Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

一つ前の記事のコメント欄でたまごさんとお話していた時に、ジェレミーなら話を面白がってくれるのではないか、とたまごさんが書かれたので、ジェレミーはひととお話するのが好きで、その中でも自分のことだけを言うのでなく、ひとのお話をきくのも好きだったんだろうなあ、と思いました。それでいくつか思い出したことがあって、こんな記事を書きたくなりました。

以前の記事で書いたことですが、ミッドランドホテルのレストランの元ウェイターが、ある掲示板に書いていた中に、「ジェレミーは自分のことも話したし、私個人の生活についてもいろいろときいてくれた」とありました。

そして "A Study in Celluloid" でプロデューサーのMichael Cox(マイケル・コックス)がこのように書いています。もしかしたらやり直しが必要になって、撮影にひどく手間と時間がかかるかもしれないような場面のことを述べた後からの引用で、第一版では21ページです。


しかし撮影班はジェレミーのためなら、何でもしただろう。理由は二つある。ジェレミーは仕事を何よりも大切にして全力をつくしていたから。そして彼は全員と、仕事をこえた関係を築いていたから。撮影の初日に全員の名前を覚えただけではなく、誰の車が車上荒らしにあったか、誰の赤ちゃんが具合が悪いかも知っていた。ひとの気をひくためにお座なりにたずねたのでなく、本当に心から知りたいと思っていたのだ。

But a film crew would do anything for Jeremy and there were two reasons for this. First, because he was absolutely professional in his work and second, because he knew them all personally. Not only had he memorised everyone's name by the end of the first day's shooting but he also knew whose car had been broken into or whose baby was ill. And this was not a trick to curry favour; he genuinely wanted to know.


名前をすぐに覚えたというのは、一つ前の記事で引用したデイビッド・バークの言葉とも一致します。そしてクルーが皆ジェレミーを好きだった、ということも。ジェレミーは仕事も大切にするけれども、仕事以外の個人的な話もききたいと思っていたのですね。


そしてもう一つ、同じ本の中でマイケルが書いているエピソードがあります。これはマイケルがジェレミーと会って、ホームズのドラマ化について話した最初の日のことです。ジェレミーとジェレミーの息子のデイビッド、マイケルとグラナダのキャスティング担当者の4人が、レストランで夕食をとりながら話しています。1981年夏、雨の日だったようです。第一版の4ページです。


夜遅くなって、ひどく雨にぬれて泥でよごれた花売りむすめが入ってきて、容器つきのプラスチックの花を、レストランの最後の客にすすめてもいいかと支配人にたずねた。ジェレミーは残っていた花を全部買った。とても感じがよくて魅力的で、たしかにハンサムな俳優なら誰でもそんなふうにふるまったかもしれない。でもジェレミーはただ感じがいいだけではなかった。その少女が奨学金では足りない分のお金をどうやって得ているのか、何を勉強しているか、いつになったらかわいた服に着替えることができそうか、こころの底から知りたくてたずねたのだ。少女は(マイ・フェア・レディの原作の)「ピグマリオン」の最初の場面でのイライザ・ドゥーリトルのような気持ちで入ってきて、アスコット競馬場でのオードリー・ヘップバーンのように感じながらレストランを出た。

Towards the end of the evening a very damp and rather bedraggled flower girl asked the manager if she could try to sell pots of plastic flowers to the last customers. Jeremy bought the remains of her stock and was not just charming—which any handsome actor might have been—but genuinely interested in how the girl was supplementing a student grant, what she was studying and when she was going to get into some dry clothes. She had come in feeling like Eliza Doolittle at the start of Pygmalion and went out feeling like Audrey Hepburn at Ascot.



このエピソードもとても好きです。撮影クルーの話をききたいと思ったのと同じように、ジェレミーにとって、たまたま出会って、もう二度と会うこともないであろう少女のことを知りたいと思って話をきくのは、とても自然なことなのだろうと思います。こころの底からあふれでるあたたかさを感じます。この少女はジェレミーが自分を思いやってくれていることを感じて、幸せな時をすごしてお店を出たのでしょう。とるにたらない取り替え可能な人間ではなく、自分もまた大切な一人の人間であることを、ジェレミーの声と表情と存在から感じられたのではないでしょうか。

RM
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コメント

RMさん、皆様、こんにちは。
ジェレミーのエピソード話はいつ誰に聞いても心があたたまります。
ジェレミーと過ごせたら、色々な話しを聞きたいのは勿論、やっぱり自分の事も知って欲しいですo(^▽^)o
そんな事を無理なく自然にやっているジェレミーはやっぱり素敵です。
だから今もみんなから愛されてるんすよね。

トビィさん、こんにちは。

>そんな事を無理なく自然にやっているジェレミーはやっぱり素敵です。

そうなんですよね。どうしてかわからないのですが、ジェレミーがすごく自然にそうしている、というのが伝わってくるんですよね。そこが私も一番好きです。

トビィさんも同じように感じていらっしゃるのがわかって、うれしいです!

