Jeremy のことが知りたくて ~ ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)を愛するかたへ

英グラナダ・テレビでシャーロック・ホームズを演じた俳優の人生を言祝いで

前々回の記事「Lestradeをどう発音するか(2)」中で紹介した本で、ドイルがホームズ物語を声に出して子供の前で読んでいたことを知った時に、ジェレミーのあるインタビューを連想しました。

でもそのインタビューについては、以前「Jean Conan Doyleとジェレミー(3)」の記事のコメント欄でトビィさんとお話してこんなふうに書いたように、記憶があいまいでした。

実はデイム・ジーンとジェレミーというテーマで、もう一つ取り上げたかったインタビューがあって、でもそれがみつからないのですが、そのなかで、子供たちが(あるいはデイム・ジーンと特定していたかもしれませんが)お父さんからホームズの話をきいているのをジェレミーが想像しているのです。そんなに詳細にではなく、インタビューの流れの中でちらっとふれていたのですが、でもこうしてジェレミーは、ホームズを書いていた頃のドイルとその家族にも想像の翼を広げているのだなあ、と思ったことがありました。具体的にどの話のことをジェレミーが想像していたか、言っていたような気もするし、そうでなかったような気もして、みつからないのが残念なのですが。


でもそれがやっとみつかりました!どのインタビューだったか、またわからなくならない内に書いておきます。(トビィさん、お元気でいらっしゃいますか?みつかりました!)

"Actor seeks new clues to the elusive, tormented Holmes"
The Globe and Mail (Canada), August 7, 1989

「シャーロック・ホームズはまじめで内向的で現実主義者です」とブレットは言う。彼は世界的に大ヒットした、イギリスITVのシャーロック・ホームズシリーズに主演している。「はじめはホームズを演じることに乗り気ではありませんでした。一つには僕は正反対ですから。外向的で夢想家で、あんなふうにまじめではないんです。」

しかし反対同士はひかれあう。特にこの場合はとても見事に。Dame Jean Conan Doyle(デイム・ジーン・コナン・ドイル)は重要な意味を持つすばらしい支持の言葉を伝えてくれた。「『あなたは私が子供の時を一緒にすごした、あのホームズだわ』と僕に言ってくださいます」とブレットは言う。「その言葉は僕にとってかけがえのない最高の言葉です。デイム・ジーンのお父さんは、書いたばかりの物語、たとえば『青い紅玉』のような話を、ちっちゃな女の子の彼女に読んできかせたはずです。朝、学校へ走っていく前の女の子にね。だから、ドイルのある部分を感じられる気がして、こころがおどります。」


"Sherlock Holmes is extremely serious, an introvert and a realist," says Brett, star of ITV's international hit, The Return of Sherlock Holmes. "Initially I hesitated to do the series because, for one thing, I'm the opposite, an extrovert, a romantic, and not that serious."

But opposites attract, brilliantly in this case. Dame Jean Conan Doyle has given the ultimate critical blessing: "She tells me I'm the Holmes she grew up with," Brett says, "and that means more than anything to me. Her father must have read her a new story like The Blue Carbuncle before she, as a little girl, ran off to school one morning. So I feel a part of Doyle and I'm thrilled."



ジェレミーはこんなふうに想像しているのですね。小さな女の子とお父さんの朝の風景。ジェレミーが「青い紅玉」をあげているので、クリスマスシーズンの雪のちらつく朝が思い浮かびます。明日の朝きかせてね、と頼まれて前の夜に書き上げた部分を、朝の食卓で読んでいるのでしょうか。

"I feel a part of Doyle and I'm thrilled." というところ、これはどのようにとったらよいのでしょう。こんなことを想像しました。一人のお父さんとしてのドイルが娘に読んできかせて、二人でイメージをわかちあい楽しんだ、ホームズという一人の人。そのホームズを演じている自分と、小さな女の子のこころの中のホームズがつながった。自分とドイルがつながった。

ジェレミーのなかで、原作とのつながり、ホームズとワトスンと、二人がいるあの世界を創造したドイルとのつながりは、とても大切だったのでしょう。

RM
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コメント

こんにちは

RMさん、こんにちは!
いつもご丁寧に、ありがとうございます。

この記事をたどって、ジェレミーのインタビューの音声データがいろいろと手に入りました。ありがとうございます。
また、前記事のりえさんのブログ、私も最近拝見しているのですが、すごいですよね。

