2年前(「はじめに」)、そして何よりも3年前は私にとって特別な日でしたが、今日は何にもかわったことがない、ごく普通の日でした。それも当たり前と言えば当たり前、ただの一日ですもの...と思いながら少しがっかりしていたかもしれません。でも「日々是好日」という言葉が浮かんできて、ああこれでいいんだ、という気持ちになりました。

で、「ああこれでいいんだ」と思って寝てしまえばよいものを、やっぱり何か書きたい気持ちになりました。

最近のフォーラムでのことです。会員限定の場所での話題ですし個人的なことなのでくわしくは書きませんが、死を間近にしている友人のことを書いた人がいました。常連のメンバーから、気持ちのこもった返事が届きました。私もまた、つたない言葉で気持ちを伝えました。

それにまた、彼女が返事を書いてくれました。その中で、3つのことが特にこころに残っています。一つ目は、私を含めた7カ国くらいの人の言葉に対して、「この地球上のたくさんの場所から、皆さんが私たちを見守ってくれているのを感じます」と書いてくれたこと。二つ目はある人が、(人生と死に対して)前向きな人の前向きな態度を知るのは、どんな時もすばらしいことだ、と書いたのに彼女が賛成して、その友人はジェレミーのように、まわりの人に何ものにもかえがたい贈り物をしてくれている、と答えたこと。三つ目はまた別の人が、あなたの友人は道のかどをまがる、私たちはまだまがっていないけれども、いつかは、と書いたのに対して彼女から、こころに響く美しいたとえだ、という返事があったこと。

一つ目と二つ目は、彼女の最初の投稿を読んで、まさに私が感じたことでした。彼女の友人の態度はジェレミーを思い出させて、ジェレミーの生と死と同様に勇気を与えてくれましたし、その友人のこと、彼女のことを私はこの日本にいて、とても近く感じました。そして三つ目の「かどをまがる」という表現は、ジェレミーを偲ぶ会で読まれた詩を思い起こさせました。(「My Fair Lady (1964) の初日の映像と、追悼式で読まれた詩」)

こうしてネット上で、現実には会ったことがない人達と不思議なつながりがあるということ、そしてそのつながりの中のどこかに、いつもジェレミーの姿があるということ。かどをまがったところにいるジェレミーの姿が。

それはとても不思議で有難いことです。このブログでも、その不思議を感じています。

RM

追記:8月7日はエドワード・ハードウィックのお誕生日でした。私はうかつにも、今年はじめて気がつきました。私にとって大きな意味をもつ3年前のその日、エドワードは家族とお誕生日を祝っていたでしょうか。そう思うと、ご縁を感じました。これからはずっと、エドワードのお誕生日としても、「普通の一日」を迎えていくことになると思います。
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コメント

おめでとう

「普通の日」の積み重ねが2年という日を迎える「普通の日」なんですね。日々の葛藤や喜びや悲しみや様々なことがあっても。
表題の「かどをまがって」私なんだか少し怖くなくなった気がしました。かどをまがったその先に驚かそうと待ち構えている友達や優雅に微笑んでいる祖母、どんな風に私を迎えてくれるのか想像すると不思議と笑顔が浮かびました。(不謹慎かもしれませんが)

エドワードも誕生日という日を家族で過ごすという「普通の日」を送っていたのですね。「普通の日」ってなんだか偉大ですね。

だいさん、ありがとうございます。

いろいろなことがあって、でもそれもかつての「今日」で、そして今日もまた、今日という「普通の日」なのですね。

生と死の間にはものすごい違いがあって、でもある点においてはほとんど変わらないということ、死者は私たちの目には見えなくなってしまったけれども、でも死によっても失われないものがあるということ、それを感じます。だいさんも、迎えてくれるかたが思い浮かぶのですね。

遅ればせながら・・・

2周年、おめでとうございます!
この次の記事になる、「病から得たもの」も心に響くお話でした。
私たちは「お誕生日」とか「何周年」とか、「普通の日」が続いていくことを祝い、死や病によってそれが変わってしまうことをおそれるけれど、本当は角を曲がるだけで、ずっと続いていくと考えると、とても穏やかな気持ちになれますね。少なくとも、ジェレミーは角を曲がったあともずっと変わらぬ存在として、私を素敵な人たちに出会わせてくれました。

だいさんの、角の向こうでお友達やおばあさまが待っているというお考えも、とっても素敵だと思いました!角をまがったひとたちは、もう角の向こうにあるものを知っているから、きっと穏やかな気持ちで、いたずらっぽく、まだ来ていないひとたちを見ていてくれるんでしょうね。

最近ばたばたと日々を送っていましたが、お盆でもありますし、先に角を曲がったひとたちに話しかけにいく時間をとろうと思います。きっと喜んでくれますから。

ところで、エドワードのお誕生日の8月7日ですが、ワトスンの誕生日も8月7日とする方が多いらしいです。なんだか嬉しい偶然ですね。
角の向こうで、ジェレミーは『ボール箱』でワトスンとクリスマスをお祝いしたホームズみたいにエドワードに贈り物をしていたかも。

ナツミさん、ありがとうございます。

死ですべてが終わると思っていた時もありましたが、今はそれでも続くものがあると感じています。それがわかったのが3年前でした。

でも、生と死の連続性とひとことで言ってしまうと、たとえば子供が生と死の境を簡単にこえてしまったりする懸念があるかもしれません。また、お手軽バージョンのスピリチュアリズムと思われる場合もあるでしょう。

でもここに来てくださるかたが、それぞれにまっすぐで真面目、やわらかであたたかい視線で生と死をみていらっしゃることに、いつも励まされています。ここにははじめは情報だけを書くつもりだったのに、こうして自分の気持ちを書けるようになったのも、ここに来てくださるかたのおかげです。

>だいさんの、角の向こうでお友達やおばあさまが待っているというお考えも、とっても素敵だと思いました!角をまがったひとたちは、もう角の向こうにあるものを知っているから、きっと穏やかな気持ちで、いたずらっぽく、まだ来ていないひとたちを見ていてくれるんでしょうね。

本当にそうですね。私たちが知っている懐かしい笑顔で、見ていてくれますね。

そして、ワトスンの誕生日8月7日説、知りませんでした!これでこの日がさらにうれしい「普通の日」になりそうです。

>角の向こうで、ジェレミーは『ボール箱』でワトスンとクリスマスをお祝いしたホームズみたいにエドワードに贈り物をしていたかも。

わーい!

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 RM

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