Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

前回の記事に引き続き、1973年のインタビューからご紹介します。お父様のことを話しているところです。


両親は二人ともすでに亡くなっているが、ブレットは父に対していまだに、強い同情と思いやりの気持ちを持っている。友達も同じ年頃の人も皆、戦争によって死んでしまい、その後の平和な時代に軍人だった自分を何とか適応させようと苦労した父だった。

「私は9年の間に生まれた子供のうちの末っ子で、『最後のわら』でした。一番上のジョンは教師、マイケルは絵描きになって今はマジョルカ島に住んでいて、パトリックは建築家です。俳優になりたいと私が言った時、すべては終わりで、父を心底がっかりさせてしまいました。

「私は父のために軍人になろうとしたこともありました。でも16歳でリューマチ熱にかかってからは、軍務につくことは不可能になったのです。父は私が俳優になろうとした時、ハギンズの名を使わせませんでした。使えたなら、バランスのよい名前だったと思うのですが。」

Both are now dead, but Brett has a strong sympathy still for his father, whose every single friend and contemporary was killed in the war and who tried hard to re-adjust to bring a soldier in peace time.

"I was the last child born in the ninth year of their marriage and, in many ways, the last straw. My eldest brother John is a teacher, Michael is a painter living in Majorca, and Patrick is a successful architect. When I said I wanted to be an actor, it was the end. I was a great disappointment to my father.

"I would like to have been a soldier for a while, for my father's sake, but I had rheumatic fever at 16 and never saw any kind of military service. My father wouldn't let me use the name Huggins when I decided to act, although it would have been a good balance. [...]"



父の友人は皆戦争で死んでしまったという話は、アメリカで収録されたラジオ番組、Desert Island Discs (1991) の中でも話していました。


父は本当に気の毒で、否応無しに戦争に巻き込まれる時代に生まれました。輝く未来を持っていたはずのイギリスの若者は皆、第一次世界大戦で死にました。

(中略)

父について特別だと私が思うのは、同世代であの戦争を本当に生き延びた唯一の人と言ってもよい、という点です。ですからとても孤独でした。友人を皆戦争で失ったのです。名声と勲章と栄誉を得た、偉大な軍人ではありましたが...。


Well, I mean he was—poor man—born at an age when you were hurled into war ; and all the bright young men of England were killed, as we know, in the first world war.

[...] [W]hat, I think, probably was the most extraordinary thing, of course, he was the only one of his generation really to survive that war. So he was quite a lonely man really. He lost all his friends in the war and, although he was very famous, great soldier, decorated, honoured...



ラジオインタビューの良い点は、声の調子がきけるところですね。この音声のある場所については、以前の記事でご紹介しました。

1973年のTV TImesのインタビューにもどると、自分が父にとって「最後のわら」だった、という表現は、ご存知のかたも多いでしょうが、"It's the last straw that breaks the camel's back." (最後のわら1本がらくだの背を折る)という言い方からきていて、忍耐の限界を破ってしまうものという意味です。上の3人が父の後をつがなかった上にジェレミーも、ということですね。

ジェレミーの3人の兄の内、一番上のJohnについては1973年のこのインタビューではジェレミーは「教師」と言っていますが、聖職者になって、St Martin in the Fields教会で1995年11月29日におこなわれたジェレミーを追悼する会で司式者をつとめています。以下は "A Study in Celluloid" からの抜粋です。


John Huggins師は司式者として参列者に祝福を与えたのみならず、一番上の兄として、子供時代のジェレミーの思い出を語った。勇気があっていたずら好きで、愛情に満ちあふれた家族の一員だったジェレミーを。そしてジェレミーが息子のDavidをどんなに誇りに思っていたかを、あらためて思い出させてくれた。

The Reverend John Huggins gave us not only his blessing but also an older brother's recollections of Jeremy as a schoolboy—brave, mischievous and part of a loving family. He also reminded us that Jeremy was intensely proud of his own son, David.



"A Study in Celluloid"には書かれていませんが、この時に長兄のJohnは、家族のなかで特にジェレミーが、父の死の時まで病気の父の世話をしたことも話したそうです。これはGoogle Booksを検索していて、The Baker Street Journalの中の文章としてみつけました。いつか引用してご紹介しましょう。

父がハギンズの名前を使わせなかった、ということを、Desert Island Discs (1991) ではこのように補足しています。


いえ、父だけのせいではないのです。私は子供のころ舌癒着症で、17歳まではうまく舌が動きませんでした。だから父は私が無茶な望みを持っていることにびっくりして、心配したのでしょう。rもsも発音できなかったので、俳優を志しても失敗するだろうと思っていたのでしょう。だから、ひどい父だったという訳ではありません。

No, it wasn't entirely his fault. I was tongue-tied as a child and my tongue wasn't actually operated on until I was 17, so I think that he was frightened for me. I mean I had no "r" sound, no "s" sound and I think he was alarmed that I would fail, and so it wasn't entirely his fault.