また、今回の記事を読んで、思ったのですが。
予備校時代の先生に習ったのですが、「映像は想像力を貧困にする」、ということです。たとえば、「アルプスの少女ハイジ」といったら、100人が100人とも、あのアニメのハイジをイメージしてしまう、ということ。
活動写真の発明はすばらしいものですが、視覚という強烈な刺激によって、イメージが固定化されてしまうのですね。
400年前の義太夫「曽根崎心中」を読んでいて、昔の人たちの言葉の世界の豊穣さに驚かされました。親から子へ、孫へと引き継がれた昔語りなども、言葉の世界での中で想像が膨らんで、豊かなものになっっていったのでしょう。

ですから、ジェレミーも、映像がもつインパクトというものを自覚していて、だからこそ、「"She tells me I'm the Holmes she grew up with,"」というのは、嬉しかったのではないかと思うのです。
映像に汚されていない、お父さんが読んであげたお話の中のイメージの中のホームズであった、ということ娘さんに言われた意味は大きいのではないかと。

「ドイルへの責任」、その大きさ。
ジェレミーの俳優としてのあり方に、改めて感動しました。


はまぐりさん、こんばんは!

古い記事もたどってくださっているのですね、ありがとうございます。

りえさんのブログは、私がジェレミーのホームズを「再発見」して以来のご縁のある場所で、私の懐かしいホームグラウンドのような感じです。りえさんとは二度お会いしているんですよ。

>活動写真の発明はすばらしいものですが、視覚という強烈な刺激によって、イメージが固定化されてしまうのですね。

はい、私は義太夫は読んだことがないのですが、古典落語が好きですし、オーディオブックや本も好きなので、おっしゃることがよくわかります。映像がない方が、かえってありありと人物や場面を自分の中に思い浮かべられるということがありますね。そしてそのイメージは人それぞれ。ホームズの場合も、まず最初に原作を読んだ人の頭の中に、それぞれのホームズの姿があるのですよね。

>映像に汚されていない、お父さんが読んであげたお話の中のイメージの中のホームズであった、ということ娘さんに言われた意味は大きいのではないかと。

本当にそうですね!グラナダ版に出会う前に原作を読んだ人が、ジェレミーのホームズは本を読んだ時のイメージそのままだとよく言いますが、それぞれ自分のホームズを心の中に住まわせているのにもかかわらず、ジェレミーのホームズをみたとたんに、それが自分のホームズだと思う、これも不思議で素晴らしいことだと思います(私にとってもそうです!私は原作は少ししか読んでいませんでしたが、それでもジェレミーをみたとたんに、なんてホームズそのものの人なんだろう!と思いました)。

でもデイム・ジーンの場合はさらに、それがドイルが読んでくれたホームズなのですから、奇跡のようにも思えますし、それがジェレミーのホームズの素晴らしさだとも思えます。ジェレミーも嬉しかったことでしょうね。

落語

RMさん

こんばんは。
新記事へのコメントをいろいろ考えているのですが、どうしてもこのご返答を読んで落語のことがずうっとありまして、少し書きたくなりました。

私も好きなんですよ古典落語。どういうのがお好きなんですか?
私は、志ん生、志ん朝、馬生の親子、文楽、円生、そして、上方だと米朝です。江戸には小さんもいましたね。
落語は江戸だと思っていたのですが、米朝は好きだった。
あとは、3代目金馬とか、えっと、芝浜でしたっけ?(財布を拾う話)で有名な3代目(名前が出てこない)とか。
数年前、落語を聞きまくって、本を読みまくっていたので、懐かしく思い出しました。神保町の古本屋で本を物色していたなあ。
神保町は世界に二つとない街らしいですが、今でも古書街が楽しいです。早稲田もそうですが。
近くの図書館では落語のCDを何百枚と借りて、録音して、ジャケットもコピーしていました。
色っぽい志ん朝が特に好きで、私が大学で上京したときはまだ生きてらしたので、見ておけばよかったと思いました。
あの親子は好きです。
うまいなあと思ったのはやはり円生。宇野信夫さんもいろいろ書いていました。