花売り娘とレディの違い

花売り娘とレディの違いはどう扱われるかだと「マイ・フェア・レディ」のイライザが言っていましたね。
ヒギンズ教授は平等な意識の持ち主ではありますが、誰に対しても平等に傍若無人ですから(笑)、時に女性にとってはちょっとつらいですね(^^;)
レディまでいかなくても、人として尊重されていると思えることがとても大切だということでしょう。
ジェレミーは心から人を好きで、人を大切に思っていたから、自然にそういうことができたのでしょうね。

わあ、まさにその違いですね!

たまごさん、私、「マイ・フェア・レディ」のイライザのその言葉、覚えていませんでした。でもそれが多分、マイケル・コックスがイライザを例に出した大きな理由の一つなのでしょうね!(もちろん、ジェレミーが「マイ・フェア・レディ」に出演した、というのがもう一つの理由ですね。)

>人として尊重されていると思えることがとても大切だということでしょう。

本当にそう思います。そして私も、街で行き会う人、ただ一度限りの人とも、「人と人」として出会いたいと思いますし、自分のことも人としてみてほしいと思う時があります。

>ジェレミーは心から人を好きで、人を大切に思っていたから、自然にそういうことができたのでしょうね。

はい、そう思います!そして、だから私たちは、ジェレミーにひかれるのですよね。


そして皆様へ。ここにもよく来てくださるナツミさんの最新の記事「マーティン・フリーマンの来日」(http://sherlock221b.blog.fc2.com/blog-entry-186.html)のコメント欄で、こんなふうに書いて下さいました。(ナツミさん、引用させて下さいね。)すごくうれしかったです。

>RMさんがご自身のブログの記事で、ジェレミー・ブレットが町の花売り娘にも心から興味を持って、熱心に話を聞いていた、という心温まるエピソードを訳してくださっているのですが、あの時マーティンに会ったファンたちも、自分が「大勢の中の一人」ではなく、オードリー・ヘップバーンに対するのと同じように扱ってもらえたと感じたと思います。

BBCのSHERLOCKでジョンを演じているマーティン・フリーマンがどんなだったかは、どうぞ記事をお読みになって下さいね。

力づけられました

RMさん、皆さんこんばんは。

RMさん、私のブログのコメント欄に触れてくださってありがとうございました。私こそ、とてもうれしかったです!直接ご挨拶申し上げず、申し訳ありませんでした。

ワトスンの役を演じているマーティン・フリーマンがファンに誠実に対応していたのを見たことと、ホームズを演じたジェレミーが分け隔てなく人に接していたとRMさんが伝えてくださったこと、この二つの出来事は互いに関係はないのですが、私にとっては、特別感慨深い、一続きの出来事だったのです。

よく知らない人をもかけがえのない一人として大事に思うということは、本当は難しいことなのだと思います。誰かが、自分にとって大切な何かを踏みにじられたり、そうさせるまいと感じることから争いが起きるのだから、皆が皆を大事にできたら、この世はとっくに争いの無い世界になっていますよね。
でも、それができるかもしれない、と感じさせてもらえるというのは、とても勇気付けられることです。素敵な記事をありがとうございました。

つながりを感じます

ナツミさん、こんばんは。

こちらこそ、ありがとうございました。

>直接ご挨拶申し上げず、申し訳ありませんでした。

いえいえ、ナツミさんのブログにうかがって私の記事に触れてくださっているのに気がつくと、いつもうれしいんですよ。「勝手知ったる他人の家」ですもの、ナツミさんのブログは。(あれ、慣用句の使い方間違っているかしら。でもまあ要するに、浅からぬご縁を感じる、ということが言いたいんです。)

>この二つの出来事は互いに関係はないのですが、私にとっては、特別感慨深い、一続きの出来事だったのです。

わかる気がいたします。ナツミさんが昔からずっとお好きだったホームズとワトスンを、それぞれがそれぞれの場所で演じているというつながり、そしてナツミさんは実際に目の前でご覧になったマーティンの姿に何かを感じ、(私もつながりの中にいれていただいて)私はすでにこの世にはいないジェレミーから何かを感じ、それぞれに文字で記したというつながり。

>よく知らない人をもかけがえのない一人として大事に思うということは、本当は難しいことなのだと思います。

本当にそうですね。そしてそれは多分、たった今まで知らなかった、でもいま目の前にいる、そしてもう二度と会うことがないかもしれない人、そういう人を大事に思うことからはじまるのでしょうね。ジェレミーもマーティンも、そういうあたたかさをみせてくれたのだと思います。

つながりを大事にしたい

>「勝手知ったる他人の家」ですもの、ナツミさんのブログは。

わあ、そう言っていただけてうれしいです!

私は一人暮らしなのですが、RMさんのブログは書き込みをしない時も覗かせていただいているので、それこそ勝手にくつろぐように楽しませていただいております。(あまり、携帯からネットを見ないのもそう感じる理由かもしれません。)
RMさんにも私のブログをご自分のお部屋の延長のように感じていただけたら、とってもうれしいです。

>たった今まで知らなかった、でもいま目の前にいる、そしてもう二度と会うことがないかもしれない人、そういう人を大事に思うことからはじまるのでしょうね。

本当にそうですね。私もそんなつながりを大事にできる人になりたいです。単に出演作品が好き、というだけでなく、人として好きになれる,こんな人になりたいと思えるような方と出会えるのは、とても幸せなことですね。

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 RM

Author: RM
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