そしてこの後、このラジオインタビューでは、父が演劇のことを何も知らないながら、ジェレミーの演じたハムレットを観にきた時のことを楽しい口調で話しています。

ジェレミーが話していることを読んだり聴いたりすると、自分とはいくつかの点で違う性質を持っていたとしても、そして若い頃は気持ちのすれ違いがあったとしても、父親のことを本当に好きだったと強く感じます。

ジェレミーの言動を知るにつけて、ジェレミーは本当に愛情が深い人だったと思います。そのことは時に、大きな苦しみを自身に与えたとさえ言えるくらいに。ですから以前の記事でも書きましたが、ジェレミーがホームズの父について言った言葉の、"His father was a fat, ex-army toad, I think." に、父への複雑な気持ちを反映させているようにとれることをDavid Stuart Daviesが書いているのは間違いだと思っています。特にジェレミーがそう言ったのが死の数ヶ月前のインタビューだったことを思うと、David Stuart Daviesの本はとてもよい本ですが、この点については「いえいえ、違いますよ!」と声を大にして言いたいです。:-)

RM

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コメント

読んでいて胸の奥が熱くなりました。

ジェレミーはみんなの事を想い、みんなはジェレミーの事を想う。
素敵な素晴しい家族です。

戦争は学校で習った以上の事はわかりませんが、
親しい人を失う悲しさは理解できる気がします。

名声と勲章と栄誉を得て立派な軍人になっても、
同じ体験をした人と話ができない、共有できないのは悲しいですね。

ホームズと両親との確執(原作には書いてないのに)
色々書いた本もありますが、私もジェレミーとお父様に関しては一切なかったと思います!(声大)
これはジェレミー=ホームズで同一人物と捉えすぎなのかな?って(^^;

>ジェレミーはみんなの事を想い、みんなはジェレミーの事を想う。
素敵な素晴しい家族です。

私も、ジェレミーの一番上のお兄様がジェレミーの追悼式の司式をなさったことを思うと、ジェレミーとジェレミーのご家族がこの世で生きた軌跡をみているように感じて、時の流れとひとのこころが目にみえるような気持ちになりました。

>同じ体験をした人と話ができない、共有できないのは悲しいですね。

本当ですね。

>ジェレミー=ホームズで同一人物と捉えすぎなのかな?って(^^;

はい、私もそう思います。確かにジェレミーは、乗馬にしてもそうですが自分の経験をホームズの中に生かしていて、ホームズは少年の頃、自分と同様聖歌隊にいたと考えていたようですが、父親とのことについても自身の経験や気持ちを投影しているという解釈は違うと思いました。でもまあ、ホームズをみている私たちにとって、ジェレミーがホームズを演じているというよりも、ホームズそのものにみえてしまうので、混同してしまうのは無理もないともいえますが。

おはようございます。

RMさん、トビィさん、皆さん、おはようございます。
トビィさんとRMさんのやり取りを拝見して、ああ、なるほど、と思いました。

>これはジェレミー=ホームズで同一人物と捉えすぎなのかな?って(^^;

きっと、そうなのでしょうね。
ジェレミーの発言のどれを聞いても、お父さまに対しての愛情にあふれているように私には思えるのに、どうしてDavid Stuart Davies氏がそのように思わなかったのか不思議で仕方がありませんでしたが、きっとホームズとジェレミーを同一視し過ぎて、ジェレミーがホームズについて考察して語ったことをジェレミー本人の言葉ととらえてしまったのでしょう。

>同じ体験をした人と話ができない、共有できないのは悲しいですね。

これは本当にそう思います。
人には色々な部分があって、家族でなければ共有できない部分があったり、たとえ家族であっても、世代が違うと共有できない部分があったりしますね。

>ジェレミーの言動を知るにつけて、ジェレミーは本当に愛情が深い人だったと思います。そのことは時に、大きな苦しみを自身に与えたとさえ言えるくらいに。

心のうちをのぞけば、そのときの悲しみがそのときのままに残されているのでしょうね。
ジェレミーが話す時の様子を見ると、そう思います。
ホームズを演じたことでたいへんだったことはたくさんあると思いますが、ホームズを演じたからこその喜びがたくさんあったらいいなと思います。

たまごさん、こんばんは。

>ジェレミーの発言のどれを聞いても、お父さまに対しての愛情にあふれているように私には思えるのに

はい、私もそう思います。俳優になるのを最初は反対されたということ、そしてそれから数年の間(3年でしたか、4年でしたか)ジェレミーはお父さまと会うことができなかったということから、確かにその頃は、二人ともさびしい思いをしたのでしょうが、その時の気持ちのすれ違いをずっと引きずっていたようには思えません。それはジェレミーにしても、息子の芝居をみるために長距離をドライブしてやってきていた父親にしても。

>心のうちをのぞけば、そのときの悲しみがそのときのままに残されているのでしょうね。
ジェレミーが話す時の様子を見ると、そう思います。

私もまったく同じように感じます。ジェレミーがインタビューでよく、人は悲しみを乗り越えることはできない、ただ悲しみに慣れるだけだ、と言っていましたが、ジェレミーは悲しみに慣れることさえできなかったのだろう、と思います。そういう鋭い感受性はジェレミーが持つ輝きでもあり、苦しみを生むものでもあったのでしょう。

>ホームズを演じたことでたいへんだったことはたくさんあると思いますが、ホームズを演じたからこその喜びがたくさんあったらいいなと思います。

本当にそうですね。そして私も、喜びもたくさんあったと信じています。

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 RM

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