豊かな言葉の世界って、落語ですよね。特に文楽とか、円生とか、すごいです。円生の自伝を読んだとき、学校にも行っていないのに、すごいなあとしか思わなかったです。
落語って、演劇や映画、バレエなどと違って、綺麗でもなんでもない。そっけない舞台で渋い色の着物を着て、体芸ひとつで見せるんですよね。究極の芸能だなあと思っています。もちろんビデオなど、みても面白いのですが、聞いているだけで楽しめますものね。

寄席などもあるんですが、どうしても、「昭和の名人」が好きなため、あまり行かないんですよね。江戸ことばとかね、今の芸人さんにはもう無いですもん。でも、寄席でみた小三治さんは、別世界によかったです。芸って、すぐにうまい下手がわかるから、残酷です。

英語の勉強にいくら苦労はしても、自分は日本人でよかったなあと思います。日本語は難しいので、やはり母国語でないとその芯のところを味わえないですし、外国人が日本語を勉強するのは日本人が英語を勉強するよりはるかに大変なようですしね。日本語好きだなあ。

なんかとりとめなくなりごめんなさい。RMさんはどういったものがお好きですか?

はまぐりさんも!

こんばんは。

>私も好きなんですよ古典落語。どういうのがお好きなんですか?

うれしいなあ、はまぐりさんもお好きなんですね!
私が小学生の頃にはラジオで結構落語をやっていて、小さんと円生が記憶に残っています。ただその頃はどの落語が好き、どの噺家が好きというのはあまりなくて、ラジオで面白い話をきくのが楽しいという感じでした。その頃講談社文庫の「古典落語」シリーズ全6巻(興津要 著)が刊行され、父が次々に買ってきて、私はそれを次々に読みました。小学校高学年でした。これで、ラジオできいていた「面白い話」が、歴史をもった「落語」という一つの芸であることを認識したのだと思います。それからも、ラジオやテレビで古典落語の放送をきいていました。でも、「古典落語」の文庫本を読んだことより他には、自分で積極的に落語に近づくことはなくて、言わばたまたま流れてくるのに耳を傾けていただけで、次第に落語から遠くなっていきました。幼稚園の途中までは東京で過ごしましたが、それ以降は東京から遠く離れていますから、寄席にも行けませんでした。

>色っぽい志ん朝が特に好きで

志ん朝が亡くなったのが2001年10月。落語好きは大きな衝撃をうけていましたね。その時、落語の世界が志ん朝を失ったことの大きさを自分で実感するほどその芸を知らなかったので、もう一度志ん朝をきいてみようと思ったのです。「もう一度」と思ったからには、それまでもテレビか何かできいていたのでしょう、でも具体的な記憶は浮かんできません。それからCDのシリーズを買って、それが落語再発見のはじまりでした。

>芝浜でしたっけ?(財布を拾う話)で有名な3代目

桂三木助ですね。「芝浜」は特に好きというわけではなかったのですが、私は三木助の「三井の大黒」をラジオできいて、上手だなあと思って気に入って、録音を何度もききました。左甚五郎ものです。

はまぐりさんが名前をあげていらっしゃる噺家は全部好き、それ以外から選ぶと林家正蔵(彦六)。若い頃も年取ってからも。

そして特に好きな噺家は、落語再発見のきっかけの志ん朝から、馬生にうつっていきました。馬生はほっとしたりしんみりしたり、突然ハチャメチャになって大笑いしたり唖然としたり。評伝の「十代目金原亭馬生 噺と酒と江戸の粋」もとてもよかったです。

>寄席などもあるんですが、どうしても、「昭和の名人」が好きなため、あまり行かないんですよね。

はい、お気持ちわかります。でも私はそれでも寄席が好きなんですよ。定席の寄席では、いろいろな個性を持つたくさんの噺家さんがとっかえひっかえ私たちのために高座にあがって、前の噺家と内容が重ならないように、時間が全体でちゃんとおさまるように、その時のお客の雰囲気にあうように、その場で(あるいは直前に)噺を決めて演じますよね。それが毎日続く。普段の顔をした芸、でも本当は長い修行を経た話芸を、お客は飲み食いしながら楽しむなんて、なんと庶民的な贅沢なんでしょう!

>そっけない舞台で渋い色の着物を着て、体芸ひとつで見せるんですよね。究極の芸能だなあと思っています。もちろんビデオなど、みても面白いのですが、聞いているだけで楽しめますものね。

一人で、言葉だけで、あの世界をつくるんですよね!もちろん所作も含めて落語ではありますが、私は生でみるとき以外は、映像なしの音だけの方が好きです。私はそちらの方があの世界に入っていけるのです。

はまぐりさんは、映像だけではなく言葉や声をとおしても自分の中に風景や世界が広がることに敏感なかたなので、はまぐりさんが落語がお好きとうかがって、やっぱり!と思いました。

>.私が小学生の頃にはラジオで結構落語をやっていて、小さんと円生が記憶に残っています。

すごい!いい時代ですね。私は子供の頃宮崎と長崎に住んでいて、江戸は遠く、落語という芸能があることも知らなかったと思います。ラジオから流れる落語なんて、いいなあ。。噺も本当によくできているので、子供も楽しめますよね。


>志ん朝が亡くなったのが2001年10月。落語好きは大きな衝撃をうけていましたね。

志ん朝は滑舌がいいので、子供の話とか大好きです(中野みどりさんが書いていた)。えっと、賢い子供の話(また出てこない。)とか、ベスト1くらいに好き。
もちろん艶っぽいところは艶っぽいし。

桂三木助の甚五郎もの、好きです!

林家正蔵も!怪談ものとか。最初はあまりパンチを感じなかったのですが、聴いているうちに好きになりました。

怪談と聴いて、忘れられないのが円朝。幕末から明治にかけた世紀末の混沌の時代を生きた人の中で、円朝のすごさは群を抜いている気がします。黙阿弥なども素晴らしいですがちょっと桁が違う感じ。
あと、関係ないですが、東海道四谷怪談の4代目南北。これを読んだときは、衝撃でした。こんなにも人の情を鋭く抉り出した文学があるのかと。シェイクスピアより凄いわと思いましたね(笑)。
怪談とホラーの違いとは、ホラーは怖いだけだけれど、怪談には人の哀しみというものが表されていることだと聞きました。とても深い情の世界だと思います。

それに、落語もそうですけれど、明るい中の哀しみというのは哀しみを強く感じさせます。哀しい哀しいとはいわない、しかし、明るい中にさらりとした哀しみがあり、かえって胸にせまるのです。モーツアルトの長調の美しい旋律、明るく軽い、でも、時に哀しみを感じさせ、また明るく戻る。ブラームスのような短調のペシミスティックな曲よりも哀しみを感じるんですよね。
落語の妾馬だって、お兄さんは始終おかしいんですが、お殿様の側室になって子を設けた妹を喜びながら、でも、孫の顔を見られない親のことをさらっという場面、それだけで、封建時代の哀しみがぐっと伝わってくるんですよね。

馬生、大好き!涙ぐむほど苦労の多い人生の人だけに、とても温かいんですよね。芸も素晴らしいし。しかも、志ん朝よりも声がお父さんに似ていて、あ、志ん生!と思わされるところが多いため、ファンには嬉しいのです。ご紹介いただいた本も早速図書館で予約しましたよ。


>普段の顔をした芸、でも本当は長い修行を経た話芸を、お客は飲み食いしながら楽しむなんて、なんと庶民的な贅沢なんでしょう!

そうですね!個々の作品の集合体でありながら全体でひとつの作品を織り成しているわけですよね。そう思うと、素晴らしい舞台ということがわかってきましたよ。歌舞伎もそうなんですが、食事をしながら見られるというのが、またいいんですよね。相撲なんかもそうですしね。庶民の息遣いが伝わってくるようです。

>はまぐりさんは、映像だけではなく言葉や声をとおしても自分の中に風景や世界が広がることに敏感なかたなので、。

落語って、まさにそうですよね。聴いているだけで情景がうかぶし、鰍沢だとぞくぞくしたり、目黒のさんまなら秋空が広がったりしますし。お恥ずかしいですが、そういうことに敏感になったとしたら、子供の頃から本を読んで、また本を読んでもらって成長したことは有難かったと思います。ジェレミーと一緒で、母の力は大きいです。想像力が知らずはぐくまれたのかもしれません。
最新記事にもかかわりますが、想像力はこの世知辛い世界を生きていく魔法ですね。想像の世界は誰にも邪魔されませんものね。最新記事の冬の朝にもうんうんとうなづいていました!そして、冬の朝の匂いがしましたよ。

こちらに伺うようになって、こうしてコメントしていても、ジェレミーの発見の中にも、原風景や好きだったことが次々に浮かんできます。そして、とても幸せです。
私が元気なうちは差し支えなければうかがわせて頂くので、RMさんもお元気になさってくださいね!

はまぐりさん、こんにちは。

>志ん朝は滑舌がいいので、子供の話とか大好きです(中野みどりさんが書いていた)。えっと、賢い子供の話(また出てこない。)とか、ベスト1くらいに好き。

「真田小僧」でしょうか?久しぶりに引っ張りだして、ききましたよ!志ん朝のあの口調、懐かしいなあ、いいなあ。そして、志ん朝で次にききたいのは何?と自分に問いかけて、「火事息子」が浮かんできました。今夜はきけそうにないけど、数日うちの夜にききましょう。そういえば中野さんの本、多分「今夜も落語で眠りたい」という題のあの本ですね。

>ご紹介いただいた本も早速図書館で予約しましたよ。

とてもいい本です。ますます、しみじみと馬生が好きになる、そんな本です。志ん生の長女の美津子さんが書かれた本もいいですね(三人噺 志ん生・馬生・志ん朝)。

ところで美津子さんが録音していた、親子リレー落語 「富久」がYouTubeにありますね。ご存知かもしれませんがアドレスを書きます。
http://www.youtube.com/watch?v=3dnDNlp0P5o

>怪談と聴いて、忘れられないのが円朝。幕末から明治にかけた世紀末の混沌の時代を生きた人の中で、円朝のすごさは群を抜いている気がします。黙阿弥なども素晴らしいですがちょっと桁が違う感じ。
あと、関係ないですが、東海道四谷怪談の4代目南北。

円朝は速記録を少しだけ読んだ事があります。「名人長二」だったと思いますが、これは怪談ではないですね。黙阿弥と南北は、私にとってはまだ名前を知っているだけの人です。シェークスピアも楽しめるようになりたいけど、歌舞伎のことも知りたいです。そう考えると人生は短いですね!

>それに、落語もそうですけれど、明るい中の哀しみというのは哀しみを強く感じさせます。

あきらめるとか、ゆだねるとか、こういう言葉は使い方によって正と負と両方の意味を持ちうるものだと思いますが、生きることの中には必ず個人の意志をこえたものがあって、それを受けいれた上での明るい哀しみがありますね。

モーツアルトについておっしゃっていること、よくわかります。はまぐりさんが書いていらっしゃる「長調の美しい旋律、明るく軽い、でも、時に哀しみを感じさせ、また明るく戻る」という表現で、もう一つ思い出すのが、フランクのバイオリンソナタイ長調の最終楽章で、バイオリンとピアノの明るい追っかけっこから始まります。小さい頃からなぜかこの曲が好きで、チェロ編曲版も含めて5枚くらいCDを持っていますが、「無人島に持っていくCD」はグリュミオー演奏のものです。

>子供の頃から本を読んで、また本を読んでもらって成長したことは有難かったと思います。

私もやはり本です。本はいいですね!ああ、はまぐりさんとお話していて、本というものがこの世にある幸せをあらためて感じます。

>ジェレミーと一緒で、母の力は大きいです。

ジェレミーも本を読んでもらったのですよね。

>こちらに伺うようになって、こうしてコメントしていても、ジェレミーの発見の中にも、原風景や好きだったことが次々に浮かんできます。そして、とても幸せです。

そう言っていただいて、とてもうれしいです。好きなもの、こころひかれるものが持つ本質というのは子供の頃からかわらなくて、それを思い出すことで、こころのなかの大切なものとつながることができますね。

>私が元気なうちは差し支えなければうかがわせて頂くので、RMさんもお元気になさってくださいね!

ありがとうございます!コメントしていただくととてもうれしいし、でもお忙しい時などは無理なさらないくださいね。以前ここでお話したかたも、最近お声をきかなくても、時々のぞいたり思い出したりしてくださっているんじゃないかしらと思うだけで、懐かしい気持ちになります。

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 RM

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和訳には間違いがあるかもしれません。最近は必ず英語原文を併記・またはアドレスを書いて読めるようにしていますので、どうぞそちらも参考になさってください。

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